あやかし姫~旅の人(15)~
陽炎のように絶えず揺らめくその身体。
その紅い二つのまなこが哄笑を。
犬神――
一歩進むたびに、煙があがる。触れるものを、腐らせているのだ。
植物の悲鳴。土の悲鳴。
三匹の中で次に動いたのは、九尾の銀狐葉子であった。
「いくよ!」
九つの蒼い火が、葉子の尾に宿る。
流麗なる銀毛の尾を翻し、その蒼い火を投げつけた。
火は生きているかのように動き、犬神にまとわりついた。
「笑止……」
犬神が笑った。
「このようなもの……
「まだ、はやいよ!」
葉子が、大きく口をあける。
それを見て、太郎が舌打ちした。
「伏せろ」
「はい?」
「月心、伏せろ!」
太郎が、月心に怒鳴る。月心、慌ててその指示に従う。
黒之助は、静かに見ていた。
ふむと、いう。
その手の錫杖に、ぶれはなかった。
相手を、探る。そんな目で見ていた。
「消し炭になりな!」
葉子が、炎を吐いた。まゆばい光が、あたりを包む。
それは、赤でも青でもなく、白い炎。
黒の犬神に、白の炎が直撃した。
「……どんなもんだよ」
炎の残りかすを口からちょろちょろさせながら葉子がいった。
あの狐火はただの足止め。これをくらわせたかったのさ、若いの。
そういった。
銀毛を震わせる。あむっと、口を閉じた。
焼け跡が地面に残っていて。ぱらぱらと、火の粉が落ちてくる。
犬神が腐らせた部分も消え去っていた。
犬神の姿は、どこにもなかった。
「やったのですか?」
おそるおそる月心が尋ねる。伏せたまま。
「えっへん、凄いでしょ! ねえ、クロちゃん! 太郎!」
「太郎……はて?」
「あの、阿呆……」
「あっけなかったね、クロちゃん」
「……いや、まだだ」
「なんでよ。姿形も」
「……やる……なあ……」
声がした。嘘、と葉子が。
犬神の姿はない。
それなのに、犬神の声がした。
あの、幾層にも重なった声。
聞き間違えるはず、ない。
「嘘……だって」
火の粉が、集まりだした。
集まって、形をつくる。
白い火が、あの犬神の姿を作る。
火が、消えた。
黒い影。
あの目が、嬉しそうに笑っていた。
「……あたいの……炎が……」
灯りの役割を担い漂っている葉子の狐火が、その勢いを弱めた。
「葉子!」
太郎が叱咤する。
だってと振り向く葉子の目には、はっきりと怯えが現れていた。
「四かあ……いっただろう……参では、足りないってよお……」
黒之助が羽を動かす。猛烈な風と共に、舞い上がった。
「これなら、どうだ」
そういうと、錫杖を振り上げる。
光が、錫杖の先に集まる。犬神は、笑ってその光を見ていた。
「雷神……招来」
錫杖を振り下ろす。雷が、落ちる。
巨大な雷が。
「六」
犬神は、そう言った。
轟音が、鳴り響いた。
「雷……派手にやっとるなあ」
雷が姫様達にもみえた。妖達が、きゃっと姫様の背中に隠れる。
大きな音が、少し遅れて。
「あれは、誰? もしかして式が……」
「黒之助じゃなあ」
「クロさんの? ……凄いですね」
「うむ。あれを食らって耐えられる者など、そうはおらんじゃろうな」
「……頭領」
姫様の声色が変わった。
頭領が、
「どうした?」
と訊ねた。
「なにか、来ます」
そう、姫様は答えた。
頭領が、結界を貼ろうと。
姫様がそれを遮る。
「間に合いま……頭領……気持ち、悪い」
今にも、泣きそうな顔でいう。
頭領が舌打ちした。
「……返り討ちにしてくれる」
頭領が立ち上がる。
障気が、庭に満ちていく。
妖達が、苦しげに。
姫様が、ぎゅっと手に力をこめる。
ふっと、妖達が楽になった。
姫様は、相変わらず顔色が悪くて。
頭領が、かはあと、大きな息を吐いた。
赤い舌が、二つに割れた赤い舌が、ちょろちょろと蠢いた。
「どうだ?」
「これは、やったんじゃないの?」
「……黒。お前派手な技もってるなあ」
「んー、お主用に覚えた」
「……ま、無駄なこったな」
太郎がいった。
「ふん。食らえばお主も『黒』だな」
「は、言ってろ」
太郎の声に皮肉が混じる。黒之助が、眉を動かす。
「……やるというのか? 姫様がいるから我慢していたが……」
「いいだろうよ。忘れているみたいだが、寺で『二番目』に強いのは俺だ」
「いーや、拙者だ」
「また、昔の悪い癖……お願いだから喧嘩しないで、ね? まずは式を確かめようよ」
葉子が懇願する。なんであたしが……そう、思いながら。
「……そうだな、それからだ。月のないお前に、負けはせんぞ」
「ふん」
「あの二人……仲が悪いのですか?」
月心が訊いた。
「……悪かったり良かったり、色々あるの。はあ……クロちゃん、太郎、いない?」
「ああ、いないよ」
「いる……さあ……」
黒い球形。三匹の前に姿を見せる。
紅い目が、光る。
「十」
そう、いった。
また、獣の姿をとりはじめた。
「なんで、生きてるのよ」
葉子が、ひきつった声をだした。
その紅い二つのまなこが哄笑を。
犬神――
一歩進むたびに、煙があがる。触れるものを、腐らせているのだ。
植物の悲鳴。土の悲鳴。
三匹の中で次に動いたのは、九尾の銀狐葉子であった。
「いくよ!」
九つの蒼い火が、葉子の尾に宿る。
流麗なる銀毛の尾を翻し、その蒼い火を投げつけた。
火は生きているかのように動き、犬神にまとわりついた。
「笑止……」
犬神が笑った。
「このようなもの……
「まだ、はやいよ!」
葉子が、大きく口をあける。
それを見て、太郎が舌打ちした。
「伏せろ」
「はい?」
「月心、伏せろ!」
太郎が、月心に怒鳴る。月心、慌ててその指示に従う。
黒之助は、静かに見ていた。
ふむと、いう。
その手の錫杖に、ぶれはなかった。
相手を、探る。そんな目で見ていた。
「消し炭になりな!」
葉子が、炎を吐いた。まゆばい光が、あたりを包む。
それは、赤でも青でもなく、白い炎。
黒の犬神に、白の炎が直撃した。
「……どんなもんだよ」
炎の残りかすを口からちょろちょろさせながら葉子がいった。
あの狐火はただの足止め。これをくらわせたかったのさ、若いの。
そういった。
銀毛を震わせる。あむっと、口を閉じた。
焼け跡が地面に残っていて。ぱらぱらと、火の粉が落ちてくる。
犬神が腐らせた部分も消え去っていた。
犬神の姿は、どこにもなかった。
「やったのですか?」
おそるおそる月心が尋ねる。伏せたまま。
「えっへん、凄いでしょ! ねえ、クロちゃん! 太郎!」
「太郎……はて?」
「あの、阿呆……」
「あっけなかったね、クロちゃん」
「……いや、まだだ」
「なんでよ。姿形も」
「……やる……なあ……」
声がした。嘘、と葉子が。
犬神の姿はない。
それなのに、犬神の声がした。
あの、幾層にも重なった声。
聞き間違えるはず、ない。
「嘘……だって」
火の粉が、集まりだした。
集まって、形をつくる。
白い火が、あの犬神の姿を作る。
火が、消えた。
黒い影。
あの目が、嬉しそうに笑っていた。
「……あたいの……炎が……」
灯りの役割を担い漂っている葉子の狐火が、その勢いを弱めた。
「葉子!」
太郎が叱咤する。
だってと振り向く葉子の目には、はっきりと怯えが現れていた。
「四かあ……いっただろう……参では、足りないってよお……」
黒之助が羽を動かす。猛烈な風と共に、舞い上がった。
「これなら、どうだ」
そういうと、錫杖を振り上げる。
光が、錫杖の先に集まる。犬神は、笑ってその光を見ていた。
「雷神……招来」
錫杖を振り下ろす。雷が、落ちる。
巨大な雷が。
「六」
犬神は、そう言った。
轟音が、鳴り響いた。
「雷……派手にやっとるなあ」
雷が姫様達にもみえた。妖達が、きゃっと姫様の背中に隠れる。
大きな音が、少し遅れて。
「あれは、誰? もしかして式が……」
「黒之助じゃなあ」
「クロさんの? ……凄いですね」
「うむ。あれを食らって耐えられる者など、そうはおらんじゃろうな」
「……頭領」
姫様の声色が変わった。
頭領が、
「どうした?」
と訊ねた。
「なにか、来ます」
そう、姫様は答えた。
頭領が、結界を貼ろうと。
姫様がそれを遮る。
「間に合いま……頭領……気持ち、悪い」
今にも、泣きそうな顔でいう。
頭領が舌打ちした。
「……返り討ちにしてくれる」
頭領が立ち上がる。
障気が、庭に満ちていく。
妖達が、苦しげに。
姫様が、ぎゅっと手に力をこめる。
ふっと、妖達が楽になった。
姫様は、相変わらず顔色が悪くて。
頭領が、かはあと、大きな息を吐いた。
赤い舌が、二つに割れた赤い舌が、ちょろちょろと蠢いた。
「どうだ?」
「これは、やったんじゃないの?」
「……黒。お前派手な技もってるなあ」
「んー、お主用に覚えた」
「……ま、無駄なこったな」
太郎がいった。
「ふん。食らえばお主も『黒』だな」
「は、言ってろ」
太郎の声に皮肉が混じる。黒之助が、眉を動かす。
「……やるというのか? 姫様がいるから我慢していたが……」
「いいだろうよ。忘れているみたいだが、寺で『二番目』に強いのは俺だ」
「いーや、拙者だ」
「また、昔の悪い癖……お願いだから喧嘩しないで、ね? まずは式を確かめようよ」
葉子が懇願する。なんであたしが……そう、思いながら。
「……そうだな、それからだ。月のないお前に、負けはせんぞ」
「ふん」
「あの二人……仲が悪いのですか?」
月心が訊いた。
「……悪かったり良かったり、色々あるの。はあ……クロちゃん、太郎、いない?」
「ああ、いないよ」
「いる……さあ……」
黒い球形。三匹の前に姿を見せる。
紅い目が、光る。
「十」
そう、いった。
また、獣の姿をとりはじめた。
「なんで、生きてるのよ」
葉子が、ひきつった声をだした。