小説置き場2

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あやかし姫~旅の人(17)~

「きさまあああ!!!」
 太郎の何かが、切れた。
 黒之助が張った結界を気にせず、突っ込んだ。
 烏天狗が結界を解く暇もなく。
 小さな稲光が、いくつもいくつも起こる。
 今三匹を囲む結界は、式だけではない。
 妖にも、作用するのだ。触れるもの全てに牙を向ける。
 刹那の争い。その戦に、妖狼が勝った。
 かっ、と音がした。壁が、崩れる。
 全身から煙をあげながら、妖狼が犬神に襲いかかる。
 もはや、自らの傷など関係ない。
 頭にあるのは、犬神が姫様に手を出したということのみ。
 金銀妖瞳に映るわ、黒き犬神の姿のみ。
「やめよ!」 
 っという黒之助の声も、
「駄目!」 
 っという葉子の声も、もはや耳には入らない。
 純白の体毛に血と焦げをつくり、妖猿の爪につけられた傷口を再び開かせながら、太郎は、犬神に襲いかかる。
 凶猛なる一撃。風を断ち切らんと、その鋭い爪を振り下ろす。
 同時に、犬神も動いた。
 ゆらゆらと揺れ、定形をもたぬその躯で、太郎を包み込もうとしたのだ。
 太郎にも、己の爪も牙も効かないことはわかっている。
 それでも、止まらなかった。
 止められなかった。
 姫様は、大切な人、なのだ。
「いや!」
 葉子が悲鳴をあげ、顔を地に伏せた。
 黒之助が、顔を背けた。
 バン! と音がした。黒之助に、大きな物がぶつかった。
 黒之助が下敷きになる。きゅーっと目を回した。
 葉子が、
「あ……」
 といった。喜びを込めて、九尾を揺らした。
 青白い炎が、強く燃え上がった。
 太郎が目を回しながら烏天狗の上に。
 誰かが、太郎を助けてくれたのだ。
 心当たりは、一人だけ。



「間に合った……」
 横になっている姫様。ぱたぱたと妖達の団扇で扇がれている。
 額に、水で濡れたおしぼりを。
「よかった……」
 おしぼりを取りながら起きあがる。
 妖達が止めるが、それを聞かず。
 顔色が悪い。
 でも、嬉しそう。
「姫様……いいの?」
「いいの?」
「頭領は、寝てなさいって言ってた!」
「うん、もう、大丈夫」
 そういって、ちょっと咳き込んだ。
 妖達が慌てる。
 泣き出すものもいる。
 そこら中を走り回るものも、飛び回るものも。
「ちょっと……静かに」
 妖達がはたっと止まる。
 姫様の目はある方向に。
 それは、木森原の方角。
 ふうっと息を吐き、また、
「よかった」
 といった。
 縁側に、とぐろを巻いた小さな白蛇が――
 


「なんだ……お前……喰い損ねたではないか……」
 われと妖狼が触れる間際に、弾き飛ばしおった……
 すくっと立つ翁の姿。
 それに向かって犬神はいった。
「頭領!!!」
 葉子が叫んだ。
 古寺の頭領、八霊がそこに。
 その右手の甲に傷がある。
「太郎の奴……儂に傷をつけおって」
 ちろりと、自分の手の血を舐める。ぴちゃぴちゃと舐める。
 その姿は、いつもの好々爺とした頭領ではない。
 姫様を優しく見守る頭領ではない。
 瞳が、赤々としていた。喜ぶように怪しく光っている。
「ふむ」
 犬神をみた。
 犬神が、一歩下がった。
 それから、太郎達をみた。
「葉子、太郎をどかしてやれ」
「は、はい! ただいま!」
 葉子が、黒之助の上から太郎の大きな身体をどかす。
 起きて起きてと、ぱんぱんと二人の頬を叩く。
 頬を赤くし呻きながら、どちらも立ちあがった。
「頭領……」
「頭領、どうして!」
「うん……ああ、古寺を襲った阿呆がおるでな。ちょっとお仕置きに」
 頭領が笑った。凄みがある。
 ごくんと、葉子と黒之助がつばを飲み込んだ。
「姫様! 姫様は!?」
「無事じゃ。無事じゃが、少し障気に当てられたでな。寺で休んでおるよ。いや、茨木の障気は気にしないのにな」
 こやつの障気はお気に召さなんだらしい。
「し、しかし、頭領が古寺を離れては」
 黒之助がいった。
「一応は、見張りを置いておいたでな」
 強い、見張りを。
 黒之助が、ほっと一息。
「さてと……なるほど、これでは、黒之助達では勝てぬか」
 犬神に目をやる。目をやって、そういった。
「お前……我の……」
「ああ、これか」
 頭領が、口から黒い物をぺっと吐き出す。涎まみれ。
 太郎には、それに見覚えがあった。
「俺が、咬み千切った……」
「なんで頭領が持ってるのさ!」
「持ってるではなく、食べてる、では」
 月心がいった。
 きっと葉子が睨む。
 頭領も、目を細めて睨む。
 月心は、動じなかった。
「これが、依頼主か」
 なるほど、肝は据わっている。
 そういいながら、頭領が犬神の切れ端を持ち上げた。
 ぎろっと、動く物が現れる。
 紅い目。
 犬神と同じ紅い目が、その切れ端にも現れたのだ。
「なに? なんなの?」
「犬神、じゃよ」
 頭領が答え、それを離した。
 切れ端は、ゆっくりと犬神に近づいていく。
 その眼前まで来ると、ちょんと飛んだ。
 どん、っと音がして、その姿が消えた。
「させんよ」
 頭領の灰色の着物の裾口から大蛇が。
 漆黒の蛇。
 切れ端を呑み込んだのだ。そして、ずずっと音を立てながら、ゆっくりと戻っていく。
 月心は、呆気にとられていた。
「十三……」
 犬神が、小さな声で。
「そうか、十三の魂を失ったか」
「な……に……」
 犬神が大きく目を見開いた。揺らめきが大きくなった。
 動揺が見て取れた。
「そのぐらいお見通しじゃ。さて、古寺に手を出したこと」
 心底、後悔させてくれる。
「…や…やれるものか!!!」
 犬神が吠え、黒い丸い塊になり、頭領に突進する。
 それが、止まった。
 漆黒の蛇が八体。
 目にも映らぬ速さで頭領の裾口より現れ出でると、がぶりと犬神に噛み付きその動きを止めたのだ。
 犬神の笑い声がした。
「そこな妖狼と……同じ目にあうがよいわ……」
「頭領! そいつに直に触っちゃ駄目だ!」
「うぬ? ああ、この程度、どうもないわ」
「な……に……?」
 蛇達が力を込め、八方に跳ねた。
 犬神が、ずたずたに引き千切られる。
 蛇達は、くちゃくちゃと犬神を喰らっていた。
「……貴様の存在を…この世から消してくれよう」
 頭領が、そういった。