小説置き場2

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あやかし姫~旅の人(18)~

 喰い千切られた影は、一旦後ろに退き、すぐに元に戻る。
 獣の形をとらなかった。
 浮遊する球を忙しなく蠢く紅い目が、頭領を伺って。
 蛇達も、紅い目で犬神を。
 一旦、影の球の前面で目が留まる。じっと、睨みあう。
 それが、背後に移動した。同時に、黒い影も動いた。頭領達から、離れた。
 逃げようとしたのだ。
「あ、逃げた!」
 葉子が。
 太郎が犬神を追いかけようと。身体を起こし、すぐにべたっと腹這いに。
 黒之助と葉子は、太郎を心配するそぶりを見せるも、今はと、犬神を追いかけようと。
 蛇が、二人を遮った。
 飛び上がった烏天狗、駆けようとした九尾の銀狐の前に、大きく口をあけて。
 舌をちょろちょろさせながら、しゃーっと威嚇。
「頭領、どうして!?」
「あやつを逃しては!」
「心配、いらん」
 頭領が、にやりと。
 口が、耳元まで裂けたような錯覚を月心は覚えた。
 ギャッ! と、重なり合った悲鳴が。
 葉子の狐火の届かぬところで光が。
「なあ? 儂が逃がすわけなかろうよ」
「結界……」
 いつの間にと黒之助。
 気づかぬ己を恥じる気持ちが。
「出るには、儂を殺すしかないのう」
 かかかっ。
「なる……ほど……お前をか……」
 影が、ぬうっと現れ出でる。
 全身から煙をあげていた。
「そうじゃ、わしは嘘をつかぬぞ」
「……では……そうさせてもらおう」
 丸い影が分裂を始めた。小さな球が、幾つも生まれる。皆、同じ眼をもっていた。
 紅い光が幾つも幾つも生まれる
 ほおっと、頭領が感心を。
「これは……ふむ。これは危うい。八つでは足りぬな」
 頭領が、一歩、二歩と太郎達から離れ、影に近づいていく。
 蛇が、するすると引っ込む。
 ゆらゆら揺れる無数の影と、対峙する翁。
「死ね」
 全ての犬神が、頭領に襲いかかった。紅い光幻が線をつくる。
 美しくは、ない。
「気持ち悪い」
 そう、葉子がいった。
 そのとき、紅い光幻が一気に増えた。
 そして、また元の数に戻った。
「ぐ、あ、あ、あ!!!」
 犬神が叫んだ。幾層にも重なった叫び。
 その、重なりが消えていく。
「足りなければ、増やせばよい」
 頭領の、青白い狐火と、欠けた月がつくる薄い影。
 そこから、いくつもいくつも、蛇が這い出て。
 それが、小さな犬神を迎え撃ったのだ。
 無数とも思えた犬神全てが、蛇に襲われて。 
「ふん、うまくない」
 絡み合う蛇達。
 頭領の眼前に小さな影。憎しみと、怯えに目を光らせて。
 無数に思えた小さな犬神は、その一つを残すのみになっていた。
 全て、頭領の蛇に喰われたのだ。
「さて……最後か」
「……九十八……馬鹿な……」
「では、」
 一匹の大蛇が他の蛇を退け、犬神の前に。逃げようとしても、周りは、蛇、蛇、蛇。
 大きく口をあけ、犬神を口に収めようとした。
「ま、待って下さい!」
 月心が大きな声を。
 うん? と振り返る。はっきりと怒りがみてとれた。
「わしの邪魔をする気か?」
「頭領、この人は!」
「わしの……邪魔をする気か?」
「駄目、聞いてないよ頭領!」
 姫様、いないのに。
「お、お待ち下さい!」
「頭領……こいつは……」
「生意気な……」
 小さな蛇が一匹、犬神を離れる。
 葉子と黒之助は動けない。動きを、止められていた。
 蛇に睨まれた蛙と化して。
 太郎は、「頭領」と口にしたものの、元より動けるわけもなく。
 じゅっと音がした。
 月心に向かって伸びた蛇が、動きを止める。
 月心が、自分を守るために張られた結界に触れたのだ。
 式神も、妖も、人にすらも牙を剥く煙の結界。
 葉子と黒之助の重しがとれた。
 頭領が、
「黒之助、解いてやれ」
 そう、いった。蛇が名残惜しそうにもどっていく。
「はい!」
 呪を唱える。ずっと月心を覆っていた煙が、風に飛ばされた。
 月心の手のひらは、焼け爛れていた。
「さて……何の用じゃ?」
「その……その犬神に、聞きたい事が」
「ふむ。こっちに来なさい」
「大丈夫なの?」
 葉子が、おずおずと。
「……葉子、わしは誰じゃ?」
「頭領」
「では、こっちに来なさい。ああ、黒之助」
 ぽいっと、烏天狗に何かを投げた。
 黒之助が、それに手を伸ばす。
 もう少しというところで、起きあがった太郎がぱくりと。
「な、お前、拙者が頭領に!」
「自分の傷は自分で治す」
 ぽとっと、くわえた物を落とす。
 姫様の流麗な字で、
「傷薬(最良)」
 と書かれた大きな貝殻で。
「……ねえ、太郎。あんた、背中に手が届かないよ」
「……人の姿に」
「馬鹿か」
 ぎゃーぎゃーっと騒ぎ出す妖達。
「やれやれ……それで、月心殿か」
 月心が頭領の隣に。
 頭領の影から伸びる蛇の幾つかが、月心の方に。
「はい……あの、犬神、さん?」
 頭領が、月心が犬神にさん付けしたので、少し笑った。
「私の父にいわれた、というのは?」
 その言葉を聞いて、頭領の目が、鋭くなった。
 犬神は、答えない。
「答えよ」
 頭領がいった。
「……助けよ」
 か細い声。重なりは、ない。一つの声。
「なんといった?」
「……我を……助けると……約束せよ……」