小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~蟲火(4)~

 神無月。
 小太郎が来て、三日目――
 姫様達は、居間にいた。
 大きな机。
 そこに、姫様は正座していた。
 黒之助が、柱にもたれ掛かり本を読んでいる。
 妖達が、ぱらぱらと周りに散らばり静かにしていた。
 机の上には、大きな箱と小さな箱。筆や、和紙。
 姫様は、紙に、字を書いていた。
 太郎も、さっきまで同じ事を。今は乱暴に墨を擦っていて。
 小太郎と葉子が、姫様の横で、姫様のすることを見ていた。
 姫様の筆が、真っ白な紙に字を描いていく。
 葉子は、にっこりしながらそれを見ていた。
 姫様が字を書くのを見るのが、葉子は好きだった。
 すらすらと、線が描かれていく。それを、葉子の瞳が追っていく。
 鼻唄でも詠うかのように、葉子の銀色尾っぽが揺れている。
 葉子は、姫様は字が上手だと思っていた。
 繊細であった。華麗であった。
 なにより、葉子は姫様の字が好きだった。



「お手本より、断然上手さね」
 そう、葉子が言うと、
「はい?」
 姫様はいつも、もの凄く不思議そうな顔をする。
 姫様が手本とするのは、大抵頭領がくれたもの――王羲之、歐陽詢、虞世南などという名が、あった。
「私が、ですか?」
「うん」
「……そう、ですか」
 そして、いつも嬉しそうに、恥ずかしそうに、微笑んだ。
 


「ふんふん……」
「葉子さん、声を出さないで」
 姫様が、筆を止め、視線を動かさずにそういった。
 あうっと、葉子が口を閉じた。
 小太郎が、そんな葉子をじっと見た。相変わらず、にこにこしていた。
 ちろっと舌をだし、ごめんねといった。
 姫様は、応えなかった。
 また、筆を動かしていく。
 それを、また、追っていく。
 墨の線が字を成すのを、じっと見る。
 じっと見て……姫様が、「灯」と書くと、その字から目を、離せなくなった。
 銀色尾っぽが力無く揺れ、しまいに動きを止めた。
 姫様の目が、虚無に染まっていた。
 瞬きもせず、字を連ねていく。
 葉子の瞳も、姫様の瞳の色に染まっていく。
 その字に、惹き付けられた。
 引きつけられて、魅きつけられて、何も、考えられなくなって。
 小太郎も、そうであった。
 妖達も、である。
 大小問わず、である。
 太郎と黒之助が、何かが変わった事に、気が付いた。
 ぱたんと、本を閉じた。
 硯から、墨を離した。
「姫様」
「姫さん」
 二人が同時に、いった。
 姫様が、手をとめる。
 虚無が、去っていく。目を瞬かせる。
 一つ小さな溜息を吐くと、自分が生んだ字を、するすると指で追い始めた。
 それが、止まった。
 ――灯
 姫様は形のよい眉をしかめると、筆を握り締め、ぐっとその字を黒く塗り潰した。
 強く、
 強く、
 塗り潰した。
「あ……」
「お?」
「はて?」
「ん?」
 声を、だした。
 皆が、はっと声を出した。
 姫様が、ほっと溜息をついた。
 そして、その和紙を脇に置いた。
 こういうことが、たまにあった。
 心を澄まし、波一つない水鏡にし、ただただ、字を、綴る。
 それが、行き過ぎる。
 姫様の、心の奥底を映し取る。
 それは魔性と読んでよいものになった。
 妖――それは小妖だけでなく、葉子や太郎や黒之助であっても――を惹きつけ囚え、離さなくなる。
 前は、そんな字が生まれたとき頭領が指摘した。
 姫様には、どれがそうなのか判別できなかったのだ。
 はっと我に返り、周りを見て、姫様はいつも泣きそうになった。
 今は、どの字がそうかは、わかるようになった。
 そんな字を、姫様は嫌いだった。
「小太郎君、大丈夫?」
 姫様が、訊いた。
「……なにが、ですか?」
 小太郎が応える。姫様が押し黙る。 
「大丈夫そうだな」
 太郎がいった。
 あたいは、あたいはと葉子が自分を指差す。
 別に、妖達は気にしていなかった。
 よくあること、なのだ。
「……ごめんね」
 そう、姫様がいった。 
「大丈夫、さね」
 葉子が、いった。
 そう、と、姫様が頷いた。
「もう、おしまいですね」
 書道具を片付け始めた。
 ぱたぱたと、手早く片付けていく。箱に入れていく。
 葉子が、それを手伝う。
 小太郎も、それを見て、小さな手を伸ばした。
「小太郎君は、いいから」
 その手を、止めた。
 もじもじと、右の人差し指と左の人差し指を擦り合わせた。
 姫様は、嬉しげに微笑んだ。
「……じゃあ、箱を運ぶの、手伝ってくださいね」
「うん」
 小太郎と、二人で、自室に箱を運んだ。



「……今日は、珍しいね」
「久しいな」
「そうだな……なんて字、なんだ?」
「わかんないよ、そんなの」
 見入っているとき、記憶も、なくなるのだ。
「一応、な」
「へいへい。よいしょと」
 葉子が、姫様の習作をきれいに並べていく。
 妖達と、どれがいいかねぇ~と見比べて。
「これも、いいさね。お、これはどう? あ、こっちかな~」
「あんまり、じろじろ見ないで下さい」
 恥ずかしいので……
 頬をすこーし朱に染めながら戻ってきた姫様が。
 その手に、小太郎の手を握って。
「いいじゃない、ねぇ」
「うん」
「うんうん」
「うんうんうん」
 妖達が、相槌を。
「だから……その……ですね」
 小太郎が、ぷくーっと頬を膨らませた。
 葉子を、睨む。
 はいはいと葉子は、気にとめないというふうに妖達とその続きを。
「恥ずかしい、なぁ……もう……」
「姫様、一応、書いたんだけど……」
 太郎がいった。
 太郎は読み書きを、姫様に習っているのだ。
「あー、はいはい」
 太郎の字を、見に行く。
 横に座って、しげしげと眺める。
 大きな、字だった。
 大きな、字。
 大きな、字。
「……上達、してるかな」
 うん。
 自分を納得させるように、姫様は小さく頷いた。
 あぐっと、妖狼が肩を落とした。
 黒之助も、姫様の後ろから覗き込む。
「まぁ……そうだな。最初は、こんなもんだ」
 そういった。
「……」
 とんとんと、小太郎が、慰めるように太郎の肩を叩いた。

 

 一日が、流れるように過ぎていく。
 淀みなく、淀みなく、ゆっくり、ゆっくり、穏やかに。
 それは、姫様を中心に。
 一日、一日と過ぎていく。
 そして、小太郎が古寺に現れて――七日目……