小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

山狗(3)

「ヒッ!」
「閻行……貴様」
 閻行が、もう一度刃を振るった。今度は、受け止められた。
 涙をいっぱいに貯めた成公英に。
 成公英は、
「……閻行様……義父上……閻行様……義父上……閻行様……義父上……」
 同じ言葉を繰り返しながら、閻行の刃を受け止めた。
 閻行は、刃をすっと引いた。
「……我が、知らないとでもおもうたか、韓遂
「知って、おったのか」
「聞いた。それで、決心した。我は、李儒と組むと。今まで、お前の下でずっと働き、結果も残してきたというのに、あんまりではないか」
「それは……」
「知っていたのだろう、我の狙いが」
「狙い? 閻行様……」
 韓遂が、自分の着ているものを千切り、左手の血止めをする。
 手首から先がなくなっていた。
 もう、剣は遣えないとどこか上から見るように冷静に考えていた。
「知っていた。おまえが成公英に近づいたのは、わしの兵と領土が欲しいという事が。恐らく、それだけであろうということが」
「さすがは、幾年も漢帝国と戦い続けた梟雄だな。よく、わかっている。なら、なぜ、自分の養子との結婚を認めた」
「この娘なら、おまえを変えられると思うた」
 きっと、強く縛り直す。布が赤く染まっている。
 早く、医局に行かなければと思った。
「残念、だったな」
 閻行は、妻を見た。
 無表情、であった。
「我は、我だ。変わらぬ。変わりはせぬ」
 そう、いった。
 閻行が、くるりと背を向けた。
 黒狗。閻行麾下の騎馬隊。
 本陣を、いつの間にか囲んでいた。
 ときの声。戦が、始まっていた。
 成公英が、刀を落とす。
 背を向けた閻行に、近づく。
 それを見て、黒狗の兵が武器を携え、すぐに降ろした。
 成公英は、後ろから閻行を抱きしめた。すすり、泣く。
 閻行の馬が、歩を止めた。
「私は……それでも、貴方しか、閻行様しかいないと……この四年は、嘘だったのですか? 一緒に、一緒に暮らしてきたこの四年間は?」
 愛していた。四年、この人に連れ添った。
 幾つも幾つも、思い出を育んできた。この人も、私を愛している。
 そう、思えるようになった。
 なった、のに……
「……残念だな、成公英。我は、この四年、お前を利用してきたに過ぎぬ」
 そういった。
 ふりほどく。
 成公英の腕が、力無く閻行から離れた。
 うつむいた瞳から、ただただ涙。
 閻行から贈られた髪飾りが、風に揺れる。
「成公英」
 表情の伺えぬ閻行から、呼びかけられた。成公英が、弾かれたように顔をあげる。
 閻行の次の言葉を、待つ。
 一呼吸、置いた。
 置いたように、成公英は感じた。
「お前との、出会い。我は、夜盗に襲われたお前を助けた。あれもまた、嘘。あの夜盗は、我が雇い、お前を襲わせた」
 成公英の世界が、音を立てて瓦解した。
 


「勝ったな」
 李儒が言った。
 黒狗が、十部軍の陣を抜いてこちらに向かってくるのをみて、そういった。
 李カク、郭汜、樊稠は、十部軍を押し込んでいる。
 馬超の部隊だけが、奮戦していた。
 それでも、戦の大勢は変わらないように思えた。
「勝ったな」
 もう一度、言った。
 張横、成宜侯選の軍が、崩れるのが見えた。



「どうして、どうして閻行殿が!?」
 必死に、立て直そうとする。麾下の騎馬隊で、崩れそうなところに、救援に向かう。
 だが、ほつれはどんどん大きくなる。
 堰を切ったように、水が溢れるのは目に見えていた。
「アレガ、錦馬超、カ。ハデ、ダナ」
 樊稠が、言った。
 彼は、華雄と同郷であった。
「ええ、派手なものを身につけておりますな」
「イヤ、武勇ガハデダ。アノ軍ニハ近ヅカナイヨウ徹底サセロ」
「は、はあ」
「イケ」
 僚友は、既に勝ちを収めている。押し切れていないのは自分だけだ。
 仕方がないと思った。
 ここが、最も強い軍と矛を交えているのだから。




「もう、持ちこたえられん! 馬岱! 馬超に退くよう伝えてくれ!」
「ええ! ですが、こう敵の勢いが激しくては……」
 乱戦、であった。
 敵と、斬り結んでいる。
「龐徳! 手勢をまとめ、馬岱と一緒に行け! 馬超を退かせろ!」
「はい!」
 二人が、返事する。
 本陣が、手薄になる。
 仕方が、なかった。ここは、わしが。そう、心に決めた。
 そのときだった。
「……韓遂……」
 盟友の軍が、崩れるのがみえた。
 戦場に留まっているのは、馬玩の軍と、馬騰の軍だけになった。
「早く、戻れ」
 黒狗が韓遂軍の後曲を飲み込むのをみながら、長子、馬超に向けてそう呟いた。



 十部軍は、飛熊軍に敗北。涼州へ、逃げ帰る事になった。