あやかし姫~迷いの森(2)~
切り株の上でぼーっと一休み。
一休み、二休み、そのまま、お休み。
古寺の頭領、いつものようにおさぼり中。
「なにかあるじゃろ」とはいったものの、あまりにも見つからないので、面倒になってしまったのだ。
そうなればやることは一つだけ。
身体を動かさずじーっとじーっと。
そう、まるで冬眠のようにじーっとじーっと。
「彩花は、優しいから分けてくれるじゃろう……」
そんなことを言っていた。
ふと目を開けると、もう、日が沈みかけている。
くしゅんと、一つくしゃみをついた。
「……こんなところで、寝るもんじゃないのう……くしゅ」
寒い寒いと震えながら、切り株から立ち上がったときだった。
かちっと、音がした。
森が、姿を変える。
夕日が消え、辺りが薄暗くなった。
頭領の目つきが鋭くなる。その瞳が紅くなる。
ちりちろと、「二つに割れた」細い舌が、姿を見せた。
それは、一瞬のことであった。
頭領の姿が、またいつもの頭領に。
姫様に甘く、優しい、いつもの頭領に。
やれやれと、頭領は頭をかいた。
「迷いの、森か。また面妖な……これを、追っていけばいいんじゃな」
落ち着いている。それほど、恐ろしいものではないのだ。
頭領の目にも、線が見えていた。
妖気の、線。
絶えず色を変えながら、ゆらゆらと宙を漂っていた。
触ろうとしても、逃げるように離れていく。
どこかから来て、どこかへ行って。
頭領は、その妖気を拙いと感じた。
「にしても……どこの、狸じゃ? この辺りにそのようなものはおらんはずじゃが……」
一歩、二歩と歩を進めてから、頭領は立ち止まった。
「……儂が、一番近いらしい」
嬉しそうにそう言うと、また頭領は歩き出した。
「なんだ、これは」
「た、太郎さーん!」
「変だよー変だよー」
「おかしいよー」
妖狼太郎は、古寺の妖達にもしゃっと密集されていた。
森が姿を変え、日の光が辺り一面をまゆばく照らす。
十匹ほどの妖にしがみつかれ、煩わしいとぶんぶん振り回す若い男を照らす。
無造作な肩まで伸びた髪がその度に風を斬った。
籠は、その拍子にどこかへ飛んでいってしまった。
「ええぃっ! うっとおしい!」
「そんなこといわないでー!」
「おたすけー!」
「うんうん。すけー!」
「この――離さんかぁぁぁ!!!」
太郎が大きく息を吸い込むと、大きく怒鳴った。
大音声が、木々を撃った。
そして、妖達も。
「ぴぎゃー」
「ぴぎぃー」
「ぴぎゅー」
ばらばらっと妖達が太郎から弾き飛ばされ、落ち葉の上にばらばらっと円を描くように落ちた。
「ひどい、ひどいよ!」
「うるさい! 人の言う事を聞かないからだ!」
「太郎さんがそんなこと言えるのかよ!」
「そうだそうだ!」
「いっつも妖の言う事聞かないくせに!」
本当のことなので反論出来ない。
悔しそうに歯ぎしりするが、今は喧嘩していてもしょうがないと気を落ち着かせる。
「……で、どうして俺達は迷いの森にいるんだ?」
太郎が、いった。
姫様……そう、小さく呟きながら。
「迷いの森?」
「ああ、これがー」
「へー。確か、ちょっと進むと変わるんだよね」
「そう、だよな。お前ら初めてだよな」
付喪神達うんうんと。
太郎が、少し目を細めた。
「とにかく、姫様心配だから、姫様に合流するか」
「おおー」
「そうだねー」
「はーい」
「どうやって、姫様に合流するの?」
「匂いだ。俺の鼻を信じろ」
「さっすが太郎さん!」
「本当に、犬だよね」
「犬じゃねえ、狼だ……お前ら、離れるなよ。距離が開くと、すぐにはぐれるからな」
妖達、太郎にぴとっと抱きついた。
妖狼が、むぐぐと唸る。近すぎだろうと。
朝の会話を思い出す。
「太郎さん、狼の姿に、なっちゃ駄目だよ」
姫様が、籠を選んでいる太郎にいった。
「んあ?」
間の抜けた返事。
姫様がくすくすと笑う。
「太郎さん、人の言う事聞かないから、特にね。駄目だよ、妖の姿をとったら。村の人にばれると、困るからね」
「そんなこと、わかってるって。どれだけここで暮らしてきたと思ってるんだ」
「それでも、一応、ね」
「……へいへい」
「はい、よろしい」
……はぁ。
「こういう場合は、いいよな」
「?」
「しっかり掴まってろ」
太郎が煙を纏う。その姿を変える。妖狼が、その姿を現す。
純白の躯、金銀妖瞳。
妖達をしがみつかせたまま、鼻を動かし太郎が移動し始めた。
森は、太郎が少し進む度にその姿を変えてゆく。
明るかった森は、すぐに暗くなり、また、明るくなり、また暗くなり。
それを意に介せず、太郎は突っ走る。
妖気の線、ではなく、己の鼻に僅かに感じられる姫様の存在を頼って。
「……誰か知らないが……殺す……」
静かにそういい、妖達を凍てつかせた。
「ここ、どこ?」
我ながら間が抜けているとは思うが、そう言わずにはいられなかった。
かちっと音がして、景色が変わって。慌てて黒之助は近くの木に飛んで。
本当は、外で妖の姿になるのは御法度なのだが、そうもいってられなかった。
烏天狗は木の上に立つと、さっと周囲を見回した。
森が、でたらめに姿を変え、空がでたらめに姿を変えているのがわかった。
ちょっと目を離すと、枯れ木が新緑に変わるのだ。
空もまたしかり。
月が、陽と一緒に現れ、青空にさんさんと星が――その周囲だけ夜の闇を従えながら――勝手気ままに移動している。
今、自分の足下の木も、さっきから伸び縮みしているのだ。
「これは、あの時と同じ……迷いの森か」
黒之助がいった。
太郎が、誰にも行き先を告げず寺を出ていき、帰ってこなかったあのとき。
黒之助は太郎の行方を知るものとして、妖狸のぽん吉を古寺に連れて帰った。
そのとき、ぽん吉は迷いの森を発動させ、その隙に太郎から逃げようとしたのだ。
「別に、乱暴に扱ったりはしなかったのだがな……」
嘘か、真か。それは、さておき。
太郎は羽を動かし、木から離れる。
背中にしょった籠いっぱいの秋の味覚。
極彩色のきのこ、きのこ、きのこ。
早く、姫様に見せたい。喜んで、ほしい。
「妖狸程度、どうってことないか。とりあえず、この森を抜けるが先か」
空に漂う妖気の線。
それをたぐって黒之助が移動し始めた。
「姫様ぁあ……」
しくしくと。ぐすぐすと。
横に倒れた大木の上に、人影一つ。銀色尾っぽが九つ蠢く。
頭に生えた獣の耳が、彼女の正体を教えてくれる。
九尾の銀狐、葉子。
彼女は泣いていた。腹が立っていた。
己の、うかつさに。
己の、馬鹿さ加減に。
「ごめんね、姫様。あたいが離れたりしたから」
どうしよう。
どうしよう。
一緒にいるのは沙羅に朱桜。
二人とも、頼りない、頼れない。
「酒呑童子様か、茨木童子様がいらっしゃったら……」
親馬鹿、姪馬鹿の鬼の兄弟。
二人とも、昨日朱桜を古寺に預けると、名残を惜しみつつ帰っていって。
どうしても、外せない用事があるのだという。
もし、二人がいれば、心配することはなにもなかった。
「お二方だけじゃない。クロちゃんでもいい。太郎でもいい。頭領でもいい。誰か、一緒にいたら……」
違う。
銀狐が、首を振った。
銀狐から離れた涙が、絶えず揺らめく周りの景色を映した。
「あたいが、一緒にいたんだ。一緒にいて、一緒にいて……」
喧嘩の仲裁に、少し手間取ったのだ。
鎌鼬三兄弟対妖包丁。
古寺の小妖達の中でも、最も気が荒く斬れやすい妖。
痺れを切らされた葉子の一喝に大いにびびり、仲良く連れ立ってどこかへ行ってしまったが。
帰ってくる途中、かちっと音がして、空間が歪んだ。
姫様達のところへ、帰れなくなった。
離ればなれに、なった。
「ごめんね、姫様。すぐ、行くからね」
ぐすぐすと泣きながら、肩を落としながら、銀狐がその腰を上げた。
しくしくとしくしくと、嗚咽を零しながら。
一休み、二休み、そのまま、お休み。
古寺の頭領、いつものようにおさぼり中。
「なにかあるじゃろ」とはいったものの、あまりにも見つからないので、面倒になってしまったのだ。
そうなればやることは一つだけ。
身体を動かさずじーっとじーっと。
そう、まるで冬眠のようにじーっとじーっと。
「彩花は、優しいから分けてくれるじゃろう……」
そんなことを言っていた。
ふと目を開けると、もう、日が沈みかけている。
くしゅんと、一つくしゃみをついた。
「……こんなところで、寝るもんじゃないのう……くしゅ」
寒い寒いと震えながら、切り株から立ち上がったときだった。
かちっと、音がした。
森が、姿を変える。
夕日が消え、辺りが薄暗くなった。
頭領の目つきが鋭くなる。その瞳が紅くなる。
ちりちろと、「二つに割れた」細い舌が、姿を見せた。
それは、一瞬のことであった。
頭領の姿が、またいつもの頭領に。
姫様に甘く、優しい、いつもの頭領に。
やれやれと、頭領は頭をかいた。
「迷いの、森か。また面妖な……これを、追っていけばいいんじゃな」
落ち着いている。それほど、恐ろしいものではないのだ。
頭領の目にも、線が見えていた。
妖気の、線。
絶えず色を変えながら、ゆらゆらと宙を漂っていた。
触ろうとしても、逃げるように離れていく。
どこかから来て、どこかへ行って。
頭領は、その妖気を拙いと感じた。
「にしても……どこの、狸じゃ? この辺りにそのようなものはおらんはずじゃが……」
一歩、二歩と歩を進めてから、頭領は立ち止まった。
「……儂が、一番近いらしい」
嬉しそうにそう言うと、また頭領は歩き出した。
「なんだ、これは」
「た、太郎さーん!」
「変だよー変だよー」
「おかしいよー」
妖狼太郎は、古寺の妖達にもしゃっと密集されていた。
森が姿を変え、日の光が辺り一面をまゆばく照らす。
十匹ほどの妖にしがみつかれ、煩わしいとぶんぶん振り回す若い男を照らす。
無造作な肩まで伸びた髪がその度に風を斬った。
籠は、その拍子にどこかへ飛んでいってしまった。
「ええぃっ! うっとおしい!」
「そんなこといわないでー!」
「おたすけー!」
「うんうん。すけー!」
「この――離さんかぁぁぁ!!!」
太郎が大きく息を吸い込むと、大きく怒鳴った。
大音声が、木々を撃った。
そして、妖達も。
「ぴぎゃー」
「ぴぎぃー」
「ぴぎゅー」
ばらばらっと妖達が太郎から弾き飛ばされ、落ち葉の上にばらばらっと円を描くように落ちた。
「ひどい、ひどいよ!」
「うるさい! 人の言う事を聞かないからだ!」
「太郎さんがそんなこと言えるのかよ!」
「そうだそうだ!」
「いっつも妖の言う事聞かないくせに!」
本当のことなので反論出来ない。
悔しそうに歯ぎしりするが、今は喧嘩していてもしょうがないと気を落ち着かせる。
「……で、どうして俺達は迷いの森にいるんだ?」
太郎が、いった。
姫様……そう、小さく呟きながら。
「迷いの森?」
「ああ、これがー」
「へー。確か、ちょっと進むと変わるんだよね」
「そう、だよな。お前ら初めてだよな」
付喪神達うんうんと。
太郎が、少し目を細めた。
「とにかく、姫様心配だから、姫様に合流するか」
「おおー」
「そうだねー」
「はーい」
「どうやって、姫様に合流するの?」
「匂いだ。俺の鼻を信じろ」
「さっすが太郎さん!」
「本当に、犬だよね」
「犬じゃねえ、狼だ……お前ら、離れるなよ。距離が開くと、すぐにはぐれるからな」
妖達、太郎にぴとっと抱きついた。
妖狼が、むぐぐと唸る。近すぎだろうと。
朝の会話を思い出す。
「太郎さん、狼の姿に、なっちゃ駄目だよ」
姫様が、籠を選んでいる太郎にいった。
「んあ?」
間の抜けた返事。
姫様がくすくすと笑う。
「太郎さん、人の言う事聞かないから、特にね。駄目だよ、妖の姿をとったら。村の人にばれると、困るからね」
「そんなこと、わかってるって。どれだけここで暮らしてきたと思ってるんだ」
「それでも、一応、ね」
「……へいへい」
「はい、よろしい」
……はぁ。
「こういう場合は、いいよな」
「?」
「しっかり掴まってろ」
太郎が煙を纏う。その姿を変える。妖狼が、その姿を現す。
純白の躯、金銀妖瞳。
妖達をしがみつかせたまま、鼻を動かし太郎が移動し始めた。
森は、太郎が少し進む度にその姿を変えてゆく。
明るかった森は、すぐに暗くなり、また、明るくなり、また暗くなり。
それを意に介せず、太郎は突っ走る。
妖気の線、ではなく、己の鼻に僅かに感じられる姫様の存在を頼って。
「……誰か知らないが……殺す……」
静かにそういい、妖達を凍てつかせた。
「ここ、どこ?」
我ながら間が抜けているとは思うが、そう言わずにはいられなかった。
かちっと音がして、景色が変わって。慌てて黒之助は近くの木に飛んで。
本当は、外で妖の姿になるのは御法度なのだが、そうもいってられなかった。
烏天狗は木の上に立つと、さっと周囲を見回した。
森が、でたらめに姿を変え、空がでたらめに姿を変えているのがわかった。
ちょっと目を離すと、枯れ木が新緑に変わるのだ。
空もまたしかり。
月が、陽と一緒に現れ、青空にさんさんと星が――その周囲だけ夜の闇を従えながら――勝手気ままに移動している。
今、自分の足下の木も、さっきから伸び縮みしているのだ。
「これは、あの時と同じ……迷いの森か」
黒之助がいった。
太郎が、誰にも行き先を告げず寺を出ていき、帰ってこなかったあのとき。
黒之助は太郎の行方を知るものとして、妖狸のぽん吉を古寺に連れて帰った。
そのとき、ぽん吉は迷いの森を発動させ、その隙に太郎から逃げようとしたのだ。
「別に、乱暴に扱ったりはしなかったのだがな……」
嘘か、真か。それは、さておき。
太郎は羽を動かし、木から離れる。
背中にしょった籠いっぱいの秋の味覚。
極彩色のきのこ、きのこ、きのこ。
早く、姫様に見せたい。喜んで、ほしい。
「妖狸程度、どうってことないか。とりあえず、この森を抜けるが先か」
空に漂う妖気の線。
それをたぐって黒之助が移動し始めた。
「姫様ぁあ……」
しくしくと。ぐすぐすと。
横に倒れた大木の上に、人影一つ。銀色尾っぽが九つ蠢く。
頭に生えた獣の耳が、彼女の正体を教えてくれる。
九尾の銀狐、葉子。
彼女は泣いていた。腹が立っていた。
己の、うかつさに。
己の、馬鹿さ加減に。
「ごめんね、姫様。あたいが離れたりしたから」
どうしよう。
どうしよう。
一緒にいるのは沙羅に朱桜。
二人とも、頼りない、頼れない。
「酒呑童子様か、茨木童子様がいらっしゃったら……」
親馬鹿、姪馬鹿の鬼の兄弟。
二人とも、昨日朱桜を古寺に預けると、名残を惜しみつつ帰っていって。
どうしても、外せない用事があるのだという。
もし、二人がいれば、心配することはなにもなかった。
「お二方だけじゃない。クロちゃんでもいい。太郎でもいい。頭領でもいい。誰か、一緒にいたら……」
違う。
銀狐が、首を振った。
銀狐から離れた涙が、絶えず揺らめく周りの景色を映した。
「あたいが、一緒にいたんだ。一緒にいて、一緒にいて……」
喧嘩の仲裁に、少し手間取ったのだ。
鎌鼬三兄弟対妖包丁。
古寺の小妖達の中でも、最も気が荒く斬れやすい妖。
痺れを切らされた葉子の一喝に大いにびびり、仲良く連れ立ってどこかへ行ってしまったが。
帰ってくる途中、かちっと音がして、空間が歪んだ。
姫様達のところへ、帰れなくなった。
離ればなれに、なった。
「ごめんね、姫様。すぐ、行くからね」
ぐすぐすと泣きながら、肩を落としながら、銀狐がその腰を上げた。
しくしくとしくしくと、嗚咽を零しながら。