あやかし姫~迷いの森(3)~
「長いな~」
姫様がそう、いった。左手に朱桜の小さな手。
その背中には沙羅がおどおど隠れながら。
どれほど、歩いただろうか。距離も、時間も、わからなかった。
「ねえ」
姫様が、明るくいう。自然な明るさ。いつもの、姫様。
二人の、暗い顔とは対称的であった。
この森の薄気味悪さも、二人に影を落とした。
「……はぁ」
姫様が溜息をついた。
さりげなく右手で一枚、葉っぱを千切る。
葉は、その色を様々に変えながら次第に枯れて、さらさらと粉になって、姫様の手の平から消えていった。
二人の視線が、その光景に集まる。
まがい物、残念……姫様はそう、呟いた。
「朱桜ちゃん」
「……なんでしょうか」
朱桜が、答える。
「少し、やけたね」
「そ、そういえば……」
前は、姫様に負けないぐらい肌が白かった。
「また、海に行ったのです。あれからも、何度か行ったのです。先週も、行きまし……」
そこで、はっと口をつぐんだ。
以前葉子に、
「あんまり海の話、しないほうがいいよ」
そう、そっと耳打ちされたことがある。
沙羅は沙羅で、姫様を危うく溺れさせかけたことがあった。
水辺の話は姫様に厳禁。そう思うと、哀しくなった。
「その話、ちょっと聞かせて」
「あれ?」
「あ?」
「酒呑童子様と行くの?」
「……はい……」
「どうしたの? ……ああ。だから心配しないで。迷いの森、大丈夫。全然怖くないから、ね?」
「……あの、彩花さま、海嫌いじゃあ……」
「……」
「うーん」
姫様が、苦笑いを浮かべる。
姫様の手を握る朱桜の手に、少し力が入った。
朱桜が、少し俯いた。
「そうだね、あんまり、行きたいとは思わないけど……でも、朱桜ちゃんの話、聞きたいから。最近、あまり会えなかったもの」
「彩花さま……」
「だから、聞かせて」
「は、はい!」
精一杯胸を張って、精一杯声を張り上げて、朱桜は返事した。
「沙羅ちゃん」
「……あ……」
「沙羅ちゃんも、いつまでも気にしてないでね」
「……うん」
にっこり微笑む姫様に、沙羅もにっこり微笑んだ。
「……そろそろ、か」
腕を組み、とぼとぼと歩く。時折、くしゃみを交えながら。
頭領、である。
頭領の目に映る妖気の、線。
それは、少しずつ太くなり、少しずつ束になっていく。
どこか別の場所から伸びた線が、頭領の目の前の線に、次第に集まっていく。
頭領が、難しい顔をした。
「……これは、出口では、ないな」
そう、いった。
くしゅん! またくしゃみをすると、手を、前に伸ばした。
静かに目を閉じる。
袖口から、するすると白蛇が伸びていく。
ぎゅっと、伸びる。
伸びて、伸びて。
そしてまた、戻ってくる。
頭領が小首を傾げた。
「家? それに、潮の香り……」
また、歩き出す。蛇が、袖口からちょこっと顔を見せている。
舌を出す。真っ赤な舌。
それから、すっと蛇は消えた。
「やっぱり、家、か。出口ではないのか」
万華鏡のようにめまぐるしく姿を変えていた迷いの森。
その変化が、収まった。一面、漆黒。自分の姿は、確認できた。妖気の線が、灯りの役割をしていた。
最初は髪の毛ほどの太さであった妖気の線。
束になり、一本一本が太くなり、今では人の腕ほどに。
頭領が、
「いけば、わかるか」
ふむ、とうなずくと、力強く、闇に一歩踏み込んだ。
「ほっ……一番乗り」
嬉しそうに、独りごちた。
森であった。古寺よりも、暖かい。
変化は、もうない。普通の森。
まだ、冬を感じさせない。
舞い散る紅葉、踊るすすき。秋が、しっかりと息づいている。
夕陽。雲の隙間に、落ちゆくのが見えた。
静かに打ち寄せる波。
海が、広がっていた。夕焼けをきらきらと反射させている。
風に、海の匂いが乗っていた。
「さてさて。南、か」
きれいに整った顎髭を、さらりとなでる。
目の前の、家。古い。
古いが、誰か住んでいる。
魚が、干してあった。
ぬくもりがある。そう、思った。
灯りが、一つついた。
なにか、影がある。
頭領はそう思いながら、その家の入り口に近づいた。
戸に、手をかける。まあ、狸風情なら。
それでも、一応用心しながら、であった。
「そう、鬼の四天王さんも一緒に行くときがあるんだ」
「……あ、朱桜ちゃん、凄いね。本当に、お姫様なんだね」
「星熊さんは、優しいです。四人の中で、一番一緒に遊んでくれるんです。
虎熊さんは、ちょっと顔が怖いです。でも、笑うと全然怖くないです。
金熊さんは、よく父さまや叔父上と喧嘩してます。仕事、さぼるなって。父さまと喧嘩してることが、多いかな。でも、私を見ると、すぐに喧嘩をやめて見て見ぬふりするんです。行ってもいいですよって。
石熊さんは、物静かです。あんまり、喋りません。でも、手先が器用で……怒ると、四人の中で一番怖いって、父さまが言ってました」
「いい人達、なんだね」
「でも、彩花さまほどじゃないです。みんな大好きだけど、彩花さまのほうが大好きです」
姫様が、頬を薄く染めた。
朱桜はいたって真面目。
姫様、横にいる沙羅と目をあわし、照れるように笑い合った。
「いい人達……でも、最近……」
朱桜の元気が、急になくなった。さっきまであんなに明るく話していたのに。
「どうしたの?」
「先週、鬼さん達がひそひそ話をしていたんです。それが、聞こえたんです」
「まさか、朱桜ちゃんの、悪口?」
姫様が、極寒の炎を、その言葉に込めた。
沙羅が、凍り付く。
朱桜は、小さく首を振った。
「違うんです。その人達、私を、心配してくれてたんです」
ほっと、姫様安心する。沙羅も、二重に安心した。
「心配って、どんな」
「う、うん」
「私……」
「どうしたの?」
「本当は、このこと、相談したかったんです……」
「え?」
「でも、なかなか言い出せなくて、こんなことになって。それに……」
「朱桜ちゃん、話してみて」
ね?
「……私は、父さまと母さまの子です。父さまは、鬼です。母さまは……人です。だから……」
「だから、どうしたの?」
「だから、でしょうか。角が、ないんです」
目を赤くしながら、朱桜がいった。
あっ、と、二人は声を出した。
朱桜には、今も角がなかった。
姫様が、朱桜の額をじっと見た。
じっと、じっと。
「父さまも、叔父上も、なにも言いません。四天王さん達も……鬼ヶ城の人達、みんなです。でも、おかしいです。鬼なら、生まれたときにあるはずなんです。でも、私にはないんです」
朱桜が、泣き出した。
「みんな、心配してくれてるんです。言葉に、出さないだけなんです。それが、嫌なんです。本当は、彩花さまにも言いたくなかったです、心配かけたくなかったです。でも、不安で、不安で……」
「……朱桜ちゃん」
そっと、姫様は幼子の頬を伝うものを、拭った。
いくつもいくつも、それは溢れて。
「心配、かけたくないんです。でも、角は、生えてこなくて……毎日、鏡見るのに、探すのに、全然生えてこなくて」
「……朱桜ちゃん、いいじゃない。みんなに大切にされてる証拠だよ」
「彩花さま、私は、鬼なの?」
まっすぐに、見つめられた。鬼と人の子として生を受けて、もうすぐ、二年。
朱桜は、見た目は、五歳ぐらい。でも、思考は背伸びして。
それが、姫様にはいじらしかった。
「いい、朱桜ちゃん。そのうち、生えてくるよ。それに……もし、生えなくても、いいじゃない」
「でも……」
「大丈夫だよ。うん、大丈夫」
「私は……」
「朱桜ちゃんは、人でも、鬼でもどっちでもある。お父さまとお母さまの血を、受け継いでいる。そうでしょう? それとも、お母さまが、人が、嫌い?」
「そんなこと、ないです!」
彩花さまは、好き。
「角が生えようと生えまいと、朱桜ちゃんは朱桜ちゃん」
「……」
「それに……」
「でも……えぐ……」
「額に、鬼の気が、集まってるもの」
「あ……」
涙が、止まった。
「そ、そうなの?」
朱桜が、額を押さえる。なにも、変わったところはなかった。
「僅かだけど、ね」
「そ、それって……」
「多分、もうすぐ生えてくるよ」
ここと、ここ。
「ほ、本当に!」
「うん。これ、生えてくるとき、痛いのかな?」
姫様が、朱桜の額にその手を当てた。
「……!」
朱桜が、怯えを見せた。
「き、きっと、痛くないよ! うん!」
「う、うん、そうだよね」
すうっと、朱桜の力が抜けた。
「……なんだか、拍子抜けしました」
彩花さま、すごい。
あははと、朱桜が、笑った。
そんな朱桜を、姫様がぎゅっと、抱き締めた。
痛い、ぐらいに。
でも、朱桜は痛いと言わなかった。
「悩んでたんだね」
「そんなに、悩んでないです。この、一週間のことです」
「……ありがとう。私に、沙羅ちゃんに、話してくれて」
「彩花さまに、沙羅ちゃんにお話出来て、良かったです。すっごい事、教えてもらったです」
「わ、私は役に立ってないけど……」
もじもじしながら、いった。
「すぐに、父さまに伝えないと!」
「そ、そうだ、秘密にしておいて、角が生えてから、みんなをびっくりさせたら?」
「……沙羅ちゃん、それ、いい考えです! そうします。父さまと叔父上、どんな顔するかな。今から、楽しみです」
「……いいなぁ、酒呑童子様をびっくりさせられて……あれ?」
姫様が、立ち止まった。
今まで辿っていた妖気の線が、消えた。
「……さ、彩花ちゃん」
沙羅が、いった。
周りの景色がざわめいていた。
何かが、近づいてくる。
森の動きが、さっきまでと、違った。
闇が、広がっていく。木々が、空が、飲み込まれていく。
何かが、気味の悪い得体の知れない鳴き声を。
沙羅が姫様の肩をぎゅっと掴む。その手に、姫様は自分の手を重ねた。
大丈夫だよって。
朱桜が、姫様の前に立った。
姫様が、
「朱桜ちゃん、私の後ろに隠れて」
そう、いった。
朱桜は、姫様の言う事をきかなかった。
その小さな身体で姫様を守るように、二人の前に立っていた。
「朱桜ちゃん……」
もう、なにも言わなかった。
自分の右の人差し指の先をくっ、と噛み、少し血を滲ませた。
それから、指先の血でかすれかすれに左手になにかを描く。
「……やっぱり拙い……ただの、こけ脅しね」
文字が光る。
姫様は、「狼」。そう、手の平に書いていた。
姫様はその手を、前に差し出した。
姫様がそう、いった。左手に朱桜の小さな手。
その背中には沙羅がおどおど隠れながら。
どれほど、歩いただろうか。距離も、時間も、わからなかった。
「ねえ」
姫様が、明るくいう。自然な明るさ。いつもの、姫様。
二人の、暗い顔とは対称的であった。
この森の薄気味悪さも、二人に影を落とした。
「……はぁ」
姫様が溜息をついた。
さりげなく右手で一枚、葉っぱを千切る。
葉は、その色を様々に変えながら次第に枯れて、さらさらと粉になって、姫様の手の平から消えていった。
二人の視線が、その光景に集まる。
まがい物、残念……姫様はそう、呟いた。
「朱桜ちゃん」
「……なんでしょうか」
朱桜が、答える。
「少し、やけたね」
「そ、そういえば……」
前は、姫様に負けないぐらい肌が白かった。
「また、海に行ったのです。あれからも、何度か行ったのです。先週も、行きまし……」
そこで、はっと口をつぐんだ。
以前葉子に、
「あんまり海の話、しないほうがいいよ」
そう、そっと耳打ちされたことがある。
沙羅は沙羅で、姫様を危うく溺れさせかけたことがあった。
水辺の話は姫様に厳禁。そう思うと、哀しくなった。
「その話、ちょっと聞かせて」
「あれ?」
「あ?」
「酒呑童子様と行くの?」
「……はい……」
「どうしたの? ……ああ。だから心配しないで。迷いの森、大丈夫。全然怖くないから、ね?」
「……あの、彩花さま、海嫌いじゃあ……」
「……」
「うーん」
姫様が、苦笑いを浮かべる。
姫様の手を握る朱桜の手に、少し力が入った。
朱桜が、少し俯いた。
「そうだね、あんまり、行きたいとは思わないけど……でも、朱桜ちゃんの話、聞きたいから。最近、あまり会えなかったもの」
「彩花さま……」
「だから、聞かせて」
「は、はい!」
精一杯胸を張って、精一杯声を張り上げて、朱桜は返事した。
「沙羅ちゃん」
「……あ……」
「沙羅ちゃんも、いつまでも気にしてないでね」
「……うん」
にっこり微笑む姫様に、沙羅もにっこり微笑んだ。
「……そろそろ、か」
腕を組み、とぼとぼと歩く。時折、くしゃみを交えながら。
頭領、である。
頭領の目に映る妖気の、線。
それは、少しずつ太くなり、少しずつ束になっていく。
どこか別の場所から伸びた線が、頭領の目の前の線に、次第に集まっていく。
頭領が、難しい顔をした。
「……これは、出口では、ないな」
そう、いった。
くしゅん! またくしゃみをすると、手を、前に伸ばした。
静かに目を閉じる。
袖口から、するすると白蛇が伸びていく。
ぎゅっと、伸びる。
伸びて、伸びて。
そしてまた、戻ってくる。
頭領が小首を傾げた。
「家? それに、潮の香り……」
また、歩き出す。蛇が、袖口からちょこっと顔を見せている。
舌を出す。真っ赤な舌。
それから、すっと蛇は消えた。
「やっぱり、家、か。出口ではないのか」
万華鏡のようにめまぐるしく姿を変えていた迷いの森。
その変化が、収まった。一面、漆黒。自分の姿は、確認できた。妖気の線が、灯りの役割をしていた。
最初は髪の毛ほどの太さであった妖気の線。
束になり、一本一本が太くなり、今では人の腕ほどに。
頭領が、
「いけば、わかるか」
ふむ、とうなずくと、力強く、闇に一歩踏み込んだ。
「ほっ……一番乗り」
嬉しそうに、独りごちた。
森であった。古寺よりも、暖かい。
変化は、もうない。普通の森。
まだ、冬を感じさせない。
舞い散る紅葉、踊るすすき。秋が、しっかりと息づいている。
夕陽。雲の隙間に、落ちゆくのが見えた。
静かに打ち寄せる波。
海が、広がっていた。夕焼けをきらきらと反射させている。
風に、海の匂いが乗っていた。
「さてさて。南、か」
きれいに整った顎髭を、さらりとなでる。
目の前の、家。古い。
古いが、誰か住んでいる。
魚が、干してあった。
ぬくもりがある。そう、思った。
灯りが、一つついた。
なにか、影がある。
頭領はそう思いながら、その家の入り口に近づいた。
戸に、手をかける。まあ、狸風情なら。
それでも、一応用心しながら、であった。
「そう、鬼の四天王さんも一緒に行くときがあるんだ」
「……あ、朱桜ちゃん、凄いね。本当に、お姫様なんだね」
「星熊さんは、優しいです。四人の中で、一番一緒に遊んでくれるんです。
虎熊さんは、ちょっと顔が怖いです。でも、笑うと全然怖くないです。
金熊さんは、よく父さまや叔父上と喧嘩してます。仕事、さぼるなって。父さまと喧嘩してることが、多いかな。でも、私を見ると、すぐに喧嘩をやめて見て見ぬふりするんです。行ってもいいですよって。
石熊さんは、物静かです。あんまり、喋りません。でも、手先が器用で……怒ると、四人の中で一番怖いって、父さまが言ってました」
「いい人達、なんだね」
「でも、彩花さまほどじゃないです。みんな大好きだけど、彩花さまのほうが大好きです」
姫様が、頬を薄く染めた。
朱桜はいたって真面目。
姫様、横にいる沙羅と目をあわし、照れるように笑い合った。
「いい人達……でも、最近……」
朱桜の元気が、急になくなった。さっきまであんなに明るく話していたのに。
「どうしたの?」
「先週、鬼さん達がひそひそ話をしていたんです。それが、聞こえたんです」
「まさか、朱桜ちゃんの、悪口?」
姫様が、極寒の炎を、その言葉に込めた。
沙羅が、凍り付く。
朱桜は、小さく首を振った。
「違うんです。その人達、私を、心配してくれてたんです」
ほっと、姫様安心する。沙羅も、二重に安心した。
「心配って、どんな」
「う、うん」
「私……」
「どうしたの?」
「本当は、このこと、相談したかったんです……」
「え?」
「でも、なかなか言い出せなくて、こんなことになって。それに……」
「朱桜ちゃん、話してみて」
ね?
「……私は、父さまと母さまの子です。父さまは、鬼です。母さまは……人です。だから……」
「だから、どうしたの?」
「だから、でしょうか。角が、ないんです」
目を赤くしながら、朱桜がいった。
あっ、と、二人は声を出した。
朱桜には、今も角がなかった。
姫様が、朱桜の額をじっと見た。
じっと、じっと。
「父さまも、叔父上も、なにも言いません。四天王さん達も……鬼ヶ城の人達、みんなです。でも、おかしいです。鬼なら、生まれたときにあるはずなんです。でも、私にはないんです」
朱桜が、泣き出した。
「みんな、心配してくれてるんです。言葉に、出さないだけなんです。それが、嫌なんです。本当は、彩花さまにも言いたくなかったです、心配かけたくなかったです。でも、不安で、不安で……」
「……朱桜ちゃん」
そっと、姫様は幼子の頬を伝うものを、拭った。
いくつもいくつも、それは溢れて。
「心配、かけたくないんです。でも、角は、生えてこなくて……毎日、鏡見るのに、探すのに、全然生えてこなくて」
「……朱桜ちゃん、いいじゃない。みんなに大切にされてる証拠だよ」
「彩花さま、私は、鬼なの?」
まっすぐに、見つめられた。鬼と人の子として生を受けて、もうすぐ、二年。
朱桜は、見た目は、五歳ぐらい。でも、思考は背伸びして。
それが、姫様にはいじらしかった。
「いい、朱桜ちゃん。そのうち、生えてくるよ。それに……もし、生えなくても、いいじゃない」
「でも……」
「大丈夫だよ。うん、大丈夫」
「私は……」
「朱桜ちゃんは、人でも、鬼でもどっちでもある。お父さまとお母さまの血を、受け継いでいる。そうでしょう? それとも、お母さまが、人が、嫌い?」
「そんなこと、ないです!」
彩花さまは、好き。
「角が生えようと生えまいと、朱桜ちゃんは朱桜ちゃん」
「……」
「それに……」
「でも……えぐ……」
「額に、鬼の気が、集まってるもの」
「あ……」
涙が、止まった。
「そ、そうなの?」
朱桜が、額を押さえる。なにも、変わったところはなかった。
「僅かだけど、ね」
「そ、それって……」
「多分、もうすぐ生えてくるよ」
ここと、ここ。
「ほ、本当に!」
「うん。これ、生えてくるとき、痛いのかな?」
姫様が、朱桜の額にその手を当てた。
「……!」
朱桜が、怯えを見せた。
「き、きっと、痛くないよ! うん!」
「う、うん、そうだよね」
すうっと、朱桜の力が抜けた。
「……なんだか、拍子抜けしました」
彩花さま、すごい。
あははと、朱桜が、笑った。
そんな朱桜を、姫様がぎゅっと、抱き締めた。
痛い、ぐらいに。
でも、朱桜は痛いと言わなかった。
「悩んでたんだね」
「そんなに、悩んでないです。この、一週間のことです」
「……ありがとう。私に、沙羅ちゃんに、話してくれて」
「彩花さまに、沙羅ちゃんにお話出来て、良かったです。すっごい事、教えてもらったです」
「わ、私は役に立ってないけど……」
もじもじしながら、いった。
「すぐに、父さまに伝えないと!」
「そ、そうだ、秘密にしておいて、角が生えてから、みんなをびっくりさせたら?」
「……沙羅ちゃん、それ、いい考えです! そうします。父さまと叔父上、どんな顔するかな。今から、楽しみです」
「……いいなぁ、酒呑童子様をびっくりさせられて……あれ?」
姫様が、立ち止まった。
今まで辿っていた妖気の線が、消えた。
「……さ、彩花ちゃん」
沙羅が、いった。
周りの景色がざわめいていた。
何かが、近づいてくる。
森の動きが、さっきまでと、違った。
闇が、広がっていく。木々が、空が、飲み込まれていく。
何かが、気味の悪い得体の知れない鳴き声を。
沙羅が姫様の肩をぎゅっと掴む。その手に、姫様は自分の手を重ねた。
大丈夫だよって。
朱桜が、姫様の前に立った。
姫様が、
「朱桜ちゃん、私の後ろに隠れて」
そう、いった。
朱桜は、姫様の言う事をきかなかった。
その小さな身体で姫様を守るように、二人の前に立っていた。
「朱桜ちゃん……」
もう、なにも言わなかった。
自分の右の人差し指の先をくっ、と噛み、少し血を滲ませた。
それから、指先の血でかすれかすれに左手になにかを描く。
「……やっぱり拙い……ただの、こけ脅しね」
文字が光る。
姫様は、「狼」。そう、手の平に書いていた。
姫様はその手を、前に差し出した。