長江、燃える(10)
「孫策様! 甘寧、黄忠が戦場に!」
「黄祖副官蘇飛参戦! 文聘の姿も確認しました!」
次々に注進が入る。部下の動きが慌ただしくなる。
戦が、始まったのだ。
「ええい、文聘だと! どうしてここにいるのだ!」
呉景が声を荒げる。楽観していたこの戦。
思いもよらぬ方向に転がっていく。
「叔父上、落ち着け」
「若!」
ようやく、呉景が落ち着いた。
孫策の母である呉夫人の弟であるこの人物、姉に似て荒っぽい男であった。
「どうやら、劉表はここを固めるようだ。思い切ったことをする。南陽の守りが手薄になるだろうに」
文聘は、張繍軍が去ってから国境を守っていた。
清濁併せ持つ武将として、黄祖などより重宝されていた男だった。
「董卓の残党が蜂起したという話もあるのに」
周瑜が、言った。
「……本当に、劉表か?」
「孫策、どういう……」
「殿ー! て、敵軍にあの劉備の姿! 関羽、張飛も現れました! 張飛は太史慈将軍と交戦!」
「あ……」
「は……な、なにを血迷ったことを! わけのわからぬことをぬかすな!」
「劉備……」
「し、しかし間違いありません! 突出してきた黄祖の旗艦には劉備の姿が! 関羽も、あの青龍刀、美髭、間違えるわけもなく!」
「劉備だと、誰が言ったのだ? 誰が、確認した?」
孫策が言った。暗い、声であった。深く沈んでいる。
伝令が、一時息を呑んだ。主の、暗い迫力に怯んだのだ。
ありったけの勇気を振り絞り、声を出した。
「太史慈将軍が確認を」
「太史慈が……確か、劉備とは面識があったな……」
ククク、アハハハハハ……
「そ、孫策?」
「わ、若?」
二人が、心配そうにおろおろと。
旗艦に乗り込んでいた兵達も、その手を止め、主を見る。
狂ったように嗤っていた。底冷えのする笑い声であった。
「ハハハハハハハハ……周瑜」
「う、うん……」
目の色が変わったと、周瑜は思った。
これは、凌統と同じ瞳だ。そう、思った。
「全軍、攻勢に出る。黄蓋達にも伝えろ。そして、この船も前線に出すぞ」
「若! なりません! この戦、危うい。もし若の身になにかあれば」
「黙れ。後方で引っ込んでなどいられるか。この血のたぎり、黄祖の首を獲らねば収まらぬ。邪魔をするのが張飛だろうが関羽だろうが劉備だろうが関係ない。我が前を阻む物、全て潰す!」
旗艦が動き始めた。
押さえられぬ。そう判断して、呉景は止めるのをやめた。
「ああ! うざってぇえんだよ、てめえはよ!」
「ならば、とっとと死んでくれ!」
何度も何度も、ぶつかりあう。
金属音。筋肉の軋み。
豪腕と、神速。
劉備が義弟、張飛。
孫策軍第二武将太史慈。
二人は、面識がある。
曹操に攻められた陶謙。その陶謙が劉備軍に救援を要請したときの使者が太史慈であった。
「これじゃあ、小兄貴や爺さんに負けっちまうだろうが!」
「知るか! この筋肉ダルマ!」
「なにを! この山賊崩れ!」
蛇矛と餓龍が、触れ合い、離れた。
両者、息を整える。
三艘目。
二人が争った船は、その都度壊されていた。
「おい」
「なんだ、虎髭ダルマ」
「なんでてめえは孫策に仕えてんだ?」
「……」
答えなかった。水が入り込む音がする。船に人の姿は二つだけ。あとは、皆逃げた。
「てめえ、天下を狙うって吹いてたじゃねえかよ……」
「……俺じゃあ、役不足だ」
「あん?」
「この俺様が天下を託せる人間が、見つかったということだ!!!」
「そいつは、良かったじゃねえかよ!!!
全身全霊を込めた一撃。
船が、耐えきれなくなった。二人がぶつかった場所に、亀裂が入る。
真っ二つに割れる。
船が、沈む。
張飛と、太史慈。
大きく跳ぶと、新たな船で、新たな戦を始めていた。
「黄忠殿、本気を出されよ」
「よいのかな、本気を出して」
黄忠が、考える仕草をした。
今のところ、関羽の方が大きくリードしていた。
「はい。是非に」
「そう言われると、出したくなるの~」
関羽と黄忠が、笑った。
黄忠が、弓を構えた。
連射を始める。
船の横っ腹に、穴が開いた。
船が、沈み始めた。
あっという間であった。
「これでは、勝負にならんじゃろう?」
「いやいや、わかりませぬぞ」
「……」
「……」
はははと、笑い合った。
関羽は、この勝負、不利だなと思った。
「おお、押してるね!」
「今のところは、です。すぐに膠着状態に入るかと」
劉備の嬉しげな声に、黄祖が答える。
陳到は、顔色悪い趙雲の横。
龐統は地図を見ながらぶつぶつと呟いていた。
「へえ……」
「兵の質では、あちらの方が上ですから。長時間は、我々の方がやはり不利かと」
「ふん、その前に戦終わらせるさ。龐統、どう?」
「孫策の気質を考えるに、もう時間の問題かと」
「……劉備様、あの船……」
陳到が、目を細めながら言った。
「黄祖さん」
「恐らく」
孫策の、旗艦であった。やはり、出てきた。それは、劉備の待っていた刻であった。
「……この船を、少し出して下さい」
軍師の声は落ち着いているように聞こえる。
だが、その語尾に震えがあるのを劉備は聞き逃さなかった。
「龐統、きっとうまくいくさ」
「は!」
「黄祖副官蘇飛参戦! 文聘の姿も確認しました!」
次々に注進が入る。部下の動きが慌ただしくなる。
戦が、始まったのだ。
「ええい、文聘だと! どうしてここにいるのだ!」
呉景が声を荒げる。楽観していたこの戦。
思いもよらぬ方向に転がっていく。
「叔父上、落ち着け」
「若!」
ようやく、呉景が落ち着いた。
孫策の母である呉夫人の弟であるこの人物、姉に似て荒っぽい男であった。
「どうやら、劉表はここを固めるようだ。思い切ったことをする。南陽の守りが手薄になるだろうに」
文聘は、張繍軍が去ってから国境を守っていた。
清濁併せ持つ武将として、黄祖などより重宝されていた男だった。
「董卓の残党が蜂起したという話もあるのに」
周瑜が、言った。
「……本当に、劉表か?」
「孫策、どういう……」
「殿ー! て、敵軍にあの劉備の姿! 関羽、張飛も現れました! 張飛は太史慈将軍と交戦!」
「あ……」
「は……な、なにを血迷ったことを! わけのわからぬことをぬかすな!」
「劉備……」
「し、しかし間違いありません! 突出してきた黄祖の旗艦には劉備の姿が! 関羽も、あの青龍刀、美髭、間違えるわけもなく!」
「劉備だと、誰が言ったのだ? 誰が、確認した?」
孫策が言った。暗い、声であった。深く沈んでいる。
伝令が、一時息を呑んだ。主の、暗い迫力に怯んだのだ。
ありったけの勇気を振り絞り、声を出した。
「太史慈将軍が確認を」
「太史慈が……確か、劉備とは面識があったな……」
ククク、アハハハハハ……
「そ、孫策?」
「わ、若?」
二人が、心配そうにおろおろと。
旗艦に乗り込んでいた兵達も、その手を止め、主を見る。
狂ったように嗤っていた。底冷えのする笑い声であった。
「ハハハハハハハハ……周瑜」
「う、うん……」
目の色が変わったと、周瑜は思った。
これは、凌統と同じ瞳だ。そう、思った。
「全軍、攻勢に出る。黄蓋達にも伝えろ。そして、この船も前線に出すぞ」
「若! なりません! この戦、危うい。もし若の身になにかあれば」
「黙れ。後方で引っ込んでなどいられるか。この血のたぎり、黄祖の首を獲らねば収まらぬ。邪魔をするのが張飛だろうが関羽だろうが劉備だろうが関係ない。我が前を阻む物、全て潰す!」
旗艦が動き始めた。
押さえられぬ。そう判断して、呉景は止めるのをやめた。
「ああ! うざってぇえんだよ、てめえはよ!」
「ならば、とっとと死んでくれ!」
何度も何度も、ぶつかりあう。
金属音。筋肉の軋み。
豪腕と、神速。
劉備が義弟、張飛。
孫策軍第二武将太史慈。
二人は、面識がある。
曹操に攻められた陶謙。その陶謙が劉備軍に救援を要請したときの使者が太史慈であった。
「これじゃあ、小兄貴や爺さんに負けっちまうだろうが!」
「知るか! この筋肉ダルマ!」
「なにを! この山賊崩れ!」
蛇矛と餓龍が、触れ合い、離れた。
両者、息を整える。
三艘目。
二人が争った船は、その都度壊されていた。
「おい」
「なんだ、虎髭ダルマ」
「なんでてめえは孫策に仕えてんだ?」
「……」
答えなかった。水が入り込む音がする。船に人の姿は二つだけ。あとは、皆逃げた。
「てめえ、天下を狙うって吹いてたじゃねえかよ……」
「……俺じゃあ、役不足だ」
「あん?」
「この俺様が天下を託せる人間が、見つかったということだ!!!」
「そいつは、良かったじゃねえかよ!!!
全身全霊を込めた一撃。
船が、耐えきれなくなった。二人がぶつかった場所に、亀裂が入る。
真っ二つに割れる。
船が、沈む。
張飛と、太史慈。
大きく跳ぶと、新たな船で、新たな戦を始めていた。
「黄忠殿、本気を出されよ」
「よいのかな、本気を出して」
黄忠が、考える仕草をした。
今のところ、関羽の方が大きくリードしていた。
「はい。是非に」
「そう言われると、出したくなるの~」
関羽と黄忠が、笑った。
黄忠が、弓を構えた。
連射を始める。
船の横っ腹に、穴が開いた。
船が、沈み始めた。
あっという間であった。
「これでは、勝負にならんじゃろう?」
「いやいや、わかりませぬぞ」
「……」
「……」
はははと、笑い合った。
関羽は、この勝負、不利だなと思った。
「おお、押してるね!」
「今のところは、です。すぐに膠着状態に入るかと」
劉備の嬉しげな声に、黄祖が答える。
陳到は、顔色悪い趙雲の横。
龐統は地図を見ながらぶつぶつと呟いていた。
「へえ……」
「兵の質では、あちらの方が上ですから。長時間は、我々の方がやはり不利かと」
「ふん、その前に戦終わらせるさ。龐統、どう?」
「孫策の気質を考えるに、もう時間の問題かと」
「……劉備様、あの船……」
陳到が、目を細めながら言った。
「黄祖さん」
「恐らく」
孫策の、旗艦であった。やはり、出てきた。それは、劉備の待っていた刻であった。
「……この船を、少し出して下さい」
軍師の声は落ち着いているように聞こえる。
だが、その語尾に震えがあるのを劉備は聞き逃さなかった。
「龐統、きっとうまくいくさ」
「は!」