小説置き場2

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あやかし姫~百華燎乱(7)~

「ちっ!」
 右手。痛みが走った。取り込まれる痛み。
 繋がりを切り離す。
 短剣。
 十分に、己の血で濡らした。
 これでも、大天狗様に連なる妖。
 宝玉を滅ぼす事は――出来る。
 宝玉に、黒之助は飛び掛かった。
「滅せよ」
 そう言うと、宝玉に短剣を突き刺した。
 玉が、割れる。
 破片が散り、地に辿り着く前に姿を消した。
 黒野丞を覆っていた肉が落ち、消える。
 黒之助の式。
 燃え始めた。腐肉と一緒に。
 終わりだ。そう、いった。
 黒野丞が膝を突いた。
 大きな目。
 長い髪。
 全身に斬り傷、火傷。
 人の姿であった。
 懐かしい。そう、思った。
 出会ったときは、そう思えなかった。
「太郎殿、もういい」
 わかった。
 そういって、妖狼が姿を現す。
 爪。
 元の長さ。
 黒之助に肩を貸した。
 大人しく、黒之助は太郎にしがみついた。
 二人、人の姿になる。
 血塗れの羽は、消えなかった。
「それで、どうする?」
 妖狼の質問に黒之助は答えなかった。
「拙者のことが、わかるか?」
 黒野丞に尋ねる。
 口をぱくぱくとさせた。
 言葉が出ないようだった。
 静かに待つ。
 黒野丞の口が音を出すのを。
「黒之助、か?」
「そうだ」
「……ここは?」
「木森原……拙者の今の住まいの近くだ」
「……夢をみていた」
 焦点があっていない。
 蜘蛛か。
 姫様には会わせられないなと太郎は思った。
「どんな夢だ?」
「長い夢だ……」
「そうか」
 風が吹いた。
 天狗。錫杖を構えている。
 黒野丞を冷たく見下ろした。
「黒之助殿、この男は我々が連れ戻します」
 年長と思しき、髭を蓄えた天狗が、そう、いった。
 黒之助に敬意を払っているようで。
 あとの二人は、そうは思っていないようだ。
「これから、どうする?」
「これから……考えていない。どうすればいいだろう?」
 その天狗の言葉を、二人は聞いていないようだった。
 次の言葉を接ごうとして天狗は、口を開けたまま静止した。
「ダマレ」
 口にはしていない。
 金銀妖瞳が、そういっていた。
 強い眼光。
 喉元に、爪を置かれている。
 そんな気がした。
「旅をするのも、いいかもしれないな」
「旅か……もう何年も、外の世界を見ていない……」
「そうだな」
「泣いているのか? お前、変わったな」
 ふらふらと、黒野丞が立ち上がった。
「……殺されても、文句は言えなかったのにな」
「……お前は、拙者の友、だ」
「そんなことを言うのか。お前らしくない……」
黒野丞、たまには顔をみせろ。拙者も、酒に付き合えるようになった」
「……変わったな」
 黒之助が貝殻を投げる。
 傷薬。
 そう、書かれていた。
「優しい字だな」
 そういって、化け蜘蛛が姿を消した。
 点々と、青い血が続いている。
 一。
 一。
 点。
 々。
 そして、どこかに消えた。
「……帰るか」
 太郎がいった。
 傷薬。手元には、もう、ない。
「ああ」
 黒之助が答えた。
「ま、待たれよ!」
 二羽の天狗。殺気立っていた。
 錫杖を突き出す。
 震えを、押し殺していた。
「なんということを! 我ら黒野丞を捕まえよとの命を受けて!」
黒野丞は、死んだ。そういえばよかろう」
「貴様……烏天狗のくせに我らを愚弄するというのか!」
烏天狗は天狗に仕える身、それを」
「お前達!」
 年長の天狗が、若い二人をたしなめた。
「……お主らに教えてやる」
「ぬ?」
「拙者に命令出来るのは、この世に三人だけだ。小僧共、とっとと巣に帰れ」
 意識を鷲掴みにした。
 意識を鷲掴みにされた。
 気が、抜けた。二羽の天狗がへなへなと崩れ落ちる。
 太郎が笑った。
 それも、気がついていないだろう。
 両手に同僚を抱えると、年長に見える天狗が口を開いた。
「黒之助殿……黒野丞は死んだ、そうですね」
「ああ」
 この天狗は知っている。
 自分の後輩だった。
「大天狗様が」
「いい。断ったはずだ。まだ、と」
 妖狼は、黙って二人の会話を聞いていた。
「しかし……あれほど」
「見届けたいのだ、拙者は。太郎殿、すまないが寺まで連れて行ってくれ。身体の自由が利かないんだ」
「わかった。後でおごれよ」
 酒、隠してたな。
「太郎殿! 友なら頼めばいいと!」
「つけ上がるな糞烏」
「馬鹿犬め……」
 白狼の姿をとると、黒之助を背負う。
 天狗が一礼する。
 黒之助が太郎にもたれたまま、少し手をあげた。
 蜘蛛の糸
 それを掴む。
 掴めたような気がした。



「終わったみたいです」
 雑巾を絞りながら姫様がいった。
 三角巾をとる。
 邪魔になるからと束ねていた姫様の長い黒髪が、大きく広がった。
 古寺は騒がしかった。
 大掃除。
 赤なめ大活躍である。
「なにが、でしょうか?」
 咲夜がいった。姫様にずっとくっついていた。
 葉子が、庭で妖達に指示を出している。
 さぼり癖のある妖達。
 一つ一つ指示を出さないと進まないのだ。
「帰ってくるよ……葉子さん! 太郎さんとクロさんを迎える準備しますね!」
 大きな声でいった。
 葉子が、あいあい! と大きな声で答えた。
 姫様の勘に、もう、ある程度は慣れているのだ。
 咲夜は、不思議そうであった。
 彼女は、姫様の勘に慣れていない。
 不思議に思った。
 さっきのことも。
 どうして、私が来たことが分かったのかと。
 どうして、あれほど自分は彩花様を恐れたのかと。
 確かに、彩花様は太郎の命を救った。でも、人ではないのかと。
 人。 
 本当に?
「……さっきのは……人よりも……」
 姫様の後ろ姿。少し、見惚れた。
 あんなに美しい黒髪、初めて見たと。
 ついていかなかった。
 ぬっと、壁から手が出た。 
 びくっとなる。
 壁の妖、小さなぬり壁。
 つんつんと、姫様の残した桶を指差した。
「運べって事ですか?」
 うんうんと、身体を上下させた。
 自分でやればいいのに、そう思いながら桶をもった。
「今、帰りました……って、なんだこの騒ぎは?」
 あに様の声!
 ぴんと白い尻尾を立たせると、桶の水を廊下にぶちまけて咲夜はぱたぱたと行ってしまった。
「……!!!」
 言葉にならない、姫様の悲鳴。
 すぐに妖達が玄関に集う。
 葉子が先頭であった。
 九尾の銀狐が、妖しく美しい姿をみせた。
「姫様! どしたの!」
「クロさんが……」
「クロちゃん……ん、怪我してるね」
 声の調子がとんと落ちた。
 太郎は、帰ったぞー、と咲夜の頭を撫でている。
 黒之助が、玄関に腰を下ろしていた。
 傷だらけ、であった。羽が、特に酷い。
「薬……薬……どうして、こう!」
 姫様が、ゆらりと立ち上がるとその場を離れた。
 じーっと葉子が黒之助を見ていた。
 視線が絡み合う。
 すぐに、黒之助が目を落とした。
「はいはい! あんた達は掃除に戻る!」
 しっしと妖達を追い払う。
「なんだよー」
「もう?」
「まだ休ませろよー」
 渋々妖達が散っていく。
 銀狐が、黒之助に顔を近づけた。
「そんな怪我、唾でもつけときゃ治るのにね! 姫様は大袈裟過ぎる!」
「そうだな」
「……姫様大袈裟だから、心痛めるから、あんまり、そういうことしないでね」
「……承知した」
「全く、そういうことは太郎だけで十分だからね」
「なんだそれ」
「あに様もお怪我を!?」
「いや、俺はない」
 姫様が戻ってきた。薬箱を持っている。
 お盆も。
 葉子が人の姿に戻る。少し、髪が乱れていた。
 それだけ、慌てたのだ。
 姫様の悲鳴にも、そして――
 黒之助が上半身裸になった。
「背中の羽……そして、肩、ですか」
 打ち身もありますね。
 そう、姫様が青痣を触りながらいった。
 咲夜が、きゃっと声をあげ、俯いた。
「……咲夜ちゃん、どうしたの?」
 咲夜。
 聞き覚えがあった。
 これが、太郎殿の妹か。
 ……全然、似てないな。そう、黒之助は思った。
「いえ……あの、男の人の……」
 頬が紅潮していた。
「ああ……そういえばそうですね」
 また、紫色の薬を塗り始める。
 黒之助が葉を食いしばった。
 葉子がにししと笑った。
 貝殻。
 蓋には、
「要注意、滲みます」
 姫様の字で、そう書かれていた。
 姫様と葉子が包帯をぐるぐると巻き付ける。
 その間、ずっと咲夜は俯いていた。
 黒之助が上衣を羽織り直す。
 やっと、咲夜は顔を上げた。
「クロさん、太郎さん、これ」
 姫様がお盆を差し出した。
 一つは、湯気を出していた。
 もう一つは、少し固まっていて。
 中央に金平糖がこんもり盛られていた。
「はい、どうぞ」
「……ありがとうございます」
「ありがとう」
「いえ……こんなことしか出来ませんし」
 姫様が、いった。
 二人が手を伸ばす。
 二人が口をつけた。
 にこにこと、姫様は二人を見ていた。
 なにがあったのかは、聞かなかった。
 葉子は、不安そうに太郎を見ていた。
「あの、あに様」
 咲夜が、いった。
 ぴしっと古寺が音を立てた。
 咲夜が目を見張り驚く。
 度を、越しているような。こんなに臆病だっけ?
 そう、太郎は思った。
 嫌な予感がした。
 姫様。
 この顔は……
「あの……ですね」
「なんだ? ん、そういえばお前、どうしてここへ?」
「その……」
「どうぞどうぞ」
 姫様がいった。
 ぽりぽりと金平糖を噛む音がした。
 空になったお椀を、名残惜しそうに黒之助は見た。
「……あに様に、お見合いのお話が」
 咲夜が、口にした。
 姫様を見る。
 にこにこしている。大丈夫。
 考えてみれば、彩花様が怒る理由はないわけで……
「はい?」
「お見合い、です」
「……誰に?」
「あに様に」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「俺?」
「はい!」
「……だそうですよ」
 姫様の冷たい声が、四人の耳に響いた。


「旅か」
 手に握る貝殻。
 宝。
 黒野丞は、そう、思った。
 猫背。
 俺は……
 月。
 月日は流れた。
「誰だ?」
 気配。
 獣ではない。人でもない。
 二つ。
 一つは、はっきりと妖とわかる。もう一つは漠然としていた。
「天狗……違う」
 先ほど会った妖狼とも違う。
 子供?
「出てこい」
 草むら。ざわざわと動いた。声。
 子供の声。
 蜘蛛の脚。一本、男の肩から生えた。
「俺は警告したぞ」
 草むらに差し込む。
 脅し。
 傷つける気はなかった。
 怯え。強く感じられた。
 冷たい。
 黒野丞は、その差し込んだ脚を自ら引きちぎった。
 血。
 男の引きちぎった脚が、見る間に凍っていく。
 赤い氷が音をたてた。
 身構えた。
 低く腰を落とす。長い両腕を地面につける。
 強い怯え。
 それが、急に消えた。
「……なんだったのだ」
 草むらには、もう、なにもなかった。
 すっと、姿を消す。
 どこに行くかは、決めていない。
 当てなどない。
 友は、変わった。
 自分は……変わるも良し、変わらぬも良し。
 強さへの渇望は消えていた。
 月。
 また、この月をみたい。
 一人ではなく――
 そう、思った。