小説置き場2

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あやかし姫~百華燎乱(8)~

 宴会。
 酒盛り。
 森の中での、妖達の宴。
 大小数多の妖達が、謡い、踊っている。
 楽しげに、嬉しげに。
 朧気に、朧気に。
 そこに、若い女が近づいていく。
 手に持つ刃物が、鈍い光を放った。
 宴が止まる。
 妖達の、訝しげな視線。
 女に集まる。
 そしてまた、宴が始まる。
 まるで、そこに女の姿などないように。
 一瞬躰を震えさせると、女は自分の足の長さほどある巨大な包丁を地に突き立てた。
 宴が、また止まる。
 ひそひそと妖達が話し合い、その宴の主人格と見える、巨大な老入道が口を開いた。
「独枯山の山姥か。なんの用じゃ」
 酒が不味くなる。用件をいって、早く去れ。
 そう、いった。
 妖達が囃し立てる。
 女は、ぐっと唇を噛み締めると、巨大な包丁を突きつけ、
「うちの客人が、雪妖に攫われた。知っている者はいないか」
 そう、いった。
「客だってよ」
「こいつがいる、あの山にかよ。物好きなこった」
「わざわざいかねえよ、なぁ」
「うるさい!」
 一喝する。妖達が首をすくめた。
「やまめよぉ……」
 こぉこぉこぉと、老入道が気味の悪い笑い声をだした。
「ちっぽけな山姥が、大きな口を叩くでない」
 ふぅっと、手の平で扇ぐ。
 突風。
 やまめは、地面に包丁を突き立てると、吹き飛ばされそうになる身体をなんとか支えた。
「頼む!」
 必死だなぁと、老入道が周りの妖達と笑い合った。
 憤りと惨めさで、身体が引き裂かれそうになる。
 それでも、頼むしかなかった。
「頼む……」
「それは、鬼か?」
 老入道がいった。風は、やまない。
 そうだと、やまめは大きな声を出した。
「なら、心当たりはあるなぁ。雪妖と鬼が、なにやら揉めておる」
「っつ!」
 小石が額に当たった。血が流れていく。
 風が、止む。
 膝を、つく。
 乱れた白髪が、あやめの顔を覆った。
「どうして揉めているのですか?」
「さあて。雪妖どもの大事な大事な巫女を、鬼が攫ったという噂じゃ」
「鬼が……」
「両者は、陣を敷いて対峙しておる。おそらく、そなたの客人という奇特な鬼は、人質にでもされたのじゃろう」
 こぉこぉこぉ……
 そこまで聞けば十分だった。
 やまめが走り出す。
 妖達の、
「忌み子が」
 という、吐き捨てるような声が、その背に刺さった。
 金と銀の瞳がうっすらと光った。
 また、宴が始まった。
 幽に、幽に。


「俺に、見合いね……」
「はい! 父上が!」
 ころころと、尻尾を振った。
 居間。
 綺麗になっていた。
 埃一つない。木の机も、姫様の顔が映るぐらいに磨き込まれていた。
 妖達は、へとへとで。
 ぼとん、ぼとんと古寺のあちこちに落ちていた。
 十分に迎え入れる準備はした。
「相手は誰なのです?」
 黒之助がいった。
「西の妖狼族の長の娘さんです。えっと、名は……」
「火羅」
 葉子が、いった。
 そうそうと咲夜が頷く。
 葉子は苦い顔をしていた。
「葉子殿、知っているのか」
 いててと、肩を回しながら黒之助が。
「一応ね。うちと、つき合いあるし」
「へ?」
 うち? 
 古寺の、妖。
 それが、西の妖狼族と?
 随分、離れているのに。
「あ、いやね、気にしないで」
「はぁ、それで、あに様」
「……」
 太郎は、押し黙っていた。
 また、重苦しい空気が漂う。
「うちも、色々と苦しいみたいで……」
「へえ」
 姫様が、いった。にこにこと能面のような笑みを浮かべて。
「勝手なものですね」
 彩花様、怖いと咲夜は思った。
 重苦しいのは、あに様のせいだけじゃない。
 彩花様も……
「まあ、太郎、ちょっと名前知れすぎちゃったしね」
 肩をすくめながら銀狐が。
「そんなに、ですか」
「姫様……うん。こいつ、一人で妖猿の群れを潰しちゃったでしょ。それがね」
 一人じゃねぇと、太郎は口の中で。
 それは、誰にも聞こえずに。
「あに様、これは父としてではなく、族長としてのお言葉なのです。どうかどうか!」
 孤高を、誇りにしていた北の妖狼族がね。
 そう、葉子は思った。
 苦しいだろうとは考えていたが、そこまで、と。
 妖猿の群れになにも出来なかった。
 それは、やはり大きかったんだろうね。
 西の妖狼族は、あまりいい噂を聞かない。
 他の妖狼族と違い、その勢力を大きくしようとしていた。
 九尾の一族――特に銀の一族と、勢力圏が重なっているのだ。
 葉美と木助が、苦労しているという。
 銀の一族を押さえるのに。
 北の妖狼族を取り込む、足掛かりを作ろうというんだろね。
 太郎は、格好の標的、か。
 忌み子だということを除けば。
 それも、群れを救った英雄として見ればお釣りが来るかも、ってか。
 西の妖狼の考えそうなこった。
 東と南は、結構いいやつらなのに。
「族長として、ってどういうことだ」
 太郎が、静かにいった。
「あ、いえ、父上がそこを強調しろって」
 父ではなく、族長として。
 仲直りしていないということ?
 あのとき、小さく謝っていたのに。
 自分のことのように、姫様は哀しくなった。
 痛い……
 多分、太郎さんは、もっと痛い。
 族長……そう呟くと、葉子と黒之助は、はっと目を合わせた。
 同じ考えに辿り着いたのだ。
 太郎はどうかと、その表情を伺う。
「糞野郎……」
 駄目かなと、二人は思った。
「なにが、族長として、だ」
「あの、あに様?」
 がちがちと、牙を鳴らす。
 かちかちと、爪を鳴らす。
 姫様は、黙って妖狼の顔を見ていた。
 咲夜は、怯えていた。
「でも、でも、父上は」
 必死に、声を絞り出す。
「俺は、あの群れに属してねぇんだぞ! 追放されたんだぞ! ふざけやがって!」
 大きな声を出すと、手を振り上げる。
 姫様に首を振られ、渋々そっと降ろす。
 やれやれと、葉子と黒之助が溜息をついた。
 咲夜が、その声に小さな身体を小さくさせた。
 自分に、怒りを向けている。そう、思ったのだ。
「あに様……」
 予想はついていた。当たり前すぎる。
 何度も、父に聞き返したのだ。
 それでいいのかと。
「そんなことするか! するわけないだろ……そう、族長にいっとけ!」
 居間を飛び出すと、煙を立てて狼の姿に変化し、太郎は庭にうずくまった。
 姫様達からは、その後ろ姿が見えるだけで。
 がっくしと咲夜は肩を落とした。
「……残念、ですね」
 姫様が咲夜にいう。
 その言葉は、どこか作り物じみていた。
 うん、と、咲夜が頷く。
 あくびを一つつき烏の姿になると、黒之助がてけてけと自室に向かっていく。
 結局、黒之助は黒野丞の話をしなかった。
 する気も、なかった。
 黒之助が立ち去るのを見て、姫様が微笑んだ。
 それは、今まで浮かべていた能面のような笑みとは別物であった。
 生きていた。
 姫様も、どうして黒之助が傷を負ったのか、一体何があったのか、聞こうとはしなかった。
 黒之助が少し、姫様から見て少し変わった。
 なにか、良い事があったのだろうと思った。
 それで、十分だった。
「姫様、もう、寝ようか」
「はい。咲夜ちゃん」
 これでしまいという風に。
 葉子が、姫様と咲夜が居間を出るのを見計らって、太郎に近づいた。
「怒ってるの?」
「……」
「正解」
 にししと、笑った。
「なにが、だ?」
 太郎が、葉子を見上げた。
「あんたは、『今のところ』追放されてるからね。族長の命令は、聞く必要がないよね」
「……」
「あんたの親父さんの頼み事なら、あたいは知らないよ。それは、あんたの気持ち次第さ。でも、族長の命令ならね」
「……なるほど」
「やっぱり、分かんなかったか」
「親父は、断って欲しかったのか?」
「うん。だから、咲夜ちゃんにあんな言い方したんだろうね。ま、気が付かなかったとはいえ断ったんだから、太郎ちゃんえらいえらい」
 葉子が、妖狼の頭をくしゃっと撫でた。
 その手を、煩わしそうに太郎は撥ね除けた。
「ふん……『今のところ』って、どういうことだ」
「あんた、もう、帰れるんでしょう?」
 笑みが消え、銀狐は、真面目な顔になる。
 すっと、目を弧状にした。
「……知らねえよ」
「あんたでもいなくなると寂しくなるから、居てくれた方がいいけどね」
 でも、それも、あんたの気持ち次第。
「……」
 誰が寂しい、とは、聞かなかった。
「じゃあね。明日は早いから、ちゃんと起こしてね」
「わかった」
 葉子が、鼻歌を謡いながら、桶に突っ込んであった雑巾で足の裏を丁寧に拭いて姫様の部屋に。
 それを、見送る。
 妖狼の尾っぽが、揺れた。
 月が隠れていた。
 明日は、酒呑童子様と朱桜ちゃんが来るのか。
 今日も、忙しかったのに……ったく、面倒な、とは言えなかった。
 姫様の大事な大事なお客様、なのだ。
 にしても、咲夜、酒呑童子様を見たら、腰抜かすんじゃないだろうか。
 あの妹、まだまだ幼いからな。
 今日も、怖がらせちまった。
 あとで、謝ろう……いや、今からだな。
 太郎はそう考えると、桶に足を突っ込んで洗ってから古寺に上がった。
 点々と、黒い足跡が。
 桶の水は汚れていて。
 洗ったのではなく、汚してで。
 姫様の怒鳴り声が、静かな古寺に木霊した。