あやかし姫~百華燎乱(9)~
鬼馬が、ゆっくりと古寺の門の前に降り立つ。
男の背に女の子がしがみついていて。
二人とも、二本の角が額にあった。
男が先に鬼馬の背から降りる。
派手な柄の着物を着ていた。
大事に大事に女の子をよいしょと降ろす。
まだ、自力で降りるには背が足りないのだ。
朱桜は、古寺を見て嬉しそうであった。
酒呑童子も、我が子をみてくっと微笑む。
二人、伸び。
同時にやって。
朝。
朝焼け。
小さな山の冷たい空気。
澄んでいた。肺を満たすと、気持ちが良かった。
「早過ぎたかな?」
心配そうに、朱桜がいった。
「さて、どうだろうな。彩花ちゃんなら、もう起きてそうだが」
肩をさする。
少し凝っていた。
年かなーと思った。
「彩花さま、早起きだもんね」
「……それも、あるけどね」
「さ、行くのです!」
朱桜が、父の手をぐいぐい引っ張る。
二人で門をくぐる。
玄関。
朱桜が戸を開けようと手を伸ばすと、姫様がちょこんと顔をだした。
「おはよう……」
「おはようございます!」
姫様、のんびり。
朱桜、背筋を伸ばして元気よく。
酒呑童子は、少し頭を下げただけで。
「朝ご飯、食べる? それとも、もう、食べた?」
そう、いった。
「いいんですか?」
お腹……空いてる。
「うん」
「じゃあ、ごちそうになるです」
「わかりました」
酒呑童子様の分もありますと、にっこり笑う。
酒呑童子は、鋭い目つき。
ちゃんと掃除しているかどうかときょろきょろと。
最近、気になるのだ。
愛し子の病の元になるかもしれないと。
落ち着きのない王様の足を、朱桜が思いっきり踏んづけた。
「!」
「父様」
じーっと、見やる。
鬼ヶ城でも、やりすぎだと何度も言ったのです。
そうぷりぷりと。
「分かった分かった……」
朱桜ちゃんには逆らえないんだなぁと姫様は思った。
せっかく、お掃除したけど……
年末だし、別にいいかな。
「あの……酒呑童子様」
「知らない妖が一匹いるな」
「実は……太郎さんの妹さん――咲夜ちゃんというのですが――ここに来ているんです」
「太郎の妹? あいつの? ふーん」
顎を触る。ちょっと考えていた。
「太郎さんの妹さん……」
朱桜が繰り返した。
「どうしますか?」
「どう?」
「……朱桜」
「はいです」
「今日の俺の名前は、朱熊童子だ」
「朱熊童子?」
「そう。よーく覚えておくんだ。酒呑童子という名は、今日は禁だ。分かったな」
「はあ……」
「よし、いい子だ」
酒呑童子が、いい子いい子と朱桜の頭を撫でた。
少し羨ましい。
そう、姫様は思った。
「みなさんにも、そう伝えておきます」
「よろしく頼む。名を知られるのも面倒だからな」
そう、いった。二人、同時に欠伸をした。
親子。
やっぱり、少し羨ましい。
「美味しいのです!」
朱桜が、いった。
「うん、良かった」
姫様が答える。
朝ご飯。皆の分がある。
皆、といっても、古寺の小妖達の分は無いのだが。
起きてもいないし。
姫様、鬼の親子、九尾の銀狐、烏天狗、妖狼の兄妹。
この七人が、同じ机でご飯を食べていた。
それぞれ人の姿。妖の証も、少しだけ。
尾。
耳。
角。
羽。
おかわり! 朱桜が空になったお茶碗を姫様に渡す。
はいはいと、姫様が麦飯を盛ってあげる。
ここに来た頃と、随分と変わったなぁと葉子は思った。
悪いことじゃないよ。そう、思った。
咲夜は、もくもくと箸を進めていた。
朝は苦手なのだ。
それに、あまり眠れなかった。
不安のせいで。
銀狐に説明は受けたけど、本当に大丈夫なのだろうかと。
鬼の男と目が合った。
ばっと、咲夜は頭を下げる。
恥ずかしかった。
鬼は、綺麗な顔立ちをしていた。今まで、見た事がないぐらいに。
「ん、お前が太郎の妹か」
鬼が話しかける。
良い声だった。
自分の顔が、紅潮するのがわかった。
「は、はい!」
見つめられている。
そう思うと、顔がますます火照ってきて。
「似ているような気もするな」
おかわりくれ。
そう、姫様にいった。
恐る恐る、顔を上げる。
彩花様と朱桜が談笑していた。
あに様と、黒之助という烏天狗。
二人が、緊張していた。
緊張?
不思議な感じがした。
あれだけ強いあに様が、と。
名のある鬼なのだろうか?
朱熊童子……聞いた事がなかった。
「咲夜ちゃん、おかわりいる?」
銀狐がいった。
「あ、いえ。美味しゅうございました」
「姫様に言いなよ。これ作ったの、あたいじゃないから」
「彩花様、美味しゅうございました」
朝食なんて何時以来だろう。
いや、食事をとること自体何時以来だろう。
本当に、久し振り。
美味しい。
それは、心からであった。
「そう、よかった」
「黒之助」
酒呑童子が黒之助に。
「その羽、どうした?」
場が静かになる。烏天狗に視線が集まる。
白い羽。
白い布が巻かれているのだ。
ぽりぽりと、咲夜が胡瓜の漬け物をかじる音がした。
沙羅ちゃんがいないと朱桜は思った。
あと、あのお爺さんも。
「これは……その、ちょっとしたいざこざで」
ははっ、と笑う。太郎と葉子が、喉をごくりと鳴らす。
鬼の王の目つきが鋭くなった。
大妖。
自分達が束になっても、敵うはずのない相手。
姫様、もぐもぐと口を動かしながら酒呑童子を見ていた。
酒呑童子が、それに気づく。
「……ま、喧嘩もほどほどにな」
「御意」
「お、椎茸はちゃんと食べるんだぞ。好き嫌いすると大きくなれないからな」
朱桜が煮物の椎茸をちょこっと器の端に寄せていた。
「……父様はいいのですか?」
朱桜がいう。
椎茸。
器にそれだけ残っていた。
「……俺はいいの。大人だし。もう、大きくならないし」
「ずるいのです! ひきょうなのです!」
葉子が、そのやり取りにぷっと噴き出した。
口の中の物が飛び出す。
うわ! 汚ね!
葉子の前に座っていた太郎に掛かった。
おしぼりでごしごし。
咲夜がそれを見て、昨晩のことを思い出してくすくすと笑う。
黒之助は、笑いかけてすっと眉をひそめた。
姫様が、笑っていなかったから。
もぐもぐと、食べていた。
心、ここにあらずか。
そう、呟いた。
自分も、その一因だな。
そう、呟いた。
「痛そうなのです……」
「そうだね」
姫様が黒之助の包帯を取り替える。
朱桜と咲夜が、隣で見ていた。
火桶の傍。
朱桜と姫様にとって、寒い室内ではそれは大事。
替えの包帯を咲夜が渡す。
姫様が受け取る。
「痛そうなのです」
もう一度、いった。
羽を、小さな手で触る。
「もう、痛くないのですか?」
「ええ。痛みはほとんど」
朱桜が、ぎゅっと握った。
黒之助の顔が引きつった。
「痛いみたいです」
「ええ、それはまあ」
「しゅて……朱熊童子様は?」
太郎がいった。
満腹。
寝ぼすけ小妖達を乗せて、ぐてーっと狼姿で転がっていた。
場所を取らないように、小さめの姿で。
「葉子さんと洗い物してます」
「……は?」
聞き直す。
「洗い物」
苦笑いを浮かべて、短く返事。
「……想像がつかない」
「見に行ったらどうですか」
なかなか、様になってますよ。
「……いや、いいや」
ぶつぶつ言う兄の姿。
咲夜は不思議そうにそれを見ていた。
「角、ちょっと大きくなった?」
これでいいと、包帯を結ぶ。
取れないかなと確認する。
「ちょっと大きくなりました。そうそう、……叔父上やみんな、とっても喜んでくれて」
「よかったね」
「はい。……みんな騒いで、凄かったです」
咲夜の顔をちらちら見ながら言葉を選んで。
やりにくいと、朱桜は頬を膨らませた。
「茨木様は?」
「叔父上は湯治です」
「そっか……一人で?」
「はい」
私も、誘われたのですけど……
先に、彩花さまと約束していたです。
だから断りました。
「茨木って……西の鬼の王様の弟君も茨木、ですよね」
ん……と、姫様押し黙る。
小妖達も、朱桜も。
酒呑童子が、葉子と一緒に部屋に入り、
「同じ名前だな」
そう、いった。
あぐらを組む。
朱桜が、その膝の上にちょこんと乗った。
「そうそう、よく言われるです」
「なー」
「ねー」
「酒呑童子様と、茨木童子様……一度、お目に掛かりたいものです。鈴鹿御前様と並ぶ、大妖。憧れです」
鬼姫より、断然凄いっつうの。
こっそりと、酒呑童子が。
朱桜の耳に届いた。
がこんと、朱桜が父の顎に頭突きした。
酒呑童子。舌を噛んで、涙目に。
鈴鹿御前は、姫様の友達。
だから、朱桜の友達、なのだ。
「痛い……」
「いいのです!」
「怒るなよー」
「むー」
「?」
よく、分からない。
あ、っと咲夜は閃いた。
もしかしたら、この親子、西の鬼なのかな。
だとしたら、鈴鹿御前の名を出すのは不味い……よね。
勝手にそう結論づけた。
まあ、それほど間違ってはいないのだけれど。
「あとは、薬箱を片づけて……」
「姫さん、かたじけない」
「いえいえ……誰か、ここに来る?」
姫様が、そういった。
黒之助が、はてと。
酒呑童子が目を細めた。
美しい顔が険しくなる。
朱桜を膝の上からゆっくり隣にどかすと、むんずと立ち上がる。
庭にでた。
宙にふわふわと浮いている。
姫様も、茶色の羽織を身につけ、赤い鼻緒の下駄を履いてその隣に。
三妖、首を傾げる。
何も、感じないのだ。
でも、姫様と、大妖である酒呑童子が何かを感じた。
太郎と黒之助が姫様の後ろに立つ。
葉子は、居間で朱桜と咲夜の間に。
ぐっと、朱桜が葉子の着物のはしを握った。
「……あれか?」
「はい」
空を、見上げる。
姫様に酒呑童子が話しかけた。
太郎と黒之助が、目を、細める。
妖狼の目は、金銀妖瞳に変わっていた。
黒い点を、その目に捉えた。
少しずつ大きくなっていく。
「牛車……」
姫様が、いった。
牛車。
煌びやかな牛車が、落ちてくる。
金造り。
日の光を燦然と反射して。
牛車だけ、曳くものはなにもない。
牛も、牛鬼も。
見る間に大きくなり、そして……寺の外に、落下した。
塀に隠れて見えなくなった。
音は、しない。
衝撃も、ない。
酒呑童子が腕を組んだ。
ふわふわと、牛車が塀の上に姿をみせた。
ふわふわと、古寺の塀を引き手なき牛車が浮き越えた。
姫様が、形の良い眉を歪める。
勝手に入ってきたのだ。
良い気持ちがするものではない。
妖狼の鼻を、よく知っている匂いがくすぐった。
咲夜は、部屋の中にいる。
じゃあ、この匂いは目の前の……
牛車が、ぽとっと庭に降りた。
真っ赤な扇が、その中から出された。
姫様が、凍てつくような妖気を纏った。
ような気がして、酒呑童子が姫様をみる。
もう、それはなかった。
気のせいかと、古寺の侵入者に目を戻した。
男の背に女の子がしがみついていて。
二人とも、二本の角が額にあった。
男が先に鬼馬の背から降りる。
派手な柄の着物を着ていた。
大事に大事に女の子をよいしょと降ろす。
まだ、自力で降りるには背が足りないのだ。
朱桜は、古寺を見て嬉しそうであった。
酒呑童子も、我が子をみてくっと微笑む。
二人、伸び。
同時にやって。
朝。
朝焼け。
小さな山の冷たい空気。
澄んでいた。肺を満たすと、気持ちが良かった。
「早過ぎたかな?」
心配そうに、朱桜がいった。
「さて、どうだろうな。彩花ちゃんなら、もう起きてそうだが」
肩をさする。
少し凝っていた。
年かなーと思った。
「彩花さま、早起きだもんね」
「……それも、あるけどね」
「さ、行くのです!」
朱桜が、父の手をぐいぐい引っ張る。
二人で門をくぐる。
玄関。
朱桜が戸を開けようと手を伸ばすと、姫様がちょこんと顔をだした。
「おはよう……」
「おはようございます!」
姫様、のんびり。
朱桜、背筋を伸ばして元気よく。
酒呑童子は、少し頭を下げただけで。
「朝ご飯、食べる? それとも、もう、食べた?」
そう、いった。
「いいんですか?」
お腹……空いてる。
「うん」
「じゃあ、ごちそうになるです」
「わかりました」
酒呑童子様の分もありますと、にっこり笑う。
酒呑童子は、鋭い目つき。
ちゃんと掃除しているかどうかときょろきょろと。
最近、気になるのだ。
愛し子の病の元になるかもしれないと。
落ち着きのない王様の足を、朱桜が思いっきり踏んづけた。
「!」
「父様」
じーっと、見やる。
鬼ヶ城でも、やりすぎだと何度も言ったのです。
そうぷりぷりと。
「分かった分かった……」
朱桜ちゃんには逆らえないんだなぁと姫様は思った。
せっかく、お掃除したけど……
年末だし、別にいいかな。
「あの……酒呑童子様」
「知らない妖が一匹いるな」
「実は……太郎さんの妹さん――咲夜ちゃんというのですが――ここに来ているんです」
「太郎の妹? あいつの? ふーん」
顎を触る。ちょっと考えていた。
「太郎さんの妹さん……」
朱桜が繰り返した。
「どうしますか?」
「どう?」
「……朱桜」
「はいです」
「今日の俺の名前は、朱熊童子だ」
「朱熊童子?」
「そう。よーく覚えておくんだ。酒呑童子という名は、今日は禁だ。分かったな」
「はあ……」
「よし、いい子だ」
酒呑童子が、いい子いい子と朱桜の頭を撫でた。
少し羨ましい。
そう、姫様は思った。
「みなさんにも、そう伝えておきます」
「よろしく頼む。名を知られるのも面倒だからな」
そう、いった。二人、同時に欠伸をした。
親子。
やっぱり、少し羨ましい。
「美味しいのです!」
朱桜が、いった。
「うん、良かった」
姫様が答える。
朝ご飯。皆の分がある。
皆、といっても、古寺の小妖達の分は無いのだが。
起きてもいないし。
姫様、鬼の親子、九尾の銀狐、烏天狗、妖狼の兄妹。
この七人が、同じ机でご飯を食べていた。
それぞれ人の姿。妖の証も、少しだけ。
尾。
耳。
角。
羽。
おかわり! 朱桜が空になったお茶碗を姫様に渡す。
はいはいと、姫様が麦飯を盛ってあげる。
ここに来た頃と、随分と変わったなぁと葉子は思った。
悪いことじゃないよ。そう、思った。
咲夜は、もくもくと箸を進めていた。
朝は苦手なのだ。
それに、あまり眠れなかった。
不安のせいで。
銀狐に説明は受けたけど、本当に大丈夫なのだろうかと。
鬼の男と目が合った。
ばっと、咲夜は頭を下げる。
恥ずかしかった。
鬼は、綺麗な顔立ちをしていた。今まで、見た事がないぐらいに。
「ん、お前が太郎の妹か」
鬼が話しかける。
良い声だった。
自分の顔が、紅潮するのがわかった。
「は、はい!」
見つめられている。
そう思うと、顔がますます火照ってきて。
「似ているような気もするな」
おかわりくれ。
そう、姫様にいった。
恐る恐る、顔を上げる。
彩花様と朱桜が談笑していた。
あに様と、黒之助という烏天狗。
二人が、緊張していた。
緊張?
不思議な感じがした。
あれだけ強いあに様が、と。
名のある鬼なのだろうか?
朱熊童子……聞いた事がなかった。
「咲夜ちゃん、おかわりいる?」
銀狐がいった。
「あ、いえ。美味しゅうございました」
「姫様に言いなよ。これ作ったの、あたいじゃないから」
「彩花様、美味しゅうございました」
朝食なんて何時以来だろう。
いや、食事をとること自体何時以来だろう。
本当に、久し振り。
美味しい。
それは、心からであった。
「そう、よかった」
「黒之助」
酒呑童子が黒之助に。
「その羽、どうした?」
場が静かになる。烏天狗に視線が集まる。
白い羽。
白い布が巻かれているのだ。
ぽりぽりと、咲夜が胡瓜の漬け物をかじる音がした。
沙羅ちゃんがいないと朱桜は思った。
あと、あのお爺さんも。
「これは……その、ちょっとしたいざこざで」
ははっ、と笑う。太郎と葉子が、喉をごくりと鳴らす。
鬼の王の目つきが鋭くなった。
大妖。
自分達が束になっても、敵うはずのない相手。
姫様、もぐもぐと口を動かしながら酒呑童子を見ていた。
酒呑童子が、それに気づく。
「……ま、喧嘩もほどほどにな」
「御意」
「お、椎茸はちゃんと食べるんだぞ。好き嫌いすると大きくなれないからな」
朱桜が煮物の椎茸をちょこっと器の端に寄せていた。
「……父様はいいのですか?」
朱桜がいう。
椎茸。
器にそれだけ残っていた。
「……俺はいいの。大人だし。もう、大きくならないし」
「ずるいのです! ひきょうなのです!」
葉子が、そのやり取りにぷっと噴き出した。
口の中の物が飛び出す。
うわ! 汚ね!
葉子の前に座っていた太郎に掛かった。
おしぼりでごしごし。
咲夜がそれを見て、昨晩のことを思い出してくすくすと笑う。
黒之助は、笑いかけてすっと眉をひそめた。
姫様が、笑っていなかったから。
もぐもぐと、食べていた。
心、ここにあらずか。
そう、呟いた。
自分も、その一因だな。
そう、呟いた。
「痛そうなのです……」
「そうだね」
姫様が黒之助の包帯を取り替える。
朱桜と咲夜が、隣で見ていた。
火桶の傍。
朱桜と姫様にとって、寒い室内ではそれは大事。
替えの包帯を咲夜が渡す。
姫様が受け取る。
「痛そうなのです」
もう一度、いった。
羽を、小さな手で触る。
「もう、痛くないのですか?」
「ええ。痛みはほとんど」
朱桜が、ぎゅっと握った。
黒之助の顔が引きつった。
「痛いみたいです」
「ええ、それはまあ」
「しゅて……朱熊童子様は?」
太郎がいった。
満腹。
寝ぼすけ小妖達を乗せて、ぐてーっと狼姿で転がっていた。
場所を取らないように、小さめの姿で。
「葉子さんと洗い物してます」
「……は?」
聞き直す。
「洗い物」
苦笑いを浮かべて、短く返事。
「……想像がつかない」
「見に行ったらどうですか」
なかなか、様になってますよ。
「……いや、いいや」
ぶつぶつ言う兄の姿。
咲夜は不思議そうにそれを見ていた。
「角、ちょっと大きくなった?」
これでいいと、包帯を結ぶ。
取れないかなと確認する。
「ちょっと大きくなりました。そうそう、……叔父上やみんな、とっても喜んでくれて」
「よかったね」
「はい。……みんな騒いで、凄かったです」
咲夜の顔をちらちら見ながら言葉を選んで。
やりにくいと、朱桜は頬を膨らませた。
「茨木様は?」
「叔父上は湯治です」
「そっか……一人で?」
「はい」
私も、誘われたのですけど……
先に、彩花さまと約束していたです。
だから断りました。
「茨木って……西の鬼の王様の弟君も茨木、ですよね」
ん……と、姫様押し黙る。
小妖達も、朱桜も。
酒呑童子が、葉子と一緒に部屋に入り、
「同じ名前だな」
そう、いった。
あぐらを組む。
朱桜が、その膝の上にちょこんと乗った。
「そうそう、よく言われるです」
「なー」
「ねー」
「酒呑童子様と、茨木童子様……一度、お目に掛かりたいものです。鈴鹿御前様と並ぶ、大妖。憧れです」
鬼姫より、断然凄いっつうの。
こっそりと、酒呑童子が。
朱桜の耳に届いた。
がこんと、朱桜が父の顎に頭突きした。
酒呑童子。舌を噛んで、涙目に。
鈴鹿御前は、姫様の友達。
だから、朱桜の友達、なのだ。
「痛い……」
「いいのです!」
「怒るなよー」
「むー」
「?」
よく、分からない。
あ、っと咲夜は閃いた。
もしかしたら、この親子、西の鬼なのかな。
だとしたら、鈴鹿御前の名を出すのは不味い……よね。
勝手にそう結論づけた。
まあ、それほど間違ってはいないのだけれど。
「あとは、薬箱を片づけて……」
「姫さん、かたじけない」
「いえいえ……誰か、ここに来る?」
姫様が、そういった。
黒之助が、はてと。
酒呑童子が目を細めた。
美しい顔が険しくなる。
朱桜を膝の上からゆっくり隣にどかすと、むんずと立ち上がる。
庭にでた。
宙にふわふわと浮いている。
姫様も、茶色の羽織を身につけ、赤い鼻緒の下駄を履いてその隣に。
三妖、首を傾げる。
何も、感じないのだ。
でも、姫様と、大妖である酒呑童子が何かを感じた。
太郎と黒之助が姫様の後ろに立つ。
葉子は、居間で朱桜と咲夜の間に。
ぐっと、朱桜が葉子の着物のはしを握った。
「……あれか?」
「はい」
空を、見上げる。
姫様に酒呑童子が話しかけた。
太郎と黒之助が、目を、細める。
妖狼の目は、金銀妖瞳に変わっていた。
黒い点を、その目に捉えた。
少しずつ大きくなっていく。
「牛車……」
姫様が、いった。
牛車。
煌びやかな牛車が、落ちてくる。
金造り。
日の光を燦然と反射して。
牛車だけ、曳くものはなにもない。
牛も、牛鬼も。
見る間に大きくなり、そして……寺の外に、落下した。
塀に隠れて見えなくなった。
音は、しない。
衝撃も、ない。
酒呑童子が腕を組んだ。
ふわふわと、牛車が塀の上に姿をみせた。
ふわふわと、古寺の塀を引き手なき牛車が浮き越えた。
姫様が、形の良い眉を歪める。
勝手に入ってきたのだ。
良い気持ちがするものではない。
妖狼の鼻を、よく知っている匂いがくすぐった。
咲夜は、部屋の中にいる。
じゃあ、この匂いは目の前の……
牛車が、ぽとっと庭に降りた。
真っ赤な扇が、その中から出された。
姫様が、凍てつくような妖気を纏った。
ような気がして、酒呑童子が姫様をみる。
もう、それはなかった。
気のせいかと、古寺の侵入者に目を戻した。