あやかし姫~百華燎乱(10)~
「かみなりが、雪妖の巫女を攫ったというのか」
「という話だ」
牢屋。
氷柱が骨格となり、薄い凍鏡で覆われていた。
外の様子は、中からは窺えない。
牢には、十匹ばかしの鬼がいた。
茨木童子も、その中で。
正座していた。
誰かと向かい合い、話をしていた。
「なかなか面白い話だな」
「どこが面白いものか! こんな寒いところに連れてこられて、いい迷惑だ!」
茨木と話をしているのは、若い鬼だった。
周りの鬼に、そう呼びかける。
周りの鬼達が、そうだそうだと同意する。
人の姿に、鬼の角。
皆、若い。茨木と話している鬼が、最も若く見えた。
子供ではない。
さりとて、大人ではない。
「……お前達、鬼姫――鈴鹿御前の言いつけに従わなかったな?」
ふと、思い立った。
自分なら、そうする。
鬼姫はどうか知らないが、あの俊宗なら、間違いなくそうするはずだと。
「……あ、ああ」
声が、沈んだ。
「だってよぉ……俺がいっても、足手まといになるだけだし……」
賛同するうめき声があちこちに。
皆、若い。
そう思うのも、無理はないと思った。
やはり、ここにいるのは鬼姫の命に従わなかった者達。
近くに、濃い鬼の気配がある。
ほとんどの『東』の鬼は、そこに集っているのだろう。
「それで、鬼姫の命を無視し、雪妖に襲われここへ連れてこられたのか」
「うん」
「浅はか、だな」
馬鹿にした言い方。
侮蔑の色が、その美しい顔に浮かんだ。
「なんだと!」
「大人しく、従えばよかったのだ。弱くても、群れていればいかな雪妖と土地神とて、手出し出来まい。このように、人質などにはならなかったろうよ。戦は始まっていないのだ。恐らく、始まらない。このまましばらく睨みあい、巫女を見つけて、それでしまいだ」
雪妖は、力を誇示したいだけだ。
東北を治めるのは、なにも二人だけではないと。
巫女も、大事ではあろうが。所詮、雪の大龍との盟約の証。
問題は、どちらが先に巫女を見つけるか、か。
死んだ、ということはないだろう。
今の巫女は、かなりの力を持つと聞く。
「……そんなの、分かんねえよ」
「分かる」
東の鬼は、西の鬼と違って統率がとれていない。
西は、鬼ヶ城という、一つの空間に全ての鬼がいる。
東は、各地に散らばっていた。
「うっせえよ……あんたは、どうなんだ! あんたも鈴鹿御前様の命に背いたんだろうが!」
「ん……」
茨木が頭を掻いた。
偉そうな事を言っているが、この若い衆と自分も似たようなものか。
「そういえば、そうであったな」
すまん。
そういって、頭を下げた。
正体を明かすのは、面倒だ。
謝って済めばそれでいい。
済まなければ……
そんな気力も、無いか。
周りの鬼。
途方に暮れているだけだ。
気力があるのは今こうして茨木と話をしている若い鬼だけだった。
「……鈴鹿御前様のお考えも分かったし、いいや。駄目だな、俺。なんにも分かってねえや」
「名は?」
「土鬼。土に、鬼だ」
「そうか。悪くない名だ」
そういって、茨木童子はごろんと寝転がった。
氷鏡。
自分の顔が歪んで映った。
似つかわしい。そう、思った。
目を、瞑る。
土鬼が、茨木の肩を叩いた。
煩わしげにそれを払う。
ちえっ、っと舌打ちすると、土鬼はひんやり冷たい氷にもたれ掛かった。
ふと、やまめの顔が浮かんだ。
悪くない湯だった。
小屋は、よく片づけられていた。最近神経質な兄でも、文句をつけられないと思えるぐらいに。
そうやって、客を――自分を待っていたのだ。
独りで。
「忌み子か……」
「あん?」
土鬼が、茨木の言葉に耳を傾ける。
続きはない。
なんだよ、寝言か。
そう、土鬼がいった。
片目を、開ける。
また、閉じる。
辛かろうな。
俺には兄がいたが、あの女には、誰もいないのだ。
真っ赤な扇。
細い、腕。
顔を、覆う。
牛車から、姿を現す。
尾が、あった。
長い赤い髪と、獣の耳が扇に隠れきれずに。
女。
派手な柄の、幾層にも重ねられた衣装。
十二単、であった。
ふわふわと宙に浮いている。
太郎の鼻を、妖狼の匂いと、それをすぐに掻き消す強烈な甘い甘い匂いが殴りつけた。
あむ、っと息を止めた。耐えきれなかったのだ。
扇を、ぱたんと畳む。
少女――姫様と同じ年頃。
太郎には、そう、思えた。
目つきが鋭い。
気の強そうな顔立ちであった。
太郎を、じっと見ていた。
「やっと……会えましたね」
少女が、太郎を扇で指しながらころころと笑った。
「どちらさまでしょうか」
ずいっと一歩踏み出すと、姫様が。
能面のような笑み。
少女は、値踏みするように姫様をじろじろっと見た。
わざとらしく溜息を吐くと、
「人間風情が、話しかけないでほしいわ」
そう、いった。
高圧的であった。
ぴきっと、妖狼と烏天狗の額に青筋が。
姫様の色白の顔が蒼みを帯びた。
何かを、察したようだった。
白い息。
太郎と黒之助が、腰を落とした。
「まあ、いいですわ。西の妖狼族が族長の一人娘、火羅です。太郎様」
少女が、いった。
妖狼の勢いが殺される。その名は、つまり……
思考が、そこで停止した。
「これが……」
酒呑童子が、火羅をまじまじと見た。
噂には聞いていた。
実物を見るのは初めてであった。
「髪、切ってしまったのですね。勿体ない。前の髪型のほうが似合っていましたのに」
火羅は、太郎しか見えていないようだった。
姫様の顔が、もっともっと青白くなる。
太郎の髪をばっさり切ったのは、姫様、であった。
「こんなところでは寒いですし、中に入って温かいお茶でも飲みながら、今後のことについてお話しませんか。この、ぼろい屋敷でも、寒さを凌ぐことは出来るでしょうから」
少女は、一方的に言葉を紡いでいく。
帰れ。
そう、黒之助は叫びそうになった。
妖狼。
どうしていいかわからず、もじもじとするだけ。
「そうですね、立ち話もなんですし」
そう、姫様がいった。
烏天狗が、抗議をあげようとした。
姫様が、ちろっと見た。
……怖かった。
酒呑童子は、これは面白い見せ物が拝めそうだと内心うきうきしていた。
「どうぞお入り下さい」
「貴方、名前は?」
「彩花、です、火羅さん」
「ああ……貴方が、例の……ごめんなさい。人間風情なんて失礼な言葉を」
「いえいえ、気にしないで下さい」
言葉が空虚だ。
二人とも。
そう、黒之助は思った。
太郎は、固まっているだけで。
あむあむと口で息を吸いながら、姫様と火羅を見比べていた。
「という話だ」
牢屋。
氷柱が骨格となり、薄い凍鏡で覆われていた。
外の様子は、中からは窺えない。
牢には、十匹ばかしの鬼がいた。
茨木童子も、その中で。
正座していた。
誰かと向かい合い、話をしていた。
「なかなか面白い話だな」
「どこが面白いものか! こんな寒いところに連れてこられて、いい迷惑だ!」
茨木と話をしているのは、若い鬼だった。
周りの鬼に、そう呼びかける。
周りの鬼達が、そうだそうだと同意する。
人の姿に、鬼の角。
皆、若い。茨木と話している鬼が、最も若く見えた。
子供ではない。
さりとて、大人ではない。
「……お前達、鬼姫――鈴鹿御前の言いつけに従わなかったな?」
ふと、思い立った。
自分なら、そうする。
鬼姫はどうか知らないが、あの俊宗なら、間違いなくそうするはずだと。
「……あ、ああ」
声が、沈んだ。
「だってよぉ……俺がいっても、足手まといになるだけだし……」
賛同するうめき声があちこちに。
皆、若い。
そう思うのも、無理はないと思った。
やはり、ここにいるのは鬼姫の命に従わなかった者達。
近くに、濃い鬼の気配がある。
ほとんどの『東』の鬼は、そこに集っているのだろう。
「それで、鬼姫の命を無視し、雪妖に襲われここへ連れてこられたのか」
「うん」
「浅はか、だな」
馬鹿にした言い方。
侮蔑の色が、その美しい顔に浮かんだ。
「なんだと!」
「大人しく、従えばよかったのだ。弱くても、群れていればいかな雪妖と土地神とて、手出し出来まい。このように、人質などにはならなかったろうよ。戦は始まっていないのだ。恐らく、始まらない。このまましばらく睨みあい、巫女を見つけて、それでしまいだ」
雪妖は、力を誇示したいだけだ。
東北を治めるのは、なにも二人だけではないと。
巫女も、大事ではあろうが。所詮、雪の大龍との盟約の証。
問題は、どちらが先に巫女を見つけるか、か。
死んだ、ということはないだろう。
今の巫女は、かなりの力を持つと聞く。
「……そんなの、分かんねえよ」
「分かる」
東の鬼は、西の鬼と違って統率がとれていない。
西は、鬼ヶ城という、一つの空間に全ての鬼がいる。
東は、各地に散らばっていた。
「うっせえよ……あんたは、どうなんだ! あんたも鈴鹿御前様の命に背いたんだろうが!」
「ん……」
茨木が頭を掻いた。
偉そうな事を言っているが、この若い衆と自分も似たようなものか。
「そういえば、そうであったな」
すまん。
そういって、頭を下げた。
正体を明かすのは、面倒だ。
謝って済めばそれでいい。
済まなければ……
そんな気力も、無いか。
周りの鬼。
途方に暮れているだけだ。
気力があるのは今こうして茨木と話をしている若い鬼だけだった。
「……鈴鹿御前様のお考えも分かったし、いいや。駄目だな、俺。なんにも分かってねえや」
「名は?」
「土鬼。土に、鬼だ」
「そうか。悪くない名だ」
そういって、茨木童子はごろんと寝転がった。
氷鏡。
自分の顔が歪んで映った。
似つかわしい。そう、思った。
目を、瞑る。
土鬼が、茨木の肩を叩いた。
煩わしげにそれを払う。
ちえっ、っと舌打ちすると、土鬼はひんやり冷たい氷にもたれ掛かった。
ふと、やまめの顔が浮かんだ。
悪くない湯だった。
小屋は、よく片づけられていた。最近神経質な兄でも、文句をつけられないと思えるぐらいに。
そうやって、客を――自分を待っていたのだ。
独りで。
「忌み子か……」
「あん?」
土鬼が、茨木の言葉に耳を傾ける。
続きはない。
なんだよ、寝言か。
そう、土鬼がいった。
片目を、開ける。
また、閉じる。
辛かろうな。
俺には兄がいたが、あの女には、誰もいないのだ。
真っ赤な扇。
細い、腕。
顔を、覆う。
牛車から、姿を現す。
尾が、あった。
長い赤い髪と、獣の耳が扇に隠れきれずに。
女。
派手な柄の、幾層にも重ねられた衣装。
十二単、であった。
ふわふわと宙に浮いている。
太郎の鼻を、妖狼の匂いと、それをすぐに掻き消す強烈な甘い甘い匂いが殴りつけた。
あむ、っと息を止めた。耐えきれなかったのだ。
扇を、ぱたんと畳む。
少女――姫様と同じ年頃。
太郎には、そう、思えた。
目つきが鋭い。
気の強そうな顔立ちであった。
太郎を、じっと見ていた。
「やっと……会えましたね」
少女が、太郎を扇で指しながらころころと笑った。
「どちらさまでしょうか」
ずいっと一歩踏み出すと、姫様が。
能面のような笑み。
少女は、値踏みするように姫様をじろじろっと見た。
わざとらしく溜息を吐くと、
「人間風情が、話しかけないでほしいわ」
そう、いった。
高圧的であった。
ぴきっと、妖狼と烏天狗の額に青筋が。
姫様の色白の顔が蒼みを帯びた。
何かを、察したようだった。
白い息。
太郎と黒之助が、腰を落とした。
「まあ、いいですわ。西の妖狼族が族長の一人娘、火羅です。太郎様」
少女が、いった。
妖狼の勢いが殺される。その名は、つまり……
思考が、そこで停止した。
「これが……」
酒呑童子が、火羅をまじまじと見た。
噂には聞いていた。
実物を見るのは初めてであった。
「髪、切ってしまったのですね。勿体ない。前の髪型のほうが似合っていましたのに」
火羅は、太郎しか見えていないようだった。
姫様の顔が、もっともっと青白くなる。
太郎の髪をばっさり切ったのは、姫様、であった。
「こんなところでは寒いですし、中に入って温かいお茶でも飲みながら、今後のことについてお話しませんか。この、ぼろい屋敷でも、寒さを凌ぐことは出来るでしょうから」
少女は、一方的に言葉を紡いでいく。
帰れ。
そう、黒之助は叫びそうになった。
妖狼。
どうしていいかわからず、もじもじとするだけ。
「そうですね、立ち話もなんですし」
そう、姫様がいった。
烏天狗が、抗議をあげようとした。
姫様が、ちろっと見た。
……怖かった。
酒呑童子は、これは面白い見せ物が拝めそうだと内心うきうきしていた。
「どうぞお入り下さい」
「貴方、名前は?」
「彩花、です、火羅さん」
「ああ……貴方が、例の……ごめんなさい。人間風情なんて失礼な言葉を」
「いえいえ、気にしないで下さい」
言葉が空虚だ。
二人とも。
そう、黒之助は思った。
太郎は、固まっているだけで。
あむあむと口で息を吸いながら、姫様と火羅を見比べていた。