あやかし姫~百華燎乱(12)~
「……」
「今日は、よいお天気ですね」
「午後からは少し崩れるようですよ」
「彩花さんにそれがわかるのですか?」
「風が、湿り気を帯びましたので」
「へえ……」
火羅が、言う。
姫様が、返す。
咲夜や葉子も、時折混じる。
鬼の王は、高見の見物。
他愛のない話。
太郎は、憂鬱そうにその光景を眺めていた。
なんだこれ、と。
これは……どうすりゃいいんだろう。
夢?
昨日、見合いはしないといったのに。
なにこれ?
太郎が、茶に目を落とした。
黒い瞳が揺らめきながら映った。
……一体どうすりゃいいんだ?
「太郎さん、太郎さん」
「ん……姫様……」
話しかけられた。
意識を、戻す。
「尋ねたい事があるそうですよ」
「俺?」
十の瞳。
形は様々。
赤みがかった黒。
茶色混じりの黒。
淡い淡い黒。
灰色がかった黒。
黒い、黒。
太郎に向けられていた。
「太郎様、お身体の具合、どうですか?」
火羅がいった。
「はい?」
躰。
昨晩。
あの蜘蛛には指一本触れさせなかった。
「妖猿に深い傷を負わされたと聞きました……今も、痛みがあるのではないかと」
少し、火羅が俯いた。
自分の腹を触る。
傷口。もう、分からない。
「傷は……癒えた」
「そうですか! 本当に、本当によかったですわ」
弾かれたように、笑顔を上げた。
太郎は、戸惑った。
どうして、そんなに嬉しそうなのかと。
「癒えはしたけど……どうして、あんた……火羅さんが、そんなことを言う?」
よく、分からなかった。
姫様や頭領や咲夜が喜ぶならわかる。
黒之助や葉子や朱桜ちゃんや沙羅でもいい。
どうして、喜ぶ?
見合いの相手だろ?
まだ、赤の他人だ。
「それは、太郎様」
声の調子が、変わった。
一段、低くなる。
「は、はい」
太郎が返事を。
相変わらずもじもじと。
絶えず、目が泳いでいた。
言葉を、選んでいた。
咲夜は、こんなのあに様じゃないと思った。
あに様は、孤高で、力強くて、それでいて優しくて……あう。
今日のあに様、幻滅です。
姫様は無表情にお茶をすすっていた。
聞いているのだろうか、聞いていないのだろうか。
多分、聞いてる。
葉子も、お茶を飲もうと手を伸ばした。
……飲めたものでは、なかった。
口。近づけただけでわかる。
高温あつあつ。
湯気の量がいつもと違う。
姫様……よく飲めるなぁと感心した。
さてと、太郎の奴はと。
まずいなぁ……
太郎、人と触れあった経験そんなに多くないから……
忌み子、だから。
どうなるんだろう?
本人がここに来るとは考えもしなかった。
西の妖狼、火羅。
その名を耳にした時点で、予想すべきだった。
しても、どうしようもなかったろうけど。
「太郎様、だからですわ」
「俺、だから?」
やっぱり、よく分からなかった。
「太郎様は、私の事がお嫌いですか?」
「は?」
酒呑童子が、少し腰を浮かした。
やっと面白くなってきたと、にやっと笑う。
「お嫌いですか?」
「いや……」
質問が飛躍していると思った。
「では、お好きですか?」
一気に畳み掛ける。
太郎、押されっぱなし。
姫様の目が、大きく大きく開けられていた。
「それは……あんたの事、知らねぇし……」
「そうですか……私は、知っています……太郎様、私の事、覚えていませんか?」
「覚え……はぁ!?」
「お知り合いなのですか?」
姫様がいった。
ええと、火羅が。
くすくすと、扇で口元を隠しながら。
「そんなの、知らない……」
姫様が、呟いた。昨日、言われてない。
葉子も、知らなかった。
……当の本人。
太郎も、首を傾げてうんうん唸っている。
思い出そうとした。
しかし、出てこない。
覚えがなかった。
妖狼の顔。
ほとんど霞んでいる。
頭に浮かんだ顔は、五つ。
自分はちげえと、一つ打ち消した。
「……」
「ずっと、想っておりましたわ。何度、幾度、もう一度お会いできる日を夢見た事か……」
かた。
姫様が、音をたてて器を置いた。
お茶。
ほとんど、減っていない。
姫様の手は、その横に置かれたまま。
「……あに様」
咲夜が、太郎を見やった。
「だって、俺に、そんな」
おふくろ。
叔父。
咲夜。
親父……
それで、尽きた。
脳裏に浮かんだ顔々に、目の前の人物の顔は――なかった。
「……あんた、一体」
「火羅です。太郎様は、呼び捨てでいいですよ」
「俺は、火羅さんのことを――悪いが、知らない。初対面だとばかり」
「嘘」
「いや、嘘じゃなくて」
そう、やっぱり。
火羅が、そう、いった。
予想通り。
そう、火羅の顔には書いていた。
「ええ、そうですわね。太郎様が覚えていないのも、無理はないです。子供のとき、一度だけお会いしただけですから」
「つまんなーい!」
「そういわれましても……」
妖達が、狭し狭しと蠢いている。
中心に、ぽっかり空間。
二人、座って話をしている。
幼子が怒り、男がそれをなだめていた。
朱桜、黒之助。
そして、古寺の全妖達。
「どうして、私はここにいるですか! 私も彩花さまのお側にいたいのです! 父様だけずるいのです!」
「はあ……そうだ、絵巻物でも読んで」
朱桜が、黒之助の手にあるそれに少し興味を示した。
そして、
「それはもう、読んでもらったです!」
大きな声で、そう、いった。
「……じゃあ……えっと……」
「うぅ、それにここは狭いのです! みんな集まりすぎなのです!」
「おいら達も、急に集められたし……」
「文句は、姫様に言うべきだよ」
「んだんだ」
「あ、これあのときと似てない?」
「姫様、なに話してるのかな?」
「んぐ、屁をこくな屁を」
「沙羅ちゃん、いればなー」
「あの河童、冬眠だろ」
妖達が口々に。
妖達が一斉に喋りだすと、五月蠅い事この上ない。
狭い部屋に、五十ばかし。
それに、音が次々に響き合うのだ。
まるで、部屋を出る事を拒むように。
「うるさいのです」
朱桜が小さな声を、黒之助の耳元に。
耳元では小さくと、鬼の王に習ったのだ。
もう一度と、指一本。
少し、大きな声で。
もう一度、指二本。
もっと、大きな声で。
……
唇の動きを読んで朱桜の言いたい事を理解すると、黒之助が立ち上がった。
羽を、広げる。
傷付いた羽。
白く、巻かれた羽。
痛々しい、羽。
妖達が、話すのを辞めた。
音は響きあい、そして消えた。
「結界も考え物ですな」
妖達、びく!
「結界?」
妖達、びくっ!
「ええ、音が漏れないように、ここに滲まないようにと、姫様が結界を」
「へー」
彩花さま、そんなことも出来るんですねー。
そう、言おうと思った。
言えなかった。
結界。
その言葉に妖達が怯えた。
妖達、壁から離れる。
中心の空きが無くなって。
密集、
密集、
押しくらまんじゅう。
ぎっちりぎっちり、詰まってしまった。
朱桜、身動きがとれない。
目を、くるくると回す。
そして――甲高い悲鳴が響いた。
「今日は、よいお天気ですね」
「午後からは少し崩れるようですよ」
「彩花さんにそれがわかるのですか?」
「風が、湿り気を帯びましたので」
「へえ……」
火羅が、言う。
姫様が、返す。
咲夜や葉子も、時折混じる。
鬼の王は、高見の見物。
他愛のない話。
太郎は、憂鬱そうにその光景を眺めていた。
なんだこれ、と。
これは……どうすりゃいいんだろう。
夢?
昨日、見合いはしないといったのに。
なにこれ?
太郎が、茶に目を落とした。
黒い瞳が揺らめきながら映った。
……一体どうすりゃいいんだ?
「太郎さん、太郎さん」
「ん……姫様……」
話しかけられた。
意識を、戻す。
「尋ねたい事があるそうですよ」
「俺?」
十の瞳。
形は様々。
赤みがかった黒。
茶色混じりの黒。
淡い淡い黒。
灰色がかった黒。
黒い、黒。
太郎に向けられていた。
「太郎様、お身体の具合、どうですか?」
火羅がいった。
「はい?」
躰。
昨晩。
あの蜘蛛には指一本触れさせなかった。
「妖猿に深い傷を負わされたと聞きました……今も、痛みがあるのではないかと」
少し、火羅が俯いた。
自分の腹を触る。
傷口。もう、分からない。
「傷は……癒えた」
「そうですか! 本当に、本当によかったですわ」
弾かれたように、笑顔を上げた。
太郎は、戸惑った。
どうして、そんなに嬉しそうなのかと。
「癒えはしたけど……どうして、あんた……火羅さんが、そんなことを言う?」
よく、分からなかった。
姫様や頭領や咲夜が喜ぶならわかる。
黒之助や葉子や朱桜ちゃんや沙羅でもいい。
どうして、喜ぶ?
見合いの相手だろ?
まだ、赤の他人だ。
「それは、太郎様」
声の調子が、変わった。
一段、低くなる。
「は、はい」
太郎が返事を。
相変わらずもじもじと。
絶えず、目が泳いでいた。
言葉を、選んでいた。
咲夜は、こんなのあに様じゃないと思った。
あに様は、孤高で、力強くて、それでいて優しくて……あう。
今日のあに様、幻滅です。
姫様は無表情にお茶をすすっていた。
聞いているのだろうか、聞いていないのだろうか。
多分、聞いてる。
葉子も、お茶を飲もうと手を伸ばした。
……飲めたものでは、なかった。
口。近づけただけでわかる。
高温あつあつ。
湯気の量がいつもと違う。
姫様……よく飲めるなぁと感心した。
さてと、太郎の奴はと。
まずいなぁ……
太郎、人と触れあった経験そんなに多くないから……
忌み子、だから。
どうなるんだろう?
本人がここに来るとは考えもしなかった。
西の妖狼、火羅。
その名を耳にした時点で、予想すべきだった。
しても、どうしようもなかったろうけど。
「太郎様、だからですわ」
「俺、だから?」
やっぱり、よく分からなかった。
「太郎様は、私の事がお嫌いですか?」
「は?」
酒呑童子が、少し腰を浮かした。
やっと面白くなってきたと、にやっと笑う。
「お嫌いですか?」
「いや……」
質問が飛躍していると思った。
「では、お好きですか?」
一気に畳み掛ける。
太郎、押されっぱなし。
姫様の目が、大きく大きく開けられていた。
「それは……あんたの事、知らねぇし……」
「そうですか……私は、知っています……太郎様、私の事、覚えていませんか?」
「覚え……はぁ!?」
「お知り合いなのですか?」
姫様がいった。
ええと、火羅が。
くすくすと、扇で口元を隠しながら。
「そんなの、知らない……」
姫様が、呟いた。昨日、言われてない。
葉子も、知らなかった。
……当の本人。
太郎も、首を傾げてうんうん唸っている。
思い出そうとした。
しかし、出てこない。
覚えがなかった。
妖狼の顔。
ほとんど霞んでいる。
頭に浮かんだ顔は、五つ。
自分はちげえと、一つ打ち消した。
「……」
「ずっと、想っておりましたわ。何度、幾度、もう一度お会いできる日を夢見た事か……」
かた。
姫様が、音をたてて器を置いた。
お茶。
ほとんど、減っていない。
姫様の手は、その横に置かれたまま。
「……あに様」
咲夜が、太郎を見やった。
「だって、俺に、そんな」
おふくろ。
叔父。
咲夜。
親父……
それで、尽きた。
脳裏に浮かんだ顔々に、目の前の人物の顔は――なかった。
「……あんた、一体」
「火羅です。太郎様は、呼び捨てでいいですよ」
「俺は、火羅さんのことを――悪いが、知らない。初対面だとばかり」
「嘘」
「いや、嘘じゃなくて」
そう、やっぱり。
火羅が、そう、いった。
予想通り。
そう、火羅の顔には書いていた。
「ええ、そうですわね。太郎様が覚えていないのも、無理はないです。子供のとき、一度だけお会いしただけですから」
「つまんなーい!」
「そういわれましても……」
妖達が、狭し狭しと蠢いている。
中心に、ぽっかり空間。
二人、座って話をしている。
幼子が怒り、男がそれをなだめていた。
朱桜、黒之助。
そして、古寺の全妖達。
「どうして、私はここにいるですか! 私も彩花さまのお側にいたいのです! 父様だけずるいのです!」
「はあ……そうだ、絵巻物でも読んで」
朱桜が、黒之助の手にあるそれに少し興味を示した。
そして、
「それはもう、読んでもらったです!」
大きな声で、そう、いった。
「……じゃあ……えっと……」
「うぅ、それにここは狭いのです! みんな集まりすぎなのです!」
「おいら達も、急に集められたし……」
「文句は、姫様に言うべきだよ」
「んだんだ」
「あ、これあのときと似てない?」
「姫様、なに話してるのかな?」
「んぐ、屁をこくな屁を」
「沙羅ちゃん、いればなー」
「あの河童、冬眠だろ」
妖達が口々に。
妖達が一斉に喋りだすと、五月蠅い事この上ない。
狭い部屋に、五十ばかし。
それに、音が次々に響き合うのだ。
まるで、部屋を出る事を拒むように。
「うるさいのです」
朱桜が小さな声を、黒之助の耳元に。
耳元では小さくと、鬼の王に習ったのだ。
もう一度と、指一本。
少し、大きな声で。
もう一度、指二本。
もっと、大きな声で。
……
唇の動きを読んで朱桜の言いたい事を理解すると、黒之助が立ち上がった。
羽を、広げる。
傷付いた羽。
白く、巻かれた羽。
痛々しい、羽。
妖達が、話すのを辞めた。
音は響きあい、そして消えた。
「結界も考え物ですな」
妖達、びく!
「結界?」
妖達、びくっ!
「ええ、音が漏れないように、ここに滲まないようにと、姫様が結界を」
「へー」
彩花さま、そんなことも出来るんですねー。
そう、言おうと思った。
言えなかった。
結界。
その言葉に妖達が怯えた。
妖達、壁から離れる。
中心の空きが無くなって。
密集、
密集、
押しくらまんじゅう。
ぎっちりぎっちり、詰まってしまった。
朱桜、身動きがとれない。
目を、くるくると回す。
そして――甲高い悲鳴が響いた。