あやかし姫~百華燎乱(13)~
怪鳥の声。
ばらばらっと、団子状の妖達がほぐれていく。
朱桜、ぐるんぐるん回っている頭をとんとん叩くと、悲鳴の元にとことこ近づいた。
黒之助だった。
歯を、食いしばっている。
「痛いの?」
そう、尋ねた。
「いえ……これしきの傷……」
「痛そうなのです……」
「少し、ほんの少しですよ。押さえたりすると、少し、痛みます。直ぐに引きますから」
今日、この羽を握った。
あのときも、痛そうだった。
悪い事……本当に悪い事をしてしまった。
どうしよう……そうだ。
朱桜が、黒之助の背中に回った。
黙って、身じろぎ一つせず、妖達は朱桜が黒之助にすることを見ていた。
小さな手を羽に乗せる。
右手、右羽。左手、左羽。
「痛い……」
朱桜がいった。
羽に違和感を感じた。
温もり。
徐々に、広がっていく。
痛みが、少し和らいだ気がした。
「これは……引いていく?」
「どうですか?」
とこととこと、また黒之助の前に座ると、朱桜がいった。
「痛みが、和らいだ気がします」
「よかったのです!」
妖達、目をぱちくり。
壁にぎりぎり触れないように、今度は小声で話し始めた。
賞賛、感嘆。
思わず声が大きくなると、隣の誰かがお静かにーっと。
「すごいですね」
黒之助が、正直に。
「えっへん! 叔父上の傷も、こうやって触るです。そうしたら、叔父上、喜んでくれます。それが、とってもとっても嬉しいのです」
はにかむように、笑った。
「黒之助さんも、嬉しいですか?」
「ええ、嬉しいです」
黒之助も、笑った。
「これ、秘密なのですよ。人前で使っちゃ駄目なのです」
胸を張って言う。
妖達、首を、首と思しき思い思いの場所を、捻ってみる。
どうして? っと。
「それは、どうして?」
我慢できなかったのだろう。
するすると化け傘――古い古い、絹傘で――が降りてきて、そう、いった。
「よくわからないですけど……鬼は使っちゃ駄目だそうです。父様が言ってました」
鬼は、壊す。
古い書物の、言葉。
癒しは、しない。
心の奥底から、蘇った。
鬼は、この手の術を、使えない筈だと。
でも、目の前の鬼の娘は、使った。
「黒之助さん……怖いです」
「あ、いや……失礼をば」
「父様も、そんな顔してたです。叔父上の傷に触れて、今みたいな事をしたとき」
「なにか、やり方があるのですか?」
「えっとですねー。触って、祈るです。そうしたら、ちょっぴり傷が癒えます」
こうこうと、両手を伸ばして、治れー治れー。
「このことを、知っている方は?」
「発見したのは最近なのです。角が生えてからです、確か。まだ、父様と叔父上しか知らないですよ」
「ふーむ……」
これは、いけない事を知ってしまったんではないだろうか。
「姫様も、知らないですよ」
「おお、早速知らせねば!」
「おお、そういえばそうなのです!」
「駄目だ」
「はう?」
「姫様にも、言わないほうがよろしいかと。酒呑童子様に、秘密にせよと言われたのでしょう?」
「……そうだったです……」
「「「えー」」」
「はいはい、静かに」
「じゃあ、父様にお願いするです。許可、もらうです」
「それが、よろしいかと」
恐らく、願いは叶わないだろうが。
例え、あの溺愛っぷりでも。
「お前達、他言無用だ。いいな」
「……」
妖、無言。
皆、自信がない。
「朱桜ちゃん、耳を塞いで下され」
大人しく、黒之助の言うとおりにした。
「こうですかー」
「はい……我が言葉をもって、戒めとなす」
「あ」
「げ」
「嘘!?」
「禁ぜよ」
そう、いった。
「もう、いいですよ」
「なんですか、今の?」
「おまじないです、なあ? 阿呆共」
ひーっと、妖達が震え上がった。
「餓鬼のとき?」
「ええ。覚えておられませんか? 南の長が亡くなったときのことを」
「南……ああ……」
子供のとき、里を出た。
叔父とお袋と……親父に連れられて。
確か、南だ。
よく覚えていない。
多分、いつもと変わらなかったのだろう。
好奇と、嫌悪と、恐れ。
この、三つ。
「私も、その場にいたのです。太郎様と、そのとき一緒にいたんです」
「……」
覚えが、なかった。
湯飲みに、目を落とした。
茶。
水。
水面。
「二人は、一緒に池を覗いていました。飽きもせず、ずっとずっと、池に映る二人の姿を。子供の頃の、私の大事な思い出です。太郎様にとっては、些細なことかもしれません。でも、私にとっては大きなことでした。族長の娘として育てられてきた私に、太郎様は、なんの遠慮もしませんでした。ただの一人の妖狼として……扱ってくれたのです。あの光景を、忘れられなかったのです。あのときから、」
キキタクナイ。
「ずっと太郎様のことを」
キキタクナイ。
「想い続けてきたのです」
ききたく……ない……
「二百年、ずっと想い続けてきました」
聞きたく、ないよ。
「あつっ!」
「姫様!」
茶が、零れた。
畳に、染み込んでいく。
火羅は、冷ややかに、手の甲を押さえる姫様を見やった。
葉子が、慌てふためき姫様に。
太郎も、すぐに姫様のもとへ。
表情が、見えなかった。
長い髪が、邪魔をした。
「姫様、火傷火傷!!!」
「大丈夫か!」
「……大丈夫です……」
「本当に!? 太郎ちゃん、薬、薬!」
「お、おう!」
「大丈夫です!」
姫様が、大きな声をだした。
「……ごめんなさい、つい大きな声を出してしまって……少し、冷やしてきます」
「じゃあ、あたいが一緒に」
「いいです」
拒否、した。
「でも……」
葉子が、尚も食い下がった。
「畳、拭いておいて下さい。私は、一人でいいです」
そう言うと、姫様が部屋を、出ていく。
姫様の表情。
最後まで、伺えなかった。
葉子と太郎は、姫様の後を追えなかった。
五人になった。
部屋は、寒々としていた。
火桶の炭の火が、消えていた。
珍しいと、小さな狐火を火桶の中へ。
「……面白くない」
鬼の王が、そう、呟いた。
ばらばらっと、団子状の妖達がほぐれていく。
朱桜、ぐるんぐるん回っている頭をとんとん叩くと、悲鳴の元にとことこ近づいた。
黒之助だった。
歯を、食いしばっている。
「痛いの?」
そう、尋ねた。
「いえ……これしきの傷……」
「痛そうなのです……」
「少し、ほんの少しですよ。押さえたりすると、少し、痛みます。直ぐに引きますから」
今日、この羽を握った。
あのときも、痛そうだった。
悪い事……本当に悪い事をしてしまった。
どうしよう……そうだ。
朱桜が、黒之助の背中に回った。
黙って、身じろぎ一つせず、妖達は朱桜が黒之助にすることを見ていた。
小さな手を羽に乗せる。
右手、右羽。左手、左羽。
「痛い……」
朱桜がいった。
羽に違和感を感じた。
温もり。
徐々に、広がっていく。
痛みが、少し和らいだ気がした。
「これは……引いていく?」
「どうですか?」
とこととこと、また黒之助の前に座ると、朱桜がいった。
「痛みが、和らいだ気がします」
「よかったのです!」
妖達、目をぱちくり。
壁にぎりぎり触れないように、今度は小声で話し始めた。
賞賛、感嘆。
思わず声が大きくなると、隣の誰かがお静かにーっと。
「すごいですね」
黒之助が、正直に。
「えっへん! 叔父上の傷も、こうやって触るです。そうしたら、叔父上、喜んでくれます。それが、とってもとっても嬉しいのです」
はにかむように、笑った。
「黒之助さんも、嬉しいですか?」
「ええ、嬉しいです」
黒之助も、笑った。
「これ、秘密なのですよ。人前で使っちゃ駄目なのです」
胸を張って言う。
妖達、首を、首と思しき思い思いの場所を、捻ってみる。
どうして? っと。
「それは、どうして?」
我慢できなかったのだろう。
するすると化け傘――古い古い、絹傘で――が降りてきて、そう、いった。
「よくわからないですけど……鬼は使っちゃ駄目だそうです。父様が言ってました」
鬼は、壊す。
古い書物の、言葉。
癒しは、しない。
心の奥底から、蘇った。
鬼は、この手の術を、使えない筈だと。
でも、目の前の鬼の娘は、使った。
「黒之助さん……怖いです」
「あ、いや……失礼をば」
「父様も、そんな顔してたです。叔父上の傷に触れて、今みたいな事をしたとき」
「なにか、やり方があるのですか?」
「えっとですねー。触って、祈るです。そうしたら、ちょっぴり傷が癒えます」
こうこうと、両手を伸ばして、治れー治れー。
「このことを、知っている方は?」
「発見したのは最近なのです。角が生えてからです、確か。まだ、父様と叔父上しか知らないですよ」
「ふーむ……」
これは、いけない事を知ってしまったんではないだろうか。
「姫様も、知らないですよ」
「おお、早速知らせねば!」
「おお、そういえばそうなのです!」
「駄目だ」
「はう?」
「姫様にも、言わないほうがよろしいかと。酒呑童子様に、秘密にせよと言われたのでしょう?」
「……そうだったです……」
「「「えー」」」
「はいはい、静かに」
「じゃあ、父様にお願いするです。許可、もらうです」
「それが、よろしいかと」
恐らく、願いは叶わないだろうが。
例え、あの溺愛っぷりでも。
「お前達、他言無用だ。いいな」
「……」
妖、無言。
皆、自信がない。
「朱桜ちゃん、耳を塞いで下され」
大人しく、黒之助の言うとおりにした。
「こうですかー」
「はい……我が言葉をもって、戒めとなす」
「あ」
「げ」
「嘘!?」
「禁ぜよ」
そう、いった。
「もう、いいですよ」
「なんですか、今の?」
「おまじないです、なあ? 阿呆共」
ひーっと、妖達が震え上がった。
「餓鬼のとき?」
「ええ。覚えておられませんか? 南の長が亡くなったときのことを」
「南……ああ……」
子供のとき、里を出た。
叔父とお袋と……親父に連れられて。
確か、南だ。
よく覚えていない。
多分、いつもと変わらなかったのだろう。
好奇と、嫌悪と、恐れ。
この、三つ。
「私も、その場にいたのです。太郎様と、そのとき一緒にいたんです」
「……」
覚えが、なかった。
湯飲みに、目を落とした。
茶。
水。
水面。
「二人は、一緒に池を覗いていました。飽きもせず、ずっとずっと、池に映る二人の姿を。子供の頃の、私の大事な思い出です。太郎様にとっては、些細なことかもしれません。でも、私にとっては大きなことでした。族長の娘として育てられてきた私に、太郎様は、なんの遠慮もしませんでした。ただの一人の妖狼として……扱ってくれたのです。あの光景を、忘れられなかったのです。あのときから、」
キキタクナイ。
「ずっと太郎様のことを」
キキタクナイ。
「想い続けてきたのです」
ききたく……ない……
「二百年、ずっと想い続けてきました」
聞きたく、ないよ。
「あつっ!」
「姫様!」
茶が、零れた。
畳に、染み込んでいく。
火羅は、冷ややかに、手の甲を押さえる姫様を見やった。
葉子が、慌てふためき姫様に。
太郎も、すぐに姫様のもとへ。
表情が、見えなかった。
長い髪が、邪魔をした。
「姫様、火傷火傷!!!」
「大丈夫か!」
「……大丈夫です……」
「本当に!? 太郎ちゃん、薬、薬!」
「お、おう!」
「大丈夫です!」
姫様が、大きな声をだした。
「……ごめんなさい、つい大きな声を出してしまって……少し、冷やしてきます」
「じゃあ、あたいが一緒に」
「いいです」
拒否、した。
「でも……」
葉子が、尚も食い下がった。
「畳、拭いておいて下さい。私は、一人でいいです」
そう言うと、姫様が部屋を、出ていく。
姫様の表情。
最後まで、伺えなかった。
葉子と太郎は、姫様の後を追えなかった。
五人になった。
部屋は、寒々としていた。
火桶の炭の火が、消えていた。
珍しいと、小さな狐火を火桶の中へ。
「……面白くない」
鬼の王が、そう、呟いた。