あやかし姫~百華燎乱(11)~
「気は済んだかの」
「八霊……」
西の鬼姫、大妖鈴鹿御前。
忙しなく息を吐いていた。
怖々と、配下の鬼共が遠巻きに。
藤原俊宗。
頭領。
そして……
鈴鹿御前の義兄、大獄丸。
ぶつんと地面に叩きつけられている。
方々に、人型の痕。
鈴鹿御前が、ここで『憂さ』を晴らしていたのだ。
「俊宗がここに来たって事は、何か動きがあったの?」
黙って俊宗は頷ずいた。
鬼姫。
自分の躰をあちこち触ると、あたふた色々整え始めて。
髪を、掻き上げる。
衣を、整える。
刀を、挿し直す。
いててと、大獄丸が起きあがった。
「……ご免ね、義兄上」
「いいよー」
こともなげに答える。
いいのかと、頭領は思った。
遠くから眺めていたが、何度か死んでいたような気がする。
「雪妖が、会談を申し込んできた」
「会談!!!?」
鈴鹿御前の表情がみるみる曇る。
遠巻きの鬼の輪。
少しずつ縮まっていたが、これで一気に広がった。
「土蜘蛛の翁のおかげでしょう。これで、時間を少し稼げます」
「エー」
「そんなに嫌そうな顔をするなよ」
大獄丸がいった。
その言葉が癪に障ったのだろう。
鈴鹿御前が蹴りを放つ。
指先一つで、その蹴りをとんと軽く受け止めた。
軽くに、見えた。
それだけで、辺りを衝撃波が襲った。
砂の波。
遠くの鬼達が次々にひっくり返る。
砂埃が目に入らぬよう、俊宗と頭領は顔を覆った。
「もうそろそろ、やめにしようや」
「……はーい」
脚をおろす。
人前ではしたない。
そう、俊宗がいった。
「はいはーい。それで。あのむかつく奴の顔を見るのはいつ!?」
「もうそろそろだと思いますが」
「ん、来たようじゃな」
どよめき。
一体の土地神が、こちら側に向かって水面を滑ってくるのが見えた。
「もう! なにそれ。私にも心の準備ってもんがねぇ」
くるくると、指先に自分の髪を絡ませると、ぽんと、煙が起こった。
鈴鹿御前の衣が、変わる。
どう、これ。似合ってる?
そう、鬼姫は俊宗に訊いた。
「はいはい」
鬼姫の髪についた土埃を、俊宗が払う。
鈴鹿は、嬉しそうにされるがままに。
「本当? 本当だよね?」
「鈴鹿に、よく似合ってるよ」
「よかったー。でもね、でもね、こういうのもあるんだ」
くるりと一回転すると、また、姿を変える。
「緊張感がないのー」
「……うざってえ」
大獄丸が、いった。
頭領が向き直る。
二人には聞こえていないようで。
「いちいち、茶番につき合うのもめんどくせぇよ。四人で皆殺しにすりゃあ、いいじゃねえかよ」
「三人じゃろうが。……それに、雪妖はいいが、土地神を殺すと後々上の連中が面倒ぞ」
「……あんたの言葉とは、思えないな」
「儂じゃから、じゃよ。第一、鈴鹿御前が」
そこまで言ったとき、鬼姫が、跳んだ。
くるっと横に回転すると、大獄丸の額に、振り向きざまのでこぴんを撃ち込んだ。
ぴょーんと大獄丸が後ろに飛ばされた。
「……お見事」
「義兄上は、荒っぽ過ぎるんだよ! もう、そういうのは無しって、決めたじゃないの!」
あのとき……
あのときに……
鈴鹿の表情が、明らかに暗くなった。
空気が、湿る。
大獄丸が、しきりに土下座していた。
俊宗が、鬼姫を後ろから抱き締めた。
「ん……ごめん……」
「うん」
やってられんと、頭領がそっぽを向いた。
「こんなにも……」
木々に隠れて、様子を窺う。
見た事もない数の、雪妖。
見た事もない数の、土地神。
青白い篝火が、無数に焚かれている。
対岸の鬼。
これも、無数に思えた。
両者が、ぶつかる。
考えただけで、身震いした。
どれだけの死屍が出るか、想像もつかなかった。
この中に、あの鬼がいる。
目星は、つけた。
氷造りの牢が一つある。
多分、そこだと。
「……助けられる?」
巨大な包丁を、ぎゅっと握る。
これだけが頼り。
戦ったことなど、ない。
独枯山の山姥――やまめ、であった。
瞳の色が変わる。
両の紅眼が、金銀妖瞳に。
鳥肌が、立ちっぱなしだった。
「……無理、だよ……」
へなへなと、腰を落とす。
でも、あの鬼は……
一生懸命、一生懸命、準備した。
掃除をして、料理を作って。
本当に、来るのだろうかと。
本当に、来るのだと。
でも、やっぱり本当は来ないのかもしれないと。
日を数えて。指折り、数えて。
約束の日、馬のいななき。
鈴鹿様は、いつも牛鬼という妖でここに来る。
だから、本当に……
すぐに、小屋を出た。
鬼。
……見た事のない、鬼。
綺麗な、鬼。
「い、いら……」
ぎこちない、笑み。
自覚できた。
声が、詰まった。
「世話になる」
鬼は、そう、頭を下げた。
優雅であった。
鈴鹿様とは、また、違う。
氷のような、美しさだった。
「ん……お前」
鬼が、自分の顔をじっと見やった。
一挙一足に見惚れ過ぎた。
瞳の色が戻っている事に気がつかなかった。
灼眼が、金銀妖瞳に変じていた。
それは、忌み子の証。
彼女が、ここに一人で暮らす理由。
妖は、その色の瞳を酷く嫌う。
でも、その鬼は気にするでもなく、
「……建物の中に入りたいのだが」
そう、いった。
「……はい!」
他人。
昨日、会ったばかり。言葉を少し交わした、ただ、それだけ。
それでも……
「いきます」
自分を嫌わなかった妖。
自分から話しかけてくれた妖。
斜面を、駆け下りる。
無我夢中で突っ込み、包丁を振るった。
「お茶、です」
姫様が、茶をそっと差し出す。
咲夜と太郎が並んで座り、その向かい側に、火羅の席が。
酒呑童子は庭側に座り、姫様と葉子は並んで廊下側に陣取った。
広い居間。
机も、片した。
六人だと、本当に広く感じられた。
朱桜と黒之助は、妖達と一緒に別の部屋に押し込められていた。
「ありがとうございます」
茶。
舌先を、ちょこっと浸ける。
ぬるい。
それを、呑む。
鬼と、二人の女の茶は、湯気を立てている。
太郎と咲夜の茶は、湯気を立てていない。
妖狼は、大抵猫舌だった。
よく、分かっている。
そう、火羅は思った。
多分、あっちの幼いのは、太郎様の妹だろう。
こっちの二人は……知らない。
火羅は、しげしげと二人の姿を観察した。
片方は、狐。
化け狐、だろうか。
太郎よりも、自分よりも、随分と年上。
顔は、悪くない。
女らしい体付きをしていた。
でも、品がないように思えた。
衣装が、なんとなく芋っぽいし。
九尾とは、違うだろう。金の一族、銀の一族という可能性は、論外。
そのへんの山の、歳経た狐か。
もう一人。
人間、だと思う。
美しい娘だった。
品がある。
自分に、負けないくらいに。
化粧をしていない。
肌が、透き通るように白かった。
長い黒髪と、対照的。
これはと、思った。
姫様。
そう呼ばれていた。それが火羅にも納得できた。
体付きには幼さが残っている。
それは、自分が勝っているはず。
太郎様とその他の妖が人を育てていると聞いた。
これが、そうか。
なるほど。
「すみません、太郎様。急に押しかけてしまって。でも、是非とも直接お話がしたくて」
「それは、わざわざご苦労な事ですね」
姫様が、いった。
静かに、静かに。
こいつ……
火羅の真っ赤な髪が、少し揺れた。
どうも、私の事が気にくわないらしい。
初めて会ったときに、そう、思った。
だから、人間風情などと『つい』言ってしまった。
この娘が、一番の障害、か。
いいだろう。
人とは、生きてきた時が違うのだ。
「八霊……」
西の鬼姫、大妖鈴鹿御前。
忙しなく息を吐いていた。
怖々と、配下の鬼共が遠巻きに。
藤原俊宗。
頭領。
そして……
鈴鹿御前の義兄、大獄丸。
ぶつんと地面に叩きつけられている。
方々に、人型の痕。
鈴鹿御前が、ここで『憂さ』を晴らしていたのだ。
「俊宗がここに来たって事は、何か動きがあったの?」
黙って俊宗は頷ずいた。
鬼姫。
自分の躰をあちこち触ると、あたふた色々整え始めて。
髪を、掻き上げる。
衣を、整える。
刀を、挿し直す。
いててと、大獄丸が起きあがった。
「……ご免ね、義兄上」
「いいよー」
こともなげに答える。
いいのかと、頭領は思った。
遠くから眺めていたが、何度か死んでいたような気がする。
「雪妖が、会談を申し込んできた」
「会談!!!?」
鈴鹿御前の表情がみるみる曇る。
遠巻きの鬼の輪。
少しずつ縮まっていたが、これで一気に広がった。
「土蜘蛛の翁のおかげでしょう。これで、時間を少し稼げます」
「エー」
「そんなに嫌そうな顔をするなよ」
大獄丸がいった。
その言葉が癪に障ったのだろう。
鈴鹿御前が蹴りを放つ。
指先一つで、その蹴りをとんと軽く受け止めた。
軽くに、見えた。
それだけで、辺りを衝撃波が襲った。
砂の波。
遠くの鬼達が次々にひっくり返る。
砂埃が目に入らぬよう、俊宗と頭領は顔を覆った。
「もうそろそろ、やめにしようや」
「……はーい」
脚をおろす。
人前ではしたない。
そう、俊宗がいった。
「はいはーい。それで。あのむかつく奴の顔を見るのはいつ!?」
「もうそろそろだと思いますが」
「ん、来たようじゃな」
どよめき。
一体の土地神が、こちら側に向かって水面を滑ってくるのが見えた。
「もう! なにそれ。私にも心の準備ってもんがねぇ」
くるくると、指先に自分の髪を絡ませると、ぽんと、煙が起こった。
鈴鹿御前の衣が、変わる。
どう、これ。似合ってる?
そう、鬼姫は俊宗に訊いた。
「はいはい」
鬼姫の髪についた土埃を、俊宗が払う。
鈴鹿は、嬉しそうにされるがままに。
「本当? 本当だよね?」
「鈴鹿に、よく似合ってるよ」
「よかったー。でもね、でもね、こういうのもあるんだ」
くるりと一回転すると、また、姿を変える。
「緊張感がないのー」
「……うざってえ」
大獄丸が、いった。
頭領が向き直る。
二人には聞こえていないようで。
「いちいち、茶番につき合うのもめんどくせぇよ。四人で皆殺しにすりゃあ、いいじゃねえかよ」
「三人じゃろうが。……それに、雪妖はいいが、土地神を殺すと後々上の連中が面倒ぞ」
「……あんたの言葉とは、思えないな」
「儂じゃから、じゃよ。第一、鈴鹿御前が」
そこまで言ったとき、鬼姫が、跳んだ。
くるっと横に回転すると、大獄丸の額に、振り向きざまのでこぴんを撃ち込んだ。
ぴょーんと大獄丸が後ろに飛ばされた。
「……お見事」
「義兄上は、荒っぽ過ぎるんだよ! もう、そういうのは無しって、決めたじゃないの!」
あのとき……
あのときに……
鈴鹿の表情が、明らかに暗くなった。
空気が、湿る。
大獄丸が、しきりに土下座していた。
俊宗が、鬼姫を後ろから抱き締めた。
「ん……ごめん……」
「うん」
やってられんと、頭領がそっぽを向いた。
「こんなにも……」
木々に隠れて、様子を窺う。
見た事もない数の、雪妖。
見た事もない数の、土地神。
青白い篝火が、無数に焚かれている。
対岸の鬼。
これも、無数に思えた。
両者が、ぶつかる。
考えただけで、身震いした。
どれだけの死屍が出るか、想像もつかなかった。
この中に、あの鬼がいる。
目星は、つけた。
氷造りの牢が一つある。
多分、そこだと。
「……助けられる?」
巨大な包丁を、ぎゅっと握る。
これだけが頼り。
戦ったことなど、ない。
独枯山の山姥――やまめ、であった。
瞳の色が変わる。
両の紅眼が、金銀妖瞳に。
鳥肌が、立ちっぱなしだった。
「……無理、だよ……」
へなへなと、腰を落とす。
でも、あの鬼は……
一生懸命、一生懸命、準備した。
掃除をして、料理を作って。
本当に、来るのだろうかと。
本当に、来るのだと。
でも、やっぱり本当は来ないのかもしれないと。
日を数えて。指折り、数えて。
約束の日、馬のいななき。
鈴鹿様は、いつも牛鬼という妖でここに来る。
だから、本当に……
すぐに、小屋を出た。
鬼。
……見た事のない、鬼。
綺麗な、鬼。
「い、いら……」
ぎこちない、笑み。
自覚できた。
声が、詰まった。
「世話になる」
鬼は、そう、頭を下げた。
優雅であった。
鈴鹿様とは、また、違う。
氷のような、美しさだった。
「ん……お前」
鬼が、自分の顔をじっと見やった。
一挙一足に見惚れ過ぎた。
瞳の色が戻っている事に気がつかなかった。
灼眼が、金銀妖瞳に変じていた。
それは、忌み子の証。
彼女が、ここに一人で暮らす理由。
妖は、その色の瞳を酷く嫌う。
でも、その鬼は気にするでもなく、
「……建物の中に入りたいのだが」
そう、いった。
「……はい!」
他人。
昨日、会ったばかり。言葉を少し交わした、ただ、それだけ。
それでも……
「いきます」
自分を嫌わなかった妖。
自分から話しかけてくれた妖。
斜面を、駆け下りる。
無我夢中で突っ込み、包丁を振るった。
「お茶、です」
姫様が、茶をそっと差し出す。
咲夜と太郎が並んで座り、その向かい側に、火羅の席が。
酒呑童子は庭側に座り、姫様と葉子は並んで廊下側に陣取った。
広い居間。
机も、片した。
六人だと、本当に広く感じられた。
朱桜と黒之助は、妖達と一緒に別の部屋に押し込められていた。
「ありがとうございます」
茶。
舌先を、ちょこっと浸ける。
ぬるい。
それを、呑む。
鬼と、二人の女の茶は、湯気を立てている。
太郎と咲夜の茶は、湯気を立てていない。
妖狼は、大抵猫舌だった。
よく、分かっている。
そう、火羅は思った。
多分、あっちの幼いのは、太郎様の妹だろう。
こっちの二人は……知らない。
火羅は、しげしげと二人の姿を観察した。
片方は、狐。
化け狐、だろうか。
太郎よりも、自分よりも、随分と年上。
顔は、悪くない。
女らしい体付きをしていた。
でも、品がないように思えた。
衣装が、なんとなく芋っぽいし。
九尾とは、違うだろう。金の一族、銀の一族という可能性は、論外。
そのへんの山の、歳経た狐か。
もう一人。
人間、だと思う。
美しい娘だった。
品がある。
自分に、負けないくらいに。
化粧をしていない。
肌が、透き通るように白かった。
長い黒髪と、対照的。
これはと、思った。
姫様。
そう呼ばれていた。それが火羅にも納得できた。
体付きには幼さが残っている。
それは、自分が勝っているはず。
太郎様とその他の妖が人を育てていると聞いた。
これが、そうか。
なるほど。
「すみません、太郎様。急に押しかけてしまって。でも、是非とも直接お話がしたくて」
「それは、わざわざご苦労な事ですね」
姫様が、いった。
静かに、静かに。
こいつ……
火羅の真っ赤な髪が、少し揺れた。
どうも、私の事が気にくわないらしい。
初めて会ったときに、そう、思った。
だから、人間風情などと『つい』言ってしまった。
この娘が、一番の障害、か。
いいだろう。
人とは、生きてきた時が違うのだ。