小説置き場2

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あやかし姫~百華燎乱(11)~

「気は済んだかの」
「八霊……」
 西の鬼姫、大妖鈴鹿御前。
 忙しなく息を吐いていた。
 怖々と、配下の鬼共が遠巻きに。
 藤原俊宗。
 頭領。
 そして……
 鈴鹿御前の義兄、大獄丸。
 ぶつんと地面に叩きつけられている。
 方々に、人型の痕。
 鈴鹿御前が、ここで『憂さ』を晴らしていたのだ。
「俊宗がここに来たって事は、何か動きがあったの?」
 黙って俊宗は頷ずいた。
 鬼姫
 自分の躰をあちこち触ると、あたふた色々整え始めて。
 髪を、掻き上げる。
 衣を、整える。
 刀を、挿し直す。
 いててと、大獄丸が起きあがった。
「……ご免ね、義兄上」
「いいよー」
 こともなげに答える。
 いいのかと、頭領は思った。
 遠くから眺めていたが、何度か死んでいたような気がする。
「雪妖が、会談を申し込んできた」
「会談!!!?」
 鈴鹿御前の表情がみるみる曇る。
 遠巻きの鬼の輪。
 少しずつ縮まっていたが、これで一気に広がった。
「土蜘蛛の翁のおかげでしょう。これで、時間を少し稼げます」
「エー」
「そんなに嫌そうな顔をするなよ」
 大獄丸がいった。
 その言葉が癪に障ったのだろう。
 鈴鹿御前が蹴りを放つ。
 指先一つで、その蹴りをとんと軽く受け止めた。
 軽くに、見えた。
 それだけで、辺りを衝撃波が襲った。
 砂の波。
 遠くの鬼達が次々にひっくり返る。
 砂埃が目に入らぬよう、俊宗と頭領は顔を覆った。
「もうそろそろ、やめにしようや」
「……はーい」
 脚をおろす。
 人前ではしたない。
 そう、俊宗がいった。
「はいはーい。それで。あのむかつく奴の顔を見るのはいつ!?」
「もうそろそろだと思いますが」
「ん、来たようじゃな」
 どよめき。
 一体の土地神が、こちら側に向かって水面を滑ってくるのが見えた。
「もう! なにそれ。私にも心の準備ってもんがねぇ」
 くるくると、指先に自分の髪を絡ませると、ぽんと、煙が起こった。
 鈴鹿御前の衣が、変わる。
 どう、これ。似合ってる?
 そう、鬼姫は俊宗に訊いた。
「はいはい」
 鬼姫の髪についた土埃を、俊宗が払う。
 鈴鹿は、嬉しそうにされるがままに。
「本当? 本当だよね?」
鈴鹿に、よく似合ってるよ」
「よかったー。でもね、でもね、こういうのもあるんだ」
 くるりと一回転すると、また、姿を変える。
「緊張感がないのー」
「……うざってえ」
 大獄丸が、いった。
 頭領が向き直る。
 二人には聞こえていないようで。
「いちいち、茶番につき合うのもめんどくせぇよ。四人で皆殺しにすりゃあ、いいじゃねえかよ」
「三人じゃろうが。……それに、雪妖はいいが、土地神を殺すと後々上の連中が面倒ぞ」
「……あんたの言葉とは、思えないな」
「儂じゃから、じゃよ。第一、鈴鹿御前が」
 そこまで言ったとき、鬼姫が、跳んだ。
 くるっと横に回転すると、大獄丸の額に、振り向きざまのでこぴんを撃ち込んだ。
 ぴょーんと大獄丸が後ろに飛ばされた。
「……お見事」
「義兄上は、荒っぽ過ぎるんだよ! もう、そういうのは無しって、決めたじゃないの!」
 あのとき……
 あのときに……
 鈴鹿の表情が、明らかに暗くなった。
 空気が、湿る。
 大獄丸が、しきりに土下座していた。
 俊宗が、鬼姫を後ろから抱き締めた。
「ん……ごめん……」
「うん」
 やってられんと、頭領がそっぽを向いた。



「こんなにも……」
 木々に隠れて、様子を窺う。
 見た事もない数の、雪妖。
 見た事もない数の、土地神。
 青白い篝火が、無数に焚かれている。
 対岸の鬼。
 これも、無数に思えた。
 両者が、ぶつかる。
 考えただけで、身震いした。
 どれだけの死屍が出るか、想像もつかなかった。
 この中に、あの鬼がいる。
 目星は、つけた。
 氷造りの牢が一つある。
 多分、そこだと。
「……助けられる?」
 巨大な包丁を、ぎゅっと握る。
 これだけが頼り。
 戦ったことなど、ない。
 独枯山の山姥――やまめ、であった。
 瞳の色が変わる。
 両の紅眼が、金銀妖瞳に。
 鳥肌が、立ちっぱなしだった。
「……無理、だよ……」
 へなへなと、腰を落とす。
 でも、あの鬼は……
 一生懸命、一生懸命、準備した。
 掃除をして、料理を作って。
 本当に、来るのだろうかと。
 本当に、来るのだと。
 でも、やっぱり本当は来ないのかもしれないと。
 日を数えて。指折り、数えて。
 約束の日、馬のいななき。
 鈴鹿様は、いつも牛鬼という妖でここに来る。
 だから、本当に……
 すぐに、小屋を出た。
 鬼。
 ……見た事のない、鬼。
 綺麗な、鬼。
「い、いら……」
 ぎこちない、笑み。
 自覚できた。
 声が、詰まった。
「世話になる」
 鬼は、そう、頭を下げた。
 優雅であった。
 鈴鹿様とは、また、違う。
 氷のような、美しさだった。
「ん……お前」
 鬼が、自分の顔をじっと見やった。
 一挙一足に見惚れ過ぎた。
 瞳の色が戻っている事に気がつかなかった。
 灼眼が、金銀妖瞳に変じていた。
 それは、忌み子の証。
 彼女が、ここに一人で暮らす理由。
 妖は、その色の瞳を酷く嫌う。
 でも、その鬼は気にするでもなく、
「……建物の中に入りたいのだが」
 そう、いった。
「……はい!」
 他人。
 昨日、会ったばかり。言葉を少し交わした、ただ、それだけ。
 それでも……
「いきます」
 自分を嫌わなかった妖。
 自分から話しかけてくれた妖。
 斜面を、駆け下りる。
 無我夢中で突っ込み、包丁を振るった。
 


「お茶、です」
 姫様が、茶をそっと差し出す。
 咲夜と太郎が並んで座り、その向かい側に、火羅の席が。
 酒呑童子は庭側に座り、姫様と葉子は並んで廊下側に陣取った。
 広い居間。
 机も、片した。
 六人だと、本当に広く感じられた。
 朱桜と黒之助は、妖達と一緒に別の部屋に押し込められていた。
「ありがとうございます」
 茶。
 舌先を、ちょこっと浸ける。
 ぬるい。
 それを、呑む。
 鬼と、二人の女の茶は、湯気を立てている。
 太郎と咲夜の茶は、湯気を立てていない。
 妖狼は、大抵猫舌だった。
 よく、分かっている。
 そう、火羅は思った。
 多分、あっちの幼いのは、太郎様の妹だろう。
 こっちの二人は……知らない。
 火羅は、しげしげと二人の姿を観察した。
 片方は、狐。
 化け狐、だろうか。
 太郎よりも、自分よりも、随分と年上。
 顔は、悪くない。
 女らしい体付きをしていた。
 でも、品がないように思えた。
 衣装が、なんとなく芋っぽいし。
 九尾とは、違うだろう。金の一族、銀の一族という可能性は、論外。
 そのへんの山の、歳経た狐か。
 もう一人。
 人間、だと思う。
 美しい娘だった。
 品がある。
 自分に、負けないくらいに。
 化粧をしていない。
 肌が、透き通るように白かった。
 長い黒髪と、対照的。
 これはと、思った。
 姫様。
 そう呼ばれていた。それが火羅にも納得できた。
 体付きには幼さが残っている。
 それは、自分が勝っているはず。
 太郎様とその他の妖が人を育てていると聞いた。
 これが、そうか。
 なるほど。
「すみません、太郎様。急に押しかけてしまって。でも、是非とも直接お話がしたくて」
「それは、わざわざご苦労な事ですね」
 姫様が、いった。
 静かに、静かに。
 こいつ……
 火羅の真っ赤な髪が、少し揺れた。
 どうも、私の事が気にくわないらしい。
 初めて会ったときに、そう、思った。
 だから、人間風情などと『つい』言ってしまった。
 この娘が、一番の障害、か。
 いいだろう。
 人とは、生きてきた時が違うのだ。