あやかし姫~百華燎乱(23)~
「鈴鹿……」
「兄……様……」
ずっと同じ言葉。
ただ、一緒にいるしかなかった。
俊宗は、死して後も鈴鹿を縛るのかと思った。
悪路王がいかなる人物か俊宗は知らない。
訊いても、誰も答えないのだ。
大獄丸ですら口を濁す。
鈴鹿御前には、絶対に訊けなかった。
ただ……
鈴鹿が悪路王のことを、愛していたのはわかった。
自分と比べる気はない。
既に、故人だ。
それでも、俊宗は悪路王が嫌いだった。
「大獄丸さま」
「……桐壺か」
あぐらを組み腕を組み、誰も、陣幕内の鈴鹿御前と俊宗に近づけさせなかった。
鬼は、畏れた。
大獄丸は、大妖ではない。ただ、それに近しい力を持っている。
むすっと黙って妖気を発していれば、ほとんどの鬼は近づけない。
鬼達はなにも知らされなかった。
鬼姫が、泣いていただけだ。
鬼は、そわそわした。
大獄丸は普段は陽気で脳天気だが、それは、「押さえ」があるからだ。
三人で、一人だった。
三刀で、一刀だった。
桐壺が、堪えきれず大獄丸に話しかけた。
彼女の立場は、苦しいものがあった。
光は、かみなりさまの中でただ一人戻ってきていない。
それは、雪妖の巫女と一緒にいた子供、ということ。
「残念ながら、物別れだ。あちら側も、まだ巫女と光を見つけていないようだ」
「……」
ぼうっと、桐壺は立っていた。
「なにか言いたい事があるのか」
「いえ……なにも、ありません」
かっ――
唾を、吐いた。
桐壺が、びくりとする。
「辛いな、お前」
そう、いった。
「愚息のしたことは」
「愚息というな」
桐壺の言葉を、遮った。
「あ……」
「あれは、悪い奴じゃない。愚息と、言うことはない」
「……ありがとうございます……」
突然、膨れ上がった。
巨大な、妖気。
肌が、焦げる。毛が、逆立つ。
小通連が、鳴いた。
大きく、鳴いた。ぎぎっと、震えた。
鞘を押さえる。
大獄丸は、立ち上る妖気の中、自分より大きい鬼を見た。
「俊宗」
「うん」
ごしごしと、目をこする。
ごしごしと。
やっと鈴鹿御前は、俊宗といった。
「手、繋いでて」
「わかった」
陣幕から二人一緒に外に出る。
皆、大口開けて対岸を見ていた。
天に、妖気が消えていく。
雪原が消え、雪妖達が倒れ伏して。
「……茨木童子……」
忌々しげに、大獄丸が西の大妖の名を口にした。
「やっぱり、そうかな」
「あいつ以外に、この妖気の持ち主は、ない」
「どうしたと……あれ、八霊殿は?」
「あー、あいつ、こっちに来なかった」
「自由な方だ」
そういって、俊宗は苦笑いを浮かべた。
「なんだろう。茨木、雪妖を寝かせただけ? 変なの」
「どうする、襲うか」
大獄丸が、にたりと笑った。
「あまり、いい気はしませんが」
「かまうものか。ついでだ、雪の大龍も殺しちまおう」
「駄目!」
どんと、鈴鹿御前が大獄丸の腹を殴った。
鬼姫の細腕が大獄丸の巨体を突き破る。
肩まで、めり込んだ。
ずずっと、離れる。
穴が、残った。
「鈴鹿……俺、死んじゃった」
「恨みは、あるけど……いいよ。助けてあげる。みんなで、介抱してあげるぞ」
「いいんですか」
「……雪妖にとっては、それの方が嫌でしょう? 違う? 喧嘩を売った相手に逆に助けられるなんて。後から、どんな顔してお礼に来るのかな。心から、笑ってあげる。楽しみ。いや、光が見つかってから、だぞ」
「んぐぐ」
大獄丸が呻き声をあげた。
さも苦しそうに、さもわざとらしく腹の傷を押さえた。
「義兄上、もういいから」
「へいへい」
傷が、塞がっていく。
大獄丸は、不死の鬼であった。
「私はどうすれば……」
「桐壺、あんたは……どうしよう……」
俊宗ー。
そう、いった。
「そうですね……我々と、一緒にいましょうか。そちらの方がいいかと」
「じゃあ、桐壺はあたしの傍にね。間違っても俊宗の傍にはいかないでね」
桐壺の耳元で、
「そんなことしたら、殺すぞ」
そっと、いった。
「すまん、翁。また鞍替えじゃ」
統領が、いった。
茨木童子はやまめの隣に横たわっていた。
二人とも、眠っている。
「土蜘蛛を返すというのも、なくなりました」
土蜘蛛が、がらがらと山を下りている。
雪妖を、助けるために。
「うむ。儂は、この者達を鬼姫のところへ届ける」
影が、拡がっていく。
土蜘蛛の翁と雪妖の女王が、影から離れる。
影は、土鬼達をその中に収めた。
「鬼達は、どう動くでしょうか」
女王が、翁を心配そうに見やった。
「さて、どう動くかな」
「……私一人でも、民は守る」
「いい、心構えだ」
そう言い残し、頭領達の姿が消えた。
「鬼が、来ます」
「そうじゃな」
「呆れ果てることです」
「なにがじゃ?」
「私は、無力です。民を守るといっても……なにも、できない。ただ、火に油を注いだだけ。茨木童子がいた事も知らなかった。鈴鹿御前を怒らせてしまった。全て、私の責任です」
「悔やむのは、事が終わってからにせい」
「……はい」
そう言うと、二人の姿も、消えた。
川を渡る鬼の前に立つ。
鬼が、止まった。
「遅いですわね」
「そうですね」
部屋の中を、火羅はずっといらいらうろうろしていた。
そんな火羅を、咲夜はじっと見ていた。
帰って、こない。
誰も。
「一体、何をしているのか……迷惑なことです」
「あの、火羅さん」
火羅が、立ち止まった。
咲夜を見てあまり似ていないと思った。
「火羅さんは、あに様が」
「好きですわ」
とんと、いった。
「本当に、ですか?」
「ええ」
「本当に本当に、ですか?」
「ええ」
「本当に本当に本当に、ですか?」
「何を、おっしゃりたいの?」
かちんときた。
唯でさえ、苛々しているのだ。
太郎の、妹。
これから重要になってくる。
落ち着こう。
「でも、あなたはあに様に、あに様の瞳に、村の人達と同じ視線を投げた」
「……」
鼓動が、高鳴った。
一瞬だ。一瞬だった。
嫌悪の念が、生まれた。
「それは、まあ……少々、面食らっただけです。わたしも、久方ぶりに拝見しましたので。しょうがありませんわ。私達、妖は」
「あの瞳を、非道く嫌う。酷く憎む」
「ええ、そうです。でも、すぐに慣れるでしょう。これから先、同じ時を歩めば」
「……多分、それはないと思います」
「なに?」
「だって、あに様は 」
「……ふざけるのも、いいかげんにしてほしいわ」
「ふざけてなんか」
「私は、どれだけ」
「本当に、ですか?」
言葉が、止まった。見透かされている。そう、思った。
太郎のことは、覚えてはいた。
遠い、記憶の片隅に、ほんのちょっぴり。
その話を持ってこられたとき、あまり乗り気ではなかった。
北は、寒い。群れも、小さい。
太郎は……あの瞳を持つ。
それでも、だ。
自分の夫として考えると……よい、と思った。
強いのだ。
小さな北の群れで強い、というだけなら興味は示さなかった。
妖狼全体で考えても、太郎は強い。
だから、受けようと思った。
顔も、悪くないし。
これなら、いいと。太郎を夫とすれば、ゆくゆくは北の群れも手に入る。
良い事尽くめ。
これを逃す手は、なかった。
そうそう。
南の長が亡くなったとき、確かに太郎と一緒に池を覗いていた。
太郎は、自分に関心を示さなかった。
それは、火羅の誇りを激しく傷つけた。
彼女は――太郎に怒りを覚えた。
幼い頃より、皆自分に従った。
従わなかったのは、太郎だけだ。
火羅は、姫君。
良くも悪くも、姫君だった。
「兄……様……」
ずっと同じ言葉。
ただ、一緒にいるしかなかった。
俊宗は、死して後も鈴鹿を縛るのかと思った。
悪路王がいかなる人物か俊宗は知らない。
訊いても、誰も答えないのだ。
大獄丸ですら口を濁す。
鈴鹿御前には、絶対に訊けなかった。
ただ……
鈴鹿が悪路王のことを、愛していたのはわかった。
自分と比べる気はない。
既に、故人だ。
それでも、俊宗は悪路王が嫌いだった。
「大獄丸さま」
「……桐壺か」
あぐらを組み腕を組み、誰も、陣幕内の鈴鹿御前と俊宗に近づけさせなかった。
鬼は、畏れた。
大獄丸は、大妖ではない。ただ、それに近しい力を持っている。
むすっと黙って妖気を発していれば、ほとんどの鬼は近づけない。
鬼達はなにも知らされなかった。
鬼姫が、泣いていただけだ。
鬼は、そわそわした。
大獄丸は普段は陽気で脳天気だが、それは、「押さえ」があるからだ。
三人で、一人だった。
三刀で、一刀だった。
桐壺が、堪えきれず大獄丸に話しかけた。
彼女の立場は、苦しいものがあった。
光は、かみなりさまの中でただ一人戻ってきていない。
それは、雪妖の巫女と一緒にいた子供、ということ。
「残念ながら、物別れだ。あちら側も、まだ巫女と光を見つけていないようだ」
「……」
ぼうっと、桐壺は立っていた。
「なにか言いたい事があるのか」
「いえ……なにも、ありません」
かっ――
唾を、吐いた。
桐壺が、びくりとする。
「辛いな、お前」
そう、いった。
「愚息のしたことは」
「愚息というな」
桐壺の言葉を、遮った。
「あ……」
「あれは、悪い奴じゃない。愚息と、言うことはない」
「……ありがとうございます……」
突然、膨れ上がった。
巨大な、妖気。
肌が、焦げる。毛が、逆立つ。
小通連が、鳴いた。
大きく、鳴いた。ぎぎっと、震えた。
鞘を押さえる。
大獄丸は、立ち上る妖気の中、自分より大きい鬼を見た。
「俊宗」
「うん」
ごしごしと、目をこする。
ごしごしと。
やっと鈴鹿御前は、俊宗といった。
「手、繋いでて」
「わかった」
陣幕から二人一緒に外に出る。
皆、大口開けて対岸を見ていた。
天に、妖気が消えていく。
雪原が消え、雪妖達が倒れ伏して。
「……茨木童子……」
忌々しげに、大獄丸が西の大妖の名を口にした。
「やっぱり、そうかな」
「あいつ以外に、この妖気の持ち主は、ない」
「どうしたと……あれ、八霊殿は?」
「あー、あいつ、こっちに来なかった」
「自由な方だ」
そういって、俊宗は苦笑いを浮かべた。
「なんだろう。茨木、雪妖を寝かせただけ? 変なの」
「どうする、襲うか」
大獄丸が、にたりと笑った。
「あまり、いい気はしませんが」
「かまうものか。ついでだ、雪の大龍も殺しちまおう」
「駄目!」
どんと、鈴鹿御前が大獄丸の腹を殴った。
鬼姫の細腕が大獄丸の巨体を突き破る。
肩まで、めり込んだ。
ずずっと、離れる。
穴が、残った。
「鈴鹿……俺、死んじゃった」
「恨みは、あるけど……いいよ。助けてあげる。みんなで、介抱してあげるぞ」
「いいんですか」
「……雪妖にとっては、それの方が嫌でしょう? 違う? 喧嘩を売った相手に逆に助けられるなんて。後から、どんな顔してお礼に来るのかな。心から、笑ってあげる。楽しみ。いや、光が見つかってから、だぞ」
「んぐぐ」
大獄丸が呻き声をあげた。
さも苦しそうに、さもわざとらしく腹の傷を押さえた。
「義兄上、もういいから」
「へいへい」
傷が、塞がっていく。
大獄丸は、不死の鬼であった。
「私はどうすれば……」
「桐壺、あんたは……どうしよう……」
俊宗ー。
そう、いった。
「そうですね……我々と、一緒にいましょうか。そちらの方がいいかと」
「じゃあ、桐壺はあたしの傍にね。間違っても俊宗の傍にはいかないでね」
桐壺の耳元で、
「そんなことしたら、殺すぞ」
そっと、いった。
「すまん、翁。また鞍替えじゃ」
統領が、いった。
茨木童子はやまめの隣に横たわっていた。
二人とも、眠っている。
「土蜘蛛を返すというのも、なくなりました」
土蜘蛛が、がらがらと山を下りている。
雪妖を、助けるために。
「うむ。儂は、この者達を鬼姫のところへ届ける」
影が、拡がっていく。
土蜘蛛の翁と雪妖の女王が、影から離れる。
影は、土鬼達をその中に収めた。
「鬼達は、どう動くでしょうか」
女王が、翁を心配そうに見やった。
「さて、どう動くかな」
「……私一人でも、民は守る」
「いい、心構えだ」
そう言い残し、頭領達の姿が消えた。
「鬼が、来ます」
「そうじゃな」
「呆れ果てることです」
「なにがじゃ?」
「私は、無力です。民を守るといっても……なにも、できない。ただ、火に油を注いだだけ。茨木童子がいた事も知らなかった。鈴鹿御前を怒らせてしまった。全て、私の責任です」
「悔やむのは、事が終わってからにせい」
「……はい」
そう言うと、二人の姿も、消えた。
川を渡る鬼の前に立つ。
鬼が、止まった。
「遅いですわね」
「そうですね」
部屋の中を、火羅はずっといらいらうろうろしていた。
そんな火羅を、咲夜はじっと見ていた。
帰って、こない。
誰も。
「一体、何をしているのか……迷惑なことです」
「あの、火羅さん」
火羅が、立ち止まった。
咲夜を見てあまり似ていないと思った。
「火羅さんは、あに様が」
「好きですわ」
とんと、いった。
「本当に、ですか?」
「ええ」
「本当に本当に、ですか?」
「ええ」
「本当に本当に本当に、ですか?」
「何を、おっしゃりたいの?」
かちんときた。
唯でさえ、苛々しているのだ。
太郎の、妹。
これから重要になってくる。
落ち着こう。
「でも、あなたはあに様に、あに様の瞳に、村の人達と同じ視線を投げた」
「……」
鼓動が、高鳴った。
一瞬だ。一瞬だった。
嫌悪の念が、生まれた。
「それは、まあ……少々、面食らっただけです。わたしも、久方ぶりに拝見しましたので。しょうがありませんわ。私達、妖は」
「あの瞳を、非道く嫌う。酷く憎む」
「ええ、そうです。でも、すぐに慣れるでしょう。これから先、同じ時を歩めば」
「……多分、それはないと思います」
「なに?」
「だって、あに様は 」
「……ふざけるのも、いいかげんにしてほしいわ」
「ふざけてなんか」
「私は、どれだけ」
「本当に、ですか?」
言葉が、止まった。見透かされている。そう、思った。
太郎のことは、覚えてはいた。
遠い、記憶の片隅に、ほんのちょっぴり。
その話を持ってこられたとき、あまり乗り気ではなかった。
北は、寒い。群れも、小さい。
太郎は……あの瞳を持つ。
それでも、だ。
自分の夫として考えると……よい、と思った。
強いのだ。
小さな北の群れで強い、というだけなら興味は示さなかった。
妖狼全体で考えても、太郎は強い。
だから、受けようと思った。
顔も、悪くないし。
これなら、いいと。太郎を夫とすれば、ゆくゆくは北の群れも手に入る。
良い事尽くめ。
これを逃す手は、なかった。
そうそう。
南の長が亡くなったとき、確かに太郎と一緒に池を覗いていた。
太郎は、自分に関心を示さなかった。
それは、火羅の誇りを激しく傷つけた。
彼女は――太郎に怒りを覚えた。
幼い頃より、皆自分に従った。
従わなかったのは、太郎だけだ。
火羅は、姫君。
良くも悪くも、姫君だった。