小説置き場2

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あやかし姫~百華燎乱(28)~

酒呑童子様、落ち着いて!」
 鬼の王は、無言であった。
 はぁっと、大きく息を吐いた。
 薄紫の、息。
 もう一度、大きく吐いた。
 肌が、痛い。
 震えが、くる。
 光と白月を、葉子は自分の後ろにやった。
「しゅ、酒呑童子! 落ち着くのじゃ!」
酒呑童子さま!」
 さくっと、足音が。
 どくんと、心臓が悲鳴をあげた。
 ごくりと、唾を飲み込む。
 銀狐の尾が、力無くだらりと垂れている。
 また、さくっと足音がした。
 鬼の王が、目の前に。
 額の角が、葉子に触れる。そのぐらいまで近づいて。
「ご、ごめんなさい……」
 葉子は、震えていた。
 鬼が、光と白月に目をやる。
 ひっ、と小さく叫ぶと、二人は葉子にしがみついた。
 青犬赤犬
 薄茶の草むらに頭からつっこんでぶるぶると。
 銀狐に、目を戻す。
 かっと、嗤う。
 形のいい口が、耳元まで裂けた。
 鋭い牙が、幾つも覗く。
 手を、伸ばした。優雅に、優雅に。
 死んじゃう。
 そう、思った。
 ここで、死んじゃう。もう、姫様と会えない。そう、葉子は思った。 
 怖かった。
 ただ、怖かった。
 駄目だよ……姫様には、あたいがいるんだ。
「……まあ、よいか」
 鬼が、離れる。
 まだ、葉子は動けなかった。
 今、どんな顔をしているのだろうと葉子は考えた。
「よかったな、俺が優しくて」
「……え、ええ……」
「ただな……葉子、俺にも限度がある。ほどほどにな」
 もう、酒呑童子は人の姿に戻っていた。
 かくかくと頷く。
 まだ、光と白月は葉子にしがみついていた。
「ひ、光、白月さん、大丈夫だよ」
 それでも、二人は葉子から離れなかった。
「……怖いのじゃ。お主、怒ると怖いのじゃ」
「そうだな、怖いな。怒らせないようにしないとな」
 酒呑童子が、いった。
「うむ。そうする。気をつける」
 くつくつと笑う。
 葉子達は、笑えなかった。
「巫女、か。で、葉子は守るといっていたが、どうするつもりだ?」
「とにかく、一度寺に」
「それで?」
「それでって……姫様と相談して」
「姫様に、火の粉を振りかけるか? いいのか、それで。大事な大事な姫様に、迷惑を掛けるぞ」
 返答に、窮した。
 酒呑童子は本当のことを言っている。
 事が事。
 葉子の、一存で……
「葉子さん」
「葉子殿」
 二人が、いった。
 自分は、二人に頼られたのだ。
 守ると、約束した。
「あたいは、この子達を」
「お前が二人をどうしようとお前の勝手だ。だが、彩花ちゃんが困るんじゃないのか?」
「……困るよ」
 でも……
「姫様、笑って二人をお寺に入れると思う。そういう子だもの」
「……そうかな」
「そうだよ。あたいは、姫様の事よく知ってるからね」
 酒呑童子の知っている姫様なら……そうするだろうと、思った。
「俺の知っている姫様も、そうするな」
「……その、迷惑かけてごめんね」
「うむ、迷惑をかける」 
「迷惑、じゃな」
 掠れ声。
 それでいて、よく、耳で響いた。
「雪妖の巫女、じゃな」
 陽炎。
 ゆらゆらと、揺れる。
 人影。
 くっきりと、人の姿が映し出される。
 翁の、姿。
 白い髭。白い毛。
 瞳孔が、縦に細くなる。
「……頭領」
「寺には、行けぬ」
 そう、いった。



 白ちゃんが、隣にいる。
 外の世界。
 自分には、見慣れた世界。
 でも、白ちゃんにはとっても新しい。
 海。
 山。
 雪のない、景色。
 白ちゃんは、何にでも興味津々だった。
 最初は、楽しかった。
 でも、少しずつ楽しさは薄れていく。
 少しずつ、後悔が増えていく。
 捕まったら、どうなるんだろう。
 おいらは?
 白ちゃんは?
 おふくろ、心配してるかな?
 怖い――
 眠れなくなった。
 それは、白ちゃんも一緒だった。
 どうすれば、いいんだろう。
 どうすれば?
 ここしか、もう、行くところはなかった。
 葉子さん。
 彩花さん。
 もう、二人しか頼れる人はいなかった。
 酒呑童子様と会ったのは予想外。
 朱桜ちゃんとは一緒に遊んだことがあるけれど、酒呑童子様とは話をしたことがなかったから。
 葉子さん。
 守ってくれるといった。
 でも。
「寺には、行けぬ」
 頭領さんが、そう、いった。
 白ちゃん、どうなるんだろうと光は思った。



「頭領……今、なんて」
 葉子が、聞き返した。
「来てもらおうか。雪妖と鬼が、お主らで揉めておるでな」
「やっぱり、揉めたのか」
「うむ……うぬ? この声……酒呑童子!!! どうしてお主が!?」
 頭領、思わぬ妖にかなり慌てて。
「悪いか?」
「……いや、悪くはない。と、とにかくじゃ。巫女と光は、儂が北に連れて行く」
「待って下さい! そんなの!」
「なにを、隠している?」
 頭領が、固まった。
 冷や汗、たらたら。
「八霊、何を隠している? どうして、俺の目をみない? やましいことでもあるのか?」
「いや」
「光は、かーいい朱桜の友達だし、白月はかーいい朱桜の友達の予定なのでな。渡せと言われてもそう簡単には」
酒呑童子様……」
 葉子は、やっぱりこの鬼の王、朱桜ちゃんの父親だと思った。
「儂が、友達……光、朱桜とは誰じゃ? どんな奴だ?」
「朱桜はな、すっごく父さん想いで優しくてな、可愛くてな、言葉では言い表せない、言い尽くせない、うん、そんな女の子だ」
「……よく、わからぬ」
「会ってみればいい」
 くすりと、酒呑童子が微笑んだ。
「そういうわけだ、どうする?」
「頭領、話を聞いて下さい!」
 頭領は、酒呑童子だけを見ていた。
「……この、親馬鹿が」
「それは貴様も同じだろうが」
「……しょうがないの。茨木が、雪妖を倒した」
「へぇ……」
 しんと、なった。
「……はい?」
茨木童子が、雪妖を倒した」
 言葉を、はっきりくっきり繋げていく。
「な、なんじゃと! どういうことじゃ! 雪妖、皆、死んだのか!? そんなことないよな!? 儂のせいか!? 儂が皆を」
茨木童子様が……えっと……」
「おいおい、茨木は」
 なにを言っているんだと、笑いかける。
 笑いは、乾いていた。
 潤いは、一つもなかった。
「湯治に、東北に行ったじゃろう」
「行った」
「そこで、雪妖に捕まった」
「あぁ?」
「大方、面白そうだと思ったんじゃろ。あやつなら、いや、お主ら兄弟ならありそうな話よ。なんと言うたか……そう、やまめという女がいての。その女が、殺されかけた。それに、茨木が怒った。あやつ、東の鬼と対陣していた雪妖と土地神を、まとめて気絶させおった」
 白月、その言葉に安堵する。
「……やまめって、誰だ?」
 興味を抱いたのは、まず、その名前だった。
「……山姥の娘じゃ」
「娘……知らない名だ。それで、茨木は?」
「疲れて眠っておる」
「……おいおい……あの馬鹿、なに考えてんだ! 自分の躰がどんな状況かわかってるだろうが!」
 話が大きくなりすぎていた。
 葉子の頭。
 破裂しそう。
 とにかく、今はこの二人だ。
「頭領、光と白月さん、どうなるんですか?」
「……さあの」
「大丈夫ですよね。悪い事してないんですよ、この二人。なんにもないですよね」
「……わしゃ、知らぬ。二人がどうするかは女王と鬼姫が決めるじゃろう」
「頭領……」
「土蜘蛛は動かした。鬼姫は、あれで心が広い。雪の大龍にも、儂から言い含めてある。これ以上、何をせいというのじゃ」
「大龍に言い含めたじゃと!」
 声が、弾けた。
 白月が身を乗り出す。
「あの大龍にか! 儂が話しかけても、全然答えてくれない、あの大龍にか!」
「その大龍じゃ。出来る限りのことはした」
「大龍じゃぞ!?」
「大龍が、なんじゃ。ひよっこではないか」
 目を、見開いた。
 白月にとって、大龍は大きな存在だった。
 自分が、一生をかけて仕える存在。
 光と出会わなければ、白月には雪の大龍しかいなかった。
 雪の大龍は、八百万の神々の一人。
 雪を統べる龍神
「な、何者じゃ、お主」
「そこの寺――といっても廃寺じゃが――
 の頭領、八霊じゃ。
 雪妖の巫女、光、心配するな」
 そう、いった。
「頭領、本当に?」
「葉子、聞きたい事は山とあるが、今は二人を連れて行く事が先決。五月蠅い雪妖が皆――女王以外眠っておるでな。今なら、話を有利に進められる。善は、急げよ」
「茨木、無事なのだな」
「うぬ」
「白月、光、この男についていけ。多分、大丈夫だろう」
 鬼の王は優しい声をだした。
 光は、葉子を見上げた。
 葉子は、ほっこり笑うと、
「大丈夫、頭領が言うんだからね」
「葉子さん……」
「頭領なら、光を守ってくれる。白月さんも」
「……光、どうする?」
「……わかった。おいら、行くよ」
 逃げてばっかりじゃ……
 葉子さんが、大丈夫だといった。
 なら、大丈夫だ。
 お袋と、葉子さんは信頼出来る。
「よし」
 頭領が、光と白月を招き寄せる。
 二人の肩に、手の平を置く。
「葉子さん、おにぎり、食べに来るね」
「おお、たしか絶品――」
 それで、三人の姿は、消えた。
「なんだよ、最後は食いもんの話……光は、食い意地ばっか張って……」
「お前の事、頼ったんだな」
「頼られたんですね……あたい、なんにも出来ないのに」
 葉子は、心配そうであった。
「やまめという女が気になる。からかい甲斐がありそうだ」
「葉子さん、酒呑童子さん、おいら達帰るね」
「羽矢風の命、またね」
 赤犬青犬。仲良く消えて。
 また、葉子は酒呑童子に話しかけた。
「茨木様、心配じゃないんですか?」
「心配してもしょうがない。あれの選んだ事だ。俺は、口出しせん。からかうけどな」
 この方は……
 お二方とも、こういうところがあるから……
「二人は?」
「あたいは、頭領を信頼してますから」
「なら、いいだろう」
「帰りますか」
「古寺に、行くか」
「あい」