あやかし姫~転幻(前)~
「ん……」
二人の、部屋。
銀狐が、目を、開けた。
少し探ってみる。自分しか、いない。
「また……」
くらくらがんがんする頭を押さえる。
飲み過ぎ。
はめ、外しちゃった。
「姫様……」
一応確認、呼んでみる。
返事はなくて。
上体を起こす。どうして目の前に壁があるんだろうと思った。
布団後ろにあるし。
ここ、畳の上だし。
葉子は、自分の寝相の悪さに少々呆れた。
「姫様?」
もう一度呼んでみる。
やっぱり、返事はなくて。
厠か、太郎かクロちゃんのところに行っているか。
姫様は、気配を消せる。
妖に気取らせずに、部屋を出て行ける。
それは、心配の種、でもあった。
「どこ……」
部屋だけじゃなく、古寺全体に知覚を広げる。
雑多な妖の存在が感じられて。
大きな存在が感じられて。
今、探している、存在が感じられて。
「いた」
目指す者は、居間にいて。
とん、っと立ち上がると、銀狐はそこに向かおうと。
「後片づけ?」
宴の、後。
そのままにしていた。
鈴鹿御前が、場所を貸してくれた礼だと、色々と豪勢に送ってきたのだ。
食べて、飲んで。
そして、そのまま。
明日――もう、今日か――にお片づけは回そうと言って、お開きに。
「まぁ、いっか」
行けば、わかる。
そろぉっと、銀狐が部屋を出た。
太郎もクロも、外にいる。小妖達も、誰も、居間には、いない。
姫様は、一人だった。
「変だね」
小首を、傾げる。
歩を早める。
泣いているのかもしれないと、ふと葉子は思った。
一人で、泣いている。
その姿が思い浮かんで。
小妖達が、とん、とんと、落ちている。
きちんと、布団を身につけて。
姫様が、直したのだろう。
「姫様」
居間から、灯りが漏れている。
そういえば、今日は月が出ていないと思った。
廊下は、真っ暗。
葉子の獣の目には、関係ないのだけれど。
「いたいた……あれ……」
お口を、あんぐりとする。
首を、傾げる。
「あたい、まだ酔っぱらってるのかしら?」
それとも、まだ夢の中にいるのだろうか?
にしては、いやに現実味のある。
だって、尾をつねると確かに痛いもの。
自分の尾っぽをはたはたと振ってみる。
それから、葉子は、
「ミギャー!!!」
っと、大声で叫んだ。
妖達が集まってくる。
太郎も、黒之助も、頭領も。
みんな、銀狐の後ろに集まって。
青ざめた顔で、あれ、あれ、と口をぱくぱくする銀狐。
居間を見、皆の顔色が、さーっと変わった。
幼い女の子が、そこにいた。
身体に合わぬ、ぶかぶかの着物を身につけている。
女の子は、目をぱちくりとさせた。
皆に近づこうとして、着物に引っかかって。
ぷくーっと頬を膨らませると、それを脱ぎ捨てようとした。
するりと、身体に合わないそれは幼子の足下に落ちた。
「目、目をツブレー!!!」
銀狐が叫んだ。
皆がひっしと目を瞑る。
「葉子さん」
と言うと、その幼子は葉子にしがみついた。
慌てて、その子を抱きしめその身を隠す。
顔だけが、ちょこんと見えた。
さらに、九尾をくねらせ、その子の前に、盾になるように。
その子がいた場所には、その子が『羽織っていた』着物が脱ぎ捨てられていて。
「もう、よいか?」
頭領が、目を瞑ったまま言った。
しっかりと、その子が隠れてから、
「い、いいです」
うわずった声を、銀狐は、出した。
ゆっくりと、皆が葉子の前に回る。
両腕で抱きしめられ、幼い顔を葉子の顔の横におく。
それは、よく、知っている顔だった。
「姫様……」
太郎が、言った。
そこにいるのは、かっての姫様。
幼い頃の、姫様で。
皆の真剣な眼差しに、「幼い」姫様は、怯えていた。
「なにが……どうして……」
「姫様、だよな……俺が、わかるか?」
「太郎さん」
「拙者は?」
「クロさん」
「おいらは?」
「あちきは?」
すらすらと、妖達の名を答えていく。怯えが、消えて。
やっぱり、姫様だ。
そう、妖達は頷き合った。
にしても……
どうして?
「あっ」
頭領が、散乱した宴痕に近づくと、姫様が脱ぎ捨てた着物の近くに落ちていた徳利と杯を持った。
蛇の舌を、杯にちろりと伸ばす。
眉をしかめると、
「これか……」
そう、苦々しげに、言った。
徳利の中の匂いを嗅ぎ、「やっぱり、これか」と。
「頭領、それが?」
「若返りの、御神酒」
「はい?」
「鈴鹿御前が送りつけてきた酒の中にあった……これだけは別にしてあったのじゃが、誰か、これを出したのか?」
さあっと。
酔って、覚えている者はなくて。
「それって……」
「飲めば、若返る。いや、子供になる、じゃな。あまり、旨い物ではないし」
「な、酒の味なんてどうでもいい! 姫様、どうなるんだ!」
太郎が、吼えた。
「そうだよ! 頭領!」
葉子も、吼える。
黒之助は、二人の剣幕にまた怯える姫様をあやす。
「いや……一日で、元に戻るから」
落ち着いた声を、頭領は出した。
「本当に?」
「うぬ。そう、心配しなくていい」
とにかく、服を着せねばならんな。
そう言うと、頭領は溜息を一つついた。
「ああ、もう! ほとんどあげちゃったんだっけ!」
葉子が、たんすをがさごそ。
姫様の、子供の頃の服。
使わなくなったそれは、朱桜と白月にあげてしまって。
出てくるのは、大きくなった姫様のものばかり。
「……あったあった」
とりあえず、これでいいかと。
金魚に風鈴。
夏用。
今は……春。
「……いいよね」
風邪を引く前に、っと。
「くー、可愛い!」
服を着せると、幼子に頬擦り頬摺り。
姫様は、ふにゅ? っと声を出した。
「そうか、前は、こんなに小さかったんだ」
今は、大きくなって、綺麗になって。
自慢の、姫様。
「うんうん、懐かしいよ。これを着て、夏祭りに行ったんだよね」
うっとりとした。
遠き日のことを、思い出しながら。
「……葉子さん」
「なに、姫様?」
「部屋、変わった?」
「あ、え?」
「違う気がする」
「そりゃ、まあね……」
記憶が、混じっている。
そう、頭領には言われていた。
このころは……物、少なかったかな?
随分と、姫様の宝物増えたもんね。
「ああ、ちょっと」
姫様は、とことこ部屋を出ようとして。
尾を伸ばして絡ませ幼子を引き留める。
「変だから、確かめる!」
んにゅーっと前に進もうと。
でも、なかなか進めない。
「んー、もう遅いし、朝にしたら?」
「や!」
「でもねえ」
「葉子さんのけち! けちけち!」
「けち……」
「けちだよ! えい!」
「ミギャ!」
尾っぽ。
噛みつかれた。
葉子、涙目で姫様を追いかける。
しょうがないねと、くすんと自分の尾を撫でた。
狐火を、飛ばす。転ばないように。
部屋を出て、真っ暗闇で、足を止めた姫様のために。
二人の、部屋。
銀狐が、目を、開けた。
少し探ってみる。自分しか、いない。
「また……」
くらくらがんがんする頭を押さえる。
飲み過ぎ。
はめ、外しちゃった。
「姫様……」
一応確認、呼んでみる。
返事はなくて。
上体を起こす。どうして目の前に壁があるんだろうと思った。
布団後ろにあるし。
ここ、畳の上だし。
葉子は、自分の寝相の悪さに少々呆れた。
「姫様?」
もう一度呼んでみる。
やっぱり、返事はなくて。
厠か、太郎かクロちゃんのところに行っているか。
姫様は、気配を消せる。
妖に気取らせずに、部屋を出て行ける。
それは、心配の種、でもあった。
「どこ……」
部屋だけじゃなく、古寺全体に知覚を広げる。
雑多な妖の存在が感じられて。
大きな存在が感じられて。
今、探している、存在が感じられて。
「いた」
目指す者は、居間にいて。
とん、っと立ち上がると、銀狐はそこに向かおうと。
「後片づけ?」
宴の、後。
そのままにしていた。
鈴鹿御前が、場所を貸してくれた礼だと、色々と豪勢に送ってきたのだ。
食べて、飲んで。
そして、そのまま。
明日――もう、今日か――にお片づけは回そうと言って、お開きに。
「まぁ、いっか」
行けば、わかる。
そろぉっと、銀狐が部屋を出た。
太郎もクロも、外にいる。小妖達も、誰も、居間には、いない。
姫様は、一人だった。
「変だね」
小首を、傾げる。
歩を早める。
泣いているのかもしれないと、ふと葉子は思った。
一人で、泣いている。
その姿が思い浮かんで。
小妖達が、とん、とんと、落ちている。
きちんと、布団を身につけて。
姫様が、直したのだろう。
「姫様」
居間から、灯りが漏れている。
そういえば、今日は月が出ていないと思った。
廊下は、真っ暗。
葉子の獣の目には、関係ないのだけれど。
「いたいた……あれ……」
お口を、あんぐりとする。
首を、傾げる。
「あたい、まだ酔っぱらってるのかしら?」
それとも、まだ夢の中にいるのだろうか?
にしては、いやに現実味のある。
だって、尾をつねると確かに痛いもの。
自分の尾っぽをはたはたと振ってみる。
それから、葉子は、
「ミギャー!!!」
っと、大声で叫んだ。
妖達が集まってくる。
太郎も、黒之助も、頭領も。
みんな、銀狐の後ろに集まって。
青ざめた顔で、あれ、あれ、と口をぱくぱくする銀狐。
居間を見、皆の顔色が、さーっと変わった。
幼い女の子が、そこにいた。
身体に合わぬ、ぶかぶかの着物を身につけている。
女の子は、目をぱちくりとさせた。
皆に近づこうとして、着物に引っかかって。
ぷくーっと頬を膨らませると、それを脱ぎ捨てようとした。
するりと、身体に合わないそれは幼子の足下に落ちた。
「目、目をツブレー!!!」
銀狐が叫んだ。
皆がひっしと目を瞑る。
「葉子さん」
と言うと、その幼子は葉子にしがみついた。
慌てて、その子を抱きしめその身を隠す。
顔だけが、ちょこんと見えた。
さらに、九尾をくねらせ、その子の前に、盾になるように。
その子がいた場所には、その子が『羽織っていた』着物が脱ぎ捨てられていて。
「もう、よいか?」
頭領が、目を瞑ったまま言った。
しっかりと、その子が隠れてから、
「い、いいです」
うわずった声を、銀狐は、出した。
ゆっくりと、皆が葉子の前に回る。
両腕で抱きしめられ、幼い顔を葉子の顔の横におく。
それは、よく、知っている顔だった。
「姫様……」
太郎が、言った。
そこにいるのは、かっての姫様。
幼い頃の、姫様で。
皆の真剣な眼差しに、「幼い」姫様は、怯えていた。
「なにが……どうして……」
「姫様、だよな……俺が、わかるか?」
「太郎さん」
「拙者は?」
「クロさん」
「おいらは?」
「あちきは?」
すらすらと、妖達の名を答えていく。怯えが、消えて。
やっぱり、姫様だ。
そう、妖達は頷き合った。
にしても……
どうして?
「あっ」
頭領が、散乱した宴痕に近づくと、姫様が脱ぎ捨てた着物の近くに落ちていた徳利と杯を持った。
蛇の舌を、杯にちろりと伸ばす。
眉をしかめると、
「これか……」
そう、苦々しげに、言った。
徳利の中の匂いを嗅ぎ、「やっぱり、これか」と。
「頭領、それが?」
「若返りの、御神酒」
「はい?」
「鈴鹿御前が送りつけてきた酒の中にあった……これだけは別にしてあったのじゃが、誰か、これを出したのか?」
さあっと。
酔って、覚えている者はなくて。
「それって……」
「飲めば、若返る。いや、子供になる、じゃな。あまり、旨い物ではないし」
「な、酒の味なんてどうでもいい! 姫様、どうなるんだ!」
太郎が、吼えた。
「そうだよ! 頭領!」
葉子も、吼える。
黒之助は、二人の剣幕にまた怯える姫様をあやす。
「いや……一日で、元に戻るから」
落ち着いた声を、頭領は出した。
「本当に?」
「うぬ。そう、心配しなくていい」
とにかく、服を着せねばならんな。
そう言うと、頭領は溜息を一つついた。
「ああ、もう! ほとんどあげちゃったんだっけ!」
葉子が、たんすをがさごそ。
姫様の、子供の頃の服。
使わなくなったそれは、朱桜と白月にあげてしまって。
出てくるのは、大きくなった姫様のものばかり。
「……あったあった」
とりあえず、これでいいかと。
金魚に風鈴。
夏用。
今は……春。
「……いいよね」
風邪を引く前に、っと。
「くー、可愛い!」
服を着せると、幼子に頬擦り頬摺り。
姫様は、ふにゅ? っと声を出した。
「そうか、前は、こんなに小さかったんだ」
今は、大きくなって、綺麗になって。
自慢の、姫様。
「うんうん、懐かしいよ。これを着て、夏祭りに行ったんだよね」
うっとりとした。
遠き日のことを、思い出しながら。
「……葉子さん」
「なに、姫様?」
「部屋、変わった?」
「あ、え?」
「違う気がする」
「そりゃ、まあね……」
記憶が、混じっている。
そう、頭領には言われていた。
このころは……物、少なかったかな?
随分と、姫様の宝物増えたもんね。
「ああ、ちょっと」
姫様は、とことこ部屋を出ようとして。
尾を伸ばして絡ませ幼子を引き留める。
「変だから、確かめる!」
んにゅーっと前に進もうと。
でも、なかなか進めない。
「んー、もう遅いし、朝にしたら?」
「や!」
「でもねえ」
「葉子さんのけち! けちけち!」
「けち……」
「けちだよ! えい!」
「ミギャ!」
尾っぽ。
噛みつかれた。
葉子、涙目で姫様を追いかける。
しょうがないねと、くすんと自分の尾を撫でた。
狐火を、飛ばす。転ばないように。
部屋を出て、真っ暗闇で、足を止めた姫様のために。