小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

愉快な呂布一家~再起(終)~

馬岱さん! 頭を上げて下さい!」
「頼む」
 額を、床に擦り付ける。
「え、あう」
 そんなこと、急に言われても、と。
「無理、か……そうだな……」
 ぺたんと腰を下ろすと、憂いを帯びた子犬のような瞳で魏延を見る。
 顔を真っ赤に染めた魏延は、
「じゃ、じゃあ、呂布様にお願いしてみます」
「頼む」
 そう言って、また馬岱は頭を下げた。



「フンフフ~ン」
 呂布さん。
 鼻歌交じりに武具を磨く。
「全力で~、おれんじ食べて~」
 ……。
「不思議なのーとに、名前を書いて~」
 ……。
「腑を、ぶちまける!」
 ……。
 ちょっとやってみたかった。反省はしてます、はい。
 漆黒の鎧が、鏡のように呂布さんの顔を映し取る。
 ふっ、っと息を吹きかけると、白く曇る。
 それを、また、磨いていく。
 ピカピカ。
 ん、っと顔を上げた。
 ぱあ、っと、表情が輝いた。
魏延! 馬岱さん!」
 鎧をきちっと置くと、たたたっと二人に駆け寄る。
 可憐なポニーテールが、ころころ踊る。
 広間には、三人以外誰もいない。
 武具の整備をするとき、呂布さん、一人になることを好むのだ。
 馬岱は、魏延の後ろにいた。
 呂布さんと馬岱は、同じ色の着物を身に着けていた。
「どうしたの? 珍しいね」
「十部軍の諸侯のうち、七人を、従えたとか」
 ああ、っと言うと、こくりと顎を引いて。
 魏延は、心配そうに馬岱を見つめている。
 今、武器を持っているのは、大薙刀を背負う魏延だけ。
 呂布さんも馬岱も丸腰である。
「そうだよ。後は、」
「叔父上と、韓遂おんじと、馬玩殿だけ」
 一つ一つ、確かめるように、馬岱は言った。
「うん」
 呂布さんは、ちょっと安堵して。
 名前、覚えていなかったのだ。
「お見事です。十部軍を、短期間でここまで」
「運が良かったよね。李儒が……董卓軍の生き残りが、私達の助けになった。なんだか複雑だけど。董卓は、私がこの手に掛けたんだし」
 遠い目をする。
 短い間に、様々な死が、あった。
 それでも、自分は生きている。
 まだ、戦っている。
「それで……残った三人の扱いは?」
「決めてないよ。あちらの出方次第」
「……助けて、下さい」
「へ?」
「叔父上と兄上、休に鉄、韓遂おんじに成公英さま、馬玩殿。皆の命は」
 真剣な眼差し。
 呂布さんは、それを真正面から受け止め、
「わからない」
 そう、言った。
「あの、呂布様……」
魏延?」
「僕からも……」
「……約束、出来ないよ。だって、まだ、勝ってないんだもの」
「……勝っている!」
 馬岱が、声を荒げた。
「貴方は、勝者だ! 十部軍のうち、七軍を配下に収めた。兵は自軍だけで四万以上……叔父上達は、三人で三万……いかないかもしれない。今の情勢なら。そして、兵の質は段違いだ。もう、戦は終わった」
「本気で言ってるの?」
「当たり前だろう。誰だって」
「勝つ方法……つまり、私達が負ける方法は、あるよ」
 呂布さんが、背を向けた。
 かっかっと、ほつれの見える玉座に戻っていく。
 そこが、呂布さんお気に入りなのだ。
「私達の戦は、いつも兵力の差のある戦ばかりだった。でもね、私達は勝つつもりだった。あるじゃない、簡単な方法が。どんな劣勢でも、簡単に撃ち破る方法が」
「それは……」
「大将の首を獲ればいい」
 振り返る。
 嬉しそうに、楽しそうに、呂布は言う。
 死神。
 戦姫。
 無邪気に笑う彼女に、馬岱は言葉を放つことが出来なかった。
 どうして、そう、笑いながら言えるのかと。
 首を、獲る。
 それは、呂布を殺すということだ。
 自分の死ですらも、無邪気に笑う……狂っている。
 だが……と。
 その狂乱した美しさに、皆はついていくのかと、漠然と思った。
「私を、殺せばいいよね。戦に持ち込んで。出来ないことじゃないと思うよ。戦に、絶対はない。何が起こるかわからないもの」
 叔父上は、戦をするだろうか。
 しない、という気がする。
 では、兄上は?
「そして……私が、馬岱さんに命を約束出来ないのは、戦場で、私が殺してしまうかもしれないから。戦になれば、私は、大将の首を狙う」
 大将、の、首。
 そうだろう。
 この、女なら。
「……そう……か……」
 魏延が、突き飛ばされた。
 予想だにしていなかったのだろう。
 受け身すら、取れなかった。
 馬岱が、大薙刀を構え、呂布に突きつけていた。 
「へぇ……」
「大将の首を獲ればいいと言ったな。それは、別に戦場とは限らない。今、ここで」
「そう、そうだね」
 渦を巻く。
 殺気を込めた一撃は、床を抉り抜いた。
 呂布は、紙一重のところで、馬岱の斬撃を避けた。
 いや、あえて紙一重に避けてみせた。
「……本気だね」
「当然だ」
 今、この場。
 絶好の機会。
 そして……絶好の、自分の死に場所。
 魏延に、殺されたいと言った。
 でも、やめておこうと思った。
 そうなったら、魏延は悲しむだろうから。
「駄目です! 馬岱さん!」
 魏延が起きあがり、馬岱に抱きついた。
 振り払おうとしたときには、眼前に方天画戟が突きつけられていた。
 いつのまに?
 これが、最強か。
 馬岱は、くっと目を瞑ると、大薙刀を床に落とした。
 ころころと、転がり、馬岱から遠ざかる。
 冷たい床に腰を下ろしても、まだ、方天画戟は突きつけられていた
「良い、一撃だった。心地良い殺気が込められてる。うん、私は好きだよ」
 方天画戟を、少し、引く。
 広間の空気が、一気に冷たくなる。
 呂布に熱気を奪われていく。
「ま、待って下さい!」
 魏延が、呂布の前に立ち塞がった。
魏延、どうして、止めるの」
「その……え、その……」
「仲良しなのは知ってるけど……私よりも、馬岱さんを、取るの?」
「どけ、魏延。もう、いいんだ。私は、十分だ」
「そんなこと言われても、無理です! 僕には、呂布様も馬岱さんも、どっちも大切なんです! 失いたく、ないんです……」
「うーん、困ったなぁ……」
 広間の空気に、熱が、戻った。
呂布様!」
 陳宮。息せき切っている。
 中の様子を見て、絶句した。
「これは……」
「うん、ちょっと、稽古してたの!」
 馬岱が何か言いかけたが、その口を魏延が手で塞いだ。
「……稽古ですね?」
「うん!」
 呂布が、玉座に座る。方天画戟を、鎧の傍に、そっと置いた。
「それで、どうしたの?」
「二つ、急報です」
「二つ?」
馬超が、こちらに向かってきます」
「兄上が……」
 やはり、兄上は、その道を選ばれたか。
 誇り高い兄上なら、そうするはずだ。
 呂布を討って、錦の誇りを取り戻すために。
 それでも。
 麾下の騎馬隊、長矛だけでは、無理だ。
 わかっているだろう。
 わかっても、やるだろう。
「問題はですね……馬超は、父親である馬騰から、軍を奪い取ったようです。韓遂からも。馬玩は、馬超に従っているようですね」
「嘘だ!」
「と言われましても……」
「嘘……だ……あんなに優しかった兄上が、そんなことするはずない」
「兵は二万弱。馬超に反発して、軍を抜けた兵もいるようですが、それで逆によく纏まっているとのことです」
「……なるほど」
「あと、一つなのですが」
「あれ、それで二つじゃないの?」
馬超の進軍と叛で、一つ、です」
「止めて!」
 また、馬岱が叫んだ。
「兄上のこと……悪く言わないで……」
「……馬超殿は、親弟、それに韓遂を、城に閉じこめているそうです。後の事は、よろしくとも言ったそうです。確かに、叛と言うのは、言い過ぎでした」
「……兄上ぇえ……」
 泣きじゃくる馬岱を、魏延はどうすれば良いのかわからなかった。
 馬岱の糸が、ぷつっと音を立てて切れた。
 強がって、魏延にお姉さんぶってはいたものの、馬岱は、少女。
 呂布より、一歳下である。
 幼い、のだ。
「……もう一つは……」
「言いにくい、こと?」
「ええ」
「言って」
張楊殿を、ご存じですよね」
張楊さん!? よく知ってるよ! うわ、懐かしいな。丁原様に、一緒に仕えてたんだ。私の家に仕事をほっぽり出して遊びに来ていた丁原様を探しに来て、私や母さまや丁原様を叱りつけてたよ。丁原様の部下で、私を叱ることが出来たのって、張楊さんぐらい。でも、私は、好きだったよ。公平な人で、丁原様良く褒めてた。ご家族と一緒に、ご飯何度かご馳走してもらったしね。そっか、都に来るときに別れて、それっきりだったけど……確か、司州の太守してるんだよね」
 良く、覚えていた。
 元、丁原配下で、優れた文官であった。
 丁原の武の要が呂布なら、張楊は政の要である。
 きちっとした男で、呂布としばしぶつかっていた。
 自由奔放な呂布とは、性格的に合わないものと、周囲には思われていた。
 いつ呂布が手をあげるかと噂されていたが、呂布は一度も張楊には手を出さなかった。
 それは、張楊が優しい男であり、自分を本当に心配しているのだと知っていたからだ。
 息子と娘、
 二人の子と、妻。
 良き、家庭人でもあった。
 母親を亡くし、落ち込んでいた呂布を、自分の家族との食事に誘ったりもした。
 丁原が死に、乱世を生きる事になってから、呂布は、あえて張楊を避けていた。
 それは、迷惑を掛けたくなかったからだ。
「亡くなりました」
「……」
「殺されたそうです」
「……」
 呂布が、方天画戟を、再び握り締めた。
「旧董卓軍……董狼姫配下の閻行に攻められ、降伏するも、殺されたそうです」
「……ご家族は?」
「一緒に殺されたと」
「なに、それ?」
 呂布が、呟いた。
「降伏したんだよね?」
「はい。戦に負け、城を明け渡せば全員の命は助けるという言葉を信じて、降伏したそうです。ですが……張楊殿とご家族を」
「……ふーん」
「閻行殿が……」
「殺す!」
 怒気が、膨れ上がった。
呂布様!?」
「閻行……殺してやる! 戦の準備を!」
「待って下さい! 馬超が!」
馬超を、蹴散らす。それから、すぐに、閻行を殺しに行く。全軍で」
「十部軍の兵の調練はまだ、始まっても」
馬超には、私一人で対峙する! 調練は高順や張遼張繍さんに、十日で仕上げるよう言って」
「無茶な……」
「無茶でもなんでもいい、やって」
呂布様、僕」
魏延は、来なくて良い。馬岱さんと一緒にいてあげて。麾下三百は、私が、いえ、三万は、全て私が動かす」
呂布様、落ち着いて」
「黙ってて、陳宮。しばらく、何もかも、忘れさせて」
 方天画戟が、地に、叩きつけられた。
 


 呂布軍が、出陣する。旗には、何も描かれていない。
 皆、真っ白な旗を持っている。
 弔いの、旗。
 出陣したのは、兵、三万。
 呂布麾下が、先頭。
 それは、一匹の獣のようであった。
 呂布の狂気。
 既に、伝染している。
 陳宮には、狂気を孕んだその軍を、溜息を吐きながら見送ることしかなかった。