小説置き場2

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あやかし姫番外編~鬼之姫と(8)~

 傷が、疼く。
 じっと、されるがままになっていた。
「傷……あまり、変わりありませんね」
 女が、男に巻かれていた布をほどいていく。
 どちらも、寝具の上に腰を落としていた。
 男は、上半身裸であった。男の、心の臓。
 その場所に、惨々とした傷があった。
 溶けかけた腐肉、
 溢れ出る膿。
 男の腐りし躯の一部が、布に粘ついていた。
「痛むのですか?」
「少し、な」
 男の答えに、女の顔が、少し歪む。
 口にはなにも出さず、古い布を丸め、新しい布を広げる。
 傍らの器に手を伸ばし、中の液体を指につけた。
 白い綿にそれを塗ると、布の上に置いた。
 また、器に手を伸ばす。
「傷に、触れます」
 男は顔色一つ変えず……ということもなく、冷や汗を浮かべ、痛みに声を漏らした。
 女の指が、傷口をなぞる。手慣れたものであった。
 透き通った水に手を浸す。
 綿に一枚蒼い葉を乗せると、男の傷口にあて、しっかりと布で固定した。
「終わりました」
 女が、言った。
「ありがとう」
 そう、男が言った。
 寝巻を、着る。
 若い女の瞳は、金色に輝き、銀色に光る。
 ――金銀、妖瞳。
 白髪には少し寝癖がついていて。
 若い男の額には、二つの角。
 美しいが、どこか、冷たい雰囲気を漂わせていた。
 女を見る目は、優しかった。
 独枯山の宿の山姥、やまめ。
 西の鬼、茨木童子
 一夜を過ごし、今、目覚めて。
「もう、あいつらは来ているのか?」
「土鬼さん達は、多分、もう」
「起こしにこなかったんだな」
「気を利かせてくれたのでしょう」
 やまめが、恥ずかしげに俯いた。
「そうか……」
 やまめと出会ったのは、去年の冬。
 雪妖と西の鬼との諍いが原因であった。
 それから、週に一・二度、ここを訪れる。
 朱桜の成長と、やまめと逢う事が今の楽しみだった。
 やまめの金銀妖瞳が、じっと障子を見つめていた。
 木々の影が、大気に、揺れていた。
 茨木童子の前ではやまめはその瞳の色を隠さない。
 あの時知り合い、今は宿の手伝いをするようになった鬼達には、その瞳の色を見せようとはしなかった。
「朱桜さんは、また、大きくなりましたか?」
「……最近はあまり姿は変わらない」
 やまめは、姪と会った事はない。
 それでも、よく、尋ねてきた。
「ただ、」
「ただ?」
「なんでも知りたがる。それが、簡単な問いならいい。難しいんだ。答えを探すのに、一苦労する事も、よくある」
「まあ……」
「多分、姉のように慕っている人の影響だろうが……やっかいだ」
「嬉しいやっかいごとですね」
「そうだな……」
 最近、医術に関心を持つようになった。
 自分と彩花ちゃんのためだろう。
 嬉しい事であった。
「もう少し、ここで休んでいる。やまめは、食事にするといい。土鬼や羽々鬼が、用意してくれているはずだ」
「……私も、もう少しここで休みます」
 やまめが、そう、答えた。
 人の気配。
 ここには近づかない。二人だけだった。
 静かな、空間。
 少し、肌寒い。やまめの手に触れる。
 もう、あの時の凍傷は、肌の上に残っていなかった。
「……叫び声?」
「……ええ」
 どたどたと足音がする。
 やまめが、瞳の色を変える。
 瞳の事をやまめは気にしていた。
 茨木にとっては、その瞳の色は見慣れた物だった。
 八霊のところにいる妖狼が、金銀妖瞳を持っていたからだ。
 妖がその瞳の色を嫌うのは、本能的なものだった。
 古い記憶……ずっとずっと昔の記憶が、原因だという。
 気にするなとは、言えなかった。それを理由として、やまめは独りで暮らしていたのだ。
「……大獄丸か!」
「大獄丸さまが? どうして……許可は、取っているのでしょう?」
 ここを訪れるには、毎回、西の鬼姫の許可が必要だった。
 それも、名を変え、『茨丸』としてだ。
「取っている。まさか、ここで争うことはないだろうが」
「争う? 争うって、」
「よお!」
 障子が勢いよく開けられ、外の冷たい空気が入り込む。
 大柄な男が、顔を覗かせた。
 髭面で強面、だが、どこか愛嬌があって。
 鈴鹿御前の義兄、西の鬼の重鎮、大獄丸。
 やまめが、一拝する。
 茨木も、軽く頭を下げた。
「……邪魔、だったか?」
「いや」 
 大獄丸が、申し訳なさそうに頭を掻いた。
 身に着けている熊の毛皮が波うつ。
 敵意は感じられなかった。
 大獄丸は、茨木より大きい。
 それは、人の姿での事で、鬼の本性では、茨木童子の方が大きかった。
「それで、なんの用だ?」
鈴鹿を、見なかったか?」
鈴鹿御前? いや……」
 やまめと、顔を合わす。
 紅眼。
 こくりと、頷いた。
「知らないな」
「ここには、来てないか」
 大きく気落ちしたように溜息を吐くと、大獄丸がへたり込んだ。
 がっくりと、肩を落としていた。
「ここに来てないって事は……」
「一体、どうしたんだ?」
 大獄丸は、茨木には答えず、
「久し振りだな、やまめ。元気にしてたか?」
 優しげな声で、そう、言った。
「はい」
「大獄丸」
 少し、苛ついた。
「茨木、お前、言ったよな? 今日は、鬼ヶ城には王の姿はないって」
「ん……ああ。今日は、玉藻御前に用があるそうだ」
 兄は、九州に行ったはずだ。
鈴鹿の姿が、朝から見えないんだ。それで、今、俺と俊宗と桐壺で心当たりがある場所を探しているんだが……」
「よくあることじゃないのか?」
「桐壺というと……私を、介抱してくれた方ですね。でも、どうしてその方が?」
「……光とよ、白月、それに飼ってる猫の鈴の姿もないんだわ」
 その二人の名は、知っている。
 その猫の名も。
 朱桜の友達として、二人はあのぶつかり合いの元としても。
 兄は、最近、光という名をよい顔をして聞いてはいなかったが。
「確か、巫女は桐壺が世話しているんだったな」
「まあ、そうだな。結構、俺達もめんどうみているが。白月は、誰に対しても馴れ馴れしいというか……物怖じしないところがあるからな」
「その二人を連れているなら、八霊のところじゃないのか? 別に、それほど焦る事も」
鈴鹿の奴、小通連と釼明を持ち出しやがった」
「……」
「……」
「……」
「小通連と、」
「釼明を」
「……」
「……」
「……」
「大事ですね」
 やまめの声が、うわずっていた。
「大事だ」
 自分の声も、うわずっていた。
「だからよ……焦ってるわけよ」
「……行き先は鬼ヶ城か!?」
「お前も、そう思うか?」
「もし、八霊の所に行っていなければ、十中八九そうだと思う」
「……八霊のところなら、三本揃える必要、ねえよな」
「……しかり。とすると、やはり、」
「理由は、わからんでもない。わからんでもないが……無茶苦茶だ。それが、鈴鹿御前だといえば、そうだが……やっぱり、無茶苦茶だ」
「理由?」
「最近、光と白月……特に、白月だな。言ってたんだよ。朱桜と、遊びたいって。駄々こねられても、色々と都合ってもんがあるしな」
 今は、朱桜が外に出るときは、自分か兄が一緒だった。
「昨日、鈴鹿が漏らしてたんだよ……遊ばせてあげたいなって。自分に重ねちまったのかも、しれねえ」
「自分に?」
「……とにかく、だ。心配するなって書き置きが一応あったけどよ、心配しないわけねえよ。桐壺が案の定青ざめるし」 
「……それほど、心配しなくても」
 やまめが、言った。
 茨木と大獄丸が、視線を若い山姥に向けた。
鈴鹿様は、お優しい人ですし……まさか、争うなんて」
 そんなことになったら、西の鬼と東の鬼が争って……
茨木童子さまと、会えなくなる……」
「そう、なるな」
「なるな」
「それは、困ります」
「……鈴鹿が、するかな?」
「……私は、しないと思う。二人の子供に猫一匹を引き連れて争いを仕掛けるような女ではなかろう」
「だよな……」
 やまめが、茨木の膝の上に手を、乗せた。
 ありませんよね?
 そう、言った。
 茨木は、黙って頷いた。
 傷が少し、痛んだ。