小説置き場2

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あやかし姫~主従(2)~

「暑いわね」
「夏、ですから」
 居間は蒸し暑かった。
 風通しは悪くない。それでも、暑かった。
 姫様、頭領、太郎、黒之助、葉子。
 葉子の膝には、小さな麒麟が乗っていて。
 そして、火羅と、赤麗。
 小妖達は、部屋で待機、であった。
「赤麗を診てほしいと言ったな」
 頭領が、言った。
「ええ」
 火羅は、頭領を見据えた。
 強い目の光だった。
「赤麗は……病を患ってる。だから、診てほしいの」
「……玉藻、か」
 火羅の片眉が、ほんの少し吊り上がった。
「……さぁ。でも……もう、医者はいない。赤麗を……赤麗を、癒してくれる医者は」
「……火羅様」
 赤麗が、口を開いた。
 また、片眉が上がる。
 赤麗は、話すことすら苦しげであった。
「もう、よいのです。すみません。こうして、お手を煩わせて」
「黙ってて。貴方は私の従者なの。私の言うとおりにすればいいの!」
 火羅の形のよい口から、淡い火が溢れ出た。
 すぐに火は消えた。
「ごめんなさい……」
「言うとおりに、すればいいのよ」
「礼は?」
「必ず」 
「まぁ、儂はよいが……彩花」
 視線が、姫様に集まった。
 姫様は、また、目を瞑っていた。
 火羅は、少し唇を噛んだ。
 嫌だと言えば、それでお終い、お終いなのだ。
 多分この娘は、私と同じ感情を抱いている。
 そして……ここにいる者は、この娘の言葉に従う。
「私も、よいと思います」
 火羅は、じっと姫様を見た。
 感情の変化は、読みとることができなかった。
 



「……で、じゃな」
 太郎と黒之助と麒麟は部屋を出された。
 邪魔、と。男衆は、不味いじゃろうと。
 頭領は赤麗を見やると、
「その衣、本物か」
 そう、尋ねた。
 火羅と赤麗。
 二人は、揃いの着物を身に着けていた。
「ええ。衣は、脱いだ方が?」
「よい」
「赤麗」
 声をかける。立ち上がると、無言で脱ぎ始めた。
 時間がかかりそうであった。
「手伝います」
「じゃあ、あたいも」
「……儂も、出た方がよいの」
 頭領が、頭を掻きながら部屋を出ようとした。
「人と妖狼、どちらの姿が?」
 火羅が呼び止める。振り返ると、
「妖狼」
 一言残すと、翁は部屋を出ていった。



 気になることは、色々あって。
 どうして、ここへ来たのか、とか。どうして、麒麟を使っているのか、とか。
 でも、葉子は口にはしなかった。
 三人で、会話もなく淡々と脱がせていく。
 赤麗が、時折、申し訳ないと口にして。途中から、細い折れそうな自分の手を、動かそうとしなくなっていた。
 纏っていたものは、よい生地を使っていた。
 赤と金を基調とした、華美で、精緻な紋様が描かれていた。
 葉子は、この妖狼には似つかわしくないなと思った。
 火羅には似合っているが、この妖狼にはと。自分と同じような、抑えめの色の方が、似合う気がする。
 白い肌襦袢。それが、最後。
 火羅が脱がせた。
 はらりと、足下に落ちる。
 やせ細った裸体が現れた。葉子が、目を背けた。
 骨と、皮。みずみずしさが、どこにもなかった。
 病――重い、病だ。長いこと、生きてきたのだ。多くのものを、見てきた。
 すぐに、わかった。
 姫様は、赤麗の腹に目を奪われた。
 その部分に、手で、触れた。
 呻き声。赤麗が表情を歪ませる。
 火羅が、燃える息を吐きながら、姫様の手首を強く、強く、握り締めた。
「触らないで!」
「お前こそ」
 葉子が、半分妖の本性を現した。
「手を、お離し」
 狐火。陽炎を生む。
「……銀狐が」 
 力を緩め、手を離した。赤く痕が残っていた。さりげなく、姫様は袖で隠した。
 姫様は、透けるあばら骨の下、右の脇腹に、反対の手をやった。
「痛みますか?」
「……はい」
 辛そうであった。
「彩花さん」
 火羅が、苛立ちを隠そうともせず、忌々しげに言った。
「水」
 火羅は、はっと表情を変えた。苛立ちがさっと消えた。
 赤麗の右脇腹には、黒々としたものがあった。蒼白い肌に、黒い、大きなしみ。
 固いものが、姫様の指先に触れていた。
「悪い水がある。ここに集まってる。痛むでしょう?」
「……はい。今も、痛みます」
「そう……妖狼の姿になって下さい。頭領を呼びますから」
 言い当てられた。そう、火羅は思った。
 私の傷の手当てをしたのも、この小娘。
 よく、医術を修めているということね。想像以上に。
 人ではなく、妖の。そうだった。この子は、私の背中の傷を、一目で正確に言い当てた。
 一震いすると、赤麗が妖狼の姿になる。
 上がる炎は弱々しい。憔悴しきった、姿。
 立っているのが、辛いと言うかのように、身体をゆっくりと横たえた。
「よく、耐えたね」
 そっと声をかける。これが、あの、赤麗。
 溢れてくるものがあった。
 堪えろ。そう、思った。
「頭領」
「よいか」
 頭領が入ってきた。
 横たわる妖狼の姿を見るなり、「これは」と言った。
 それから、口は真一文字に閉じられた。



 その昔、火羅の従者は、よく変わった。
 気性の激しい火羅に付けられた者は、一ヶ月と持たず、次々と辞めていった。
 そんなとき、赤麗は自分から名乗り出た。
 年若い狼。
 火羅とは、そう歳が離れてはいなかった。
 なり手がおらず、悩んでいた西の長は、これ幸いなりと赤麗を従者にした。
 赤麗は、火羅によく仕えた。
 一ヶ月、二ヶ月……
 彼女は火羅の従者だった。
 無理難題を言っても、嫌な顔一つせず、それを成し遂げようとする。
 それが火羅には、嬉しいときも、腹立たしいときもあった。
 どこまでもどこまでも、火羅に従順だった。
 いつしか、ずっと傍にいるものだと思うようになっていた。
 なのに……今年の始め、赤麗は仕事を休んだ。
 火羅が身支度を整えようとしたとき、彼女は部屋に姿を見せなかった。
 一人で、やった。できないことではないのだ。
 でも、寂しいものだった。いつも赤麗が手伝ってくれていた。
「赤麗!」
 怒りが噴き上がった。燃え立つ怒りをぶつけようと、彼女の部屋に向かった。
 行き交う者が、眉をひそめる。
 皆は、火羅の癇癪を恐れた。
 長である父も、恐れた。
 恐れなかったのは、一人だけだった。
 赤麗の部屋は質素で簡素で、華美な火羅の部屋とは正反対だった。
 勢いよく戸を開けた火羅が見たものは――
 青ざめた顔でうずくまる、赤麗の姿。
 脇腹を押さえ、歯を食いしばっていた。
「赤……麗……」
 従者の名を呼んだ。烈火の勢いは、どこかに消し飛んでいた。
 彼女は、薄く目を開いた。
「火羅様……支度……手伝わないと……」
 弱々しい笑みを浮かべ、そう言った。
 彼女は、苦しいでも痛いでもなく――火羅の支度、そう、言った。
「医者……医者を!」
 火羅は、赤麗に駆け寄ると、叫んだ。
 大きな声で、叫んだ。
 いつの間にか、彼女は泣き叫んでいた。