小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~主従(6)~

「起きた?」
「……おはようございます」
 上体を起こした。
 よく、眠れた。本当によく眠れた。
 日が照っていた。夜が、過ぎていた。
「よく眠れたようね」
「あ、はい」
「髪、とかしてあげるわ」
 櫛。それに、髪を結わえる紐。
 両手でかざして見せた。
「そんな……もう、火羅様のお手を」
 ここに来るときも、火羅に髪を梳いてもらった。
 自分は従者なのだ。火羅は、主なのだ。
 その想いが、心の深淵からゆらゆらと鎌首を持ち上げた。
「いいから。貴方が変な格好だと、主である私も恥を掻くのよ。わかった?」
 後ろに回る。
 赤麗の、赤色の髪。はねてぼさぼさ。
 肩にかかる柔らかい髪は、寝癖がついて逆毛を立てて。
「しょうがないわね」
 そう言うと、火羅は、櫛で梳き始めた。
「これもね、彩花さんに貸してもらったのよ」
 梅の華が彫りばめられた茶色い櫛。
 目の前でふらふらとさせた。
「へぇ」
 良い品だった。火羅の傍で色々と品々を見ていると、そういう眼が養われた。
「とりあえず、色々と用意したわ。本当はね、里から持ってくればよいのだけれど……今は、帰りたくないから」
 帰りたくない。
 帰れない。
 今は……赤麗と、ずっと一緒にいたい。
 連絡も、とることができない。
 場所を知られたら、絶対に連れ戻しに来る。
 赤麗と、離れることになる。
 ここが、赤麗の病には一番良いのだ。
 離れるのは……嫌だ。
「気分はどう?」
「……すごく、いいです。こんなにいいのは、本当に久し振りです」
「痛みはないのね」
「はい。嘘のように」
 辛さを、火羅は感じていた。
 でも、そのことを赤麗に感づかれてはいけないと心に決めていた。
 堤は満ちている。
 ほんの一滴で、決壊する。危ういところで踏みとどまっているという状態だった。
「……全く、夜だというのに、すっかり眠りこけてしまって」
 妖は夜、起きて行動するものだ。
 不思議なことに、この寺の妖はそうではないようだけど。
「あ……すみません」
「いいのよ。眠りたいときに、眠ってくれればいいわ。はい、おしまいと」
 赤麗に鏡を渡した。この鏡も、借り物。
 全てが、あの娘の色に染まっている。そう、火羅は思った。
 鏡に移る赤麗は、上気したように、頬をほのかに染めていた。
 髪はきちんと整えられ、後ろで一つくくりにされていた。
 顔を傾けると、短い尾のように、髪が動いた。
「まるで、酔ってるみたいね」
「えへ」
 子供っぽく笑いながら、顔を後ろに向けた。
「火羅様?」
 ふわりと抱き付かれた。腕を、廻された。
 胸の位置で、火羅の両腕が交差した。首元に、火羅の息がかかった。
「衣を、着るわ」
「……はい」
「手伝って……いつものように」
「……喜んで」 
 火羅様。
 私の――お仕えする、主。
 赤麗。
 私に――仕える、友人。


「大丈夫、姫様?」
「う?」
「手、動いてないよ」
「あう」
 とろとろとろ。
 薬草を磨り潰す音が、また、聞こえ始めた。
「朝からぼーっとしてるけどさぁ。またお疲れ?」
「ええ。色々と、ばたばたしてましたし」
 苦笑いを浮かべた。
 嘘――
 私は、嘘吐きだ。
 昨日の夜、太郎さんとお喋りをしていた。
 二人だけの会話。二人だけの時間。
 秘密の、時間。
 太郎さんは、私のことが好きだと言ってくれた。
 私も、太郎さんのことが好きだと、伝えた。
 そのことは、二人だけの秘密。
 今は、秘密にしておきたいの。
 全てが、わかるまで。
 そう言うと、太郎さんは、大きく頷いた。
 それが……見られた。妖狼の、姫君に。
 太郎さんの背中にもたれかかっているとき、声を、かけられた。
 そのときの、赤い妖狼の眼。しばらく、忘れられそうにない。
 心音。急に大きくなった。早くなった。
 重なり、増して。
 火羅さんは、準備を手伝って。そう、言った。
 皆、眠っているからと。
「そうだ……」
「なにがさ?」
「あ、なんでもないです」
「ふーん」
「なんでも、ないですって」
「ふーんふーん」
 皆が、眠っている時を見計らって。
 眠っている時を、見計らって?
 どうして、いつも皆が眠っているの?
 そんなに、都合よく……
 気づかなかった。夢心地だったから。皆といると、楽しい。
 二人でいると……嬉しい。
 くつ、
「え?」
「ん?」
 笑い声が、聞こえた気がした。
 額。
 銀狐の手が、置かれていた。
「熱はないようだけど。ぼーっとしてるけどさぁ」
「……少し、考え事を」
「休む? 結構、できたみたいだし」
 薬は小妖達には任せられない。勝手に飲まれて、生死を彷徨われるのは、もう、こりごり。
 太郎さんはご飯作り。クロさんはお札作り。
 姫様と葉子が薬作り。
 きちっと分担していた。
「太郎様!」
 勢いよく戸が開かれた。粉薬を作ってる最中じゃなくてよかった。そう、心底姫様は思った。
 妖狼の姫君と、その従者に目をやる。
 顔色が少しよくなっていた。よく眠れたんだと思った。
「あら、ここにもいないのね」
「火羅さん、赤麗さん?」
「お仕事中、ごめんなさい」
 もじもじと、赤麗が。火羅は、堂々としたもので。
 二人とも、姫様の着物を身に着けていた。
 火羅の容姿は、艶めかしく見える。
 着崩した着物が、より色香を匂わせた。
 私が着てもそうは見えないのに。
 ……姫様は、ちょっぴり落ち込んだ。
「太郎様に見てもらおうと思ったんだけど、どこにもいなくて……彩花さん、知らない?」
「台所にいると思います」
「あら、そうなの。お料理でも?」
「お肉、焼いていますよ」
「この匂い、太郎様が……なるほど、熊、ね。それに牛だわ」
 鼻を二人ともひくひくと動かす。
 姫様には、そこまでわからなかった。
「いくわよ、赤麗!」
「あ、はい! 失礼をば!」
 駆け足ではなく、ゆったりと。赤麗に合わせている。そう、姫様は思った。
「なんだろう……あの調子じゃあ……」
 銀狐が、目を三日月に細め、ほむっと息を吐いた。
「太郎のこと、諦めてないんじゃない?」
「……」
 姫様は黙って薬作りにまた取りかかった。
 力が、籠もった。
 姫様の影が、陽炎のように揺らめき、嗤った。
 影が――影が、嗤うはずが、ない。
 それでも……嗤った。
 くつ、と。
 くつ、と。
 くつくつ、と。