あやかし姫~主従(7)~
油が弾ける。
白煙が、格子を通って外に向かう。
箸で加減を見ながら裏返す。
肉の、焼ける匂い。
もういいだろうと、網の上から皿に移した。
熊肉、それに牛肉。蔵から引っ張り出してきた。たれ壺も一緒に。
赤麗さんは何が好きですか? そう姫様が尋ねると、わたしは肉が好き。
そう、横から火羅が答えた。
今日のお昼は――お肉。
「ありつける……かな?」
よく我慢してるな、俺。ったく、鼻が効く分、きついよこれ。
「ここにいらしゃったのね」
眉間に、深い皺が寄った。
振り向く。二人の少女の姿を、目に、収めた。
頭領の薬が効いているのだなと、太郎は感じた。
「どうですか? 彩花さんに貸してもらったんです」
ひらりと、廻った。衣が、波のように揺らめいた。
赤麗も、頬を赤らめたまま、どうでしょうかと尋ねた。
「……んー、いいんじゃねえの」
答えようがなかった。
興味がないのだ。前に姫様が着ていた。それは覚えていた。
火羅が頬を少し膨らませ、赤麗はいいですってと、嬉しそうに主に告げた。
肉の焦げる臭い。
慌てて網の上から移動させた。
黒焦げ。黒之助のこと、あんまし言えねぇな。
そう思いながら、それは口に運んだ。
「太郎様」
「なんだよ」
また、後ろを向いた。真剣な眼差しをした火羅の顔が、近くにあった。
「私のこと、嫌い?」
「好きになれると思うか?」
太郎の双眸が、月の色を帯びた。
金の眸と、銀の眸。
火羅は、少し視線を下げると、
「咲夜さんには、悪いと思ってる」
そう、言った。
「あれは、私が悪かった」
「太郎様……」
赤麗。声が震えていた。口を押さえていた。
太郎は、自分のうかつさに内心舌打ちしながら、その目の色を黒に染めた。
月が、闇に姿を隠す。
「それが……」
赤麗が、ついっと一歩踏み出した。
一歩、二歩と、ゆっくりと近づいてくる。
火羅の横で、立ち止まった。
「色々とお辛いことがあったでしょう」
「……追い出されたからな」
「それなのに……太郎様は、命を賭して妖猿の群れと戦ったんですね。北の妖狼族を守るために」
「妹に頼まれた。お袋もいたし。嫌いな奴ばかりだけど……それで、十分だった」
「……強くて、優しい、方ですね」
不思議そうに、病を帯びた妖狼を見やった。
儚い笑み。それは……死を、感じさせた。
太郎は二人に背を向けると、また、肉を焼き始めた。
「太郎様、火羅様もお優しい方ですよ」
かあっと、火羅が赤くなった。
なにを言い出すのと、手を大きく振った。
蝉が鳴く。
「もうすぐ焼きあがる。姫様にも言って、居間で待っててくれ」
じゃれ合う二人に、そう、声をかけた。
「太郎様も他の方々も、彩花さんのことを姫様とお呼びするんですね」
食べ終わり。
肉。皆にも、行き渡った。ここにいない頭領以外、皆。
赤麗もよく食べた。火羅が、半ば呆れるほどに。熊の肉をとくに好んだ。
強いくせがある。太郎や銀狐は、くせを消すためにたれをつけて食べる。
赤麗は、たれをつけずに食べた。
ごちそう――最初に、赤麗はそう漏らし、頬を染めた。
「どうしてですか?」
「私も、気になってた」
火羅が、言った。
これだけ力ある、強い妖がと。
「えっと……なんて言うんでしょうか……」
「おいら達の姫様だから」
小妖が、言った。
そうそう。
小妖達が、言った。
「……そんなところです」
「なるほど……」
わかったようなわからないような、そんな生返事を、唇にてかてか油を光らせながら火羅は口にした。
それから、舌で油を舐めとった。
指の油も、順に舐めとった。
姫様はあまり汚れていない。
どんどん皆に食べられ、気づいたときにはほとんどなくなっていた。
先に取っておけばよかったと思っても、後の祭り。
幸い、野菜は残っていた。きゅうりや山菜を、特製のたれにつけて食べた。
いつからあるのか誰も知らない甘だれにつけて、ぽりぽりと。
はむ!
沙羅ちゃんの気持ちがわかります――
一本丸かじりして、そう、思った。
「そろそろお薬を」
さじで、どろっとした液状の物を、湯飲みに垂らした。
妖達が一歩下がる。姫様は平気な顔で、水を加えた。
「……苦そうですね」
「苦いです」
水で薄めても、その苦々しい色には変わりはなくて。
目を瞑り、意を決して一息で飲み干す。器を置くと、少し首を捻った。
「甘い……」
「蜂蜜を少し混ぜたんです」
そう言って、姫様は微笑んだ。
銀狐が耳をぱたぱた動かしながら後片付けを始めた。赤麗も、手を動かそうと。
火羅が遮り、
「私がやるわ」
そう、言った。赤麗は、その言葉に従った。
「お腹……いっぱい」
風が抜けていく。暑さがその分和らぐ。
「いいお庭ですね」
寝そべっている妖達に声をかけると、縁側に寄った。
赤麗の目に映る庭は、手を入れているようにも、生えるに任せているようにも見えた。
火羅の好みにも、自分の好みにもあっていた。
「……太郎様」
北の妖狼が、妖猿の群れに襲われた。
それを、一人で平らげた。
どんな恐ろしい狼なのだろうと思った。主が見合いをすると聞いて、怖々とした。
赤麗は……火羅のことが、心配でたまらなかった。
一人で会いに行き、しばらくして、その話は立ち消えとなった。
金銀妖瞳の、持ち主。
思っていたような怖い男ではなかった。
ほっとした。
「太郎様は、いい人そうで……」
殺気を感じた。燃え上がる妖気。
肌が、ひりひりとした。
「火羅……様……」
背後にいた。赤麗を見下ろしていた。
感情の無い、瞳。
赤麗は、恐れた。
「お出かけするわよ。美味しいお団子が、あるらしいわ」
ふっと、感情が、宿った。
「……」
「行かないの?」
「……行きます」
「太郎様、気に入った?」
「え?」
返事を待たず、困ったような笑みを浮かべながら、火羅が手を出した。
戸惑いながらも、火羅の手に自分の手を重ねた。
指と指が絡まる。
促されるままに、腰を、あげた。
「……えっと……」
手。
繋がっていた。
「このまま、行くわよ」
火羅――顔を赤くしていた。
赤麗は笑いながら、手に力を込めた。
「はい」
心の底から、赤麗は思った。
無理だとわかっていても、思わずにはいられなかった。
もっと、こうして一緒にいたいです。
火羅様。
「行きましょう。お団子、楽しみです」
白煙が、格子を通って外に向かう。
箸で加減を見ながら裏返す。
肉の、焼ける匂い。
もういいだろうと、網の上から皿に移した。
熊肉、それに牛肉。蔵から引っ張り出してきた。たれ壺も一緒に。
赤麗さんは何が好きですか? そう姫様が尋ねると、わたしは肉が好き。
そう、横から火羅が答えた。
今日のお昼は――お肉。
「ありつける……かな?」
よく我慢してるな、俺。ったく、鼻が効く分、きついよこれ。
「ここにいらしゃったのね」
眉間に、深い皺が寄った。
振り向く。二人の少女の姿を、目に、収めた。
頭領の薬が効いているのだなと、太郎は感じた。
「どうですか? 彩花さんに貸してもらったんです」
ひらりと、廻った。衣が、波のように揺らめいた。
赤麗も、頬を赤らめたまま、どうでしょうかと尋ねた。
「……んー、いいんじゃねえの」
答えようがなかった。
興味がないのだ。前に姫様が着ていた。それは覚えていた。
火羅が頬を少し膨らませ、赤麗はいいですってと、嬉しそうに主に告げた。
肉の焦げる臭い。
慌てて網の上から移動させた。
黒焦げ。黒之助のこと、あんまし言えねぇな。
そう思いながら、それは口に運んだ。
「太郎様」
「なんだよ」
また、後ろを向いた。真剣な眼差しをした火羅の顔が、近くにあった。
「私のこと、嫌い?」
「好きになれると思うか?」
太郎の双眸が、月の色を帯びた。
金の眸と、銀の眸。
火羅は、少し視線を下げると、
「咲夜さんには、悪いと思ってる」
そう、言った。
「あれは、私が悪かった」
「太郎様……」
赤麗。声が震えていた。口を押さえていた。
太郎は、自分のうかつさに内心舌打ちしながら、その目の色を黒に染めた。
月が、闇に姿を隠す。
「それが……」
赤麗が、ついっと一歩踏み出した。
一歩、二歩と、ゆっくりと近づいてくる。
火羅の横で、立ち止まった。
「色々とお辛いことがあったでしょう」
「……追い出されたからな」
「それなのに……太郎様は、命を賭して妖猿の群れと戦ったんですね。北の妖狼族を守るために」
「妹に頼まれた。お袋もいたし。嫌いな奴ばかりだけど……それで、十分だった」
「……強くて、優しい、方ですね」
不思議そうに、病を帯びた妖狼を見やった。
儚い笑み。それは……死を、感じさせた。
太郎は二人に背を向けると、また、肉を焼き始めた。
「太郎様、火羅様もお優しい方ですよ」
かあっと、火羅が赤くなった。
なにを言い出すのと、手を大きく振った。
蝉が鳴く。
「もうすぐ焼きあがる。姫様にも言って、居間で待っててくれ」
じゃれ合う二人に、そう、声をかけた。
「太郎様も他の方々も、彩花さんのことを姫様とお呼びするんですね」
食べ終わり。
肉。皆にも、行き渡った。ここにいない頭領以外、皆。
赤麗もよく食べた。火羅が、半ば呆れるほどに。熊の肉をとくに好んだ。
強いくせがある。太郎や銀狐は、くせを消すためにたれをつけて食べる。
赤麗は、たれをつけずに食べた。
ごちそう――最初に、赤麗はそう漏らし、頬を染めた。
「どうしてですか?」
「私も、気になってた」
火羅が、言った。
これだけ力ある、強い妖がと。
「えっと……なんて言うんでしょうか……」
「おいら達の姫様だから」
小妖が、言った。
そうそう。
小妖達が、言った。
「……そんなところです」
「なるほど……」
わかったようなわからないような、そんな生返事を、唇にてかてか油を光らせながら火羅は口にした。
それから、舌で油を舐めとった。
指の油も、順に舐めとった。
姫様はあまり汚れていない。
どんどん皆に食べられ、気づいたときにはほとんどなくなっていた。
先に取っておけばよかったと思っても、後の祭り。
幸い、野菜は残っていた。きゅうりや山菜を、特製のたれにつけて食べた。
いつからあるのか誰も知らない甘だれにつけて、ぽりぽりと。
はむ!
沙羅ちゃんの気持ちがわかります――
一本丸かじりして、そう、思った。
「そろそろお薬を」
さじで、どろっとした液状の物を、湯飲みに垂らした。
妖達が一歩下がる。姫様は平気な顔で、水を加えた。
「……苦そうですね」
「苦いです」
水で薄めても、その苦々しい色には変わりはなくて。
目を瞑り、意を決して一息で飲み干す。器を置くと、少し首を捻った。
「甘い……」
「蜂蜜を少し混ぜたんです」
そう言って、姫様は微笑んだ。
銀狐が耳をぱたぱた動かしながら後片付けを始めた。赤麗も、手を動かそうと。
火羅が遮り、
「私がやるわ」
そう、言った。赤麗は、その言葉に従った。
「お腹……いっぱい」
風が抜けていく。暑さがその分和らぐ。
「いいお庭ですね」
寝そべっている妖達に声をかけると、縁側に寄った。
赤麗の目に映る庭は、手を入れているようにも、生えるに任せているようにも見えた。
火羅の好みにも、自分の好みにもあっていた。
「……太郎様」
北の妖狼が、妖猿の群れに襲われた。
それを、一人で平らげた。
どんな恐ろしい狼なのだろうと思った。主が見合いをすると聞いて、怖々とした。
赤麗は……火羅のことが、心配でたまらなかった。
一人で会いに行き、しばらくして、その話は立ち消えとなった。
金銀妖瞳の、持ち主。
思っていたような怖い男ではなかった。
ほっとした。
「太郎様は、いい人そうで……」
殺気を感じた。燃え上がる妖気。
肌が、ひりひりとした。
「火羅……様……」
背後にいた。赤麗を見下ろしていた。
感情の無い、瞳。
赤麗は、恐れた。
「お出かけするわよ。美味しいお団子が、あるらしいわ」
ふっと、感情が、宿った。
「……」
「行かないの?」
「……行きます」
「太郎様、気に入った?」
「え?」
返事を待たず、困ったような笑みを浮かべながら、火羅が手を出した。
戸惑いながらも、火羅の手に自分の手を重ねた。
指と指が絡まる。
促されるままに、腰を、あげた。
「……えっと……」
手。
繋がっていた。
「このまま、行くわよ」
火羅――顔を赤くしていた。
赤麗は笑いながら、手に力を込めた。
「はい」
心の底から、赤麗は思った。
無理だとわかっていても、思わずにはいられなかった。
もっと、こうして一緒にいたいです。
火羅様。
「行きましょう。お団子、楽しみです」