小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~主従(7)~

 油が弾ける。
 白煙が、格子を通って外に向かう。
 箸で加減を見ながら裏返す。
 肉の、焼ける匂い。
 もういいだろうと、網の上から皿に移した。
 熊肉、それに牛肉。蔵から引っ張り出してきた。たれ壺も一緒に。
 赤麗さんは何が好きですか? そう姫様が尋ねると、わたしは肉が好き。
 そう、横から火羅が答えた。
 今日のお昼は――お肉。
「ありつける……かな?」
 よく我慢してるな、俺。ったく、鼻が効く分、きついよこれ。
「ここにいらしゃったのね」
 眉間に、深い皺が寄った。
 振り向く。二人の少女の姿を、目に、収めた。
 頭領の薬が効いているのだなと、太郎は感じた。
「どうですか? 彩花さんに貸してもらったんです」
 ひらりと、廻った。衣が、波のように揺らめいた。
 赤麗も、頬を赤らめたまま、どうでしょうかと尋ねた。
「……んー、いいんじゃねえの」
 答えようがなかった。
 興味がないのだ。前に姫様が着ていた。それは覚えていた。
 火羅が頬を少し膨らませ、赤麗はいいですってと、嬉しそうに主に告げた。
 肉の焦げる臭い。
 慌てて網の上から移動させた。
 黒焦げ。黒之助のこと、あんまし言えねぇな。
 そう思いながら、それは口に運んだ。
「太郎様」
「なんだよ」
 また、後ろを向いた。真剣な眼差しをした火羅の顔が、近くにあった。
「私のこと、嫌い?」
「好きになれると思うか?」
 太郎の双眸が、月の色を帯びた。
 金の眸と、銀の眸。
 火羅は、少し視線を下げると、
咲夜さんには、悪いと思ってる」
 そう、言った。
「あれは、私が悪かった」
「太郎様……」
 赤麗。声が震えていた。口を押さえていた。
 太郎は、自分のうかつさに内心舌打ちしながら、その目の色を黒に染めた。
 月が、闇に姿を隠す。
「それが……」
 赤麗が、ついっと一歩踏み出した。
 一歩、二歩と、ゆっくりと近づいてくる。
 火羅の横で、立ち止まった。
「色々とお辛いことがあったでしょう」
「……追い出されたからな」
「それなのに……太郎様は、命を賭して妖猿の群れと戦ったんですね。北の妖狼族を守るために」
「妹に頼まれた。お袋もいたし。嫌いな奴ばかりだけど……それで、十分だった」
「……強くて、優しい、方ですね」
 不思議そうに、病を帯びた妖狼を見やった。
 儚い笑み。それは……死を、感じさせた。
 太郎は二人に背を向けると、また、肉を焼き始めた。
「太郎様、火羅様もお優しい方ですよ」
 かあっと、火羅が赤くなった。
 なにを言い出すのと、手を大きく振った。
 蝉が鳴く。
「もうすぐ焼きあがる。姫様にも言って、居間で待っててくれ」
 じゃれ合う二人に、そう、声をかけた。



「太郎様も他の方々も、彩花さんのことを姫様とお呼びするんですね」
 食べ終わり。
 肉。皆にも、行き渡った。ここにいない頭領以外、皆。
 赤麗もよく食べた。火羅が、半ば呆れるほどに。熊の肉をとくに好んだ。
 強いくせがある。太郎や銀狐は、くせを消すためにたれをつけて食べる。
 赤麗は、たれをつけずに食べた。
 ごちそう――最初に、赤麗はそう漏らし、頬を染めた。
「どうしてですか?」
「私も、気になってた」
 火羅が、言った。
 これだけ力ある、強い妖がと。
「えっと……なんて言うんでしょうか……」
「おいら達の姫様だから」
 小妖が、言った。
 そうそう。
 小妖達が、言った。
「……そんなところです」
「なるほど……」
 わかったようなわからないような、そんな生返事を、唇にてかてか油を光らせながら火羅は口にした。
 それから、舌で油を舐めとった。
 指の油も、順に舐めとった。
 姫様はあまり汚れていない。
 どんどん皆に食べられ、気づいたときにはほとんどなくなっていた。
 先に取っておけばよかったと思っても、後の祭り。
 幸い、野菜は残っていた。きゅうりや山菜を、特製のたれにつけて食べた。
 いつからあるのか誰も知らない甘だれにつけて、ぽりぽりと。
 はむ!
 沙羅ちゃんの気持ちがわかります――
 一本丸かじりして、そう、思った。
「そろそろお薬を」
 さじで、どろっとした液状の物を、湯飲みに垂らした。
 妖達が一歩下がる。姫様は平気な顔で、水を加えた。
「……苦そうですね」
「苦いです」
 水で薄めても、その苦々しい色には変わりはなくて。
 目を瞑り、意を決して一息で飲み干す。器を置くと、少し首を捻った。
「甘い……」
「蜂蜜を少し混ぜたんです」
 そう言って、姫様は微笑んだ。



 銀狐が耳をぱたぱた動かしながら後片付けを始めた。赤麗も、手を動かそうと。
 火羅が遮り、
「私がやるわ」
 そう、言った。赤麗は、その言葉に従った。
「お腹……いっぱい」
 風が抜けていく。暑さがその分和らぐ。
「いいお庭ですね」
 寝そべっている妖達に声をかけると、縁側に寄った。
 赤麗の目に映る庭は、手を入れているようにも、生えるに任せているようにも見えた。
 火羅の好みにも、自分の好みにもあっていた。
「……太郎様」
 北の妖狼が、妖猿の群れに襲われた。
 それを、一人で平らげた。
 どんな恐ろしい狼なのだろうと思った。主が見合いをすると聞いて、怖々とした。
 赤麗は……火羅のことが、心配でたまらなかった。
 一人で会いに行き、しばらくして、その話は立ち消えとなった。
 金銀妖瞳の、持ち主。
 思っていたような怖い男ではなかった。
 ほっとした。
「太郎様は、いい人そうで……」
 殺気を感じた。燃え上がる妖気。
 肌が、ひりひりとした。
「火羅……様……」
 背後にいた。赤麗を見下ろしていた。
 感情の無い、瞳。
 赤麗は、恐れた。
「お出かけするわよ。美味しいお団子が、あるらしいわ」
 ふっと、感情が、宿った。
「……」
「行かないの?」
「……行きます」
「太郎様、気に入った?」
「え?」
 返事を待たず、困ったような笑みを浮かべながら、火羅が手を出した。
 戸惑いながらも、火羅の手に自分の手を重ねた。
 指と指が絡まる。
 促されるままに、腰を、あげた。
「……えっと……」
 手。
 繋がっていた。
「このまま、行くわよ」
 火羅――顔を赤くしていた。
 赤麗は笑いながら、手に力を込めた。
「はい」
 心の底から、赤麗は思った。
 無理だとわかっていても、思わずにはいられなかった。
 もっと、こうして一緒にいたいです。
 火羅様。
「行きましょう。お団子、楽しみです」