あやかし姫~主従(15)~
赤麗が、誰かと話していた。
楽しそうに、話していた。
相手は、わからなかった。
そんな夢を、束の間の眠りの間に、火羅は見た。
悪い気は、しなかった。
夢でも声が聞けて、嬉しかった。
木像のように、身じろぎせずそこに座っていた。
時折蝋燭の灯が、夏の気配を濃く宿す夜気に揺れる。
今は、二人。
少し前までは、三人。
少女は、眠ってる間も、起きてからも、夜遅くまで側にいてくれた。
紅い蝋燭。
深紅の、火。
ほぉぉと、鳥の鳴く声がした。
「暑いわ……」
火羅が、口を動かした。
袖が、かすかな風を作った。
布を持つ。
赤麗の額に浮かぶ汗を、拭いてやる。
そして、水鏡に、使ったばかりの布を浸した。
桶に波面がおこった。
「傍に、いるからね」
そっと話しかけた。
「今まで、ずっといてくれたから……私が、傍にいるからね」
返事が、欲しかった。
声が、聞きたかった。
夢だけでなく……本当に。
「火羅様……」
そう、この、返事が……
「火羅様」
「赤麗!」
「……長い夢を、見ていたような……」
声が、聞こえた。
望んでいた、声が聞こえる。
嬉しさに、胸が潰れそうになった。
ああ――
夢? いいえ、夢じゃない。
「私が、私がわかる!?」
「へ? 火羅様を見間違えるわけないじゃないですか」
そう言いながら、ゆっくりと上体を起こした。
「赤麗……赤麗だ……」
きょとんとした顔であった。
「えっと……もう、夜ですか?」
「……ええ、夜よ」
「ああ、疲れて眠ってしまったんですね」
はにかんだように、赤麗は微笑んだ。
「ん……」
「水遊び、気持ちよかったです」
そうか……
赤麗にとって、今は、あの日の夜、なのか。
「うん、私も楽しかったわ」
「あの、火羅様……お願いがあるんです」
「お願い?」
「一緒に見に行きませんか? 彩花さんが言っていた、川を舞う蛍の群れを」
「蛍?」
そんなこと、言っていただろうか?
「ええ。それはもう、大変綺麗なものだそうですよ」
うっとりとした表情であった。
「外に……」
迷った。
すぐに彩花を呼んで、看てもらうべきではないのか?
蛍など後でいくらでも……
「見に行きましょうよ、火羅様」
赤麗の顔を見て、火羅は顔を上に向けた。喜びが、掌から砂のように零れ落ちた。
蒼色が、消えていた。
肌の色が戻っていた。
「いいわ」
「本当ですか!」
「しっ……もう、太郎様も皆さんも、眠っているわ」
「あ、はい」
慌てて口を押さえる。
その一つ一つの仕草を、胸に刻もうと思った。
「全く、貴方は……」
本当に、ね。
揃いの、着物。
人の匂いのしない着物。
紅を指につけ、乾いた唇に差す。
自分の前に、立たせた。
上から下まで、じっくりと眺め、
「綺麗よ」
肩の力を抜き、そう、言った。
「もう、そんなこと言わないでください!」
「あら。だって、本当のことだもの」
「火羅様ぁ……」
情けない声を出した。
「そうね、確かに私には劣るわ。でも、十分可愛いわよ」
恥ずかしそうに身体をくねらせる赤麗を、愛おしむように火羅は見やった。
「さぁ、行くわよ」
赤麗を、背負う。
ふっと、蝋燭の火を、消した。
一歩、外に出た。
誰もいないのを、確かめる。
廊下を、音無く歩いた。
眠り――古寺全体を覆っているようであった。
玄関で履き物を履く。
履き物を、持つ。
古びた門。
二人は、外に出た。
晴れた夜であった。
古寺を振り返る。
人が、いた。
赤麗は、気付いていないようであった。
息が、弾んでいた。
何も言わず、火羅は歩き出した。
心の中で、礼を言った。
楽しそうに、話していた。
相手は、わからなかった。
そんな夢を、束の間の眠りの間に、火羅は見た。
悪い気は、しなかった。
夢でも声が聞けて、嬉しかった。
木像のように、身じろぎせずそこに座っていた。
時折蝋燭の灯が、夏の気配を濃く宿す夜気に揺れる。
今は、二人。
少し前までは、三人。
少女は、眠ってる間も、起きてからも、夜遅くまで側にいてくれた。
紅い蝋燭。
深紅の、火。
ほぉぉと、鳥の鳴く声がした。
「暑いわ……」
火羅が、口を動かした。
袖が、かすかな風を作った。
布を持つ。
赤麗の額に浮かぶ汗を、拭いてやる。
そして、水鏡に、使ったばかりの布を浸した。
桶に波面がおこった。
「傍に、いるからね」
そっと話しかけた。
「今まで、ずっといてくれたから……私が、傍にいるからね」
返事が、欲しかった。
声が、聞きたかった。
夢だけでなく……本当に。
「火羅様……」
そう、この、返事が……
「火羅様」
「赤麗!」
「……長い夢を、見ていたような……」
声が、聞こえた。
望んでいた、声が聞こえる。
嬉しさに、胸が潰れそうになった。
ああ――
夢? いいえ、夢じゃない。
「私が、私がわかる!?」
「へ? 火羅様を見間違えるわけないじゃないですか」
そう言いながら、ゆっくりと上体を起こした。
「赤麗……赤麗だ……」
きょとんとした顔であった。
「えっと……もう、夜ですか?」
「……ええ、夜よ」
「ああ、疲れて眠ってしまったんですね」
はにかんだように、赤麗は微笑んだ。
「ん……」
「水遊び、気持ちよかったです」
そうか……
赤麗にとって、今は、あの日の夜、なのか。
「うん、私も楽しかったわ」
「あの、火羅様……お願いがあるんです」
「お願い?」
「一緒に見に行きませんか? 彩花さんが言っていた、川を舞う蛍の群れを」
「蛍?」
そんなこと、言っていただろうか?
「ええ。それはもう、大変綺麗なものだそうですよ」
うっとりとした表情であった。
「外に……」
迷った。
すぐに彩花を呼んで、看てもらうべきではないのか?
蛍など後でいくらでも……
「見に行きましょうよ、火羅様」
赤麗の顔を見て、火羅は顔を上に向けた。喜びが、掌から砂のように零れ落ちた。
蒼色が、消えていた。
肌の色が戻っていた。
「いいわ」
「本当ですか!」
「しっ……もう、太郎様も皆さんも、眠っているわ」
「あ、はい」
慌てて口を押さえる。
その一つ一つの仕草を、胸に刻もうと思った。
「全く、貴方は……」
本当に、ね。
揃いの、着物。
人の匂いのしない着物。
紅を指につけ、乾いた唇に差す。
自分の前に、立たせた。
上から下まで、じっくりと眺め、
「綺麗よ」
肩の力を抜き、そう、言った。
「もう、そんなこと言わないでください!」
「あら。だって、本当のことだもの」
「火羅様ぁ……」
情けない声を出した。
「そうね、確かに私には劣るわ。でも、十分可愛いわよ」
恥ずかしそうに身体をくねらせる赤麗を、愛おしむように火羅は見やった。
「さぁ、行くわよ」
赤麗を、背負う。
ふっと、蝋燭の火を、消した。
一歩、外に出た。
誰もいないのを、確かめる。
廊下を、音無く歩いた。
眠り――古寺全体を覆っているようであった。
玄関で履き物を履く。
履き物を、持つ。
古びた門。
二人は、外に出た。
晴れた夜であった。
古寺を振り返る。
人が、いた。
赤麗は、気付いていないようであった。
息が、弾んでいた。
何も言わず、火羅は歩き出した。
心の中で、礼を言った。