小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~主従(終)~

 歩いていく。
 言葉を交えず、歩いていく。
 木々の陰々は、過ぎ去った。
 水の匂いが強くなってきていた。
 立ち止まり、赤麗を背負い直す。
 ――軽い。
 まるで、そこにいないかのよう。
 あの晩よりも、ずっと軽くなっていた。
 淡い息遣いが、赤麗が確かにそこにいるのだと教えてくれた。
「もう少し、辛抱して」
 火羅が、言った。
「……命令ですか?」
 赤麗が、笑ったような気がした。
 火羅が、笑ったような気がした。
 お互いに、笑ったような気がした。
「違うわ」
 首を振った。
 ささやかな虫の音。 
 夜の世界の訪れとともに、昼鳴くものは眠りについた。
「これは、お願いよ」
「……はい」
 


 踏みしめられ、地肌が現れた道。
 月明かりだけで、火羅の目には揺れる叢の一本一本、小石の一粒一粒まで見て取れた。
 足下には、細心の注意を払う。
 緑のたてる音に、水流の音が混じり始めていた。
「もうすぐよ」
「火羅様」
「どうしたの?」
 心配そうに、火羅が言った。
「星が、落ちてきそうです」
 足を止めた。
「……そうね」
 満天の星空を眺めた。
 無数の、光。濃き闇に生きる、光。
 揺らめく星々を見ていると、この広い空の下で、二人だけ――そんな考えが、ふっと浮かんだ。
「さあ、行くわよ」



 姫様が、門の外にいた。
 銀狐が、妖狼が、烏天狗が、その傍らにいた。
 妖達が、傍らにいた。
 頭領が、傍らにいた。
「いいの? 勝手に出かけるの、止めなくてさ」
「……いいんです」
 細く――
 澄んだ――
 声であった。
 銀狐が姫様を優しく抱きよせた。
「そうかい……そうなんだね。そういうことなんだね」
 葉子の胸から、押し殺した泣き声が、尾を、引いた。



「すごい……」
 蛍が、舞っていた。
 水の上を、
 石の上を、
 緑の上を、
 夜の中を、舞っていた。
 星々の光と蛍の光が、融け合い、混じり合い、えもいわれぬ光景を作り出していた。
 幻のような美しさに、赤麗は、ただただ感嘆の溜息を漏らした。
「本当に、すごい。本当にすごいですよ」
 火羅が、冷たい地面に赤麗を下ろす。よいしょと、渡された履き物を履く。
 ゆっくりとゆっくりと伸ばした手の先に蛍の灯が宿り、また離れていった。
「見ました!?」
 無邪気に喜ぶ従者に、透明な笑みを、火羅は向けた。
「見たわ」
 青白い月が、夜空に浮かんでいた。
 二人だけだと、また、火羅は思った。
 腰を下ろすとすぐに、赤麗の頭が肩に触れた。
 もたれかかり、もたれかかられて。
 そうやって、歩んできたのだ。
 永劫に続くと、思っていたのに。
「風が涼しい」
「川の近くだからでしょうか」
「そうかもしれないわ」
「ねぇ、火羅様、これからも彩花さんと仲良くして下さいね」
 蛍が近づき、離れた。
 水に、蛍の光が宿っていた。
「何言ってるの……」
 二人で出て行くのを、あの娘は何も言わず見送った。
 頬を濡らすものを、火羅はその目で見た。
「私は、あの小娘が嫌いなのよ。あの小娘も、私が嫌いなのよ。仲良くなんて、しない。そのぐらい、わかるでしょ」
 これまでもしたつもりはないし、
 これからもするつもりはないの。
「嘘ばっかり」
「赤麗?」
 眉が、上がった。
「もう、二人は友人になってます。これからも、友人です。私はそう思うんです」
「はいはい」
「もう……火羅様、私、」
 声が、小さくなった。
「何?」
 穏やかに続きを促す。
「いつも失敗ばかりして、迷惑ばかりかけて、ごめんなさい。本当に、火羅様にふさわしくない従者で」
「……」
 何も言わず、火羅は自分が梳いた赤麗の髪を撫でた。
「そんな私を、ずっとお傍に置いてくれて、ありがとうございます」
「貴方は、良い従者よ」
「そうですか?」
「ええ。光栄に思いなさい」
 微笑み、赤麗は目を瞑った。
 ――蛍の光が、消えた。
 月明かりに生きる、闇であった。
「見て下さい、火羅様。火羅様のような、綺麗な紅い、月ですよ」
「馬鹿ね」
 目を瞑ったままの赤麗に、火羅は、言った。
「今宵は……蒼い、月よ」
 頬を、擦り寄せる。
「紅くなんて……ないのよ……」
 妖狼の姫君は――
 一人――
 月明かりに照らされながら――
 その想いを――
 溢れさせた――



「色々と、世話になったわね」
「いえ」
「……帰るわ」
 赤い眼の火羅が、姫様に言った。
 妖狼の姫君が去る。ただ一人で、この地より。
 二人で訪ない、一人で帰る。
「ねぇ、私達、友達なのかな?」
 思い切って、言ってみた。
「どうでしょうか」
 姫様が少し、首を横に傾けた。
「そう、そうね」
「……私は……火羅さんのこと、嫌いじゃないですよ」
「……奇遇ね、私もだわ」
「火羅さん、私、太郎さんのこと……好きです」
 はっきりと、言った。
 周りを見やると小声で、
「それも、奇遇よね。実は私もなの」
 可笑しみを込めて、言った。
「……ええ」
「ありがとう」
 そう、火羅は、言った。
 赤麗に、良くしてくれて――
 私にも、良くしてくれて――
 赤麗のために、泣いてくれて――
「ありがとう」
 そう、火羅は、繰り返した。