あやかし姫~姫と火羅(2)~
「きゅ、九州へ?」
「じょ、冗談でしょう!」
「……火羅さんに、会いに行きます」
それだけ言うと、姫様は白刃に跨った。
「ま、待ちなさい!」
葉子が慌てる。黒之助が大口を開ける。
姫様は、暗い表情を浮かべていた。
温泉旅行も無事に終わり、頭領や妖達へのおみやげも渡し。
落ち着きを取り戻し、いつもの喧騒を取り戻し、一週間ばかし経った頃。
姫様はそわそわしていた。
火羅が、表舞台を退いたという報せは、入っていた。
それからの情報が、なかったのだ。
どこで、何をしているのか。
頭領も、掴めなかった。
火羅に文を送っても、返事はなし。
里に文を送っても、返事はなし。
元々筆まめであったから、姫様は心配していた。
見かねた葉子が、文を出した。こちらから手紙を送るのは、本当はしたくなかったのだけれど、他につてもなく。
従弟であり、妹婿である木助に、どうなっているのかと尋ねたのだ。
あまり頼りたくなかったが、娘のためなら、仕方なし――そう、葉子は考えた。
そして、返事が、古寺に届いた。
使いの狐に礼を言うと、銀狐はいそいそと姫様の許へ向かった。
頭領は、今日もお留守。
難題を抱えているようで、いつも疲れた顔をしていた。
「手紙には、何て?」
待ちきれないというように、姫様は居間に戻ってきた銀狐に駆け寄った。
太郎がぴくと白尾を動かし、黒之助が書物から目を離した。
九尾の銀狐である葉子。金銀妖瞳の妖狼、太郎。鴉天狗の黒之助。
人の形をとっているが、それぞれ、獣の耳、獣の尾、鳥の羽と、妖の証を示していた。
葉子は、紐の結びを解くと、文を広げた。
挨拶から始まり、知っている報せと、知らない報せ。
予想していたことが、書かれていた。
「火羅さぁ、しばらく、人気のない場所で、傷の静養するんだって」
「静養……それは、幽閉ということですか」
「だろうね」
否定はしなかった。
「場所は?」
「……阿蘇の火龍の住処」
「え」
「阿蘇の火龍の住処。姫様、火龍のこと知ってるかな? 八百万の神々の一柱でね、悪さばっかりするから、玉藻御前様に殺されたのさ。あの時の戦いは本当に凄いもんだったさね」
間近で、見た。
大妖と、それに匹敵する神の争い。
長く生きてきたが、あれほど大きな争いは、その一度しか見たことがなかった。
「九州の妖達の元顔役を封じ込めるには、良き場所かもしれませんな」
黒之助が口を挟んだ。
仕方なしという顔をしていた。
太郎は、じっと姫様を見ていた。
姫様の手が震えているのを、見ていた。小刻みな震えが、ぴたりと止まる。
何かを決意する。そんな瞳をしていた。
声を掛けようとした。
制するように、姫様が言った。
「駄目です」
「は?」
生きているのがわかって、よかった。そう、考えていたところだった。
「それは、駄目です」
強い瞳だった。
射るような瞳だった。
銀狐と鴉天狗は、言葉を失い、たじろいだ。
圧倒されたのだ。
「ひ、姫様?」
「駄目と申されましても……」
「行きます」
あの、冷徹な妖気とも神気ともつかぬものを纏うと、姫様は固く言い放った。
白刃が、庭に現れた。
姫様は、自分の式神に裸足で近づいた。
「ひ、火羅に会ってどうするのさ!」
葉子が駆け下りる。
顔が真っ青になっている。
「場所を変えるなりなんなり……もしかしたら、また、ここに来てもらうかもしれません」
「な! 姫さん、それはまずい……九州の妖達を、敵に廻すことになる!」
「姫様、言ってる意味わかってるの!」
色を成して慌てる二人とは対照的に、姫様は落ち着いていた。
「ええ、わかっています」
「待て」
二人が、それまで押し黙っていた妖狼の方を見る。
姫様が、妖狼を見やる。
金銀妖瞳の妖狼は、真の姿に変じると、白刃の前に立ち塞がった。
「邪魔しないで……」
切ない、憂いを帯びた声を零す。
妖狼はくわりと口を歪め牙を見せると、
「乗れ」
そう、言って、腹這いになった。
「白刃じゃあ、姫様の身が保たない」
「太郎さん……」
姫様は、思わず口を押さえた。
「式神使ったんじゃあ、姫様疲れるからな。半日だ。半日で着いてみせる」
「……ありがとうございます」
式神から降りると、妖狼に跨りしがみつく。
白毛に姫様が彩りを与える。
駄目だという、悲鳴に似た響きがあがった。
「二人とも! 姫様、あたいの言うことが!」
葉子は、泣きそうになっていた。
それは、姫様も同じだった。
二人の表情が歪んでいた。
「お母さん……その場所は、駄目なんです。駄目なんですよ」
「太郎殿!」
黒之助が、烏天狗の姿になると、妖狼の前に立ち塞がった。
姫様が、太郎に行って下さいと言う。
そして、
「白刃」
ぐあと、式神が黒之助を襲った。
「ひ、姫さん……」
錫杖で白刃を防ぐ。黒い羽面が、青みがかったように見えた。
「ごめんなさい、葉子さん。ごめんなさい、クロさん……太郎さん、半日でも遅い。すぐに、行きます」
「待ちなさ、」
垣根を飛び越え、敷地の外に出た途端、二人の姿が、薄れ、消えた。
同時に、黒之助を襲った白刃も、消えた。
「あの時の……」
傷を負った太郎のところに「飛んだ」ときと、同じだった。
気配は、ない。
もう、どこにもいない。
二人は、行ってしまった。
小妖達が、ざわめく。
それまでは、姫様に圧され、息を吸うことも出来なかったのだ。
「ど、どうする!?」
二人が消えたこともそうだが、姫様が自分に式神を向けたことが、黒之助にとっては衝撃であった。
あの、姫さんが……幼少の頃より、慈しんできた姫さんがと。
「どうするって……あ、あたいも、九州に行く」
「しかし、時間が」
あの時の姫様は、消えてすぐに太郎の所に現れた。
妖狼が言った半日は、自分達の足で限界に近い速さだ。
「星だ。確か、朱桜ちゃんが使った星が、蔵にあったよね」
「……ある! そうか、あれを……つ、使えるのか!?」
「朱桜ちゃんに使えて、あたいに使えないわけなさね。クロちゃん、頭領にこのことを早く知らせて!」
「わ、わかった!」
黒之助が、式を放つ。
銀狐は、蔵に奔った。
星――流星。これなら、すぐだ。だが――
「玉藻御前様……」
向かうは、九尾の金銀大狐のところ。
星でも、間に合わない。
姫様は、火羅を助けるだろう。
白刹天が死に、火羅の力が落ちた今、九尾を除き、九州に太郎に勝てる妖はいないのだ。
だから、その先のことを考える。
姫様を守るには、大妖の力を借りるのが一番だった。
「葉子殿、拙者も!」
「一人しか乗れないさね!」
白い煙が起き、姿が消え、星と一体となる。
やるしか、なかった。
「クロちゃん、頭領によろしくね」
「……ああ」
黒之助の顔に翳りが浮かんだのを、銀狐は星の中から眺めた。
そして、景色が加速し、銀狐は玉藻御前を思い浮かべた。
「じょ、冗談でしょう!」
「……火羅さんに、会いに行きます」
それだけ言うと、姫様は白刃に跨った。
「ま、待ちなさい!」
葉子が慌てる。黒之助が大口を開ける。
姫様は、暗い表情を浮かべていた。
温泉旅行も無事に終わり、頭領や妖達へのおみやげも渡し。
落ち着きを取り戻し、いつもの喧騒を取り戻し、一週間ばかし経った頃。
姫様はそわそわしていた。
火羅が、表舞台を退いたという報せは、入っていた。
それからの情報が、なかったのだ。
どこで、何をしているのか。
頭領も、掴めなかった。
火羅に文を送っても、返事はなし。
里に文を送っても、返事はなし。
元々筆まめであったから、姫様は心配していた。
見かねた葉子が、文を出した。こちらから手紙を送るのは、本当はしたくなかったのだけれど、他につてもなく。
従弟であり、妹婿である木助に、どうなっているのかと尋ねたのだ。
あまり頼りたくなかったが、娘のためなら、仕方なし――そう、葉子は考えた。
そして、返事が、古寺に届いた。
使いの狐に礼を言うと、銀狐はいそいそと姫様の許へ向かった。
頭領は、今日もお留守。
難題を抱えているようで、いつも疲れた顔をしていた。
「手紙には、何て?」
待ちきれないというように、姫様は居間に戻ってきた銀狐に駆け寄った。
太郎がぴくと白尾を動かし、黒之助が書物から目を離した。
九尾の銀狐である葉子。金銀妖瞳の妖狼、太郎。鴉天狗の黒之助。
人の形をとっているが、それぞれ、獣の耳、獣の尾、鳥の羽と、妖の証を示していた。
葉子は、紐の結びを解くと、文を広げた。
挨拶から始まり、知っている報せと、知らない報せ。
予想していたことが、書かれていた。
「火羅さぁ、しばらく、人気のない場所で、傷の静養するんだって」
「静養……それは、幽閉ということですか」
「だろうね」
否定はしなかった。
「場所は?」
「……阿蘇の火龍の住処」
「え」
「阿蘇の火龍の住処。姫様、火龍のこと知ってるかな? 八百万の神々の一柱でね、悪さばっかりするから、玉藻御前様に殺されたのさ。あの時の戦いは本当に凄いもんだったさね」
間近で、見た。
大妖と、それに匹敵する神の争い。
長く生きてきたが、あれほど大きな争いは、その一度しか見たことがなかった。
「九州の妖達の元顔役を封じ込めるには、良き場所かもしれませんな」
黒之助が口を挟んだ。
仕方なしという顔をしていた。
太郎は、じっと姫様を見ていた。
姫様の手が震えているのを、見ていた。小刻みな震えが、ぴたりと止まる。
何かを決意する。そんな瞳をしていた。
声を掛けようとした。
制するように、姫様が言った。
「駄目です」
「は?」
生きているのがわかって、よかった。そう、考えていたところだった。
「それは、駄目です」
強い瞳だった。
射るような瞳だった。
銀狐と鴉天狗は、言葉を失い、たじろいだ。
圧倒されたのだ。
「ひ、姫様?」
「駄目と申されましても……」
「行きます」
あの、冷徹な妖気とも神気ともつかぬものを纏うと、姫様は固く言い放った。
白刃が、庭に現れた。
姫様は、自分の式神に裸足で近づいた。
「ひ、火羅に会ってどうするのさ!」
葉子が駆け下りる。
顔が真っ青になっている。
「場所を変えるなりなんなり……もしかしたら、また、ここに来てもらうかもしれません」
「な! 姫さん、それはまずい……九州の妖達を、敵に廻すことになる!」
「姫様、言ってる意味わかってるの!」
色を成して慌てる二人とは対照的に、姫様は落ち着いていた。
「ええ、わかっています」
「待て」
二人が、それまで押し黙っていた妖狼の方を見る。
姫様が、妖狼を見やる。
金銀妖瞳の妖狼は、真の姿に変じると、白刃の前に立ち塞がった。
「邪魔しないで……」
切ない、憂いを帯びた声を零す。
妖狼はくわりと口を歪め牙を見せると、
「乗れ」
そう、言って、腹這いになった。
「白刃じゃあ、姫様の身が保たない」
「太郎さん……」
姫様は、思わず口を押さえた。
「式神使ったんじゃあ、姫様疲れるからな。半日だ。半日で着いてみせる」
「……ありがとうございます」
式神から降りると、妖狼に跨りしがみつく。
白毛に姫様が彩りを与える。
駄目だという、悲鳴に似た響きがあがった。
「二人とも! 姫様、あたいの言うことが!」
葉子は、泣きそうになっていた。
それは、姫様も同じだった。
二人の表情が歪んでいた。
「お母さん……その場所は、駄目なんです。駄目なんですよ」
「太郎殿!」
黒之助が、烏天狗の姿になると、妖狼の前に立ち塞がった。
姫様が、太郎に行って下さいと言う。
そして、
「白刃」
ぐあと、式神が黒之助を襲った。
「ひ、姫さん……」
錫杖で白刃を防ぐ。黒い羽面が、青みがかったように見えた。
「ごめんなさい、葉子さん。ごめんなさい、クロさん……太郎さん、半日でも遅い。すぐに、行きます」
「待ちなさ、」
垣根を飛び越え、敷地の外に出た途端、二人の姿が、薄れ、消えた。
同時に、黒之助を襲った白刃も、消えた。
「あの時の……」
傷を負った太郎のところに「飛んだ」ときと、同じだった。
気配は、ない。
もう、どこにもいない。
二人は、行ってしまった。
小妖達が、ざわめく。
それまでは、姫様に圧され、息を吸うことも出来なかったのだ。
「ど、どうする!?」
二人が消えたこともそうだが、姫様が自分に式神を向けたことが、黒之助にとっては衝撃であった。
あの、姫さんが……幼少の頃より、慈しんできた姫さんがと。
「どうするって……あ、あたいも、九州に行く」
「しかし、時間が」
あの時の姫様は、消えてすぐに太郎の所に現れた。
妖狼が言った半日は、自分達の足で限界に近い速さだ。
「星だ。確か、朱桜ちゃんが使った星が、蔵にあったよね」
「……ある! そうか、あれを……つ、使えるのか!?」
「朱桜ちゃんに使えて、あたいに使えないわけなさね。クロちゃん、頭領にこのことを早く知らせて!」
「わ、わかった!」
黒之助が、式を放つ。
銀狐は、蔵に奔った。
星――流星。これなら、すぐだ。だが――
「玉藻御前様……」
向かうは、九尾の金銀大狐のところ。
星でも、間に合わない。
姫様は、火羅を助けるだろう。
白刹天が死に、火羅の力が落ちた今、九尾を除き、九州に太郎に勝てる妖はいないのだ。
だから、その先のことを考える。
姫様を守るには、大妖の力を借りるのが一番だった。
「葉子殿、拙者も!」
「一人しか乗れないさね!」
白い煙が起き、姿が消え、星と一体となる。
やるしか、なかった。
「クロちゃん、頭領によろしくね」
「……ああ」
黒之助の顔に翳りが浮かんだのを、銀狐は星の中から眺めた。
そして、景色が加速し、銀狐は玉藻御前を思い浮かべた。