小説置き場2

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あやかし姫~姫と火羅(3)~

 真紅の妖狼の姫君を運び、幽閉し、そのまま監視の任に就いた妖達は、暇を囲っていた。
 思い思いに時間を潰してはいるが、元来が荒くれ者。
 早く何か起こらないものかと、心待ちにしているところであった。
「あの札……相当に、強いものだな」
「だな」
 退屈しのぎに火羅を見に行こうとし、結界に弾かれた妖達が言った。
 二匹の妖は、手に傷を負い、それを互いに治療し合っていた。
「馬鹿が。あの符は、都でも指折りの陰陽法師が作った代物よ」
 蔑むような視線を投げかけながら、鼬に似た、雷を纏った獣が、言った。
 ――雷獣である。
「都の……よく、作ってもらったな」
「高くあったのだろうな」
「いや、うちが交渉に当たったがな、何もいらぬと仰せられたらしいぞ」
 そう言ったのは、毛繕いをしていた妖猿であった。
「何も?」
「それはまた、後が恐い」
「ただより恐いものはないからな」
「その通りよ」
「白刹天殿といた陰陽師が、その方の弟子であったらしい」
「白菊といったか」
「うむ」
 人の巫女は、火羅が敗れたという話を広めた後、亡骸となって発見された。
 そこには、白刹天の首もあった。
 白刹天の白の字を貰った女は、後を追ったのだろうと、噂しあった。
「あのお方が亡くなられるとなぁ。火羅は、手管を弄するだけだと思っていたのだが」
 そう言ったのは、遠い目をした妖虎だ。
「わからぬぞ。案外、色目に引っ掛かったのかもよ」
「まさか」
「どうせなら、遊んでみたかったな。見目麗しいことは、間違いないのだ」
「稀代の、悪女だがな」 
「悪女なればこそよ。この人数でも、楽しませてくれよう」
「違いない」
 卑下た笑いが方々で起こる。
 妖狼も、笑っていた。火羅の評価は、そのようなもの、であった。
 突如、嗤い声が収まった。
 沈黙。
 ある者は、にぃと忍び嗤いをしていた。ある者は、この任、意味があったのだなと思った。
「誰ぞ」
 雷獣が、言った。
 茶色い毛皮の放電が、強まっている。
 自然、この妖がこの集団の頭の役を担っていた。
 大百足が、ぎぎと無数の手足を動かした。
「ここに……火羅さんが、いますね」
 黒い長い髪を、風に靡かせ。
 白い肌を、日に照らさせ。
 白い大きな狼に乗った娘は、厳かに、そう、言った。
 姫様と、太郎。
 応えたのは、また、沈黙。
「いるんですね」
 姫様が再度尋ねると、山狗が紅色の妖狼に向かって、
「おい、西の」
 そう、言った。
「いや、あの色は……」
 西の妖狼は、目の前の事態に困惑していた。
 皆の責めるような眼差しに、渋々といった表情で、
「北の妖狼だ」
 と、小さな声で言った。
「北の?」
「また、遠いの」
「人を連れているのは、どういうわけだ?」
「質問に、答えなさい!」
「おうおう、威勢のいい」
 目配せしあうと、妖達は、姫様を囲んだ。
 会って間もないが、その動きは、急拵えとは思えないものだった。
「いるぞ、火羅は」
 猿鬼が、岩山の黒い穴に顔を向けた。
「答えてやった。今度は、こちらの尋ねる番、であろう。何者だ? 何の用だ?」
「火羅さんに、会いに来ました」
 妖狼が、一歩、踏みやる。
「誰の許しを受けてだ? そのような報せは、我らには届いていないが」
「許し?」
「火羅は、我らの長の決定により」
「知りませんよ、そんなことは」
 腹立たしげに息を吐くと、
「邪魔です」
 姫様が、冷ややかに言った。
 その言葉に、妖達が色めき立った。
 すぐにでも、暴れたい。
 娘の白い身体を引き裂きたい。そんな感情が、顔に表れた。
「人の血肉は癖になるという。そして、力をくれるとも。血を呑み、肉を喰らえば、細い身体だが、少しは腹の足しになるかな」
「おい」
 妖狼が金銀妖瞳を光らせると、妖の群れに動揺が奔った。
 さらに一歩踏み出すと、動揺は大きなものとなった。
「どけ」
「あの目……あの色……金銀妖瞳」
「北の妖狼の太郎か!」
「飛猿一家を一人で皆殺しにしたという」
 その名は、畏れをもって、九州まで伝わっていた。
「ど、どういうことだ、西の!?」
「し、知らぬ! お、俺に聞くな!」
 妖達は、恐慌をきたし始めていた。
 それを鎮めたのは、雷獣の言葉だった。
「我らの任は、火羅を監視することと、邪な考えを持つ者の手からその身を守ることであったな」
「う、うむ」
「ならば、今が、その時ではないのか」
 雷獣の言葉に、我が意を得たりと頷きあう。
 恐れを抱いたことを、互いに恥じた。
「我らは任務を果たす。ただ、それだけよ」
 いずれも、その強さを見込まれ、火羅を監視する任に就いた強者達。
 金銀妖瞳の妖狼など、恐るに足りず。
 いや、それどころか、これは名を上げる良い機会ではないか。
 そう、彼らの意識は、雷獣の言葉でまとまった。
「ちっ」
 思わず、太郎は舌打ちをうつ。
 面倒だと思ったのだ。
 一匹一匹なら、少し手こずる程度だろうが、いかんせん十数匹と数が多い。
 それに、こちらは姫様を連れているのだ。
「邪魔と言ってるんですよ」
 姫様は、怒気を込めて言いやり、白刃と、式神の名を呼んだ。
 これで、二匹。
 それでも、まだ、数が違う。
 切り抜けられるか――ままよ。
 幸い、狙いは太郎に向いているようだった。それを利用すれば……
 ん……と、ぴくりと太郎は鼻を動かし、傍らを見やった。
 姫様が呼んだ、太郎の白毛から生まれた、式神を見やった。
 歪な形をした、式神が、そこにいた。
 すぅと、霞のように漂っている。
 あるかなきかわからぬような、希薄な存在だ。
 失敗? いや。
 妖達も、何の術かと戸惑いながらも身構えていた。
 一呼吸、
 二呼吸、
 三呼吸。
 急に、それは形をなした。
 変化、した。
 ――狼の胴体、狼の顔。
 ――狒々の前脚、虎の後脚。
 ――尾は蛇の頭で、ぐねりと鎌首を持ち上げて。
 そして、
 瞳は、
 金銀妖瞳。
「白刃……邪魔するなら、容赦しないで」
 姫様は、淀みなく、その異様の『もの』を白刃と言った。
 その『もの』は、姫様と同じものを発していた。
 妖気とも神気ともいえぬ、何かを。
 くわぁぁぁぁと、姫様に白刃と呼ばれた獣が、大口を開けた。
 妖達は、恐れをなした。
 ある一匹の妖の名を、皆一様に思い浮かべたのだ。
 見たことはない。
 噂を、聞いただけだ。
 しかし、どの妖も、その姿を、くっきりと脳裏に浮かべていた。
 人の都で生まれ、人の都で暴れ、人の都で討たれた妖の姿を。
 京を覆う大結界に阻まれ、逃げられず、淀み形を成した妖気の化身を。
「か、勝てぬ……」
 そう言ったのは、雷獣であった。力の差を、はっきりと感じたのだ。
 くるりと背を向け、黒雲に飛び乗り、逃げ去った。
 それが、合図であった。
「ひぃ!」
「鵺だ! 鵺だ!」
「鵺、鵺、」
 鵺――
 鵺――
 逃げていく。
 最後まで残った西の妖狼も、姫様が涼やかな視線を向けると、尻尾を巻いて去っていった。
 後に残ったのは、姫様と、太郎。
 そして、白刃。
「くぅ……」
 うずくまり、姫様が胸を押さえた。
 白刃の姿が薄まり、小さくなり、子狼の姿になり、消えた。
「は、はは……」
 姫様が、太郎の背から降りようとした。
 駄目だと、言った。
 険しい、岩路。
 裸足の姫様は、怪我すると。 
「ねえ、太郎さん。今のは、何?」
「……白刃だろ」
「違う。今のは……」
 鵺。
 茨木童子に、深い傷を負わせた化け物。
 都に巣くうた、形なき物の集まり。
「姫様、道が開けた」
「私……」
 今頃になって、怯えが生まれる。
 自分は、今、とても恐ろしいことをしてしまったのではないかと。
「行くんだろ。わざわざここまで、会いに来たんだ」
「……そうだね。太郎さんの言うとおりだね。ここまで、火羅さんに、会いに来たんだもんね」
 今は、火羅と、大切な友人と、会う。
 考えるのは、その後でいい。
 姫様は、行こうと、太郎に言った。