小説置き場2

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あやかし姫~姫と火羅(6)~

 文を、姫様は送った。
 鈴鹿御前に、酒呑童子と朱桜に。同じ大妖の言葉なら、玉藻御前も聞き入れてくれるだろうと思ったのだ。
 数日経っても、音沙汰がなかった。
 苛立つ姫様に、ぽつりと、
「お力を貸してくれないんじゃないかな」
 そう、葉子が言った。
 姫様は唇を震わせると、危うく吐き出し、叩きつけそうになった言葉を呑み込んだ。
 どっちの味方なのだと――
 葉子は、両方の立場にある。
 火羅を殺したいと願う者と、火羅を救いたいと願う者、どちらにも深く関わっていた。
 悩んでいるのは、よくよくわかる。わかっていて、言いかけてしまう自分を、姫様は嫌悪した。
 古寺の周りに少しずつ、狐の気配が増え始めた。
 火羅の傷は、外見は残っていたが、身体を動かすのに不自由しないようにはなった。
 一緒に料理を運んだり、どれがよいのかと着物を選ぶのは、よい息抜きになった。
 


「どういうことですか」
「……」
 姫様が低い声をだす。
 頭領は空を見上げた。
 門。
 翁は、門をくぐり、古寺の敷地から出ようとしていた。
 姫様にとって、それは、その行為は、裏切りとしか思えなかった。
「しばらく、ここを空けることになるじゃろう」
「頭領は! 火羅さんが!」
 姫様が声を荒げても、どこ吹く風と、頭領は遠いところを見ていた。
 太郎と黒之助は、顔を見合わせた。
 最近、二人の間がしっくりいっていないのを、肌で感じていたのだ。
「……どのぐらいで帰ることが出来るかは、わからぬ」
 そう言うと、姿を消した。
 気配を探る。
 もう、遠くに行ってしまったようで、姫様でも掴めなかった。
「そんなの……頭領は、何も、」
 火羅は、姫様に借りた衣を纏い、所在なさげに、一人離れて立ちつくしていた。
 葉子が、火羅を見やる。それから、姫様を見やった。
「頭領、動いてくれたさよ」
「何が! 頭領が何をしたと!? クロさんは、鞍馬の大天狗様に文を送ってくれたけれど、頭領は何も!」
「やったさよ」
 ひらりと、三枚の紙を差し出す。
 それはと姫様が尋ねると、
「頭領が、姫様に渡しておいてくれと。これが来るのを、待ってたんだ」
 そう、葉子は言った。
「土蜘蛛の翁様。鞍馬山の大天狗様。それに、四国の隠神刑部様が、動かないと言ってきたさね」
 黒之助が唸り声をあげる。
 葉子の手から紙を奪い取ると、目を皿のようにして字を追って。
 頭領も、動いてくれていたのだ。
 何も知らぬ自分を恥じた。
 しかし、三者とも……妖狐と常々仲の悪い、妖狸の大妖までもが、断りの文を送ってきていた。
「隠神刑部様のこと、当てにしてたから、頭領落胆してたさね」
「……まだ、西の鬼の王と、東の鬼姫がいます。きっとお二方なら……」
「朱桜ちゃんもいるしね」
 どこか、諦めが滲む言い方であった。
「葉子さん……もしかして、火羅さんが、」
 恐る恐る、口にした。
 火羅が来てから、葉子と話すことは少なくなった。
 いつも、苦しそうに考え事をしていた。
 寝床も、別だ。
 火羅と二人だった。
 眠りながら涙を流す火羅を、慰める日々だった。
「わからないさね」
 葉子は、首を振った。
「あたいは、九尾の銀の一族だから」
 九つの銀の尾が、動いた。
「玉藻様の言葉は絶対だ。でも……」
「私は、嫌です」
 姫様が、言った。
「だよね。火羅は、姫様の友達だもんね」
「……ええ」
 火羅の顔が、少し、明るくなった。
「それは、どのくらい大事?」
「……」
「朱桜ちゃんよりも? クロちゃんや太郎よりも? あたいよりも?」
「そんなこと」
 答えられるわけがない。
 意地の悪い質問。
 葉子が、口をつぐんだ。
 嫌な空気が流れた。
 火羅が、固まっていた。
「ごめん、姫様。あたいもちょっと疲れてて」
 わざとらしい笑みだった。
「……葉子さんの妹さんは、何と」
「困ってるさね」
 葉子は時々出かけた。
 帰ってきて、物思いに耽る葉子を見ながら、太郎は、狐の匂いがすると姫様に言った。
    
 

 だから、こうなることも覚悟していた。
 覚悟して、恐れていた。
 銀狐が、しばらくここを離れると、姫様に言った。



「葉子さん、どこへ」
「わからないさね」
 銀狐は、哀しげに姫様を見やると、漆黒の髪を撫でた。
 言葉が、姫様の口から、それ以上出てこない
 行かないで――その言葉が、目を伏せた真紅の妖狼に、遮られる。
 わかっているのだ。
 自分のせいだと。
「姫様は、優しい。優しい子だ。あたいの自慢の大事な子だ。だから、ここには居られない。あたいが……もう、無理なんだ」
「いや、」
「玉藻御前様は、火羅の命が欲しいという。葉美も、そうして欲しいという。切に切に、そうして欲しいという。でも、でも、それをしたら姫様が悲しむ。だから、出来ない。出来ないのに……だからあたいは、姿を消すね」
「いや、いや、」
「これで時間は稼げるはずだ。姫様、よく考えるんだ。きっと手はあるはずだから」
「……いや」
「姫様……さようなら」
 短いが、万華鏡のように様々な想いが込められた、言葉。
 別れの言葉。
 葉子が、にこりと笑う。それは、無理矢理に作られた物。
 銀狐が姿を消した。
 おかしいなと、姫様は思った。
 私が別れを告げることはあっても、銀狐が告げることはないはずなのに。
「行かないで……」
 そう、いなくなった銀狐に、姫様は言った。
 もう、いなくなってしまった銀狐に、姫様は言った。
 遅い。
 遅いということがわかっていても、姫様は言わずにはおれなかった。
 繋がりが、ふつりと、切れた。



「帰るって……」
「う、うん……ちょっと、故郷にね」
 沙羅が、やって来た。
 やって来て、そう言った。
 葉子が姿を消し、放心したように、縁側に腰を降ろしている時に。
 沙羅の言葉は、姫様の思いも寄らぬ言葉であった。
「ど、どうして?」
「……言いにくいけど……」
 気の良い河童の娘が、言いにくいこと。
 その視線は、確かに、居間に寝そべる真紅の妖狼に向けられた。
 ああ、と、姫様の顔の血の気が引いた。
「……火羅さん?」
 耳を動かした火羅が顔を背け、居間を出ていく。足取りは、重かった。
 青ざめた姫様と視線を交えると、太郎がその後を追った。
「よ、妖虎さんは、白刹天さん達は、私達のところで術を習ってて……その、それで、一度帰ってこいって。帰って、話を聞きたいって」
「火羅さんを預かる私に、関わるなということですね」
 沙羅は、手荷物を、ぎゅっと抱き締めた。
「……す、すぐに帰ってくるよ。きっと大丈夫」
 同胞達が言ってきたことを、そのまま伝えることは、沙羅には出来なかった。
 姫様は友達で、火羅は嫌いではないのだ。
「早く帰ってきてね。寂しいよ」
「うん、うん。お土産、持ってくるからね。そ、それで、葉子さんは? 挨拶しておきたいんだけど」
「昨日、いなくなってね」
 沙羅は、絶句した。
 繋がりが、また、ふつりと切れた。
 


鈴鹿御前様、藤原宗俊様」
 姫様が、深々と礼をする。
 上体を起こすと、すがるような瞳を二人に向けた。
 鬼姫は、姫様と視線を合わせないようにし、沈痛な面持ちで、
「はっきり、言うね」
 静かに、威厳ある声で、言った。
 いつもの鈴鹿御前では、ない。
 東の鬼の姫としての顔を、まざまざと見せつけていた。
「私達は、今度の件に関して、手出しはしない。手出しは出来ない。これは、義兄上とも話し合った」
「玉藻御前とは、事を荒立てたくない。それが、私達の結論です」
「ごめんね、彩花ちゃん」
 それだけ言うと、二人が身を翻し、牛鬼が引く牛車に戻ろうとした。
 姫様は、思わず鬼姫の袖を掴むと、
「ま、待って下さい!」
 そう、泣きそうになりながら叫んでいた。
「だって火羅さんが! このままじゃあ火羅さんが!」
「離しなさい」
 冷たく固い声。
 我に返り、衣を離す。
 鬼姫の突き刺さるような視線。
 姫様は、真正面から、大妖の妖気を受け止めた。
「火羅一人と、東の鬼を、天秤にかけることは出来ない。九州を統べた九尾の一族と、東の鬼がぶつかる……そんなことは、させられない」
 追い打ちをかけるように、鬼姫は、続けた。
「しばらく私達は、ここには来られない。それには、白月や光も含まれている。巻き込まれたくないの。わかるよね?」
 白月や光がここに居る時に、玉藻御前の手の者に襲われたら――鈴鹿御前は、起たざるをえなくなる。
 理解できる。
 正しい選択であろうとも。
「でも、それでも、」
「許してとは言わない。だけど、わかっては欲しい。雪妖と事を構えた時とは、違う。相手は、わたしと同じ大妖。うかつに動くことは出来ないの」
 繋がりが、ふつりと、切れる。
 立ち竦んだまま、姫様はしばらく、その場を動くことが出来なかった。
 牛鬼が、のっそりと、動き出した。



「来た……太郎さん、クロさん、応対をよろしくお願いします」
「拙者達が?」
「俺達が?」
「ええ……ごめんなさい。私は床に伏せっていると、言ってください」
 そういうと、筆を置き、顔を文机につけた。
「わかり申した」
「わかった」
 二匹の妖は、それだけ言うと、姫様から離れた。
 小さな呻きが、乱れ髪の中から、聞こえてくる。
 外に出ると、鬼馬がいた。
 傍に、男が立っていた。
「あれは?」
 太郎が、黒之助に尋ねた。
 男は、強い妖気を発していた。
 額に、角があった。
「恐らく、西の鬼の、四天王の一人であろうよ」
 相手の力量を推し量ると、黒之助は答えた。
「……お二人の、どちらでもないのかよ」
 妖狼と鴉天狗が近づくと、その鬼は、
「西の鬼の王の使いで、星熊童子という」
 そう、名乗った。
「彩花殿は?」
「今、姫様は床に伏せってて……」
「拙者達が、その代わりを」
「そうか、早く身体を治すようにと伝えてくれ。そして、火羅という女怪のことで、彩花殿は我々の王と姫君に頼み事をしたそうだが……そのことに関しての、王の言葉も、伝えてくれ」
 ごくりと、唾を飲み込む。
 答えは予想できた。
 鬼の双子が姿を見せなかったことで、姫様を姉と慕う鬼の娘が来なかったことで。
 だが、姫様のためにも、それが外れることを願った。
 西の鬼が、最後の頼みの綱であった。
「力は、貸せぬ。そして、しばらく朱桜様は、ここから遠ざけると」
「そんな……」
「そうかよ……」
「朱桜様は……泣いて、王の胸を叩いたよ。どれだけ、辛かったことだろうか。朱桜様も、そして、王も茨木童子様も。しかし……すまぬ」
 星熊童子が、頭を下げる。
 この場所が、彩花という娘が、どれだけ朱桜に恩義あるか、わかっているからだ。
 それでも、力を貸せぬと言うしかなかった。
 繋がりが、ふつりと、消える。
 姫様は、乾ききった笑い声をあげると、文机の上の物を、乱暴に薙ぎ払った。