小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~姫と火羅(9)~

 鬼姫鈴鹿御前――
 鬼の王、酒呑童子――
 土蜘蛛の翁――
 鞍馬山の大天狗――
 四国の太三郎狸――

「大妖」

 そして、玉藻御前――



「……教えてもらえるかしら」
「……なんであろうや」
「皆を眠らせたのは……貴方なの?」
「……くつ」
 小さく、嗤い声を零す。玉藻御前は、眉を顰めた。
「そう……誰も出迎えなかった。眠っていた。葉美まで眠っていた。そこの妖狼に出来ることではないわ。この地に送り出した九尾を全て眠らせるなんて。それで、慌ててここに来たのだけど……貴方は、彩花、よね? 葉子が掌中の玉と可愛がっているという人の娘よね? その禍々しい姿は、どうしたことかしら?」
「ふむ。妾は彩花ではないでな」
「……じゃあ、誰なの?」
「……誰ぞ?」
 玉藻御前の問いに、女は問いで返した。みるみる九尾の大妖の顔が険しくなっていく。
「……ふざけているの?」
「……妾の名は……さて」 
 女が、力無く言う。
 玉藻は、目を閉じると、口から狐火を漏らした。
「いいわ。もう、いい。一つだけ、答えなさい。貴方は、私の邪魔をするの?」
「……この娘は……もう少し、戯れること出来るでな。もう少し、可愛がってやりたいでな」
 ふふんと、火羅の肩に手を廻す。その手つきは、どこか艶めかしかった。
 玉藻は、
「ああ、そう」
 と、気怠げに言った。
「ここを、離れる」
 火羅の耳元で囁くと、腰に手を回し抱えるようにして、女は大きく跳び上がった。
 屋根に乗る。人の跳躍をはるかに越えていた。
 女が名を呼ぶ。白刃と。
 鵺――式神に跨ると、玉藻の頭上を越える。
 天を駆け、古寺から離れ、うっそうと繁る森と、かすかな起伏のある平原の境目に降り立つと、女は気配を探った。
 玉藻御前。
 追ってきている。
 月の光が、薄く地にあるものを照らしていた。
「そうか、後で妾の結界に入ってきたから……それに、大妖であるしな。耐えたのであろうな」
「待って……待ってよ! 私は、」
 火羅が、言った。
 死ぬつもりだったのだ。それで、眠り薬を盛ったのだ。
 全てを、終わらせるために。
 女が、火羅の口に指を寄せ、しぃっと言いやる。
「妾が、守ってやると言っているのだ。お前は、大人しく守られていればいい」
 有無を言わせぬ口調でそう呟くと、右手をかざした。
「爆ぜよ」
 平野で大きな火柱が上がる。
 赤々と燃え、渦をまく。
 火羅は、爆発の轟音に思わず耳を塞いだ。
「……違う」
 式神が、奔る。
 咆吼をあげながら、火柱とは反対側の、森に向かった。
 霧があった。
 銀色に、鈍く光る霧が、ゆっくりと木々の間から這い出ていた。
「待て!」
 女が叫んだ。
 森から流れてきた銀色の霧は、ふわりと式神を包みこむ形になった。
 霧を、式神は駆け抜ける。
 抜けると同時に、四肢が腐り落ち、どろりとした液体に変わり、土に溶けていった。
 悲鳴の一つも、上がらなかった。
「……毒、か」
 女が、苦々しげに口走った。
 霧が、美しい女の姿をとる。
 玉藻御前の形を成すと、ふっと呆れたように息を吐いた。
「こんな玩具で私をどうにか出来ると? 思い上がりも甚だしいわ」
「玩具……玩具か」
 氷の塊を浮かび上がらせると、玉藻に飛ばす。
 ぶつかった部分は銀色の霧になり、虚しく氷は通り過ぎていった。
「むぅ……」
「捕まえたぁ」
 声が、聞こえた。
 火羅は、後ろを見やった。
 女が、火羅の後ろを見ようとしていた。
 生きたいと思った。
 死のうと思っていたのに、ころと心は変わっていく。
 不思議なものだった。
 女が、自分を守ろうとしてくれている。
 妖虎達を無慈悲に殺した女が。もしかしたらと、甘い期待を抱いた。
 私は、生きられる――生きられるのかもしれない。大妖を前にしているというのに、希望を抱いた。
 玉藻御前。
 金色の霧から、白い腕が生えた。ゆっくりと、触れられた。
 全身の力が抜けるのを、感じた。
「生きた……」
 目の前の女に言ったのか、人の娘に向けて言ったのか、よく、わからなかった。
「……まぁ、こんなものでしょうよ」
 霧が溶け、霧が現れ、狐の姿を成し、狐の姿を解く。
 そして、その毒牙は、得物を捕らえた。
 銀の霧。
 注意を向けさせた。
 金の霧。
 小さく、出来うるかぎり小さくし、気配を殺した。
 ゆえに、すぐに死なせてやれなかった。
 女が、火羅の身体を支える。
 火羅は、玉藻の腕に触れられた。
 右肩から腹にかけて――その部分が、じゅくと腐っている。
 肌が蒼くなり、幾筋も血管が浮きあがり、胎動している。
 女が、傷口に手を向ける。掌が、薄緑色の光を発す。
「……癒せぬかよ」
 そう言うと、霧に目を向けた。
 二つの霧が、一つに混じり、金銀九尾を持つ、妖艶な女の姿を作り出した。
 高笑いを一つすると、
「私の毒は……神も、殺すわ」
 そう、言った。
「……ほぉ。言ったな」
 女が、火羅の腐りに顔を近づける。何をするのかと玉藻は訝しみ、そして驚いた。
 唇を触れさせると、勢いよく腐肉を啜り上げたのだ。
 女の顔が、火羅の傷と同じようになる。
 白い肌が蒼くなり、血管が浮き出やり、右目が白く濁った。
 毒に、侵されていた。
 そして……火羅の腐りが、ぴたりと止まった。
「時間が、かかりそうじゃ……」 
 火羅の傷口が癒え始める。
 女の顔に広がった毒の色は、拡がりを見せなかった。
「なるほど……痛む」
 美しかったからこそ、毒を帯び、毀れた女の顔は、凄惨なものに変わっている。
 玉藻は、蒼い炎をめらと口から揺らがせた。
 毒を火羅の身体から彩花の身体に移し替えたのだと、即座に理解したのだ。
「面白いじゃないの……面白い、面白いわ! でもね、毒は……あれ?」
 霧に変じようとした。
 変じることが出来なかった。
 女が嗤っている。
「封じたぞ」
 もう一度、霧になろうと試み、変じることが出来ないと知り、すぅっと、玉藻は表情を冷たくした。
 術を、封じられた。
 このような、小さな存在に。大妖としての矜持を、傷つけた。
「……死ね」
 玉藻御前の九尾の先が、刃と化す。それまであった、余裕が消えた。
 鋭い切っ先は、全て、女に向けられていた。
「時間が……掛かるか」
 女は、謳うように一人呟き、古寺に顔を向けた。
 刃を、気にする風ではなかった。
「死ね。お前から、死ね」 
 九つの刃が、女を串刺しにしようとした。競うように、女の身体に吸い込まれていく。
 身動きとれぬ女は、死ぬはずだった。
 四肢を落とされ、腹を裂かれ、無惨に朽ちるはずだった。
 妨げられる。
 男――金銀妖瞳の、半人半妖。
 突如――突如現れた。
 狼の爪が、光の軌跡を描きながら、次々と刃を弾く。
 玉藻御前が嫌悪感を露わにしながら、次の攻撃に移ろうとしたとき、その足下に一陣の風が起こった。
 風は竜巻となり大妖を包み込んだ。
 すたりと、錫杖を構え、羽を拡げた鴉天狗が地上に降り立つ。
 太郎――
 黒之助――
 二人とも、合点がいかぬ顔をしていた。
 咄嗟に身体が動いたが、どうして自分達が古寺を離れてこんなところにいるのか、わからないのだ。
 眠気に襲われ、目が覚めると、この有様。
 火羅が、倒れている。
 姫様が……姫様の顔が、毀れていた。
「火羅! 姫、姫様!」
「くつ、くつ……しばらく、時間を稼ぎやれ。この娘に、力を注ぎ、毒を我が身に取り込んだ故に、動きやれぬ」
 太郎は、どこか楽しげな女の声を聞いて、口元を歪めた。
「お前……姫様じゃないな。あいつか」
 そう、言った。
「な! どういう」
 治療をと差し伸べた手を女に払われ、愕然とする黒之助が、問うた。
「姫様を、どこにやった!」
「馬鹿な……姫さんだろうが……」
 そう言いながら、黒之助もこの女は違うと思っていた。
 姫さんの顔をしているが、こいつは違うものだと。
「さてと……早う次に移らねば、お前達、玉藻御前に捻り潰されるぞ」
「玉藻御前……」
「玉藻御前だと……」
 大妖の名を、口にしたときだった。
 黒之助の作った竜巻が、消えた。より大きなものに、掻き消される。
 太郎と黒之助の肌が、ひりと焼け付くような妖気を感じた。腹に力を込めなければ、それだけで圧されそうなほど、大きい。
 月の光が、消える。影になる。
 巨大な狐が、四人を見下ろす。
 古寺の建つ小山よりも大きな獣。憎悪に満ちた目をしていた。
「まずいの」
 女が、言った。
 大妖が、その本性を現した。