小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~そのお出かけの日(18)~

「変じるぞ」
「……う、ううう……」
「いいな」
 太郎が妖狼の姿に変じ、腹這いになって小山のような白い背を動かすと、姫様は一歩後ろに下がった。
「まだ、まだ、歩けます」
「薬師だろ、姫様」
 溜息混じりに妖狼が言う。
 軟膏の匂いをまとう姫様は、全く説得力がなかった。
「薬師見習いです、私は」
 しょんぼりとした姫様。自分の足で――それが、この旅に求めた物の一つ。
「葉子に、心配かけるな」
 その言葉で姫様は、一歩前に踏み出した。
「ずるい」
 目尻をつり上げ、白躯を叩いて抗議を示す。
 妖狼は、姫様の手を心配する。案の定、ぶらぶらと手首を振った。
 体毛は柔らかいけれど、その下の肉の硬さは、岩のようなものなのだ。
「火羅も心配すんだろうし」
「ずるいずるい、ずるいですよ」
 そう言い募りながら姫様は、太郎の身体をよじ登ろうとした。
「登れません……」
 そして、ずるずるっと落ちた。
 尾を腰の辺りに巻き付け、背に乗せる。姫様がしがみつくのを確認する。なんだかじたばたしていた。
「長い方が良いのに」
「俺も、そう思う」
「ずるい、もっと二人きりがいいのに」
 白毛が何度も引っ張られた。
「でも、皆に心配かけんのも、嫌だろ?」
「嫌です……太郎さんの意地悪」
 妖狼が脚を伸ばす。
 周囲の木々が、巨大な存在に圧されたように、葉々の落ちた枝々を、幹々を、ざわめかせた。
「楽しかったな」
「楽しかったです」
 


「どういう風の吹き回しだ」
「知らないさよ、あたいは」
 鴉天狗と白狐が、二人並んで腰を下ろして。
 その後ろで鬼があわあわ。その周りで小妖が飛び跳ねる。
 台所。
 朱桜が、よく磨かれた包丁を、火羅に突きつけていた。
 二人で修羅場。見守る葉子や黒之助の和やかさとはかけ離れていた。
「だーかーら、貴方は、さっきから邪魔したいのですか!? 捌きますよ!? 捌きましょうか!?」
「ち、違うわよ! 手伝ってるのよ!」
「……クロさん、捌いてもいいですか?」
 朱桜が無邪気な声で問いかける。黒之助は駄目と首を振った。
「運が良かったですね」
「この、人の親切を何だと!」
 包丁は突きつけられたまま。
 火羅がうっすらと赤い息を吐く。
「火、吐けるようになったさか」
 嬉しげに言ったのは葉子で、ほぉと短い顎髭を撫でたのは黒之助だった。
「お、お二方、あれは」
 星熊童子。鬼は一人。弟の姿はなかった。
 諍いに心痛めている。
 あの恐ろしく美しい姿になるのではと、そうでなくても血飛沫をあげるのではと。
「いいさいいさ、好きにやらせておけば」
 朝食を作ると言い出したのは朱桜だった。
 姫様の分と自分の分を作るのだと胸を反らすと、じゃあ私もと胸を張ったのが火羅だった。
 朱桜は手際良くこなした。
 古寺で暮らしていたとき、姫様の手伝いをよくしていた。それが生きていた。
 引っかき回すのが、姫様に料理を禁じられた火羅の役目。
 本人は真面目にやっているつもりだから、始末に悪かった。
 こうしてぶつかり合うのは、もう何度目だろうか。
 そろそろ小妖達が呆れ始めていた。
「壁と睨めっこしてるです!」
 壁に向かいかけた火羅。思い直し、朱桜とまた向き合う。
「何よ、何よ、わ、私だってやれるのよ!」
 言葉の地が出ている。丁寧さは消えていた。
「触るなです」
 きらり。
 小さな角が、蠢いた。
「刺しますよ」
「はん、こんなものが彩花さんのお口に合うのかしら」
「あー。あー! 食べた! 私が作ったの! ああー!」
「……これは……ふ、不思議な……」
 一口おみそ汁を舐めた火羅が、口元を歪めた。
 もう一口舐めると、眉を寄せた。ひょこひょこと、獣耳が動きやる。ぱたぱたと、獣尾が動きやる。
 鬼の娘の不快顔が、だんだんと心配顔に変わっていった。
「……はっきり言うわね。不味いわ」
「んな馬鹿な!」
 朱桜が抗議のために叫ぶよりも早く、葉子が腰を上げていた。
 見ている分には、朱桜は完璧だったのだ。
 薬師見習いらしく、きちんと量っていた。包丁捌きも上手なものだ。
 ちょっと失礼と、二人の間に割って入る。
 もう少しで、火羅の腹に包丁が刺さりそうだった。
 隻腕で一口舐めた白髪の女は、何とも言い難い表情を浮かべた。
「ん……拙者は、美味いと思うが」
 黒之助も、味見した。そして、顔を見合わせる二匹の女妖を尻目に、賞賛の言葉をかけた。
「クロさん、ですよね。そうですよね」
 気を取り直した朱桜が、ぴょん、ぴょんと、飛び跳ねる。
 素直な嬉しさを、子供っぽく表した。
「……星熊童子様……」
「その、朱桜様の味覚は、ど、独特というのか」
 四つ子の長子が言いにくそうに。
 朱桜は黒之助に褒められ満足し、火羅は葉子に縋るような視線を向けた。
「う……あ、朱桜ちゃん、この味付けは、あ、甘ったるいお味噌汁って、どうかな?」
「おにぎりもおつけ物も、甘くしてみましたです」
 火羅が、また、縋るような視線を葉子に向ける。
「ひ、姫様、甘い物」
「彩花様は、甘い物大好きですよ?」
 不思議そうだった。
「火羅、ごめん」
 白狐は、純真純粋な、姫様によく似た瞳に、負けた。
「……あ、洗い物は、私がやるわ!」
 どうせ自分は食べないから関係なしと思い直した火羅。
 困るのはあの子だ。
「ふふーん、私がやるですよ。彩花様に褒めてもらうのは私だけで十分なのです。火羅さんは、ほら、ゆっくり休んでいて下さいです。私は優しいですから」 
「別に、私はあの子に褒められたくて、やるわけじゃないもの。したいから、やるんだし」
 火羅の嘘。
 白狐には、見透かされていた。