小説置き場2

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あやかし姫~跡目争い(2)~

 四つの文が古寺に届けられた。
 様々な妖が様々な理由で集う場所に、全く同時に四つの文が。
 一つは、西の鬼の王の一人娘から。
 姫様に宛てられた文は、いつもの背伸びしたような、精一杯の微笑ましい字ではなく、稚拙で荒々しく、焦りと縋るような想いが滲み出ていた。
 一つは、東の鬼姫鈴鹿御前から。
 感情を押し殺したような、簡素な文だった。これも、姫様に宛てたものだ。
 初まりはあの時の謝罪の言葉からだった。
 一つは、葉子の妹の夫であり、従弟でもある木助から。
 淡々とした文は、ない混ぜになった感情を必死に隠そうとし、それでも晒け出してしまった――そんな印象を与えた。
 一つは、鞍馬の大天狗から。
 黒之助が持っているそれは、四つの文の中では一番達筆だった。老獪と言い換えれるかもしれない。
 受け取ったのは三人で、受け取らなかったのは二人と多数。
 文のなかった火羅は、同じく文のなかった太郎に、小さな声で話しかけた。
「太郎様も文がなかったのですね」
「ないな」
 返事は短かった。
 白い、犬ほどの大きさの狼は、文を手元に置いたまま思案している姫様に目を向けていた。
茨木童子がやられたというと、また大変なことになりそうですわね」
「わかんねぇ」
 やはり返事は短い。
 火羅は、文に目を落とす三人を見やった。
 黒之助は表情が固い。即断即決、直情型の鴉天狗にしては、珍しく悩んでいた。
 葉子は、額に手を当て、時折呻き声をあげていた。
 二通を見比べる姫様は、頭領と呼ばれていた翁がいつも陣取っていた一段高い場所に、何度も目を走らせていた。
 まるで助けを求めるように。その度に、首を振っていた。
「火羅は、文がなくて拗ねてるのか?」
「す、拗ね!?」
 素っ頓狂な声に、三人が三様に反応した。
 黒之助は苦虫を噛み潰したような表情を、葉子は悩ましげな表情を、姫様は……一言では言い表せない表情を。こほんと火羅は、場を取り繕うように下手な咳をした。
「太郎様、そんなことはありませんわ」
「ん、そうか」
 拗ねていたのか。
 金銀妖瞳の妖狼の何気ない言葉は、火羅の胸にすとんと落ちた。
 あれだけ傷つけられても、まだ、まだだ、一族に未練があったらしい。こんな大事に、もしかしたら火羅の力が必要になるのかもと、必要としてくれるかもと。
 でも、文はなかった。
 いらないのだ。もう、縁は直せないのだ。火羅は真紅の妖狼だけど、それは変わらないけれど、西の妖狼の姫君ではなくなったのだ。
 あれは父ではない。
 あれは仲間ではない。
 わかりきったことだった。
 私は――この古いお寺の火羅だ。未だ皆に受け入れられてはいない、姫様と慕われる少女の友人の一人で、あの女の生き人形。それ以上でも、それ以下でもない。
「拗ねてなどいませんわ」
「……頭領は、大変ですね」
 姫様が言った。
 息を潜めていた小妖達が、なにーと努めて陽気に尋ねた。
 重々しい空気は小妖達が苦手とするもの。
 普段は火羅に寄りつこうとしない小妖達が、太郎と火羅の周りにたむろしていた。
「この場所を、色々な方々が会えるように、力を尽くしていたのですから」
「姫様はどうするつもりさ?」
 葉子が尋ねた。腹は括ったようだ。瞳に力が戻っていた。
鈴鹿御前様と朱桜ちゃんの頼みを受けます」
 おうと、黒之助が応え、あいよと、葉子が応えた。
「姫様が行くなら、俺も行く」
 太郎が言い切った。
 視線が自然と火羅に集まった。
「わ、私は……私は、彩花さん、私」
「いいんですよ、火羅さん」
 姫様が優しく言うと、
「……ここに、いるわ」
 そう、火羅は答えた。



 鈴鹿御前からの文には、やまめを古寺に届けるとあった。
 朱桜からの文には、茨木童子を診てほしいとあった。
「やまめさんを連れて、鬼ヶ城に行けばいいのですね」
 二つの文を繋げるとそういうことになる。
 やまめを東の鬼の誰が連れて行っても――例え、人格者として知られる藤原俊宗であっても――あらぬ刺激を与えるだろう。
 やまめ一人では門前払いを免れることはできない。
 なんと言っても、茨木童子を落とされたのだ。
 姫様は、朱桜の友人で恩人で義姉である。一応薬師だし、医術も使える。
 鬼ヶ城へ招かれても、何の不自然もない。誰と一緒でも、大丈夫だろう。
鬼ヶ城、初めてです」
「……あれが、あの契りが、役に立つなんてね」
「はい」
 葉子が怒って、姫様は拗ねて。
 太郎と消えて、皆と探して。
 そんなことがあったのは、つい最近のことだった。
「嫌なことさよ」
「はい?」
「姫様にはもっと静かな生活を送ってほしかったのに」
 姫様は、白狐の中身のない片袖を掴んだ。
「それは無理ですよ。私は、葉子さんや頭領や黒之助さんに育てられたんですよ?」
 にこりと姫様は微笑んだ。
「それもそうさか。昔から騒がしかったねぇ。でも、こんな騒がしさじゃなかった。ちょっと前のことなのに……随分と、様変わりしてしまったよ」  
「葉子さんも、行ってくれるんですよね」
「ああ、行くよ。あたいも姫様と行く」
「木助さんからはなんと」
「玉藻御前様に――怒ってる」
「怒ってる?」
「木助は知らなかったらしい」
 あたいと、あたい達と、玉藻御前様の間にあったことを。
 葉美が隠していたのだ。
「本気で怒ってる。玉藻御前様を憎んでる」
 あいつには昔からそういうところがあると、葉子は言った。
 姫様は片袖を掴みながら、以前は九本あり、綺麗な銀毛であった尾に、頬を擦りつけた。白いそれは、太郎と同じ色の筈なのに、何故か老いを感じさせた。
「それが、一つ。もう一つは、玉藻御前様が、茨木童子様を倒した者に、とても関心があるということさね」
茨木童子様ほどの方を倒すとなると、相当に力のある者でしょうね。随分と絞られるような気がしますが」
「関心と言うよりも、怯え、なんだそうな」
「怯え? 怯え、ですか? 大妖が?」
「姫様、知らないかい?」
「私が? いえ。でも、どうして?」
「姫様、何でも知ってるから」
 玉藻御前が怯える相手。葉子は真っ先に姫様の姿をした化け物を想像した。
 あれなら茨木童子を飲み込める。
 考えたくないことだった。茨木童子は古寺の良き友人なのだ。
「私は……なにも知りません。だから、知りたいです。知りたいのです」



「うーむ……」
「クロんとこの親分は、なんて言ってきたんだ?」
「お、親分? 鞍馬の大天狗様のことか!? なんと畏れおおい!」
「うん、その大天狗だよ大天狗」
「……西の鬼の動向を調べたいとのことと、なずな殿とその一党が姿を消したことだ」
「なずな?」
「拙者の許嫁だ」
「……真顔で冗談はよせ。笑えん」
「いや、本当だ。なずな殿は、拙者の許嫁だ。許嫁だった、か」
「……茨木童子様がやられて狼狽えてるのか。うんうん、わかるわかる」
 白い犬は、尾っぽを盛んに振った。
「話は立ち消えてはいなかったのだな」
「おーい、クロ、おーい?」
「……なずな殿か」
「く、クロ? おーいおーい」



「わかった。お前達が戻るまで、ここも俺が見ておいてやる」
「黒之丞さん、お願いします」
 皆が出払うと、この辺り一帯の力が強い妖は化け蜘蛛だけになる。
 火羅のことをくれぐれもと頼んでおいた。
 九尾や西の妖狼が命を奪おうとするかもしれないからだ。
「彩花様、どうか茨木童子様を」
 やまめは、牛鬼が牽く牛車に乗ってやってきた。
 御者は、土鬼といって、茨木童子に縁浅からぬ若い鬼だった。
茨木童子様を」
「どれほどの力になれるかわかりませんが……」
 やまめは見ているだけで痛々しかった。
 立っているのがやっとであり、茨木童子に寄せる想いの深さが感じ取れた。
 太郎の身に茨木童子と同じことが起こったら、姫様もやまめのようになるだろう。
「どうか治せると、彩花様」
「力を尽くします」
 治せると軽々しく言えなかった。
 言えない冷静さが、まだ、あった。
「お願いします」
 太郎と黒之助は薬を担いでいる。珍薬秘薬の数々を薬室から片っ端に引っ張り出した。
 精選する時間はなかった。もしかしたら、一つぐらいは効き目があるかもしれない。淡い期待ではあった。
「火羅は?」
 黒之助が言った。
 葉子が、
「部屋に籠もっている」
 と、そう、言った。
「見送りぐらいしても罰は当たらぬであろうに。あの御仁は」
「クロさん、やめて」
 姫様がたしなめた。黒之助は口をつぐんだ。
 やまめが、西の鬼がよこした車に乗り換える。東と比べると洗練されていた。東の牛車は豪華だが、ごてごてとしていた。鬼姫の趣味だろう。牽くのは鬼馬である。西は鬼馬を、東は牛鬼を好んだ。 
 黒之助と葉子が続く。
 黒之助は、黒之丞にくれぐれもよろしくなと念を押していた。
「守ってやる。せっかく拾わせた命なのだ」
「頼む」
 太郎と一緒に乗り込み、小妖達と化け蜘蛛夫妻と土鬼に見送られ、鬼馬が歩み出そうとしたときだった。
「待って!」
「待って下さい!」
 姫様が車から飛び降りた。
 火羅が、鬼馬の前に飛び出したのだ。
「火羅さん」
「気が変わったわ……私も連れて行ってちょうだい」
「ですが、鬼ヶ城には」
「京の都、見たことないんでしょう?」
「え、ええ」
 間の抜けた顔をしただろうなと、姫様は思った。
「一緒に見たいなって、そう思ったの。お願い。お願い、彩花さん」
「……」
 こんな時にと、自分よりもずっと齢を重ねた真紅の妖狼を、叱りつけようかと考えたときだった。
 姫様は思い直した。
 火羅の瞳を目にしたときに。
「一緒に、行きましょう」 
「……行ってあげるわ」
 絶対に揉め事の原因になるだろうが――火羅を置いていくと、二度と会えなくなる――そんな予感がした。不吉な考えを、姫様は打ち消すことができなかった。



「ごめんなさい、ごめんなさい」
 貴方とあまり離れたくないの。
 寂しくて、死にたくなるから。