小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

学園あやかし姫の九!

「なぁ、なぁなぁなぁ」
 猫なで声を出しながら、顎を頭の上にちょこんとのせ、腕を胸の前で交差させながら、髪をちょこちょこ引っ張っりやる。
 うっとおしいことこの上なかった。
 蝙蝠をあしらった袖口から、蒼白く痩せた指が伸びていて、それがさっきから一番気になる。
 うだるような夏の暑い日、一学期の終わり、夏休みの始まり、涼しい部屋は憩いの場所。
「宿題の邪魔しないでよ」
 火羅は、そう、低い声で言った。
 同じ机を囲んでいる彩花や咲夜や沙羅が苦笑している。
 もぞりと彩華が頭の上で動いた。どけるのかと思っていたら、今度は頬を引っ張った。火羅のこめかみがぴくぴく動いた。
「お姉様、どうしたのですか?」
「ん――べっつに、何にもないぞ」
「なら、離れてよ。これじゃあ宿題が出来ないじゃない」
 彩華がぺたぺた引っ付き始めたのはついさっきのこと。
 それまではつまらなそうに大人しく座っていた。
 宿題にかまけて彩華をかまわなかったのは悪いと思うが、こっちにも大事な事情があるのだ。
「かまわぬではないか」
 けらけらと、彩華が嗤い、
「よくないの!」
 むうと、火羅は吠えた。
 彩華以外はセーラー服、終業式の帰り道。
 学園の敷地内――いや、敷地内に学園のある彩花のお屋敷で、さっそく火羅の宿題に取り組んでいた。
「休んでる分、これで取り返さないといけないのよ」
 病弱な赤麗のために、火羅はよく学園を休む。お咎めなしの分、夏休みの宿題が他の生徒よりちょっぴり多く出た。ちょっぴり……どばーっと、山のように。
「知っとる。ずるいのー、人にやってもらって」
「確かに」
「た、確かに」
 咲夜と沙羅が同意する。まぁ、ずるではある。胸が痛むが、しょうがない。 
咲夜さんも沙羅さんも、さっきから何をやってるのかしら?」
「アイス食べてる」
「あ、アイス食べてます」
 ペンはずっと止まりっぱなし、最初の頁から進んでない。
 お菓子は食べてる。ジュースも飲んでる。お手伝いはしない。自分の分をやっている。後で写させてくれるそうだ。一石二鳥、なのだろうか。
「そもそも、お二人に宿題の手伝いを頼むのが間違いなんじゃないでしょうか」
 そう、彩花がにこにこと言った。
「え?」
「え?」
「はい?」
 二人とも体育の成績はよかった。
 彩花は美術と体育以外はオール5で、火羅も家庭以外はまずまずの成績だ。
 学級委員長と副学級委員長の肩書きは伊達ではない。
「とにかく、さっさと片づけないといけないの。じゃないと、お出かけも出来ないわ」
「むー、そんなの、知るか」
 声色が少し変わった。
「だーかーらー、出来ないでしょうが!」
「お姉様、お眠なのですか?」
 何かを察したように、彩花が言った。
「……そんなことないぞ」
 彩華は真っ当な夜型人間。今はお昼。冷房の利いた部屋。普段はすーすー寝ている時間。
「葉子さんかクロさんを呼びましょうか」
 彩花の言葉が終わらぬ内に、葉子がさっさと部屋に現れた。
 ジュースとお菓子のおかわりを積んだ荷車と一緒にだ。
 相変わらず神出鬼没である。
 さすが自称元傭兵。メイド服は暑くないんだろうか。夏だけど、厚手だ。学園の制服だって、彩華の着物だって、夏仕様になっている。
「いらぬ。火羅が運んでくれるでな」
 葉子がしょんぼりした。怨めしげに細目で見られた。殺気と狂気があって、すぐ目を逸らした。怖々と見やると、いつもの優しい表情だった。母親というものはよく知らないが、きっとこういう人なのだろうなと、密かに慕ういつもの顔だ。
「……」
「妾を寝所まで運んでくれ」
「……いいけど」
「よしよし」
 眠いなら眠いと最初から言えばいい。
 甘えられるのは嫌いじゃないけど、それも時と場所によるわけで。
 よいしょと彩華を持ち上げる。
 いわゆるいつものお姫様抱っこ。恒例行事になっていた。上腕二頭筋がついた気がする。
 目の下に隈のある彩華の顔が、火羅の胸に預けられた。
「また軽くなったんじゃないの? 夏バテ? ちゃんと食べてる?」
「ポテチうまー、アイスうまー」
「お菓子ばっかり食べないで、きちんとした食事しなさいよ」
「前に火羅が作ってくれたの、上手かったぞ」
「ど、どれのことよ」
 ちょっとどきどき。誉められると、基本、悪い気はしない。偏食家で夏ばて気味の火羅のために、拙い手料理を何度か振る舞ったことがある。
「ほら、あれじゃ……ケチャップ味の玉子かけご飯?」
「オムライスと呼んでほしいわね」
「……」
「何で黙るのよ! 何よその慈悲に満ちた目は! ああ、もう、行くわよ!」



「お姉さんと火羅ちゃん、仲良いよねー」
「そ、そうだね。火羅ちゃん、お姉さんと、仲良い」
 ぱたんと扉が閉じられて、咲夜と沙羅が同時に言った。
 お姉さん――そう、咲夜と沙羅は彩華のことを呼んでいた。
「珍しいよね。お姉さん、人嫌いなのに」
 咲夜は、彩花と彩華の幼馴染み、昔から二人のことを知っている。
 一応幼馴染みだが、彩華とそれほど親しいわけではなかった。沙羅もそうだろう。咲夜の知る限り、彩華が親しくしている人間は、妹である彩花や家族に等しい葉子や黒之助以外はいないと言ってよかった。彩花と仲良くしてやってほしいと言われたことは何度かあるが、本人は一歩退いた所にいつもいた。
「よいことです」
 うんうんと満足げに彩花が頷いた。 
「でだね……お姉さんと火羅ちゃんは、どこまでいったの?」
「ほえ?」
「え、あの二人、付き合ってるんでしょ?」
「……ほえ?」
「私もそう思ってた。お姉さんと火羅ちゃんがホテルに行くのを見たって人もいるらしいし」
「お、沙羅ちゃん、どしたの急に饒舌に?」
「い、いやぁ、あはは、興味ある、興味ある。ビックカップルの片割れだもの」
「……し、親しくはしていますが、そ、そんな、付き合っているだなんて」
「動揺してますなぁ、このこの」
「やだなぁ、ね、葉子さん」
 だばだばだば――ジュースを入れる音じゃない。
「あい?」
 振り返る。白いメイド服が血染めだ。恐い。
「鼻血、鼻血を拭いて下さい!」
「んあ……こりゃあ、拭くだけじゃ駄目さね。着替えてくるさよ」
 ふらふらと行ってしまい、血溜まりが一つ残った。
「葉子さんは置いといてっと。それで、お姉様と火羅さんが付き合ってる? いやいや、そんなそんな」
「ふふーん、やっぱり動揺してますよー」
 沙羅は血溜まりに目を向けている。誰も触ろうとしない。そこだけサスペンス劇場冒頭だ。
 とりあえずジュースに手をつける。キュウリ味のソーダだ。みんなには不評だが、沙羅は好きだ。
「いやぁ、情熱的なキスを観衆の眼前で交わした二人だし」
「あの劇は、冗談ですよ、冗談。お姉様の、他愛のない悪戯です」
 噂が始まったのはあの劇以来だ。
 火羅は、学園では男女問わずかなり人気がある。
 次の生徒会選挙では、副会長当選間違いなしと評判の逸材なのだ。
「で、あの件はどうなってます、あの件は? そう、海の件ですよ」
「あ、ああ、ええ、一緒に行くそうですよ」
「おお! あの出不精なお姉さんが! これは決まりですな!」
「もう、ただ海に行くだけですよ。海を見るだけですよ。泳ぎませんから、絶対、ええ、泳ぐものですか、泳いでやるものですか」
「……あのお姉さんが海に行くなんて、何年ぶりなの?」
「ひいふうみいよーっと、かれこれ八年半ぶりかな」
「そう、そんなお姉さんが! 火羅さんと一緒だと行くと言う! これはもう決定的な証拠ですよ!」
「火羅さんも一緒だと教えていませんよ?」
「あれー?」
「あ、あれー?」
「その前に、お二人とも宿題を。夏休み終盤に私のを写すの、嫌でしょう?」
「嫌じゃないよ」
「わ、私も。自分で解くより答え合ってるし」
「……怒りますよ」
 にこり、ごごご。



「あのー、戻りたいんだけど」
「ふんふふーん、これなんか似合うんじゃないか?」
 水着、部屋にいっぱい。
 全般的に、派手めで、露出が激しい。今彩華が持ってるのは龍柄だ。バニーもある。この紐も水着なのだろうか。これで大事な部分が隠れるのだろうか。これ、破れてる。
 ベッドの上にいる彩華は、眠そうであった。
 サンタの正体を見破るために夜更かしする子供みたいだ。
「ここで試着していくか?」
 口元に浮かぶ冷笑も、何となく力がない。眠気と戦うことに、力を費やしているのだろう。
 あまり相手してあげられなくて、申し訳なく思う。
「しないわよ、宿題が先」
「じゃあ、宿題が終わればじゃな」
 彩華の部屋は相変わらずごちゃごちゃして汚い。彩花の部屋とは大違いだ。
 本人としては完璧な配置らしい。ついついうずうず掃除したくなる。
「……あのねぇ、水着ぐらい自前のがあります」
 小学校から使っている、古い物がある。
「赤麗がのぉ、新しい水着がほしいと言っておったんじゃ。スクール水着はあんまりだと。勿論、おぬしの物じゃよ。いやいや、優しいのぉ。そんな赤麗のために妾が一肌脱いでやろうと思っての」
「赤麗が……」
「それはそれで妾は面白いと思うがの」
「貴方はどんなのを着るのよ」
「秘密」
「こんな高そうなの買えないわ。うちの台所事情、貴方ならよく知ってるでしょう?」
「なに、玉子かけご飯の礼じゃ」
「……赤麗と一緒に、選んでもいい?」
「好きにせい」



 力尽きました。
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