小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~跡目争い(12)~

 猿と彩華が戦っていた。
 彩華は、火羅達を守りながら戦っている。
 猿は、鬼の女を守りながら戦っている。
 火羅は見ていることしか出来なかった。世界が違いすぎる。戦っているのはわかるが、どのように戦っているのかわからなかった。
 空気が灼け、小石が弾け、耳の奥で鋭い音が、鼻先で厭な臭いがした。
 彩華は強くなっている。妖虎達と戦ったよりも、ずっと強いはずだ。それが、押されている。
 その姿を目に捉える度に、蒼白い肌に傷は増え、着物は襤褸に変わっていき、黒髪は乱れていく。火羅は、掌をぎゅっと強く握り締めた。
「やりにくいの」
 姿を現し、ほとんど役目を果たしていなかった衣を脱ぎ去りながら、腹立ち混じりに彩華は言った。
 黒い衣がすぐに全身を覆う。月光蝶の衣だ。うっすらと周囲に鱗粉を漂わせた。
 束の間の裸身。
 癒えていく傷と、癒えない傷があった。
「ああ、やりにくい」
 邪魔になっている。そう、火羅は思った。
「違う、火羅ではない、火羅達ではない、そうではないのだ。気に病むことはないのだ」
 心を読んだのかもしれない。ありそうなことだった。
 火羅は、毅然とした彩華の後ろ姿を、恐る恐る見やった。
「くふ、強気な火羅も悪くないが、気弱な火羅もそそられるぞ」
「……余裕なのね」
 その背中に、声を掛ける。振り返りはしなかった。
「そうでもない。お前、ああ、何だったか、美猴王だったか、面白い術を使うな。大陸渡りか?」
 姿を現した美猴王は、答えなかった。鬼の女が、少し表情を変えたことに、火羅は気がついた。彩華も気がついたようで、ふむふむと鬼の女に目を向けていた。
「なるほど、なるほど……はぁ」
 彩華がよろめいた。膝を付きそうになり、咄嗟に動いた火羅によって、何とか支えられた。
「彩華!」
「お腹、空いた」
「……は?」
 美猴王が、何事かと思案げに後退した。
 鎧にひびが入っている。棒は、傷一つ無かった。
「紛い物二匹を相手に、力を使いすぎた。いや……少し、違うな。まだ、出てくるなよ。これから楽しくなるのじゃから」 
 彩華がか弱げに見えた。見間違いだろうと火羅は頭を振った。
 一度は後退した金色の棒が動いて、彩華にぶつかった。彩華の張った結界を容易く破り、その右腕を奪っていった。
 千切れ、壁に叩きつけられた細腕はすぐに消え、血の変わりに黒い薄煙が、呼気のような音を出しながら腕の断面より溢れていく。
 火羅は、悲鳴をあげながら、漏れ出るそれを押さえようと、両手を当てた。 
「貴方、私を」
 火羅のいた左側の結界の方が、右側よりも格段に厚かった。そんなことなら、わかりもする。
「たまたまよ」
 火羅の手を払いながら、彩華が言った。
「う、腕が、そんな身体じゃ、あんな化け物に、馬鹿、馬鹿よ! 私なんてどうなってもいいのに!」
 掌が痛い。灼けるような痛さだ。彩華の方が痛いはずだ。そう思うと、気にならなかった。
「ああ、お腹が空いたなぁ」
 また、同じ言葉を、呟いた。
「彩華?」
「ん――あるではないか、ここに、餌が」
 がつんと、音がした。
 彩華が喰らっている。
 骨まで喰らっていた。
 がつん、がつんと、その、小さな口で。
「浅ましい」
 美猴王が言った。
 彩華は、鬼と狼の骸を、喰らっていた。
「なぁ、火羅、お前はまだ、喰らわぬ。もっともっと、先よ。楽しみに、しておれ」
 彩華は、彩花だ。彩花の姿をしているのだ。
 それが、屍に食らいついている。ぞくりとする、おぞましくも美しい光景だった。
「例えば、そう……お前が妾よりも先に逝ったら、喰らってやる。いいな、妾が喰らうのだぞ。もう、決めたからな」
「餓鬼と化したかよ!」
「餓鬼? 妾は、彩華よ。西方の妖狼が戯れにつけた名を持つ、貪る者よ。餓鬼か、餓鬼でもよいわ。妾はただ、快楽を求む。ただただ、快楽を求む。それだけよ、それだけのはずよ、それだけのはずだったのに、彩花を、あの小娘を嘲笑っていたはずなのに……妾もおかしくなっていたのか。たかが狼一匹に、狂わされていたのか。まぁ、それでも、よいか」
 骸をあらかた喰らい尽くすと、彩華は美猴王と向き合った。
 唇についた屍の残滓を、きれいに舐めとる。
 星熊童子と虎熊童子には、口を付けなかった。
「よい、よい、まずは、目の前の邪魔者を、消すか」
 彩華の身体が大きくなる。
 下半身が形を変え、上半身がせり上がっていく。
 蛇だ。
 蛇の蕾に抱かれた黒い娘。
 八つの鎌首を持ち上げた蛇に、片腕のない黒い娘は包まれていた。
「彩華……貴方のこと、嫌いじゃ、ないわよ」
「妾も、嫌いではない。よきことよ、初めて考えが合ったではないか」
「勝ってよ……お願い」
「うん」
 美猴王も大きくなった。肩に、瀧夜叉を乗せられるほどにだ。
 その上、八匹の蛇に対抗するように、三面六腕の姿になっている。
 彩華が躍り掛かり、しゃぁ、しゃぁと、蛇が威嚇する。
 金色の棒が振るわれる。
 棒で潰された蛇の頭は、すぐに元に戻った。
 壁にひびが走る。天井の欠片が落ちてくる。
 火羅は、太郎と朱桜を庇うように、両腕に抱いた。
 瀧夜叉が美猴王の肩にしがみついている。
 争いは激しさを増す。
 いつ終わるともしれぬ、蛇と猿の喰い合いだった。