あやかし姫~跡目争い(14)~
「ん――」
「んふ」
頭が、痛い。鬼ヶ城からどこぞの山に降り立ち、彩華と妖猿の間に鬼が現れ、その前に、黒之助と白い天狗が、数多の天狗が、異様な姿をした少女が。
そうだ、あれは、あの鬼は、あのおぞましい鬼は――
「起きたか?」
「……彩華?」
右袖のない黒い衣。
真っ白な右腕。
鱗光らす蛇ではなく人の両脚。
姫様の姿をした女は、妖艶に、満足げに、その細首を傾けていた。
「くつ、くつ、くつ」
しなだれ掛かってきた彩華の身体を受け止める。
両腕に、彩華の重みが加わる。
黒い蝶が少しずつ溢れ、黒い衣が融けていた。
周囲を見渡せば、彩華と一緒に鬼ヶ城を出た面々や、黒之助に知らない女、それに、凄まじい力を感じる者がいる。
火羅は、彩華を抱えながら、何度も頭を振り、垣間見てしまった鬼の姿を振り払おうとした。
鬼は、紅い髪をした少女で、背中を灼かれ、白銀の鎖に繋がれて――
「妾の祭りは終わった。よもや、守って終わるとは――ああ、待て。まだ、ある。まだ、残っている」
彩華の手が、火羅の掌に軽く触れると、爛れたようになっていた掌の痛みが治まった。
「これで、よい」
「何でよ……貴方はそういうことをする人じゃない。私の傷を癒すような真似、する人じゃない。貴方は、貪るだけって、いつも言ってるじゃない」
目の傷も、掌の傷も、癒してくれた。
鬼から、守ってくれた。
「戯れよ」
そうなのだ。この女にとって、全ては戯れなのだ。
それでも、
「……色々と、ありがとう」
そう、火羅は、言った。
「玩具風情が」
満更でもない表情を浮かべると、女は穏やかに微笑んだ。
火羅は、裸身になった少女を抱き締め、もう一度礼を述べると、屹立する鬼の後ろ姿を見やった。
「ば、馬鹿かお主は! こんなところで、真の姿を顕すな!」
「……おい、鞍馬の大天狗よ。あれは、お前の仕業か?」
「何を言う、酒呑童子。わしがかような真似をするものか」
「おい、綱。お前か?」
「知らない」
立っているのは、鞍馬の大天狗と、渡辺綱、西の鬼の王である酒呑童子。
火羅は姫様を抱いて座し、黒之助はなずなを抱いて座し、朱桜がぺたんと腰を下ろしている。
天狗達が昏倒していて、妖猿が膝をつき、瀧夜叉が腹這いになって頭をもたげていた。
「じゃあ、誰だ。鬼ヶ城が、京から見えるぞ。鞍馬山から見えているぞ。結界を――誰が、崩した?」
「私だよ」
瀧夜叉が、言った。
「酒呑童子……西の鬼の王。もっと後で見えるはずだったのだが」
「誰だ、お前?」
ぞわりと、美麗な鬼の皮が、捲れかけた。
「ふふ、茨木童子も、鬼ヶ城も、私が落とした。朱桜はあと少しだった……あと少しでお前の鼻先に、朱桜の首を突きつけられるはずだったのに。そして、やっと、言えるはずだったのに」
一つ、瀧夜叉は息を溜めた。
「父様、貴方の娘ですと。貴方の娘の、瀧夜叉ですと。貴方の娘の瀧夜叉は、こんなに大きく立派になりましたよと」
「……娘?」
「そう、お前の娘だ! 私の父は、お前なんだよ! お前は……お前は、母と私を顧みず、あまつさえ、別の女に作らせた娘を、一人娘だと喧伝して! 許せるものか! だから、奪ってやろうと思ったんだ! 弟も、娘も、王の座も!」
「俺の娘は、朱桜だけだ」
「どこまで虚仮にすれば気が済むんだ!」
「話にならんな。どこでそのような考えを吹き込まれたのか知らんが、俺の子は、朱桜だけだ。あ、朱桜!? だ、大丈夫か!? い、いたのか。父の姿を、見たのか?」
魂が抜けたようになっていた朱桜に飛びつくと、鬼の王は形相を歪めながらそう、言った。
「だ、大丈夫ですよ」
「どこも、悪くないのか?」
「多分……あぅ。父様、痛いですよ。強すぎですよ」
「何故ですか?」
「あぁ?」
「何故、私には……そうしてくれないのですか? 一言、母を愛していたと、私は貴方の娘だと、そう言って下されば……」
瀧夜叉は、懐から取り出した刀を、鞘から抜いた。
小さな刀だった。
「こんなことにはならなかったのに!」
「ああ、なるほど、鬼違いだ」
身体が裂けた。
瀧夜叉ではなく、美侯王の身体が、肩から腰にかけて、裂けた。
阻もうとした妖猿の身体を素手で裂き、瀧夜叉の首を掴んだ酒呑童子は、
「そういうことか」
小刀を見やり、合点したように、そう呟いた。
朱桜の身体は、離している。捲れかけていた貴人の形を成す皮が、元に戻っていた。
「そういう、ことか」
瀧夜叉の顔色が変わっていく。
軽く握っているようで、どう足掻こうと、酒呑童子の腕は離れなかった。
人の細腕の形でも、込められた力は、瀧夜叉の力を遥かに上回っていた。
「黒夜叉の娘なら、わからないでもない……あれは、俺が殺したからな。娘も同じように、首を落とされるか」
小刀を落とす。
瀧夜叉の顔が、さらに歪む。
首の骨が、みしりと鳴った。
憎悪に満ちた、朱桜がいた。
関心のない綱と、冷ややかな鞍馬の大天狗。
抱いた少女に思いを馳せる妖狼と、なずなに思いを馳せる鴉天狗。
なずな。
共に計らった、同志。
「なずな……なず、な……助け」
「瀧夜叉……」
「おお!」
「ぬ!」
鬼が、腕を離す。美侯王が、裂けた身体で、ひびの入った金色の棒を振るったのだ。
「主、退くぜよ!」
身体の裂けた妖猿は、瀧夜叉を脇に抱えると、金翅の雲に投げ出すように身を預け、その場を逃れようとした。
「逃がすか!」
「むぅ!」
「待て」
酒呑童子に鞍馬の大天狗、それに渡辺綱が、すぐに後を追おうとした。
風が渦巻き、盛大な土煙が生じ、三人の行方を塞いだ。
「新手か」
風はすぐに止み、翁が一人、残っていた。
「……八霊?」
「八霊ではないか」
「誰?」
頭領であった。
葉子や太郎を従えて、黒之助を弟子として、彩花を育てた古寺の主。
頭領が、眉間に皺を寄せ、立ち竦んでいた。
「彩花……」
酒呑童子が足を止め、鞍馬の大天狗が羽を停め、綱が静止した。
翁は、豪奢な衣を身体にかけられた少女に覚束ない足取りで近寄ると、傍に座り込んだ。
「頭領! ご無事で! 今まで、何を! 皆、心配して」
「ちと面倒に巻き込まれてなぁ」
頭領が、黒之助の声を聞きながら、姫様の頬に触れた。
「少し、痩せたかの」
「……お久し振りです、頭領」
「うむ、久しいの」
「……太郎さんと、火羅さんは?」
「所詮、紛い物ぜよ」
雲がなくなり、瀧夜叉は地面に身を打ち付けた。
美侯王の身体が、消えかかっていた。
金色の棒に入ったひびが、深くなっていた。
「美侯王……嫌だ、美侯王。いくな。私を置いて、いくな。あと少しだったんだ。あと少しだったんだよ」
「わしは、紛い物ぜよ。わかっていたぜよ……それでも、主の傍では、本物らしく、あれたぜよ」
「違う、お前は本物だろう? 美侯王、美侯王、」
美侯王が、何か言った。
声はなくて、姿が消えて、金色の棒が折れ、金色の毛が瀧夜叉の掌に一本残った。
「美侯王……いや、だ」
瀧夜叉の喉を、何かが掠めた。
押さえると、赤く濡れた。
止め処なく溢れた。
「あ……」
風が、毛を、攫う。
ふわりと浮かんだ金色の毛は、あっという間に見えなくなった。
どこで間違ったのだろうと、瀧夜叉は思った。
父に誉めて欲しかった。
妹を可愛がってやりたかった。
それだけだったのに。
どこでどう間違ったのだろう。
「父様、母様、私……」
「よく、やった」
「よくやったわ」
父様の背中は、大きい。母様の膝の上は、温かい。
美侯王――お前は、紛い物なんかじゃない。
私にとって、本物の、斉天、大聖……。
金色の大きな狼が、陽の光を浴びて、周囲を煌びやかに照らしていた。
狼の爪には、血が塗られ、傷で縫われた両の目は、瀧夜叉の頭に膝を貸す少女と、疵だらけの白い同族に向けられていた。
「死んだわ」
「……そうか」
「北の太郎、西の火羅」
「南の、金咬」
二匹の妖狼が、睨み合う。
金色の狼は、懐かしげに。
白色の狼は、忌々しげに。
「南に西に北……何の因果。顔を合わせるのは、東の葬儀以来」
「雇い主を、殺すか。いい商売だな、南の」
妖狼の臭いを嗅いで、太郎はその場を抜け出した。
火羅も、後を追ってきた。
「御輿に担いだが、弱者。当てが外れ候」
太郎が飛び掛かる。
金咬が飛び退る。
「かわしたつもり、見事」
唸り声が、地面を這う。
太郎の爪は、金咬の額に傷をつけていた。
「益無き筈。何故?」
「散々鬼ヶ城で暴れやがって……姫様が、いたんだよ」
「そこな屍の指図」
「ああ、もう、黙れ。とりあえず、死んでろ」
もう一度、飛び掛かる。
金咬も、飛び掛かった。
一遍の風が、交錯する。
太郎の額に、傷が出来た。額だけでなく、太腿にも。金咬は、そのまま、火羅に突っ込んだ。
炎が壁となり、火羅を守る。
炎に触れる寸前、全身をばねのようにして、金咬はかわした。
「焔」
「真紅の妖狼を舐めないでよ」
もう一度来られると、危うい。
たまたま操れただけで、二度目は覚束ない。
「善き哉」
金咬が、人の姿をとった。
白色の衣で身を包んだ金咬の後ろに、同じ装束の者が幾人も現れた。
「全員?」
「は!」
「頭、この場は」
「善い。ただの、座興」
姿が薄れていく。太郎の爪が、空を切った。南の妖狼が、いなくなった。
太郎も、人の姿をとり、額を拭った。
「火羅……帰ろうぜ」
「……はい」
「んふ」
頭が、痛い。鬼ヶ城からどこぞの山に降り立ち、彩華と妖猿の間に鬼が現れ、その前に、黒之助と白い天狗が、数多の天狗が、異様な姿をした少女が。
そうだ、あれは、あの鬼は、あのおぞましい鬼は――
「起きたか?」
「……彩華?」
右袖のない黒い衣。
真っ白な右腕。
鱗光らす蛇ではなく人の両脚。
姫様の姿をした女は、妖艶に、満足げに、その細首を傾けていた。
「くつ、くつ、くつ」
しなだれ掛かってきた彩華の身体を受け止める。
両腕に、彩華の重みが加わる。
黒い蝶が少しずつ溢れ、黒い衣が融けていた。
周囲を見渡せば、彩華と一緒に鬼ヶ城を出た面々や、黒之助に知らない女、それに、凄まじい力を感じる者がいる。
火羅は、彩華を抱えながら、何度も頭を振り、垣間見てしまった鬼の姿を振り払おうとした。
鬼は、紅い髪をした少女で、背中を灼かれ、白銀の鎖に繋がれて――
「妾の祭りは終わった。よもや、守って終わるとは――ああ、待て。まだ、ある。まだ、残っている」
彩華の手が、火羅の掌に軽く触れると、爛れたようになっていた掌の痛みが治まった。
「これで、よい」
「何でよ……貴方はそういうことをする人じゃない。私の傷を癒すような真似、する人じゃない。貴方は、貪るだけって、いつも言ってるじゃない」
目の傷も、掌の傷も、癒してくれた。
鬼から、守ってくれた。
「戯れよ」
そうなのだ。この女にとって、全ては戯れなのだ。
それでも、
「……色々と、ありがとう」
そう、火羅は、言った。
「玩具風情が」
満更でもない表情を浮かべると、女は穏やかに微笑んだ。
火羅は、裸身になった少女を抱き締め、もう一度礼を述べると、屹立する鬼の後ろ姿を見やった。
「ば、馬鹿かお主は! こんなところで、真の姿を顕すな!」
「……おい、鞍馬の大天狗よ。あれは、お前の仕業か?」
「何を言う、酒呑童子。わしがかような真似をするものか」
「おい、綱。お前か?」
「知らない」
立っているのは、鞍馬の大天狗と、渡辺綱、西の鬼の王である酒呑童子。
火羅は姫様を抱いて座し、黒之助はなずなを抱いて座し、朱桜がぺたんと腰を下ろしている。
天狗達が昏倒していて、妖猿が膝をつき、瀧夜叉が腹這いになって頭をもたげていた。
「じゃあ、誰だ。鬼ヶ城が、京から見えるぞ。鞍馬山から見えているぞ。結界を――誰が、崩した?」
「私だよ」
瀧夜叉が、言った。
「酒呑童子……西の鬼の王。もっと後で見えるはずだったのだが」
「誰だ、お前?」
ぞわりと、美麗な鬼の皮が、捲れかけた。
「ふふ、茨木童子も、鬼ヶ城も、私が落とした。朱桜はあと少しだった……あと少しでお前の鼻先に、朱桜の首を突きつけられるはずだったのに。そして、やっと、言えるはずだったのに」
一つ、瀧夜叉は息を溜めた。
「父様、貴方の娘ですと。貴方の娘の、瀧夜叉ですと。貴方の娘の瀧夜叉は、こんなに大きく立派になりましたよと」
「……娘?」
「そう、お前の娘だ! 私の父は、お前なんだよ! お前は……お前は、母と私を顧みず、あまつさえ、別の女に作らせた娘を、一人娘だと喧伝して! 許せるものか! だから、奪ってやろうと思ったんだ! 弟も、娘も、王の座も!」
「俺の娘は、朱桜だけだ」
「どこまで虚仮にすれば気が済むんだ!」
「話にならんな。どこでそのような考えを吹き込まれたのか知らんが、俺の子は、朱桜だけだ。あ、朱桜!? だ、大丈夫か!? い、いたのか。父の姿を、見たのか?」
魂が抜けたようになっていた朱桜に飛びつくと、鬼の王は形相を歪めながらそう、言った。
「だ、大丈夫ですよ」
「どこも、悪くないのか?」
「多分……あぅ。父様、痛いですよ。強すぎですよ」
「何故ですか?」
「あぁ?」
「何故、私には……そうしてくれないのですか? 一言、母を愛していたと、私は貴方の娘だと、そう言って下されば……」
瀧夜叉は、懐から取り出した刀を、鞘から抜いた。
小さな刀だった。
「こんなことにはならなかったのに!」
「ああ、なるほど、鬼違いだ」
身体が裂けた。
瀧夜叉ではなく、美侯王の身体が、肩から腰にかけて、裂けた。
阻もうとした妖猿の身体を素手で裂き、瀧夜叉の首を掴んだ酒呑童子は、
「そういうことか」
小刀を見やり、合点したように、そう呟いた。
朱桜の身体は、離している。捲れかけていた貴人の形を成す皮が、元に戻っていた。
「そういう、ことか」
瀧夜叉の顔色が変わっていく。
軽く握っているようで、どう足掻こうと、酒呑童子の腕は離れなかった。
人の細腕の形でも、込められた力は、瀧夜叉の力を遥かに上回っていた。
「黒夜叉の娘なら、わからないでもない……あれは、俺が殺したからな。娘も同じように、首を落とされるか」
小刀を落とす。
瀧夜叉の顔が、さらに歪む。
首の骨が、みしりと鳴った。
憎悪に満ちた、朱桜がいた。
関心のない綱と、冷ややかな鞍馬の大天狗。
抱いた少女に思いを馳せる妖狼と、なずなに思いを馳せる鴉天狗。
なずな。
共に計らった、同志。
「なずな……なず、な……助け」
「瀧夜叉……」
「おお!」
「ぬ!」
鬼が、腕を離す。美侯王が、裂けた身体で、ひびの入った金色の棒を振るったのだ。
「主、退くぜよ!」
身体の裂けた妖猿は、瀧夜叉を脇に抱えると、金翅の雲に投げ出すように身を預け、その場を逃れようとした。
「逃がすか!」
「むぅ!」
「待て」
酒呑童子に鞍馬の大天狗、それに渡辺綱が、すぐに後を追おうとした。
風が渦巻き、盛大な土煙が生じ、三人の行方を塞いだ。
「新手か」
風はすぐに止み、翁が一人、残っていた。
「……八霊?」
「八霊ではないか」
「誰?」
頭領であった。
葉子や太郎を従えて、黒之助を弟子として、彩花を育てた古寺の主。
頭領が、眉間に皺を寄せ、立ち竦んでいた。
「彩花……」
酒呑童子が足を止め、鞍馬の大天狗が羽を停め、綱が静止した。
翁は、豪奢な衣を身体にかけられた少女に覚束ない足取りで近寄ると、傍に座り込んだ。
「頭領! ご無事で! 今まで、何を! 皆、心配して」
「ちと面倒に巻き込まれてなぁ」
頭領が、黒之助の声を聞きながら、姫様の頬に触れた。
「少し、痩せたかの」
「……お久し振りです、頭領」
「うむ、久しいの」
「……太郎さんと、火羅さんは?」
「所詮、紛い物ぜよ」
雲がなくなり、瀧夜叉は地面に身を打ち付けた。
美侯王の身体が、消えかかっていた。
金色の棒に入ったひびが、深くなっていた。
「美侯王……嫌だ、美侯王。いくな。私を置いて、いくな。あと少しだったんだ。あと少しだったんだよ」
「わしは、紛い物ぜよ。わかっていたぜよ……それでも、主の傍では、本物らしく、あれたぜよ」
「違う、お前は本物だろう? 美侯王、美侯王、」
美侯王が、何か言った。
声はなくて、姿が消えて、金色の棒が折れ、金色の毛が瀧夜叉の掌に一本残った。
「美侯王……いや、だ」
瀧夜叉の喉を、何かが掠めた。
押さえると、赤く濡れた。
止め処なく溢れた。
「あ……」
風が、毛を、攫う。
ふわりと浮かんだ金色の毛は、あっという間に見えなくなった。
どこで間違ったのだろうと、瀧夜叉は思った。
父に誉めて欲しかった。
妹を可愛がってやりたかった。
それだけだったのに。
どこでどう間違ったのだろう。
「父様、母様、私……」
「よく、やった」
「よくやったわ」
父様の背中は、大きい。母様の膝の上は、温かい。
美侯王――お前は、紛い物なんかじゃない。
私にとって、本物の、斉天、大聖……。
金色の大きな狼が、陽の光を浴びて、周囲を煌びやかに照らしていた。
狼の爪には、血が塗られ、傷で縫われた両の目は、瀧夜叉の頭に膝を貸す少女と、疵だらけの白い同族に向けられていた。
「死んだわ」
「……そうか」
「北の太郎、西の火羅」
「南の、金咬」
二匹の妖狼が、睨み合う。
金色の狼は、懐かしげに。
白色の狼は、忌々しげに。
「南に西に北……何の因果。顔を合わせるのは、東の葬儀以来」
「雇い主を、殺すか。いい商売だな、南の」
妖狼の臭いを嗅いで、太郎はその場を抜け出した。
火羅も、後を追ってきた。
「御輿に担いだが、弱者。当てが外れ候」
太郎が飛び掛かる。
金咬が飛び退る。
「かわしたつもり、見事」
唸り声が、地面を這う。
太郎の爪は、金咬の額に傷をつけていた。
「益無き筈。何故?」
「散々鬼ヶ城で暴れやがって……姫様が、いたんだよ」
「そこな屍の指図」
「ああ、もう、黙れ。とりあえず、死んでろ」
もう一度、飛び掛かる。
金咬も、飛び掛かった。
一遍の風が、交錯する。
太郎の額に、傷が出来た。額だけでなく、太腿にも。金咬は、そのまま、火羅に突っ込んだ。
炎が壁となり、火羅を守る。
炎に触れる寸前、全身をばねのようにして、金咬はかわした。
「焔」
「真紅の妖狼を舐めないでよ」
もう一度来られると、危うい。
たまたま操れただけで、二度目は覚束ない。
「善き哉」
金咬が、人の姿をとった。
白色の衣で身を包んだ金咬の後ろに、同じ装束の者が幾人も現れた。
「全員?」
「は!」
「頭、この場は」
「善い。ただの、座興」
姿が薄れていく。太郎の爪が、空を切った。南の妖狼が、いなくなった。
太郎も、人の姿をとり、額を拭った。
「火羅……帰ろうぜ」
「……はい」