小説置き場2

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あやかし姫~火羅とお散歩~

 妖の掌は冷たいと、姫様は思う。
 急に冷えた秋の夜気より、少しだけ冷たい。
 包みを片手に、妖狼の手を引き、揺れる芒の間を歩いて行く。
 松虫、鈴虫、蟋蟀、轡虫、馬追――艶やかな秋の音色が、まだ新しい細道に溢れている。
 火羅の顔を覗き見る。上背があるので、自然と見上げる形になる。
 狼耳をひょこひょこ動かしながら、紅い瞳で足下を食い入るように見ている。
 姫様の目には、つまらなそうに見えた。
 その繊細な白面は、不機嫌そうで、怒っているようで。
 意に添わぬ申し出だったのだろうか。
 部屋の隅で丸まっていた妖狼を、いきなり散歩に誘ったのだけれど。
 視線に気づいたのか、火羅が細首を傾けた。
 何故か、しょんぼりとしていた。
「何よ」
「はぁ」
 声色は強いのに、表情は芳しくない。
 とりあえず、次の言葉を待とうと思う。
「こっち見てたじゃない」
「えっと……もしかして、つまらないのかな、って」
「そんなことないわよ」 
 空いている手を腰にやり、柔らかな尾を翻しながら、火羅は豊かな胸を張った。
「よかった」
「私が何時つまらなそうにしてたのよ」
「……今?」
「つまらなかったら帰るわ。大体、夕餉だってこの先で食べるんでしょうに。何よその目、別に食い意地なんて張ってないわよ」 
 気乗りしていないわけではないようだ。太郎さんや葉子さんと違い、火羅の感情は読みにくい。
 手にしたお弁当は姫様お手製、このお出かけを急に思い立ったから、それこそ急拵えである。
「火羅さんのお気に召したらいいのですが」
「だから、食い意地なんて張ってないから」 
 随分と強調するなと、姫様は思った。
 
 
 
 細道を歩いて行くと、目的地である小高い丘に辿り着いた。
 荒くなった息を宥めつつ、丘の上で毛氈を敷いていると、周囲に視線を巡らした火羅が、
「ここ?」
 と、呟いた。
「はい、ここです」
「何にもないわね」
 何にもないわけじゃないよと、姫様は思った。
 芒の生い茂る茅場の端に、ちょこんと位置する丘である。
 村の人が休息に使うために、きれいに刈り取ったので、そこだけぽっかりとした空間になっている。
 顎を上げ、夜空を見やり、姫様は、
「お気に召さなかったですか?」
 そう、火羅に問い掛けた。
 首を捻った火羅は、不思議そうにしていた。
 それから、
「どうして?」
 と、姫様に問い返した。
 今度は姫様が首を捻る番だった。
 色鮮やかな紅葉の下でのお月見よりも、白い芒の中で火羅とお月見をしたいと思った。  
 火羅には、燃えるような紅葉よりも、仄かに光る芒の方が、合いそうな気がした。
 派手なものを好む――そう振る舞っているけれど、本当は違うと姫様は思うのだ。
「三日月、綺麗ね」
 火羅が空を見上げた。
 白光りする尾花に真紅の髪が溶け込む様は、何とも幻想的な光景。
 間違っていなかったと、姫様は思った。
「そろそろ、村の人達が、芒を刈り取るそうです。この景色も、見納めだそうですよ」
 毛氈に腰を下ろし、竹の皮の包みを開ける。
 中には、五つの丸いおにぎりと長芋の漬け物が入っている。
 二つとり、残りを竹の皮ごと火羅に差し出すと、視線を下ろした火羅は物足りなそうな顔をした。
「……はい、どうぞ」
 もう一つ、包みの上に乗せようとすると、火羅は首を横に振った。
「いっぱい食べないと、お腹いっぱいにならないでしょ?」
 それから、
「半分ずつでいいじゃない」
 一つを半分に割り、姫様に差し出した。
「人の好意を無碍にするつもり? 早く受け取りなさいよ。そんなことだから、大きくならないのよ」
 おにぎり半分で、背が伸びて、色々と大きくなるのだろうか。 
 火羅の言うことだから、一理あるのかもしれない――そう、微苦笑を浮かべた。
「別に、馬鹿にしたわけじゃないのよ。お、お腹が空くと、嫌じゃない? 帰り道、辛くなるわよ?」  
 姫様のよく知る妖達は、とても心配性で、とても優しい――半分こしたおにぎりを口に含んだ。
 濃いめの塩味が、疲れた身体に心地よい。
 火羅は、ぺろりと平らげた。
 それから、
「美味しい」
 と、言った。
 童のような表情で、火羅は瞳を輝かせた。
 一言、二言と言葉を交わし、白い尾花に目をやり、時々三日月を見上げながら、おにぎりを食べる。
 姫様がやっと半分食べたとき、火羅はもう食べ終えていた。
 やっぱり物足りなそうに舌なめずりをしていたけれど、どうぞと差し出しても受け取らないのは目に見えていた。
 漬け物だって、律儀に半分残している。
 我が儘だとクロさんや朱桜ちゃんは言うけれど、本当は我が儘ではないと思う。
 けぷっと、息を吐く。
 しゃきりとした長芋は、良い着け具合だった。
 二つと半分もおにぎりを食べると、十分にお腹は満ちた。
「どうして?」
 火羅が、そう、呟いた。
「どうして、私となの? 皆で来ても、良かったじゃない。それこそ、太郎さんとでも――」
 暗い、表情。
 姫様は、答えなかった。
 答えられなかったのだ。答えを持ち合わせていなかった。
「どうしてでしょうね」
 身体を傾け、火羅の肩に寄りかかってみる。
「わかりません」
 喉の奥で、笑みが零れた。
「何よそれ」
 紅い瞳が細くなる。照れくさそうに口元を緩める火羅は、すごく可愛らしいと思った。
「まぁ……嫌いじゃないわよ」
「私は、好きですよ」
 二人で来て良かったと思った。