あやかし姫~彩花とお散歩~
彩花の掌は温かいと火羅は思った。
傷に滲みる秋の夜気とは雲泥の差である。
背中に毛氈をくくりつけ、彩花にてくてくと手を引かれていく。
獣の尾のような芒の間、刈り取られたばかりの道を進んでいく。
虫の音がそこかしこから聞こえてくる。
調和のない秋の音色は、蝉のようにけたたましくないだけましというものだ。
道に障害がないよう、目を配る。
夜目が利く方ではないので、目を皿のようにして、小石の一つも見逃さないようにする。
肝心の彩花はというと呑気なもので、足下も疎かにぼけっとこちらを見ていた。
こちらを見て、息を吐いた。
溜息に聞こえた。
火羅の血の気が、さぁっと引いた。
「何よ」
「はぁ」
気のない返事だった。
ひぅっと言葉に詰まるも、急いで頭を巡らせた。
「こっち見てたじゃない」
「えっと……つまらないのかな、って」
「そんなことないわよ」
ふんと火羅が胸を張ると、さらりと彩花は黒髪を揺らした。
「そう、よかった」
「私が何時つまらなそうにしてたのよ」
「……今?」
「つまらなかったら帰るわ。大体、夕餉だってこの先で食べるんでしょうに。何よその目、別に食い意地なんて張ってないわよ」
お出かけに誘ってくれて、嬉しくないわけがない。
彩花のお手製弁当に、心惹かれたからでは決してないのだ。
「火羅さんのお気に召したらいいのですが」
「だから、食い意地なんて張ってないから」
しつこいわねと、火羅は思った。
小高い丘が見え、彩花が汗を拭う。相変わらず体力がない。なだらかな坂で辛そうなのは、古寺でじっといているせいに違いない。
丘の上で毛氈を敷く彩花の横に立ち、念のため周囲に視線を巡らすと、
「ここ?」
と火羅は呟いた。
「はい、ここです」
「何にもないわね」
肩透かしを食らった気分だった。
茅場の端の丘に、わざわざ出向く理由があるのだろうか。
白い細首を逸らし、夜空に目を向けた彩花は、
「お気に召さなかったですか?」
と火羅に問い掛けてきた。
首を捻り、考える。正直、散歩するだけで楽しい。
彩花は一緒にいるだけで心地よい相手なのだ。
「どうして?」
そんなこと聞くのと、姫様に問い掛けた。
彩花が首を捻ったので、つまらなかったのだろうかと火羅は思った。
道中重ねた言葉は多くない。お互い黙っているときが多かった。手はずっと繋いでいたけれど。
やっぱり、太郎さんや葉子さんや黒之助さんの方が、楽しい散歩になったのだろうか。
誘う相手を間違えたと思っているのだろうか。
「三日月、綺麗ね」
泣きそうになるのを堪えるために、空を見上げた。
黄金色に輝く三日月に、楽しいと思っているのは私だけだったのと問い掛けそうになった。
それから、意を決して彩花の方を見やると――顔がなかった。
「そろそろ、村の人達が、芒を刈り取るそうです。この景色も、見納めだそうですよ」
視線を上下させると、さっさと毛氈に腰を下ろした彩花が、いそいそと包みを開けていた。
食い意地の張っているのはどちらだと憤ると、悩むのが馬鹿らしくなってしまった。
丸いおにぎりを二つとり、残りを竹の皮ごと差し出してきたので、自分の方が多いと眉を潜めた。
「……はい、どうぞ」
もう一つ、包みの上に乗せようとするので、慌てて首を横に振った。
「いっぱい食べないと、お腹いっぱいにならないでしょ?」
彩花は駄目だ。人だから駄目なはずなのだ。
「半分ずつでいいじゃない」
多い分を一つ、半分に割り、彩花に差し出した。
「人の好意を無碍にするつもり? 早く受け取りなさいよ。そんなことだから、大きくならないのよ」
彩花は細く、小さく、うっかりすると毀れそうだ。
華奢な肢体は間違いなく綺麗なのだが、痩せすぎだと思う。決して、からかったわけではない――あ。
「別に、馬鹿にしたわけじゃないのよ。お、お腹が空くと、嫌じゃない? 帰り道、辛くなるわよ?」
にこりとして受け取った彩花が、割ったおにぎりを、口に含んだ。
火羅も、おにぎりにかぶりついた。
あれと、思った。気づくと、平らげていたのだ。
思わず、
「美味しい」
と言っていた。
童のような表情で、彩花は瞳を輝かせた。
火羅が食べ終えたとき、彩花はまだ半分も食べていなかった。
何時もながらゆっくりなことと笑いながら、満足満足と唇を湿らす。
何の漬け物か知らないが、歯応えが楽しかった。
夜空を見る。
尾花を見る。
彩花を見る。
また、むくりと、問いかけが膨らんでゆく。
「どうして?」
そう、呟いた。呟かずにはいられなくなった。
「どうして、私となの? 皆で来ても、良かったじゃない。それこそ、太郎さんとでも――」
それが、良かったのではないだろうか。こうして楽しいからこそ、そう思う。
彩花は、答えなかった。
彩花を、見れなかった。
「どうしてでしょうね」
彩花の身体が寄りかかってきた。
「わかりません」
照れくさそうに上目遣いに見やる彩花は、すごく可愛らしかった。
「何よそれ」
そして、狡いなと、思った。
「まぁ……こういうのも、嫌いじゃないわよ」
「私は、好きですよ」
二人で来て良かったと思った。