小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~跡目争い(32)~

 何が一番大事なのか、葉美はわかっているつもりだ。
 物事に優先順位をつけ、粛々とこなしていく。それが上に立つ者の使命であり責任だった。
 今も同じ、子を守ることを至上とした。
 そのために使える駒は二つ。
 彩花という娘と、妖狼の姫であった火羅だ。
 どちらも良い縁というわけではない。
 彩花は姪と言うが、実感はなかった。御せるかというと、自信がない。敵であった火羅の方が話せただろう。もしかしたら、葉子の復讐を成そうとするかもしれない。姉が妖としての力をなくし、喝采を叫んだ自分がいる。
「やめろ」
「はい?」
 きょとんとした彩花が、火羅の掌を包んだまま、顔を上げた。
「その歌を、やめろ」
 調子外れの子守歌。
 姉と一緒で、歌は下手だと思った。
「気に入ってるのに……」
「私はその歌が嫌いだ」
 火羅に視線をやる。生きているのか、死んでいるのか、わからない。姿が戻っても、中身がない。布に包まれていた方が生きていた。
 彩花は、火羅の掌の傷が気になるのか、何度も摩っては不満そうな顔をしていた。
「そう、大嫌いなんだ」
「葉子さんは、この歌、好きでしたよ。よく歌ってくれました。私も、好き」
「……あの人は、まだ」
「葉子さんのこと、嫌いなの?」
「葉子ねえのことは」
「葉子ねえ?」
 葉子ねえだってと、火羅に言った。火羅は、何もしない。淡く微笑むだけだ。
 それでも彩花は嬉しそうだった。
 恐ろしい娘が少し哀れになった。
「……ねえ、姉様のことは、その」
 嫌いと言ったら、この娘は怒るだろう。
「そんなに嫌いなの?」
 彩花が立ち上がった。
 すっと、風が吹いた。
 妖気を孕んだ風であった。
 いきなり雰囲気が変わった。
 姿形は美しい少女なのに、醜悪な怪物の態を思わせた。 
「わ、私は、姉様のこと……お、お前、知っているのか!?」
 盤面を見る。持ち駒がない。逃げの一手だった。
「……何を?」
 苦し紛れだったが、食いついたと葉美は思った。
「知らないのか?」
「だから、何を?」
 重ねる問いかけは無邪気なもの。
 存在の変化が激しすぎて、何を相手にしているのかわからなくなる。
「葉子ねえが、何故、九尾の里を出たのか」
「……知りませんね。ええ、知りません。本当だ、私、よく知らないや。葉美さんは、知ってるの?」
 当前だと叫びかける。
 死の淵を彷徨い、ふっと浮かんだ世迷い言が、また、頭を掠めた。
「……私が葉子ねえに育てられた事は、知ってるな?」
「それは、はい」
 彩花が座り直した。大きな目がしげしげと見つめてくる。葉子が慈しんだ理由がわかる気がした。
 この子はくるくると変わる。
 妖しく、清らかで、何にでもなれる。
「私と一緒に、、従弟である木助を育てた事は?」
「知っています」
「では……私と姉様が、木助の許嫁の座を求めて争った事も?」
 言葉にするのは初めてだった。
 禁忌だった。
 玉藻御前も口にしない。
 木助とも話した事はない。
「……葉子さんが、許嫁の座を争う? はぁ、あの葉子さんが……え?」
「私が勝った。私が選ばれた。でも、姉様は、木助と親しいままだった。ねぇ、教えてよ。そんな人に、私はどんな顔をすればよかったと思う? 初めて私が、姉様に勝った。憧れていた姉様に。なのに姉様、変わらないんだもの。あれこれ世話を焼いて、私がいなくても家に上がって、仲睦まじそうに二人でいるんだ」
「それは……嫌ですね」
 私と火羅さんと太郎さんがいて、えっと、今は、でも、あ、そういうこと?
 指を折った彩花が、深々と頷き、言った。
「はい、とても嫌です。あの、一つお聞きしてもいいですか?」
「……」
 沈黙を是としたのか、彩花が続けた。  
「葉子さんは、木助さんのこと、好きだったのですか? いえ、それは、葉子さんの口ぶりだと、親しくはしていたんだろうけど、違うと思うのですが。葉子さんと、勝負、そう、勝負にすらなっていなかったのでは?」
 違うもの……今なら、わかるもの。
「ああ、そう……こんな童でもわかる簡単な事に、私はずっと気づかなかったの」 
 変わらないのは当たり前。
 きっと、あの人の中では、何も変わってなかったのだ。
「……やっぱり、そうか」
 鈍い人だと葉美は思った。
 姉妹だから、似ていると思った。
「さっきの子守歌、歌ってもいい」
「いいの?」
 歌、本当は苦手なんですと、彩花は言った。
 でも、好き。
 大好き。
「きっとこの子も喜ぶから」
 彩花が首を傾げ、
「何か良い事がありましたか?」
 と、言った。
「どうしてだ?」
「……葉子さんに、笑顔が似てます」
「妹だから」
 
 
 
鬼ヶ城って動くのなー」
「鬼岩城も動くのかな?」
「がしーんと動いたりしてなー」
「それ、格好良い!」
「そうじゃのお!」
「がしがしーん!」
「がおーん!」
 白月と光の目の前には鬼ヶ城がある。
 乱雲の上にそびえる城は、所々に穴があった。
「やめよと?」
「端的に言えば」
「いやいやいや、何言ってるんだぞ?」
 鈴鹿御前は、白月達を微笑ましく思いながら、金長を見やり眉を潜めた。
 遠征の準備は出来た。あとは海を渡るだけである。
 顕現した鬼ヶ城でもって、九州に向かえばいい。
 本来ならば、大江山の結界の中に潜む鬼ヶ城は、その巨大な姿を海に顕していた。
「死にます。死にすぎる。私は戦を好まない」
「金長……あほかよ」
 化け狸――特に、金長一派は、士気が低かった。
 金長に引きずられているのだ。
「おい、どうするよ」
「六右衛門、どういうことだ」
 この場には、主立った者残っている。
「師父は関係ない。これは、私の意思だ。このような大戦を、ずっと避けてきたのが、お歴々であろう。それなのに、この軽挙妄動はどうだ。相手が何なのか、何が目的なのか、出方もわからぬというのに、妄りに兵を動かそうとは」
「金長殿は、お優しい。確かに、その通り。得体の知れぬ相手に、大戦を仕掛け、数多の命を散らすのは正しく愚か。九尾にも襲われる理由があったのかもなぁ」
「おお、酒呑童子様」
「お前さぁ、子安姫を殺されても、同じ事言えるのか?」
「は?」
「戦を避けるよう動いてきたよ。それは、避けられたからだ。一線……越えたんだよ。俺はな、弟やられて黙ってるほど仁君じゃねえぞ。いいぜ、子安姫を殺してやる。俺はよ……女の怨念を、糧にしていたんだぞ」
「貴様!?」
「それは昔の話でしょう」
「ん……晴明」
「遊んでいても埒があきませぬよ。金長様、九尾は、妖狼と共に暴れ回っていましたが、外の妖に叩き潰される謂われはありませぬ。その手があちこちに伸びているとなれば……元を断つしかありますまいよ」
「ねぇ、義兄上。鈴鹿、難しくてよくわかんないぞ?」
「喧嘩はよくないけど、今回はしょうがないって話じゃねぇか?」
「喧嘩はよくないのー」
「白月、私は喧嘩好きだぞ?」
「うーむ、光と喧嘩するのは嫌じゃ。朱桜ちゃんと喧嘩するなんて、考えたくもないわ。ずっと仲良し、永遠の契りを結んだのじゃ!
「うーわ、桐壺が聞いたら卒倒しそうな言葉だねー。ねぇ、光を守るのは嫌?」
「それは、守るぞ? 当たり前じゃろう? 鈴鹿、怖いからのぉ。うぉっほん、わしが光を守ってやらねばならぬ!」
「言ったなー」
「殺られる前に殺る。当たり前だろう?」
「だから、あなた方は」
「おいおいおい、俺も鈴鹿も鬼の頭だ。綱も頼光も晴明も人の守り手だ。黙って見ているだけなら、そこのがき共でも出来る。お前、何なんだ。一応、化け狸の頭の一人なんだろう? それとも、飾りか?」
「怨みは怨みしか生まぬ。死者はそんなこと、望まぬ」
「……怨みは、必ず晴らす。もう、喋るな……お前、亡者にとり殺されるぞ。亡者の声が聞こえないのか。俺には、聞こえるが」
「亡者は、そんな事、望みませぬ。復讐など無益です」
「そうか? 亡者こそが、復讐を望むぞ?」
「それでも、私は……きりがありません」
「じゃあよぉ……化け狸が皆殺しになったら、大江山に来い。九尾の次は、四国と出雲だ。子安姫も何もかも失って、俺に頭垂れろ。そうしたら、言ってやる。怨みは怨みしか生まないぞ、ってな。こりゃ、いい。その時、お前は、どんな顔をするのかな?」
「……」
「おい、六右衛門。お前の婿は大丈夫か?」
「昔、争ったが、あの奇特な性格のお陰で首が繋がったがよぉ……」
「はぁ? 舅と婿の諍いか?」
「おうよ。舅と婿の諍いよ。子安に手を出せば、恐ろしいことになる。ああいう手合いが、一番やっかいじゃ。自分の矛盾に気付いていない。あの男、ああ言いながら、結局力で片付けようとする。不戦を言いつつ、全力で戦いを挑んできたからの」
「そうだろうなぁ。あいつも同じ穴の狢か。じゃ、行くぞ。さっさと皆殺しにしちまおう」
 酒呑童子が、軽く言った。
 鬼ヶ城が、ゆっくりと海を滑り出した。