あやかし姫~尾を漉く話~
細面の女が少女に寄りかかっていた。
白髪白面そして隻腕――女は、艶やかで儚げな容貌をしていた。
長い黒髪、薄く桃色を帯びた白い肌、毀れそうな華奢な肢体――少女は、可憐であった。可憐さの中に、色香がふっと滲み出していた。
女は名を、葉子という。
少女は名を、彩花という。
もう一人――紅色の髪を持つ、豊かな肢体を持つ少女が、二人の傍らに座していた。
名を、火羅といった。
「極楽極楽ー」
彩花に寄りかかった葉子が、そう、言った。
三人が座しているのは、古寺の縁側である。
赤い紅葉、黄色い銀杏、白い芒、夜が待ちきれぬ虫達の音色、秋の気配を存分に纏った庭を眺めながら、彩花と葉子は寄り添っていた。
「極楽、さよ」
こんと葉子が、彩花の頭の上に顎を乗せた。
にんまりとますます目を細め、八重歯が時々牙になった。
彩花は、ゆっくりと、手を動かしている。
飴色の櫛で、葉子の白い尾を、漉いているのだ。
庭の芒のような、白く、長い、豊かな尾の先が、くすぐったそうに揺れている。
彩花が櫛に息を吹きかけると、白い毛がふわりと浮き上がった。
葡萄のように目が連なっているもの、鐘を深く被った小さき翁、全身に蔦を絡ませた緑色の娘――庭にいた小妖達が追いかけていたが、くるくると風になぶられた白毛は、あっという間にどこかへ行ってしまった。
「うー、こんこん」
葉子が、伸びをした。
つられるように、火羅も一度欠伸をついた。
手を休めた彩花が、満足げに頷いた。
「ありがとさよ」
彩花の額に自分の額を押し当て、隻腕で頭を撫でると、そう、葉子は言った。
「あ……」
「はい?」
彩花が、こちらを見やった。
「どうかしましたか?」
何を――そう言おうとして、火羅は、自分が片膝立ちになり、片手を伸ばしていることに気がついた。
慌てて手を引っ込め、座り直す。
葉子の、ほっそりとした蒼い首が、傾いだ。
それから、悪戯を思いついたときの、悪い顔をした。目も、口元も、三日月のように細くなり、耳と尾がぴんと立っている。
「あの、あのね」
葉子が、彩花に、何か耳打ちした。
ほーっと、彩花が言った。ほーっと言い、腑に落ちないと言いたげに目を伏せた。
火羅は、まだ、口の中で言葉をこねていた。
考えがうまくまとまらない。
その場を凌ぐ戯れ言も出てこない。
「あのね、その、彩花さん?」
「言ってくれればいいのに」
目を開いた彩花が、苦笑した。
火羅は、地面に目を落とした。身体が、熱い。肌が、火照っているのが、わかる。目も、熱い。湿り気を帯びた熱さである。
一度、瞬きした。思考は、相変わらずまとまらない。
「何、を?」
火羅の紅い尾が、縮こまっている。
とんと太股を叩き、
「漉きますよ」
そう、彩花は言った。
「大丈夫、なの?」
「何が?」
「根を詰めすぎじゃない?」
「そんなことないよ」
葉子の尾を漉く前に、一仕事終えたばかりなのだ。
麓の村に配る、霊験あらたかな――ちょっとした効能を持つ御札。
彩花が字を入れたそれに、一枚一枚、押し花の飾り付けを施したのである。
息が詰まるような作業を経て、葉子の毛を漉き、今は火羅の尾に取りかかっている。
なるほど、葉子が極楽と言っていたのがよくわかる気持ちの良さだが、大丈夫なのかと心配になった。
「火羅さんの尾も、綺麗な色をしていますね」
紅い耳が、ぴんと立った。
「そ、そんなこと、ないわよ」
尾は、大事である。妖狼の尾は、容姿を大きく左右するのだ。手入れは、欠かしていない。同じ妖狼である、太郎の目があるのだ。
声を掛けることはあっても、掛けてもらったことはないが。
「その上、ふわふわで、もふもふです。これは、凄いです」
「もう、くすぐったいじゃないの……はぅ」
変な声が漏れた。
少し気まずくなり、お互い、押し黙った。
「あ、あの、どうして、押し花を?」
「……あ、ああ、何だろう。字だけじゃ、味気ないかなって。気紛れです」
押し花が、歪んでいる御札がある。さっさと諦めた太郎や、頑張ったけど駄目だった火羅の分だ。
案外、黒之助は細やかだった。細やかだが、根気が足りなかった。
最後まで付き合ったのは、火羅だけである。
「押し花なら、私でも出来ますから」
「ふぅん」
彩花の文字だけでも、十分だろうに。
寄りかかっちゃおうかなと、火羅は思った。
葉子は、寄りかかっていた。太郎と寄り添っている姿を、見たことがある。火羅だって、別にいいだろう。多分。駄目じゃないと、思う。怒ることはない、はずだ。怒られたら、すぐ、離れればいいし、謝ればいいし、彩花さん、優しいし、甘えても、大目にみてくれるだろうし。
ゆら、ゆらゆら。
火羅は、機会を窺いながら、身体を左右に揺らした。
「さっき、どうしたの?」
ぴたっと、触れかけた火羅の肩が止まった。
「さっきって、いつの話?」
「何か、言いかけてたよね。手を伸ばして、片膝立ちになって」
「あれは……あれはね。大したことじゃないの」
彩花が――彩花が、羨ましかっただけだ。
母親のことを、よく覚えていないから、羨ましくなった。
母親は早くに亡くなり、乳母はかしずくだけだった。
羨ましくなって、欲しいと思った。
どちらが欲しかったのか、よく、自分でもわからない。
「そんなに、漉いてほしかったの?」
「悪かったわね!」
彩花が、笑みを殺した。
殺しきれずに、仄かに溢れた。
くつくつと、微笑する。
何だか、肌が火照って仕方なかった。
「ふん」
火羅は、ゆらと、彩花の肩に自分の肩を寄せた。
着物を着崩し、肩を出しているから、直接肌に彩花の黒髪が触れた。
驚いたように、彩花が、火羅の表情を見やる。そっぽを向いた首筋が、鮮やかに赤らんでいた。
「嘘つき」
「なに?」
彩花は、その問いに答えることなく、自分も身体を預けた。
「火羅さんの尾、綺麗」
午後の陽に透かしながら、そう彩花が言うと、火羅は嬉しそうに喉を鳴らした。