愉快な呂布一家~人物評~
人を魅了するには何が大事だろうか。
そんなことを話しても、大抵の相手は引くだけである。
時は乱世、諸勢力が盛大な花火をあちこちで打ち上げている世の中だ。
あちらに名門の主がいれば、そちらに乱世の奸雄がいて、こちらでは小覇王と仁君が争っている。
これほど面白き世はないだろう。
阿呆達の狂う様を、高見の見物と洒落込むべし。
そう胆に命じていた、はずなのに。
気づけば軍に入っていて、鎧兜に身を包み、槍を持って立っている。未だ新兵、調練もそこそこに、戦場に駆り出されるという。
それがいいのか悪いのか。
先輩方は、調練の方が百倍ましと言っていた。
どういうことかと尋ねると、言葉のままだと返された。
どうも、この軍の調練は、非常に厳しいらしい。
そう、人を惹きつけるという話だった。
この乱世で、人を惹きつけるには、何が必要だろうか。
例えば、名門の力がある。
袁紹本初。
四世三公――四世代にわたって司徒、司空、大尉を輩出した汝南袁氏の当主である。
袁紹の名声は凄まじい。
名声は富を呼び、土地を呼び、武器を呼び、人を呼ぶ。
名門の統率者としての威厳と偶像、その声望を最大限利用して、一大勢力を築き上げた。
弟である袁術を取り込み、目指すはかっての盟友、乱世の奸雄に違いない。
曹操孟徳。
乱世の奸雄とは言いえて妙である。
彼の果たした役目は大きい。
宦官の孫――その悪名を見事に跳ね返し、今では中原の大勢力である。
政治、軍事、二つの才能を併せ持つ――天才である。
政治と軍事、どちらか片方だけなら、曹操を凌ぐ人間はいるだろう。
しかし、両方の才能を兼ね持つ――その点で、彼に凌ぐ者はいるのだろうか。
秀でた武芸の腕はない。袁紹のように、威厳ある姿でもない。
しかし、武将も、文官も、兵士も、彼に従う。
曹操は、その煌めく才能で、人を惹きつける。
劉備玄徳。
仁君と名高い、元侠者である。
漢王室の末裔、中山靖王の子孫と嘯いても、所詮は一介の筵売り。
予想したであろうか。
そして、仁君としての名声だ。苛烈な表情を見せる曹操とは違い、彼は慈悲深いとされている。
仁君としての仮面は、疲弊した民を集める。だが……かれは、ただの仁君ではない。代替わりしたばかりの蜀の主、劉璋を攻めるなど、誰が予想しえただろうか。
二面性――それもまた、人を惹きつけるのだろう。
孫策伯符。
江東の若き小覇王である。
その猛々しき武威は、人を惹きつけてやまない。
もはや、親の七光りは脱した。
孫家を豪壮に盛り立てる彼の後には、美周朗を始め、英傑が付き従う。
これが、当代の英雄の人物評である。
あちこちに潜りこみ、自分なりの評価を組み立てたのだ。そして、今、こうして軍に入っているのは……涼州の錦を、評したかったからだ。
錦馬超。
しかし当てが外れてしまった。
董卓の亡霊には、正直興味がない。旗印の孫娘には覇気がなく、傀儡という印象が拭い切れなかった。
むしろ、その配下にある司馬八達の一人、司馬懿仲達が頭抜けているとわかったことが大きな収穫だった。
「ぼさっとするな、新入り」
「あ、はい」
「あ、は余計だ、あ、は、いつも言ってるだろ、新入り」
「あ、はい」
「……お前は、ぼけーっとしてるわ、小難しいことを言うわ、よくわからん奴だな」
「はぁ」
歓声。
今日は、つい入ってしまった軍の壮行会なのである。これから死地に入る前に、士気をあげようというのだろう。
「おう、張繍将軍だ」
優しげな青年が通り過ぎていく。
張繍。
董卓四天王、張済の甥にあたる。荒っぽいという評判の多い董卓の部下の中で、彼は珍しく品行方正、親しみやすく、話のわかる人物である。一応、自分が所属している部隊も、彼の配下だ。新兵の調練を主に担当しており、懇切丁寧な指導には定評がある。
今回は、戦場に出るらしい。副官は、胡車児という、戟の名手である。
一時は独立勢力を率いて曹操と争っていたが、その器はなかったと思う。人を使うよりも、仕えることで才能を発揮する人物だ。
将軍として、その堅実さはなかなか得難いのではないだろうか。
武勇馬鹿はたくさんいるが、きちんと兵を動かせる人間の数は少ないのだ。
「そのあとは……張遼将軍だ」
第三将軍、張遼――その寂寥感は、見る者の空気を一変させた。
ぶつぶつと何かを呟いている、隈の深い幼い少女。
青竜偃月刀を担ぎ、辺りを睥睨し、また自分の世界に入っている。
「昔は、もっと明るかったのに、やっぱり、位を落とされたことが」
古株の隊長は、それ以上、何も言わなかった。
独自の部隊を率いているのに、結局、副官の任をやらされている格好である。
張遼は、興味深い存在だが、評価を定めるのはまだ先だろうと考えていた。
自分の殻に閉じこもりすぎている。大成するかどうかは、本人の資質次第だろう。主と似ているが、主と決定的に違うものがあった。
「来た、馬超様!」
隊長が雄叫びをあげた。
煌びやかな獅子の鎧。
鷹の羽が鮮やかだった。
この盛り上がりは、今までとは違う。
やはり、西涼の英傑である。人を惹きつける――その武威も、その立ち振る舞いも、その姿も、錦の名にふさわしかった。
「あれも、英傑か」
「馬超様だぞ当然だろうが!」
彼は、新参ながら第二将軍である。
張繍将軍とは格が――人としての在り様が違う。
華である。見事に咲き誇る、涼州の華だ。
暗い表情の女と、いぶし銀の男を、傍に従えていた。
確か、成侯英に龐徳である。
「と、董卓!?」
しまったと思う。その名前は、禁句である。魔王、董卓の名前は、その悪名を伴いながら流布されている。
董卓が来るといえば、赤子も泣き止むという話だ。
大胆で、細心で、弓馬に通じ策を好む、変わった男だった。
その多面性を上手く抑えられず、最後は自滅したという感がある。結局、自らの才能に溺れ、地位に飲み込まれたのだろう。
曹操の小型版――そんな印象だった。
「あ、高順将軍」
周囲の注意を逸らす。それに、何と言っても第一将軍が現れたのだ。
全軍を統括する筆頭武将。鼻に真一文字の傷を持つ壮年の男である。
質実剛健にして視野が広く、その統括手腕は見事の一言、くせのある軍人たちを上手く扱っていた。
攻めにも守りにも長けた名将で、陥陣営の名は伊達じゃない。
「だが、違う」
違う。
この男も、違う。
将軍たちの中では、馬超が自分の求めるものに近かっただろうか。
兵の盛り上がりも、郷里の英雄である馬超が一番だった。
文官では、筆頭軍師である陳宮がいる。しかし、この男も、違っていた。政治家としては有能で、策謀の才能も抜群だが、人を惹きつける類の――英傑ではない。
最期である。
その姿を見るために、この地を訪れたのだ。
期待はしていなかった。
魔王を殺し、中原を乱した飛将軍――人の下について、初めて実力を発揮する人間ではと考えていた。
「随分と静かだ」
誰も、答えなかった。
それどころか、十万を超える兵士たちが、物音一つ立てなかった。
熱気だけはいやというほど高まっていた。
内に秘めたる熱が、互いに呼応し合い、さらに高みを目指している。
たじろいだ。こんな光景は初めてだった。
どれほど調練を組んだ軍でも、物音一つない――そんなことは、ありえないのだ。
せいぜい一万なら、わからなくもない。
ここにいるのは、勇猛さを謳われる、西涼十万の荒武者達なのだ。
ざわりと、鳥肌が立ち、思わず身を竦めた。
恐る恐る、視線をあげる。
赤い馬、少女。
それは狂気だった。
それは死だった。
死そのものだった。
「馬中赤兎、人中――」
なんと美しいのだろう。
なんとおぞましいのだろう。
これが、これが、死なのか。
巨大な馬、方天画戟、黒い鎧、一括りにした黒髪。
漆黒の麾下を引き連れている。
少女の姿が、巨大な獣の姿に見えた。
「呂布」
大地が唸り、天が叫ぶ。
十万の狂喜。
おう、この熱気に、身を委ねてしまいたい。
乱世の権化、戦場の死神。
圧倒されていた。
それでいて、惹きつけられていた。
「ええ、そうです。あの方は、戦場に立つあの方は、まさに戦姫と呼ぶに相応しい。普段は、優しい子なのですよ」
「貂蝉殿、ですか」
「面白い方がいると、賈詡さんに教えていただいたので、こうして参上した次第です」
「私はしがない人物評者ですよ」
「月旦評を催された許劭先生のお言葉とは思えません」
郷里で、人物評を行っていた。
それが、そこそこに評判をとった。それに何ほどの意味がある。
ただ、魅力とは何ぞやと、あちこちをうろついているだけなのだ。
「面白いものを、見させていただきました。軍人として、極みにあると言えます」
「呂布様に、聞かせてあげたいですわ。きっと喜びます」
「申し訳ありませんが貂蝉殿、ここで私は抜けたいのですが」
「は? お前、何を言ってるんだ?」
「すまんな、隊長。私は、こういうのは苦手なのだ。そんな私でも、戦に出ようかと考えてしまう。恐ろしい人だ」
「あの子は戦の申し子。それに、今は、私怨を抱えています。魔王の残党が、抵抗しないことを祈るばかりです。そうでないと、あの子の憎しみが、どうなるかわからない。隊長さん。彼は、いいのです。」
「へぇ」
隊長がでれでれしている。
さすがは傾国の美女だった。
「では、失礼をば」
呂布が口を開く。
その言葉を聞くと、戦場から逃れられなくなりそうだった。
盛り上がりが最高潮に達する前に身を退くのは残念だが、自分を失っては意味がなかった。
「待たせたね。
戦を、するよ。
私の怨みを晴らすためだけの戦を、戦を、さぁ、戦を……殺してやる。
殺しつくしてやる。
抵抗する奴は皆殺しだ。
弑して、屠って、墓前に捧げてやる。
亡霊が何だ。
亡霊でも殺してやる。
何度でも何度でも殺してやる。
征くぞ。
敵は、董卓の残骸だ。
たかが、董卓の残骸だ。
殺戮しつくしてやろうじゃないか。
殺戮してやろう。
一騎当千の兵達よ、最強を誇る私の軍よ、存分にその腕を振るうがいい」
新生呂布軍が、牙を剥き出しにした瞬間であった。