落合陽一展に行ってきた③(終)
述べ1万人を集めた質量への憧憬展は2/6に幕を閉じた。
落合陽一氏は、メディアアーティストだ。
多数の書籍を発行し、NewsZeroや朝生に出演したり、日本再考戦略なんかを行っていたりするが、彼は元来がモノづくりの研究者であり、その点を履き違えると彼の発言が理解できなくなる。
御用学者の類ではない。
モノを作り手を動かし数式を愛し――次に、思想を日本語として語るのだ。
技術は日常を覆い、非日常が日常になっていく。
車は足の延長として運搬業務から牛馬を解放し、スマートフォンの情報の流れは一個人と社会との関係をより密接に取り込んだ。
リアルの表面に、情報の帳が降りる――ポケモンGOの大ヒットは、まさに、現実社会への電脳世界の進出だ。
そうやって変化してきた世の中で在り、それは何ら否定は出来ず、そしてそれこそが計算機と非計算機の不可分な環境――デジタルネイチャーなのだ。
そして、そんな世界を、過去に何と我々は呼んだのか――そう、魔法の世紀といえるだろう。