小説置き場2

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「MIURA ACONCAGUA 2019トークショー」に行ってきた

前回の記事通り、三浦親子のトークショーに行ってきた。

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三浦雄一郎氏は、2013年に80歳の世界最高齢でエベレスト登頂を果たし、2019年1月に86歳で南米最高峰のアコンカグア登山とスキー滑降に挑戦。ドクターストップにより断念することになったが、息子の豪太氏らがバトンを引き継いで登頂を果たした。』byノースフェイス公式サイトより

86歳でセブンサミットの一座、アコンカグアへ挑戦。

凄い。

そもそも、ヒマラヤ行こうとしたら年齢制限が急に出てきたから、53歳で登ったアコンカグアに行った。

凄い。

高地順応をはかってたけど、暴風の間コレラ(ここにいると体調を大いに崩すというそのものずばりなネーミング)というキャンプ地でドクターストップかかったけど、本人的には余裕余裕。

……凄い!

という、凄まじいお爺ちゃん、もとい三浦雄一郎御大と三浦豪太さん(スキーですげー)のトークショー

チームメンバーに平出/中島というピオレドール賞コンビがいてびびる。

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今回のトークショーは、現在のお仕事に関わる高齢者、そして現在の趣味の一つである登山の、二つの観点から興味深いものだった。

高齢者が高山――6000m級に挑むという時点で、我が業界では半ば考えられないことではあるのだ。

そして――断念するのである。

これも凄いことなのだ。

息子である豪太さんは、医療ドクターがストップをかけたら止める、登攀リーダーがストップをかけたら止める――その判断をするために、副リーダーとしているのだと。

個々の職種を尊重し、最後の責任をとつ。それは、理想のリーダー像だ。

勇気と蛮勇の違いが次第に曖昧になり、周囲の熱狂に感化され自滅していった冒険家は数知れない。

そのうえ、これだけの大規模なプロジェクトだ。

それでも――生きて帰ってくるべきというのが、趣き深い言葉だ。

リスクとリターンを天秤にかける――親子だけなら、実行したという。

それは、主観としての判断だ。息子として、同じ世界に入った人間としての、情だろう。心肺停止――山で、そして、夢半ばで斃れるというのは、ある意味で本懐に違いない。

そして、客観的に――プロジェクトを主催した人間として、もし斃れてしまえば、その責任が極めて重大であり、最早取り返しがつかないという、ある種の不自由さもわかっていたのだ。

とはいえ、三浦雄一郎御大将は、トークショーの合間も飄々としていた。上述したように、今回の登山ではそこまで苦労はなかったと語る姿に悲壮感はなく、90歳で次の冒険に挑戦すると宣言していた。

そう、次だ。

現在、86歳である。

今の仕事で携わっている事例をみれば――次があるかどうか、わからない。いや、日本人の男性の平均寿命が81歳であることを考えれば、いつ心肺停止――亡くなっても、おかしくない年齢になっている。

それでも、次を求める。

チームドクターが、自身の身体を、心肺を、この世界で誰よりも理解していると信頼しているということもあるだろう。それは、客観視だ。

次があるかわからない――その悲壮感……ある種の執着心を抱いていれば、説得を拒否したかもしれない。それが、人間というものだろう。

しかし、応した。豪太さんの理による説得と、カメラを止めてとお願いした、情による説得(ばっちり動画として残されていたが)を受け入れたのは、この年齢にして、次の冒険に思いを馳せることが出来るからなのだろう。

世界最高齢の冒険家――としか、いえないだろう。

ヘリによる移動と、潤沢な酸素の使用は、提案である。無酸素登頂が誉めそえられる傾向にある日本の登山界において(下山家というのは、くだらない言葉だ)、体力を温存し、その目的を達成するための合理的判断だ。

とはいえ、それも目的によるだろう。

登山の目的は、人それぞれだ。

登頂、登攀、景色、旅路――様々な目的があり、そして、適した方法をとって何が悪いのかという主張が感じられたし、警鐘なのかもしれない。

引き返したのも、警鐘だろう。

中高齢者の遭難は、枚挙に暇がない。

トレイルランの危険性を語られることが多いが、遭難件数は断然中高齢者のまっとうな登山なのだ。

その点でも、この挑戦は極めて有意義なものだったのだろう。

今回の冒険は、成功が目的ではないと思う。

もちろん、成功するに越したことはない。失敗を目指して挑戦する人間は、いないはずだ。

しかし――挑戦することこそが、今回の冒険だったのだ。

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