袁術伝2
「紀霊!!!」
そう叫びながらまた一騎、飛び出した。
慌てて騎馬隊も動き出した。
袁術と、その旗本である。
馬を走らせている袁術はうなった。
剣を抜いた。
よくも、紀霊を。
殺してやる。
そう、うなった。
紀霊は友だった。たった一人の子供の頃からの友だった。
幼いとき、都で名門の子弟と机を並べ学んでいたとき。
袁術は一人でいることが多かった。兄は曹操や張邈といつも一緒にいた。
袁術は兄と違い活発なほうではなかった。人と話すのも好きではなかった。
一人でいるのが好きだった。
そんな袁術に兄は頻繁に話しかけてきた。
兄と話す事はそれほど嫌いではなかった。
いつものように路上を一人で歩いていたある日、荒っぽい格好をした男が三人ばかりで犬を木の棒で打ち据えていた。
痩せた犬だった。老犬だと見て分かった。薄汚れていた。
店の品を勝手に食べたのだという。
犬は虫の息だった。
かっとなった。何故かは分からなかった。ただ、かっとなった。
気付けば殴りかかっていた。
勝てるわけもないのに、である。
案の定ぼこぼこにされた。壁に叩きつけられた。
痛みは感じなかった。右目が腫れてみえなくなった。
それでも立ち向かった。一人が剣を抜いた。
「しつけえガキだな」
関係、ない。
剣を抜いた男に頭から突っ込んだ。理性などとうに吹き飛んでいる。
怒りに身を任せて。怯えなど、微塵もない。
男が、剣を振り下ろした。白刃が、ゆっくりはっきり見えた。
横から誰かに突き飛ばされた。
露天に突っ込んだ。果物が頭上から降り注いだ。
果物の山に埋もれた。
悲鳴が聞こえた。三度聞こえた。どたどたと、足音がした。
誰かが山をかき分けた。
子供であった。同じ年頃に見えた。みすぼらしい身なりであった。
右目の刀傷。真新しく、血が流れ落ちている。
ぽつ、ぽつと、その血が顔にあたった。
「お前は……」
「紀霊」
そう言うと、山から引きずり出してくれた。大きな、武器を背負っていた。
犬を脇に抱いていた。
「その…犬…」
「生きている。どうする?」
「……私の家まで連れて行きたい。すまないが、運ぶのを手伝ってくれないか?」
「お前、腕折れているな。分かった」
「ああ。ありがとう」
二人で、歩いた。行き交う人が、皆ぎょっとしていた。
身体のあちこちが痛かった。だが、それよりも誇らしさでいっぱいだった。
どこから生まれてくる誇らしさなのか分からなかったが。
珍しく饒舌になり、その子供にいくつも質問した。
痛みに顔を引きつらせながら。
紀霊はとつとつと自分の事を話してくれた。
両親が武芸者だったこと。既に亡くなっている事。
残してくれたのが武術とこの三尖刀だけであること。
まじまじと紀霊の顔を眺めた。女みたいな顔をしていると思った。
家につくと、天地がひっくり返ったかのような大騒ぎになった。
兄は泡をふいて倒れた。起きあがると、暗い目つきで曹操達と相談していた。
三人の男がどうなったのかは知らない。
老犬は、生き延びた。
紀霊の右目の刀傷は、完全には消えなかった。
袁術は、紀霊を家に置いてもらえるよう頼んだ。
袁術が熱心に頼み込む事をするなど滅多になかったことなので、願いは聞き入れられた。
老犬も、自分が世話をするからと引き取った。
袁術、紀霊、老犬。
怪我が癒えた後、二人と一頭でよく散歩した。
いつも、夕日が真っ赤なときだった。
兄もたまに一緒だった。何も言わず、皆で黙って歩く。
それがたまらなく好きだった。
老犬はその二年後息を引き取った。
袁術は泣かなかった。男は泣かないものだと教えられてきた。
黙って庭に穴を掘りそこに埋めた。
兄と紀霊も手伝った。
紀霊は泣いていた。
それを見ていて、なんとなく悲しくなった、
穴を埋める手が、止まった。ふと、自分の手に目を落とした。
手の甲に滴が落ちていた。
空は、晴れ渡っていた。
不思議だと袁術は思った。
袁術は、吼えた。憎しみが、胸の中でたぎる。
昔の事を思い出していた。
漆黒のあどけない死神に、剣を向けた。
そう叫びながらまた一騎、飛び出した。
慌てて騎馬隊も動き出した。
袁術と、その旗本である。
馬を走らせている袁術はうなった。
剣を抜いた。
よくも、紀霊を。
殺してやる。
そう、うなった。
紀霊は友だった。たった一人の子供の頃からの友だった。
幼いとき、都で名門の子弟と机を並べ学んでいたとき。
袁術は一人でいることが多かった。兄は曹操や張邈といつも一緒にいた。
袁術は兄と違い活発なほうではなかった。人と話すのも好きではなかった。
一人でいるのが好きだった。
そんな袁術に兄は頻繁に話しかけてきた。
兄と話す事はそれほど嫌いではなかった。
いつものように路上を一人で歩いていたある日、荒っぽい格好をした男が三人ばかりで犬を木の棒で打ち据えていた。
痩せた犬だった。老犬だと見て分かった。薄汚れていた。
店の品を勝手に食べたのだという。
犬は虫の息だった。
かっとなった。何故かは分からなかった。ただ、かっとなった。
気付けば殴りかかっていた。
勝てるわけもないのに、である。
案の定ぼこぼこにされた。壁に叩きつけられた。
痛みは感じなかった。右目が腫れてみえなくなった。
それでも立ち向かった。一人が剣を抜いた。
「しつけえガキだな」
関係、ない。
剣を抜いた男に頭から突っ込んだ。理性などとうに吹き飛んでいる。
怒りに身を任せて。怯えなど、微塵もない。
男が、剣を振り下ろした。白刃が、ゆっくりはっきり見えた。
横から誰かに突き飛ばされた。
露天に突っ込んだ。果物が頭上から降り注いだ。
果物の山に埋もれた。
悲鳴が聞こえた。三度聞こえた。どたどたと、足音がした。
誰かが山をかき分けた。
子供であった。同じ年頃に見えた。みすぼらしい身なりであった。
右目の刀傷。真新しく、血が流れ落ちている。
ぽつ、ぽつと、その血が顔にあたった。
「お前は……」
「紀霊」
そう言うと、山から引きずり出してくれた。大きな、武器を背負っていた。
犬を脇に抱いていた。
「その…犬…」
「生きている。どうする?」
「……私の家まで連れて行きたい。すまないが、運ぶのを手伝ってくれないか?」
「お前、腕折れているな。分かった」
「ああ。ありがとう」
二人で、歩いた。行き交う人が、皆ぎょっとしていた。
身体のあちこちが痛かった。だが、それよりも誇らしさでいっぱいだった。
どこから生まれてくる誇らしさなのか分からなかったが。
珍しく饒舌になり、その子供にいくつも質問した。
痛みに顔を引きつらせながら。
紀霊はとつとつと自分の事を話してくれた。
両親が武芸者だったこと。既に亡くなっている事。
残してくれたのが武術とこの三尖刀だけであること。
まじまじと紀霊の顔を眺めた。女みたいな顔をしていると思った。
家につくと、天地がひっくり返ったかのような大騒ぎになった。
兄は泡をふいて倒れた。起きあがると、暗い目つきで曹操達と相談していた。
三人の男がどうなったのかは知らない。
老犬は、生き延びた。
紀霊の右目の刀傷は、完全には消えなかった。
袁術は、紀霊を家に置いてもらえるよう頼んだ。
袁術が熱心に頼み込む事をするなど滅多になかったことなので、願いは聞き入れられた。
老犬も、自分が世話をするからと引き取った。
袁術、紀霊、老犬。
怪我が癒えた後、二人と一頭でよく散歩した。
いつも、夕日が真っ赤なときだった。
兄もたまに一緒だった。何も言わず、皆で黙って歩く。
それがたまらなく好きだった。
老犬はその二年後息を引き取った。
袁術は泣かなかった。男は泣かないものだと教えられてきた。
黙って庭に穴を掘りそこに埋めた。
兄と紀霊も手伝った。
紀霊は泣いていた。
それを見ていて、なんとなく悲しくなった、
穴を埋める手が、止まった。ふと、自分の手に目を落とした。
手の甲に滴が落ちていた。
空は、晴れ渡っていた。
不思議だと袁術は思った。
袁術は、吼えた。憎しみが、胸の中でたぎる。
昔の事を思い出していた。
漆黒のあどけない死神に、剣を向けた。