小説置き場2

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あやかし姫番外編~やつあしとびわ(18)~

 黒之丞は、瞬きせず、ずっと白蝉の顔を眺めていた。
 白蝉は、笑っていた。
 その笑顔を――綺麗だと思った。
 何かを綺麗だと思ったのは、あの玉を見て以来であった。
「……琵琶の音」
 ぽつりと、呟くように言った。
「琵琶が、どうかしましたか?」
「聞きたい」
「琵琶の音を、聞きたい……」
 するすると、黒之丞は苔生した岩に糸を吐いていく。
「岩がある。座れ。そこなら、汚れない」
 そう言うと、自分は地面に腰を下ろした。
「あの、食べ」
「いいから、座れ」
 白蝉が、岩に座った。
 自然、黒之丞が見上げる形になった。
「食べるのは、琵琶の音を聞いてからのほうが、いい」
 その言葉で、白蝉は、弾いてみようと思った。
 背中の琵琶を、両腕に愛おしそうに抱える。
 糸の覆い。
 簡単に破る事が出来た。
 撥。
 弦を弾いた。
 音が響いた。
 幽々と、音が響いた。
 もう一度、弾く。
 弾いて、弾いて、曲が流れ始めた。
 夕闇に、音が次々に浮かび、消えていく。
 一つになっていた。
 白蝉は、琵琶と一つになっていた。
 黒之丞は、ただ、そこにいた。目を瞑り、心地良よさそうに、琵琶の音に耳を傾けていた。
 山の全てのものが、皆、白蝉の奏でる琵琶の音に、耳を傾けていた。
 虫も、
 獣も、
 鳥も、
 木々も、
 岩も、土も、風も。
 黒之丞が、ほっと息を吐いた。
 今、この妖蜘蛛は、
 長い年月を経た化け蜘蛛は、
 やんわりとした、ふんわりとした、赤子のような笑みを浮かべていた。
 それは――この妖が、自我を持ってから初めて浮かべた笑みであった。
 琵琶の音は、ずっと続いていく。
 どこまでも、
 どこまでも。
 陽が、沈んだ。赤き空が、黒く塗られた。
 月が、支配する時。
 闇が、その姿を現す時。
 それでも、琵琶の音は、幻々と続いた。
 音は、星となり、星は、音となり。
 音は、月となり、月は、音となり。
 音は、天となり、天は、音となり。
 音は、地となり、地は、音となり。
 そして――
 そして――
 蜘蛛が、泣いた。
 わけもわからず、泣いた。
 白蝉が、撥を止める。
 山が、動き出した。立ち止まり、耳を澄ましていたもの達が、全て動き出した。
 蜘蛛の妖は、涙を拭うと、
「良かった」
 そう、言った。