あやかし姫番外編~小さな鬼の、小さな想い(前)~
小さな女の子が、はたはた急ぎ足。
布包みを背にしょい籠を手に古寺に。
女の子の額には、二本の小さな人あらざる証。
鬼の王の娘――朱桜。
門の前で出迎える姫様の胸に飛び込むと、その顔がふわりとほころんだ。
いい匂いですと思った。
父上とも、叔父上とも違う、いい匂いです。
あれれ? 衣、冷えてるです。
雪、降らせたのかな?
「朱桜ちゃん、よくきたね。みんな待ってるよ」
姫様が言った。
その後ろに立つ銀狐がぺこりと頭を下げる。ぱこぱこと鬼馬にまたがった茨木童子は、冷ややかに三人を見やった。
苛立っていると地面を見ながら考えて。
肌を舐めるように漂う妖気が濃くなった気がした。
「ごめんなさい、叔父上。私のせいで遅くなってしまって」
申し訳なさそうに言うと、茨木は苦笑し、
「いい、気にしてないから」
全然気にしてないからなーと、ことさらにのんびりとした口調で。
それからひらりと手を振ると、北に愛馬を走らせた。
「叔父上、怒ってるですよ」
「そうなの?」
茨木童子は、姪には甘い。
姫様の目には、怒っているようには見えなかった。
「ちょっと苛々してたね。でも怒ってるわけじゃあ」
「私のせいで遅くなったから……」
申し訳ないです。
「どうして遅くなったの?」
朝早くやって来るのが小さな鬼の娘であった。
いっぱい、一緒にいたいからと。
もう、朝よりは昼に近い刻。
この時間は珍しいこと。
「うーん……」
俯き気味。
言いたくなさそうであった。
「ま、とっととお入んなさいな」
そうだねと姫様が頷いた。
銀狐が、朱桜の荷を持とうと言う。
背中の荷を渡す。籠は自分が持つと断った。
荷を肩に担ぐ銀狐の表情に戸惑いが一瞬浮かんだが、それ以上何も言わなかった。
姉のように慕う少女と手を繋ぐ。
片手に、籠。大事そうにしていた。
姫様は、何だろうという顔をした。葉子も、気になっているようであった。
三人で門の前に立つ。
いそいそと入ろうとする朱桜を引き留め、姫様は短い呪を唱えた。
めんどいなーと葉子が呟いた。
門をくぐる。
朱桜の表情が……うっと曇った。
「あーん」
もぐと、差し出されたぼた餅を食べる。
美味しいと、かみなりさまの子は言った。
「なあ、美味しいな!」
全身白尽くめの女の子が、嬉しそうに手を叩いた。
白月、
光。
姫様が待っていると言ったのは、この二人のおさな子のことで。
今日は三人お泊まりの日。
西の鬼の庇護にある雪妖とかみなりさま。
東の鬼の王の娘。
遊ぶ機会は限られて。
姫様の住まう古寺は、三人が気兼ねなく顔を合わせられる唯一の場所、であった。
縁と縁が結び合い、この場所はそういう場所になった。
そして――
縁側で脚をぶらぶらさせながら、ぼた餅を二人で食べていた。
『白月』が『光』に食べさせていた。
「……」
白月ちゃんが、光君に、あーんってしてるですよ……。
光君がお口を開けて、白月ちゃんがていって食べさせてるですよ。
なんだろう、この胸のむかむかは。
不思議なのですよ。
迎えにも来てくれなかったし。
なんだろう、やっぱり胸がむかむかするですよ。
「朱桜ちゃん!」
こちらに気づき、ぶんぶんと白月が大きく手を振った。
光もおーいと手を振っている。
手を繋いだまま、控えめに朱桜は手を振った。
「待っておったぞ! 待ちわびたぞ! 遅かった、」
縁側からえいやと飛び降り、とんとんと駆け寄り、ずざーっとこけて、土だらけの顔を唖然とする三人に向けると、
「痛いのじゃ」
ほろりと巫女は涙を落とした。
おろおろと光が駆け寄る。
葉子がやばーいと顔色を変える。
姫様が傷を見ようとする前に――
朱桜の手が伸びていた。
「うん、大したことなさそうです」
ぽんぽんと額とほっぺの土を落とす。擦り切れた膝小僧を見やり、そこも汚れを落とすと、
「葉子さん、荷物を」
と、落ち着いた声で言った。
「あ、ああ」
荷を渡す。
朱桜は袋の中から小さな漆器を取り出すと、中の軟膏を傷口につけた。
「しみるのじゃー」
泣き声。
「我慢するですよー」
なだめる声。
ふむふむと姫様が頷いている。
手際の良さに感心しているのだ。
漆器は三つあった。
朱桜が今使っている薬は、姫様も調合したことがある。
選択は悪くない。
先に目に入れば姫様も同じものを使ったろう。
目には入ればだ――大変に高価な物なので、もう少しありふれた物を選ぶかもしれない。
「はい。あとは水で汚れを落とすですよ」
「ほー。もう痛くないのじゃ!」
傷が消えていた。
井戸に行くですと、白月の手を引く。
すごいねーと光が言っている。
朱桜は照れ笑いを見せた。
「朱桜ちゃん、凄いじゃない」
「練習、いっぱいしたのかな」
姫様は、うんうんと嬉しそうに頷いていた。
薬師としての勉強をしているとは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。
確かに、最近文の内容が踏み込んだ物になってはいたが。
「少し指先が震えてたけど……上出来上出来」
「本当にねぇ。いつの間にかお姉さんになっちゃって」
確かに――
白月の手を引く朱桜の顔は、今までにない、大人びたものであった。
嬉しさと寂しさが、胸を過ぎゆく。
あの、朱桜ちゃんがと。
傍らの銀狐も、同じ気持ちを幾度も味わったのだろうか?
きっと、味わってきたのだろう。
「ん、この籠」
「中身何だろう」
荷を起きっぱなし。籠も置きっぱなし。
ぴゅーっと鬼の娘が走り寄り、籠を持って行ってしまった。
二人はうーんと首を傾げると、朱桜の荷を持ち、寒いねと建物の中に入っていった。
布包みを背にしょい籠を手に古寺に。
女の子の額には、二本の小さな人あらざる証。
鬼の王の娘――朱桜。
門の前で出迎える姫様の胸に飛び込むと、その顔がふわりとほころんだ。
いい匂いですと思った。
父上とも、叔父上とも違う、いい匂いです。
あれれ? 衣、冷えてるです。
雪、降らせたのかな?
「朱桜ちゃん、よくきたね。みんな待ってるよ」
姫様が言った。
その後ろに立つ銀狐がぺこりと頭を下げる。ぱこぱこと鬼馬にまたがった茨木童子は、冷ややかに三人を見やった。
苛立っていると地面を見ながら考えて。
肌を舐めるように漂う妖気が濃くなった気がした。
「ごめんなさい、叔父上。私のせいで遅くなってしまって」
申し訳なさそうに言うと、茨木は苦笑し、
「いい、気にしてないから」
全然気にしてないからなーと、ことさらにのんびりとした口調で。
それからひらりと手を振ると、北に愛馬を走らせた。
「叔父上、怒ってるですよ」
「そうなの?」
茨木童子は、姪には甘い。
姫様の目には、怒っているようには見えなかった。
「ちょっと苛々してたね。でも怒ってるわけじゃあ」
「私のせいで遅くなったから……」
申し訳ないです。
「どうして遅くなったの?」
朝早くやって来るのが小さな鬼の娘であった。
いっぱい、一緒にいたいからと。
もう、朝よりは昼に近い刻。
この時間は珍しいこと。
「うーん……」
俯き気味。
言いたくなさそうであった。
「ま、とっととお入んなさいな」
そうだねと姫様が頷いた。
銀狐が、朱桜の荷を持とうと言う。
背中の荷を渡す。籠は自分が持つと断った。
荷を肩に担ぐ銀狐の表情に戸惑いが一瞬浮かんだが、それ以上何も言わなかった。
姉のように慕う少女と手を繋ぐ。
片手に、籠。大事そうにしていた。
姫様は、何だろうという顔をした。葉子も、気になっているようであった。
三人で門の前に立つ。
いそいそと入ろうとする朱桜を引き留め、姫様は短い呪を唱えた。
めんどいなーと葉子が呟いた。
門をくぐる。
朱桜の表情が……うっと曇った。
「あーん」
もぐと、差し出されたぼた餅を食べる。
美味しいと、かみなりさまの子は言った。
「なあ、美味しいな!」
全身白尽くめの女の子が、嬉しそうに手を叩いた。
白月、
光。
姫様が待っていると言ったのは、この二人のおさな子のことで。
今日は三人お泊まりの日。
西の鬼の庇護にある雪妖とかみなりさま。
東の鬼の王の娘。
遊ぶ機会は限られて。
姫様の住まう古寺は、三人が気兼ねなく顔を合わせられる唯一の場所、であった。
縁と縁が結び合い、この場所はそういう場所になった。
そして――
縁側で脚をぶらぶらさせながら、ぼた餅を二人で食べていた。
『白月』が『光』に食べさせていた。
「……」
白月ちゃんが、光君に、あーんってしてるですよ……。
光君がお口を開けて、白月ちゃんがていって食べさせてるですよ。
なんだろう、この胸のむかむかは。
不思議なのですよ。
迎えにも来てくれなかったし。
なんだろう、やっぱり胸がむかむかするですよ。
「朱桜ちゃん!」
こちらに気づき、ぶんぶんと白月が大きく手を振った。
光もおーいと手を振っている。
手を繋いだまま、控えめに朱桜は手を振った。
「待っておったぞ! 待ちわびたぞ! 遅かった、」
縁側からえいやと飛び降り、とんとんと駆け寄り、ずざーっとこけて、土だらけの顔を唖然とする三人に向けると、
「痛いのじゃ」
ほろりと巫女は涙を落とした。
おろおろと光が駆け寄る。
葉子がやばーいと顔色を変える。
姫様が傷を見ようとする前に――
朱桜の手が伸びていた。
「うん、大したことなさそうです」
ぽんぽんと額とほっぺの土を落とす。擦り切れた膝小僧を見やり、そこも汚れを落とすと、
「葉子さん、荷物を」
と、落ち着いた声で言った。
「あ、ああ」
荷を渡す。
朱桜は袋の中から小さな漆器を取り出すと、中の軟膏を傷口につけた。
「しみるのじゃー」
泣き声。
「我慢するですよー」
なだめる声。
ふむふむと姫様が頷いている。
手際の良さに感心しているのだ。
漆器は三つあった。
朱桜が今使っている薬は、姫様も調合したことがある。
選択は悪くない。
先に目に入れば姫様も同じものを使ったろう。
目には入ればだ――大変に高価な物なので、もう少しありふれた物を選ぶかもしれない。
「はい。あとは水で汚れを落とすですよ」
「ほー。もう痛くないのじゃ!」
傷が消えていた。
井戸に行くですと、白月の手を引く。
すごいねーと光が言っている。
朱桜は照れ笑いを見せた。
「朱桜ちゃん、凄いじゃない」
「練習、いっぱいしたのかな」
姫様は、うんうんと嬉しそうに頷いていた。
薬師としての勉強をしているとは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。
確かに、最近文の内容が踏み込んだ物になってはいたが。
「少し指先が震えてたけど……上出来上出来」
「本当にねぇ。いつの間にかお姉さんになっちゃって」
確かに――
白月の手を引く朱桜の顔は、今までにない、大人びたものであった。
嬉しさと寂しさが、胸を過ぎゆく。
あの、朱桜ちゃんがと。
傍らの銀狐も、同じ気持ちを幾度も味わったのだろうか?
きっと、味わってきたのだろう。
「ん、この籠」
「中身何だろう」
荷を起きっぱなし。籠も置きっぱなし。
ぴゅーっと鬼の娘が走り寄り、籠を持って行ってしまった。
二人はうーんと首を傾げると、朱桜の荷を持ち、寒いねと建物の中に入っていった。