小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫番外編~小さな鬼の、小さな想い(前)~

 小さな女の子が、はたはた急ぎ足。
 布包みを背にしょい籠を手に古寺に。
 女の子の額には、二本の小さな人あらざる証。
 鬼の王の娘――朱桜。
 門の前で出迎える姫様の胸に飛び込むと、その顔がふわりとほころんだ。
 いい匂いですと思った。
 父上とも、叔父上とも違う、いい匂いです。
 あれれ? 衣、冷えてるです。
 雪、降らせたのかな?
「朱桜ちゃん、よくきたね。みんな待ってるよ」
 姫様が言った。
 その後ろに立つ銀狐がぺこりと頭を下げる。ぱこぱこと鬼馬にまたがった茨木童子は、冷ややかに三人を見やった。
 苛立っていると地面を見ながら考えて。
 肌を舐めるように漂う妖気が濃くなった気がした。
「ごめんなさい、叔父上。私のせいで遅くなってしまって」
 申し訳なさそうに言うと、茨木は苦笑し、
「いい、気にしてないから」
 全然気にしてないからなーと、ことさらにのんびりとした口調で。
 それからひらりと手を振ると、北に愛馬を走らせた。
「叔父上、怒ってるですよ」
「そうなの?」
 茨木童子は、姪には甘い。
 姫様の目には、怒っているようには見えなかった。
「ちょっと苛々してたね。でも怒ってるわけじゃあ」
「私のせいで遅くなったから……」
 申し訳ないです。
「どうして遅くなったの?」
 朝早くやって来るのが小さな鬼の娘であった。
 いっぱい、一緒にいたいからと。
 もう、朝よりは昼に近い刻。
 この時間は珍しいこと。
「うーん……」
 俯き気味。
 言いたくなさそうであった。
「ま、とっととお入んなさいな」
 そうだねと姫様が頷いた。
 銀狐が、朱桜の荷を持とうと言う。
 背中の荷を渡す。籠は自分が持つと断った。
 荷を肩に担ぐ銀狐の表情に戸惑いが一瞬浮かんだが、それ以上何も言わなかった。
 姉のように慕う少女と手を繋ぐ。
 片手に、籠。大事そうにしていた。
 姫様は、何だろうという顔をした。葉子も、気になっているようであった。
 三人で門の前に立つ。
 いそいそと入ろうとする朱桜を引き留め、姫様は短い呪を唱えた。
 めんどいなーと葉子が呟いた。
 門をくぐる。 
 朱桜の表情が……うっと曇った。



「あーん」
 もぐと、差し出されたぼた餅を食べる。
 美味しいと、かみなりさまの子は言った。
「なあ、美味しいな!」
 全身白尽くめの女の子が、嬉しそうに手を叩いた。
 白月、
 光。
 姫様が待っていると言ったのは、この二人のおさな子のことで。
 今日は三人お泊まりの日。
 西の鬼の庇護にある雪妖とかみなりさま。
 東の鬼の王の娘。
 遊ぶ機会は限られて。
 姫様の住まう古寺は、三人が気兼ねなく顔を合わせられる唯一の場所、であった。
 縁と縁が結び合い、この場所はそういう場所になった。
 そして――
 縁側で脚をぶらぶらさせながら、ぼた餅を二人で食べていた。
 『白月』が『光』に食べさせていた。
「……」
 白月ちゃんが、光君に、あーんってしてるですよ……。
 光君がお口を開けて、白月ちゃんがていって食べさせてるですよ。
 なんだろう、この胸のむかむかは。
 不思議なのですよ。
 迎えにも来てくれなかったし。
 なんだろう、やっぱり胸がむかむかするですよ。
「朱桜ちゃん!」
 こちらに気づき、ぶんぶんと白月が大きく手を振った。
 光もおーいと手を振っている。
 手を繋いだまま、控えめに朱桜は手を振った。
「待っておったぞ! 待ちわびたぞ! 遅かった、」
 縁側からえいやと飛び降り、とんとんと駆け寄り、ずざーっとこけて、土だらけの顔を唖然とする三人に向けると、
「痛いのじゃ」
 ほろりと巫女は涙を落とした。
 おろおろと光が駆け寄る。
 葉子がやばーいと顔色を変える。
 姫様が傷を見ようとする前に――
 朱桜の手が伸びていた。
「うん、大したことなさそうです」
 ぽんぽんと額とほっぺの土を落とす。擦り切れた膝小僧を見やり、そこも汚れを落とすと、
「葉子さん、荷物を」
 と、落ち着いた声で言った。
「あ、ああ」
 荷を渡す。
 朱桜は袋の中から小さな漆器を取り出すと、中の軟膏を傷口につけた。
「しみるのじゃー」
 泣き声。
「我慢するですよー」
 なだめる声。
 ふむふむと姫様が頷いている。
 手際の良さに感心しているのだ。
 漆器は三つあった。
 朱桜が今使っている薬は、姫様も調合したことがある。
 選択は悪くない。
 先に目に入れば姫様も同じものを使ったろう。
 目には入ればだ――大変に高価な物なので、もう少しありふれた物を選ぶかもしれない。
「はい。あとは水で汚れを落とすですよ」
「ほー。もう痛くないのじゃ!」
 傷が消えていた。
 井戸に行くですと、白月の手を引く。
 すごいねーと光が言っている。
 朱桜は照れ笑いを見せた。
「朱桜ちゃん、凄いじゃない」
「練習、いっぱいしたのかな」
 姫様は、うんうんと嬉しそうに頷いていた。
 薬師としての勉強をしているとは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。
 確かに、最近文の内容が踏み込んだ物になってはいたが。
「少し指先が震えてたけど……上出来上出来」
「本当にねぇ。いつの間にかお姉さんになっちゃって」
 確かに――
 白月の手を引く朱桜の顔は、今までにない、大人びたものであった。
 嬉しさと寂しさが、胸を過ぎゆく。
 あの、朱桜ちゃんがと。
 傍らの銀狐も、同じ気持ちを幾度も味わったのだろうか?
 きっと、味わってきたのだろう。
「ん、この籠」
「中身何だろう」
 荷を起きっぱなし。籠も置きっぱなし。
 ぴゅーっと鬼の娘が走り寄り、籠を持って行ってしまった。
 二人はうーんと首を傾げると、朱桜の荷を持ち、寒いねと建物の中に入っていった。