小説置き場2

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あやかし姫~跡目争い(26)~

 彩花はとても楽しそうだった。
 鬼気迫る表情の彩華が滑稽に思えるほど楽しそうだった。
 原型を留めないほど変化した彩華が必死に抗うその様を、混じりけのない笑みで見下ろしている。
 火羅の知らない彩花だ。
 蔑むのも弄ぶのも嬲るのも、彩華の役割だったはずなのだ。
「んー、ん、ん」
 白い光を全身にまとい、宙に佇んでいる。
 荒い息を吐きながら、彩華が対峙していた。
 道中、妖も神も喰らい、異国の妖怪をも喰らい、力を蓄えていたはずなのに、彩華の力は彩花に通じていない。
 戦いにもなっていないのではないか。
 一方的すぎる。
 彩華が残酷に振るっていた力は、彩花のものだったのだと、火羅は確信した。
 渡辺綱と同じ、借り物だったのだ。
 綱姫は元々ただの人の子、そこに妖の力を注ぎ込んで異形の怪物となった。
 彩華も同じ、今も昔も振るっていた力は相対した者達の力だ。
 辛かった。あの子のあんな姿を、あの女のあんな姿を見るのは、酷く。
「こ、の、」
 百鬼夜行が荒れ狂う。
 彩華の身体から這い出た白蛇や大鼬や妖猿や神鷹や九尾の狐が彩花を喰らおうとしている。
 どれも、死んでいた。
 死骸の鎧だ。
 禍々しい光景なのに、とてもとても、弱々しく見えた。
 虚仮威し――そんな言葉が、ぴったりだった。
「大人しく、妾に、喰われろ」
 血を吐きながら、彩華が言う。
 叫ぶ気力もないのだ。何度も身体が爆ぜている。
 お揃いだと喜んでいた衣は、戦いが始まってすぐ襤褸切れと化した。
 笑みを崩さず百鬼夜行の激流をあしらった彩花が、彩華の顔を両手で挟む。
 そして――亡骸の塊から彩華を、無造作に引きずり出した。 
 彩華は、叫んだ。
 百鬼夜行が、蝶に変じ、鱗粉となってさらと消えた。
 剥き出しになった痩躯の少女を、彩花は宙で手放した。
 落ちる。
 焼けた地面にぶつかる。
 あの子が――死ぬ?
 そんな馬鹿なと思った。
 凍っていた身体が動いた。
 受け止める。
 衣が濡れる。
 あの子の身体は冷え切っていて、幽かに胸が上下していて、瞳から情念の色が消え失せていた。
「彩花、さん……この子を、どうするの?」
 熱が逃げないように、熱を与えられるように、そのちっぽけな裸身に力を込めた。
 何度も見ているはずなのに、こんなに小さかったのだと、初めて気がついた。
 唇が震えている。
 全身が痙攣している。
 妖気も何も残っていない、虚ろな器だ。
 見開かれた目に、彩花の透明な笑みが宿った。
「……うーん?」
 首を傾げた彩花は、火羅の腕の中を覗き込み、もう一度首を傾げた。
 彩華の喉が動いた。
 悲鳴をあげようとしたのだろう。
 腕の中で、もがき、怯える。
 元々、彩華は恐れていた。
 恐怖を拭いきれていなかった。
 彩華が死ぬなら一緒だ。
 だから、怖くない、怖くないのだ。
 もう、置いていかれるのは嫌だ。
 一人になるのは、嫌だ。
 そう、火羅は、自分に言い聞かせた。
 彩華にも届くようにと、腕により力を込めた。
「……太郎さんに、会いたい」 
 くしくしと顔を擦りながら、ふぇと彩花が言った。
「会いたいよぉ……」
「会いに行けばいいじゃない」
「……駄目、駄目なの」
「どうして!」
「だって……それが生きてるから」
 彩花の表情が変わった。
 笑みが剥がれ落ちた。
 生々しい感情が浮かび上がる。
 幼く、聡明で、何もかもがちぐはぐな――そんな、表情。
「あのね……それは、私なんだよ? 私が二人いたら、困るよね? ずっと考えてたんだけど、ずっと考えてたんだけど、ずっとどうすればいいか考えてたんだけど」
 宥めるような言い方だった。
 やっと感情の色を出してくれた。
「彩華は、彩花さんじゃない、だから」
 だから――だから。
「駄目ですよ」
「駄目、なの?」
「ええ、駄目です、駄目だよ、駄目――」
 ひび、綻び、亀裂。
 彩花の感情が、読めない。
「駄目、だけど……邪魔、する、火羅さん?」
 名前を呼んでくれた。
 一人残されるのが怖くて、無理に着いていったことを思い出した。
 それほど遠いことではないのに、懐かしいと思った。
 古寺が、あの場所の一時が、懐かしい。
 出来ればあの頃に戻りたい。
「彩花さん、私ね、彩華さんのこと……」
 もう引き返せないのだ。
 危うい線を、とうに越えていた。
 彩花が太郎様のことを想うように、火羅は彩華のことを想ってしまった。
「……彩華という名前なのですか?」
 彩華という名前をきちんと知らないのだ。
 太郎も葉子も黒之助も知らないはずだ。
 知っているのは、名前を付けた火羅だけ、裏切りの証――もっと早く告げていれば、違う未来があったのかもしれない。
 誰も彼もが、玉藻をも撃退した彩花のことを心配していた。
 私だけが、詳しいことを探ろうともせず、友人面しながら密かに溺れていた。
「わ、私が、勝手に決めたの」
「彩花、じゃない」
 ――でも、だーめ。
 きっと彩花が唇の両端を釣り上げた。
 無垢な笑みが、火羅の知っている彩花を隠した。
 ああ、殺されると思った。
 殺される――黙って殺されるのは、嫌だ。
 それじゃ、あの時と、同じだもの。
 火羅の瞳が紅く光った。
 みしりと、牙と爪が伸びた。
 妖気は残っていない。
 だけど、燃やすものがないわけじゃない。
 命がある。
 命を、燃やす、燃やし尽くす。
 全身の骨と筋肉が形を変え、赤い毛が柔肌を覆っていく。
 彩華を、そっと横たえる。
 遠吠え、一つ。
 両手――前脚を地面に着け、前傾姿勢を取る。
 揃いじゃなくなった衣が燃え落ちる。
 炎が舞い上がり、火の粉が飛び散った。
 変化、した。
 堂々たる真紅の妖狼が、たった一人の親友に切なく吠えた。
「彩華さんに手を出すつもりなら……真紅の妖狼の火羅が、相手をするわ」
 ああ、灰になると思った。
 少しずつ、皮膚が焼け落ちていく。