あやかし姫~繕い(2)~
地に下ろされても、ふにゃふにゃんとしている朱桜。
目を大きくして、口を大きくして、ぼんやりとした表情を浮かべていた。
それを見て、心配そうな黒之助。
「大丈夫ですか?」
そう、声をかけた。
びくりと強張る。
それから、
「し、知りません! 知りませんです!」
と、大きな声でわめき散らした。
あー。
高いところ苦手なのかと、烏天狗は考えた。
いやあ、姫さんも泳ぎ苦手なこと、隠そうとするもんなぁ。
それは悪いことをして……あれ? 鬼馬に乗ってきたんだから――
ま、いいか。
二人の庵。
獣よけの柵に覆われたそれは、秋草に覆われはじめていた。
静かであった。
すうとこちらを窺っているような、そんな気配が漂って。
「昨日の今日だもんな」
用心もするかと、誰にともなく呟いた。
「昨日?」
「ああ、こちらの話です」
「雨、降ってませんねー」
空を見上げて、朱桜が言った。
肌の色は、もう、元に戻っていた。
「雲は、お寺の方からやって来ましたからねー」
語尾を伸ばして黒之助が言うと、朱桜はぷいっとなった。頬が、少し膨らんだ。
「……雨が見えますよ」
苦笑いすると、そう、言った。
動きの早い黒雲。
雨を降らせている。
こちらに、近づいていた。境界が、迫っていた。
ほぉっと、声を漏らす幼子。あまり目にすることない光景で。
雨と、曇りの世界であった。
「雨ー……じゃあ、私たちは雲より早く飛んだわけですね」
きらっとした瞳。
尊敬の眼差しに、笑みが応える。
「そういうことになりますか。さ、早く中へ」
「はーい」
てくてくと歩き出す。
庵の入り口。
花が一束、飾られていた。その隣でひぐらしが鳴きを聞かせ始めていた。
「黒之丞――」
呼びかけると、ゆらりと戸が開き、大きな目をした男がゆらりと現れた。
「黒之助――」
何のようだと、首振り示唆する。
それから幼子を見て、
「鬼?」
そう、首を捻った。
「雨宿りさせてもらうぞ」
「……」
「それは構わないが……その子供はなんだ?」
「……!?」
身体を固め、ぎこちなく朱桜は黒之丞を見上げた。
それから、さっと黒之助の後ろに隠れて俯いた。
「この方は朱桜といって、」
そうか、人見知りする子だったな。
我々の元に来たときも、なかなか口を開いてくれなかったっけ。
――ずっと、姫様の後だけをついていたな。
「拙者達の知り人だ」
「……お前達の知り人か」
凝視――
黒之助の脚半を握る朱桜の手に力が籠もった。
「黒之助さん」
女が、黒之丞の後ろから声をかけた。
「白蝉殿――急にすみませぬ。少し雨宿りをと」
「どうぞどうぞ、早く中に入って下さいな」
ふんわりと、白蝉は微笑みながら言った。
「黒之丞」
「……わかった」
何度も目を瞬かせると、そう言い、蜘蛛は背を向けた。
「黒之丞といって、拙者の友人です。あちらの方は、白蝉殿。黒之丞の……細君です」
腰を屈めると、固まっている朱桜の耳に。
鬼の娘は、黒之助の顔を見ずに、
「へー」
と声を漏らした。
「可愛いらしい声ですね」
黒之助が立ち上がるのと、同時であった。
朱桜は、俯いた顔を、恐る恐る白蝉に向ける。
それから、
「あっ」
っと、小さく息を呑んだ。
「初めして。白蝉と申します」
「あっ、あの……朱桜です……」
か細く、聞き取りにくい声で。
追いついてきた雨に、紛れるような――
「朱桜ちゃんですか――」
白蝉が手を伸ばす。
逃げるように、朱桜は手と逆側に動いた。
「あら……ここにいると思ったのに……」
所在なさげな白蝉の手。
何度も破れ、堅くなった指先。
ふらふらとすると、すっと引っ込められた。
「あ、お水を用意しないと」
「もう、用意した」
黒之丞が、そう返事した。
「お二人のために何か甘いものを」
「それも、用意した」
「まあまあ」
二人のやりとりは、どこか優しさに満ちていた。
「あの……目が……」
朱桜は俯きながら、おずおずと、小さな声をだした。
「ああ、ええ。赤子の時から」
閉じたままの、目。
光を得ることのない目。
また、声の方に白蝉が手を伸ばした。
今度は、逃げなかった。
顔を触れる。
ゆっくりと頬を撫で、鼻を撫で、唇を撫で、朱桜の額の証に触れ、
「これは?」
そう言って、白蝉は首を傾げながら両手でつついた。
「二つ? 眉の上……額……」
「……角、です」
「角?」
「……私は、鬼と人の子だから……」
黒之丞の瞳が、はっきりと揺れた。
白蝉は微笑むと、
「……では、葉子さんが言っていた方ですね。お話はよく、耳にしていますよ」
「葉子さん?」
少し、顔を上げる。
初めての顔。ちょこっと、また視線を下げる。
優しげな人だった。
朱桜は、瞳を下げただけであった。
「何もないところですが、どうぞゆくりと休んで下さいね」
中に入り座るとすぐに、黒之助さんは白蝉さんと黒之丞さんを連れて、裏に行ってしまいました。
初めての場所……初めての人。
緊張、します。心構えの時間がほしかったです。
緊張して、顔、上げれなかったですよ。
お菓子に、お水。
まだ、手を付けません。戻ってきてからです。我慢です。
それにしても……お、男の人があんなに近くにいること、め、滅多にないですよー。
父さまや、叔父上なら、よくあるですよ?
でも、星熊さんとかは、一度もありませんよ? 何でも、そんなことをしたら父さまに殺されるそうな。
あとは、光くんです。格好良かったなぁ……えへ。あんまし、覚えてないですけど。
実は、真っ白になってて、さっぱりなのです。
おにぎり、ちょっとは上達したかな。また、あげるですよ。
「えへへ……」
ちょっと頭を掻いて、赤くなって。
恥じらいを、朱桜は見せていた。
黒之助さんは……てへ、真っ白になりましたよー
考えてみれば、これで二度目です。あのときも、みんなでもみくちゃになりましたです。
……大変嫌な腹立たしい憎いことを、思い出してしまいました。
せっかくの良い気分が、消えてしまいましたよ。
「良い気分? い、いやですよ、私は何を」
ひ、一筋に……いえ、光くんはお友達で、あれ、その。
「?」
目が、あった。
かくかくと首を振ると、
「お、お、お、お菓子食べていいですか?」
そう、朱桜は黒之助に尋ねた。
目を大きくして、口を大きくして、ぼんやりとした表情を浮かべていた。
それを見て、心配そうな黒之助。
「大丈夫ですか?」
そう、声をかけた。
びくりと強張る。
それから、
「し、知りません! 知りませんです!」
と、大きな声でわめき散らした。
あー。
高いところ苦手なのかと、烏天狗は考えた。
いやあ、姫さんも泳ぎ苦手なこと、隠そうとするもんなぁ。
それは悪いことをして……あれ? 鬼馬に乗ってきたんだから――
ま、いいか。
二人の庵。
獣よけの柵に覆われたそれは、秋草に覆われはじめていた。
静かであった。
すうとこちらを窺っているような、そんな気配が漂って。
「昨日の今日だもんな」
用心もするかと、誰にともなく呟いた。
「昨日?」
「ああ、こちらの話です」
「雨、降ってませんねー」
空を見上げて、朱桜が言った。
肌の色は、もう、元に戻っていた。
「雲は、お寺の方からやって来ましたからねー」
語尾を伸ばして黒之助が言うと、朱桜はぷいっとなった。頬が、少し膨らんだ。
「……雨が見えますよ」
苦笑いすると、そう、言った。
動きの早い黒雲。
雨を降らせている。
こちらに、近づいていた。境界が、迫っていた。
ほぉっと、声を漏らす幼子。あまり目にすることない光景で。
雨と、曇りの世界であった。
「雨ー……じゃあ、私たちは雲より早く飛んだわけですね」
きらっとした瞳。
尊敬の眼差しに、笑みが応える。
「そういうことになりますか。さ、早く中へ」
「はーい」
てくてくと歩き出す。
庵の入り口。
花が一束、飾られていた。その隣でひぐらしが鳴きを聞かせ始めていた。
「黒之丞――」
呼びかけると、ゆらりと戸が開き、大きな目をした男がゆらりと現れた。
「黒之助――」
何のようだと、首振り示唆する。
それから幼子を見て、
「鬼?」
そう、首を捻った。
「雨宿りさせてもらうぞ」
「……」
「それは構わないが……その子供はなんだ?」
「……!?」
身体を固め、ぎこちなく朱桜は黒之丞を見上げた。
それから、さっと黒之助の後ろに隠れて俯いた。
「この方は朱桜といって、」
そうか、人見知りする子だったな。
我々の元に来たときも、なかなか口を開いてくれなかったっけ。
――ずっと、姫様の後だけをついていたな。
「拙者達の知り人だ」
「……お前達の知り人か」
凝視――
黒之助の脚半を握る朱桜の手に力が籠もった。
「黒之助さん」
女が、黒之丞の後ろから声をかけた。
「白蝉殿――急にすみませぬ。少し雨宿りをと」
「どうぞどうぞ、早く中に入って下さいな」
ふんわりと、白蝉は微笑みながら言った。
「黒之丞」
「……わかった」
何度も目を瞬かせると、そう言い、蜘蛛は背を向けた。
「黒之丞といって、拙者の友人です。あちらの方は、白蝉殿。黒之丞の……細君です」
腰を屈めると、固まっている朱桜の耳に。
鬼の娘は、黒之助の顔を見ずに、
「へー」
と声を漏らした。
「可愛いらしい声ですね」
黒之助が立ち上がるのと、同時であった。
朱桜は、俯いた顔を、恐る恐る白蝉に向ける。
それから、
「あっ」
っと、小さく息を呑んだ。
「初めして。白蝉と申します」
「あっ、あの……朱桜です……」
か細く、聞き取りにくい声で。
追いついてきた雨に、紛れるような――
「朱桜ちゃんですか――」
白蝉が手を伸ばす。
逃げるように、朱桜は手と逆側に動いた。
「あら……ここにいると思ったのに……」
所在なさげな白蝉の手。
何度も破れ、堅くなった指先。
ふらふらとすると、すっと引っ込められた。
「あ、お水を用意しないと」
「もう、用意した」
黒之丞が、そう返事した。
「お二人のために何か甘いものを」
「それも、用意した」
「まあまあ」
二人のやりとりは、どこか優しさに満ちていた。
「あの……目が……」
朱桜は俯きながら、おずおずと、小さな声をだした。
「ああ、ええ。赤子の時から」
閉じたままの、目。
光を得ることのない目。
また、声の方に白蝉が手を伸ばした。
今度は、逃げなかった。
顔を触れる。
ゆっくりと頬を撫で、鼻を撫で、唇を撫で、朱桜の額の証に触れ、
「これは?」
そう言って、白蝉は首を傾げながら両手でつついた。
「二つ? 眉の上……額……」
「……角、です」
「角?」
「……私は、鬼と人の子だから……」
黒之丞の瞳が、はっきりと揺れた。
白蝉は微笑むと、
「……では、葉子さんが言っていた方ですね。お話はよく、耳にしていますよ」
「葉子さん?」
少し、顔を上げる。
初めての顔。ちょこっと、また視線を下げる。
優しげな人だった。
朱桜は、瞳を下げただけであった。
「何もないところですが、どうぞゆくりと休んで下さいね」
中に入り座るとすぐに、黒之助さんは白蝉さんと黒之丞さんを連れて、裏に行ってしまいました。
初めての場所……初めての人。
緊張、します。心構えの時間がほしかったです。
緊張して、顔、上げれなかったですよ。
お菓子に、お水。
まだ、手を付けません。戻ってきてからです。我慢です。
それにしても……お、男の人があんなに近くにいること、め、滅多にないですよー。
父さまや、叔父上なら、よくあるですよ?
でも、星熊さんとかは、一度もありませんよ? 何でも、そんなことをしたら父さまに殺されるそうな。
あとは、光くんです。格好良かったなぁ……えへ。あんまし、覚えてないですけど。
実は、真っ白になってて、さっぱりなのです。
おにぎり、ちょっとは上達したかな。また、あげるですよ。
「えへへ……」
ちょっと頭を掻いて、赤くなって。
恥じらいを、朱桜は見せていた。
黒之助さんは……てへ、真っ白になりましたよー
考えてみれば、これで二度目です。あのときも、みんなでもみくちゃになりましたです。
……大変嫌な腹立たしい憎いことを、思い出してしまいました。
せっかくの良い気分が、消えてしまいましたよ。
「良い気分? い、いやですよ、私は何を」
ひ、一筋に……いえ、光くんはお友達で、あれ、その。
「?」
目が、あった。
かくかくと首を振ると、
「お、お、お、お菓子食べていいですか?」
そう、朱桜は黒之助に尋ねた。