小説置き場2

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あやかし姫~雪のお宿(1)~

 姫さん、固くなってるなと思った。
 それもこれも、あの妖狼のせいなわけで。
 黒鴉はしゃんと姫様の荷物を背負い直すと、遠くの山を見やった。
 頂が、薄く雪化粧を帯びている。
 これから向かうところは、あの山々よりも、もっともっと寒かろう。
 準備は出来た。
 集い、揃った。
 あとは、幼い鬼と、茨木様が来るのを待つだけ。
「お前達の姫君、緊張しているな」
 黒之丞が、そっと耳打ちしてきた。
 ああと、顎を引いた。
 時折、姫様は親指の爪を噛んでいた。
「どちらか一方、というのは、無理か」
「無理だ」
 朱桜と火羅。
 二人は、姫さんと仲が良い。
 だが、朱桜は火羅を嫌っていた。
 出会いが最悪だったのだ。
 初めて顔を合わしたのは、太郎の妹である咲夜を、真紅の妖狼に転じた火羅が襲っている最中。
 火羅は、朱桜にも爪を向けた。
 しばらくは、姫さんも火羅のことを好いてはいなかった。
 火羅の従者が運び込まれてから、二人の関係が変わっていった。 
 二人で遠出し――そのことも、珍しいこと――火羅が深い傷を負い、姫さんが甲斐甲斐しく看病して。頭領の力も、葉子殿の力もほとんど借りず、一人でやりきった。
 傷の見立て、薬の選び、膿の吸い取りまで。薬術、医術の腕を振るった。姫様は学んできたことを全て出し切ったように思う。多分、赤麗殿を助けられなかったこともあるのだろうが。
 そして、その間、ちょくちょく朱桜も訪れた。
 黒之丞と白蝉殿の住む庵へ。
 古寺には、足を運ばなかった。迷ってはいたが結局、火羅が滞在している間は一度も行かなかった。
 拙者に、姫さんのことを何度も尋ねた。
 火羅と姫さんが一緒にいるところを見たら、自分はどうすればいいのかわからない。だから行きませんと言っていた。
 その言葉を聞いたとき、意固地だなと、思った。
 姫さんも、そこまで頑固じゃない。
 朱桜殿は朱桜殿。姫さんは姫さん。そういうことだろう。
 黒之丞の所にいる間、朱桜殿は辛そうだった。



「あ、朱桜ちゃん、まだかな?」
「少し遅いですね」
 彩花ちゃん、悲しそう。理由はわからないけど。
 沙羅は、頭巾の下の皿を撫でた。あいも変わらず、皿だけが消せない。
 だから縫い物をして、皿隠しを作ってみたのだ。
 出来は上々だと思う。月心さんにも褒められた。
 彩花ちゃんが火羅さんにかかりっきりになっている間、月心さんのお手伝いをしてみた。
 お役に立てたかどうかはわからない。子供達に遊ばれていただけのような気がする。
 でも、子供達の笑顔はいいものだ。
 胡瓜には劣るけどね。そう、思った。
 白刹天さんを火羅さんが倒したと聞いたときは、複雑な気分だった。
 里の長に、水を操る術を習っていたのだ。
 あの精悍な白虎さんは、里の皆の憧れの的だった。
 自分以外。私は、恐ろしいと思っていた。それを話すと、やっぱり変わっているねと笑われた。
 確かに、火羅さんも恐い妖だ。早いのだ。話も、動作も。もう少しゆったりすればいいのにと思う。でも、白刹天さんよりは、ましだ。
 彩花さんは、自分に合わせてくれる。里の皆に、とろいと何度も叱られた私に。それが、嬉しい。
「お、温泉って、どんなのかな?」
 温かい水が湧き出るのだという。実感が湧かなかった。水は、元来冷たいものだ。
 海の水も、川の水も、池の水も、田んぼの水だって、冷たい。
「温泉ってのはねぇ……行けばわかるさね」
 葉子さんが、言った。
「で、ですね」
 ちょっと恐かったので、口をつぐんでいようと思った。
「んぎゅ」
「温泉、足着くといいな」
 彩花ちゃんは、身体を動かすことが苦手。泳ぎが、特に苦手。
 海でも川でも、普段は見ているだけ。
「つ、着かなかったら、私にしがみつけばいいよ」
「うん」
 


「んぎゅ」
 葉子さんが小さな悲鳴をあげた。
 何があったのだろうと白蝉は思った。
「羽矢風さん」
「なーに?」
 頭。少し重たい。土地神が、ちょこんと髪の上に乗っていた。
「葉子さん、どうかしましたか?」
「葉子さん? さあー」
「そうですか」
「羽矢風、俺の肩に乗れ」
 黒之丞さんが、言った。
「やだ」
 羽矢風さんが、言った。
 二人は、今、睨み合っているだろう。
 ほろっと、白蝉は笑った。
 二人は、今、きょとんとしているだろう。
 琵琶。肩に掛けていた。
 温泉宿。どんな場所だろうか。そこで奏でる琵琶は、どのような音色をだすだろうか。
 その音色を、妖蜘蛛に聞かせる。
 考えただけで、笑みが零れる。
「じゃあ、これ持って」
「……軽くなるか」
「あるじー」
「あるじー」
 羽矢風さんに仕える赤犬さんと青犬さんも同行していた。
 いつもの狛犬姿ではなく、羽矢風さんの掌に乗るほどの小さな石の格好で。
 それが、二人の本体なのだという。
 指先に乗せてみると、ずっしりと重みがあった。
 いつもの重さになる。羽矢風さんは、私の頭の上に乗るのが好きだった。
「髪、短くしたんだね」
「はい。黒之丞さんに切ってもらったんです」
 ばっさりと。軽くなり、すっきりとした気分になった。短い方が性に合っていた。
「黒之丞……器用だな」
「まあな」
 黒之助さんが黒之丞さんを褒めた。
 きっと、照れているだろう。
 あの人は、とてもとても、照れ屋さんなのだ。