台風19号の話をしよう
先月日本を襲い、特に千葉県へ甚大な被害をもたらした台風15号に続いて、最大規模と謳われた台風19号が本州を襲った。
その日の出勤は取りやめになり、そのまま連休へ。とはいえ、予定していたイベントは中止になり、ただその被害に唖然としながら過ごしていた。
ブログの立ち位置は未だ模索中ではあるが、今回はそんな台風の話をしよう。
まずは、そう、台風一過後の町田の風景だ。
普段は穏やかな川も、この日ばかりは泥色の荒ぶる姿を見せる。
それが、自然というもので、その怖さを山でよく知っているつもりでも、街中での荒魂となれば話は別だ。
本来であればまだ電車が通る時間だが、この日ばかりは電車の姿はもちろんなく、街には僅かな人しかいない。
第二の歌舞伎町と言われて久しいが、人影はまばら。それでも、いないわけではない。
同じように境川の橋を渡る人がいて、同じように街中を歩く人がいた。
同じように、散策する人々。それは、台風という非日常――締め切った部屋で、時折外を覗き、友人に避難するよう呼びかけながらも、どこか現実離れした――その在り様を、日常として取り込むかのようだった。
そう、非日常。
本州を覆う、最大級の台風。
多摩川、境川、鶴見川と、見知った川が姿を変える、その光景が、まるで現実離れした――機械仕掛けの箱の中の世界に思えた。
だからこそ――わざわざ、危険な時間にはいかない。それは、自身の倫理に反する。山が好きだからこそ、なるべく危険は冒さないように。
登山というだけで、概ね危険なのは間違いないのだが、生きて帰ってくるが大事。
だからこそ、安全な時間に住処を這い出たのかもしれない。
非日常ではなく、自身の一つの日常として、その空気を取り込むかのように。
今さらながらに、住んでいる場所が高地だと知り愕然とする。十年以上住んでいるのに、その程度の知識しかない。
いや、これまでは、それで済んでいたのだ。
結局のところ、目の前に起きなければ、人は学ばないし、学んだところで忘れていく。それをどう肌感覚に定着させるかなのだろう。
多摩川は、氾濫した。多摩川だけではない。伊勢もそうだし、長野もそうだ。日本各地で、大規模な被害が出ている。
それはもう、想像もつかない世界になる。個人の意思を遥かに越えた被害の規模に、足が竦む。
そして、それでも、不思議なことに日常は続いている。休み明け、きちんと出勤して、こうして帰宅できる。
続けられるていることに、感謝を。
そして、一刻も早い復旧を願う。
全然網羅的じゃないですが、今朝見ていて気になった情報を。 / 【台風19号】登山道、山小屋被害まとめ https://t.co/0z9Oq4RsyS
— 山田淳 (@atsushi58) 2019年10月13日
登山が、好きだ。
だからこそ――その被害に、愕然とする。
秋、紅葉、山が匂い経つ季節だ。
それを味わうために、無数の努力がなされており、そして、何事もなく楽しめるのは幸せなことなのだとあらためて思う。
もしかしたら、今回の台風で秋山のシーズンは終わってしまったのかもしれない。あの高尾山ですら、道がふさがっている。高尾山口駅は、洪水だ。渋川駅近辺は、電車が通らない。高尾から先も運休となっている。
南アルプスの山小屋は、小屋仕舞いを早めた。
それでも、復旧に向けて、全力で取り組んでくれている。
その努力に、ただただ、感謝を。