小説置き場2

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あやかし姫~旅の人(9)~

「……めんど、くさあ」
「そんなこと言うな!」
「早くしてくれ!」
「……めんどくさあ。風もおかしいし」
 薄暗い森の中、木々をかきわけながら進む翁。
 古寺の頭領である。
 ずっとため息をつきながら歩いていた。
 先導するかのように、頭領の前を動く物が。
 狛犬、である。
 狛犬、であった。
 石造りの像。動くはずのないもの。
 それが、翁の前を歩いていく。
 一頭は青の布、一頭は赤の布を首に巻き付けていた。
 ザッ、ザッと、狛犬が地を踏みしめる度に重量感のある音が。
「もう少し早く歩けないのか!」
 青の布を身に付けた方が吠えた。
「青に赤……そんなにおぬしらの主は危ういのか?」
「はい!」
 赤の布を身に付けた方が答えた。
「じゃあ、急ぐか」
 頭領がそう言うと、歩を速めた。
 狛犬二頭、それを見て頷き合うと、歩を速める。
 その姿が、すっとかき消えた。
 歩みの音も、聞こえなくなった。


 
 大木。
 太く高く、そびえていた。
 根本には、祠があった。大の大人ほどの大きさであろうか。
 石が、祀られていた。字が彫られている。
 花瓶が、一つあった。
 そこに、茶色く枯れた、かっては花であったであろうものが差してある。
 お供え物を乗せるのであろう器には、うっすらと埃がつもっていた。
 その木の周りだけ、不思議と他の木々がない。
 草も、生えていない。砂利ばかし、である。
 大木と、祠と、二つの台座。それが、丸い砂利の空間に存在していた。
 そこに、頭領と二頭の狛犬の姿が現れた。
 ふっと、そこに現れた。
 狛犬が、ぱっと台座に飛び乗る。
 あるじーっと、石の尻尾を振った。
 祠に顔を向けて、である。
「わざわざ来てやったんだ、出迎えんか。礼儀のない奴じゃのう」
 頭領が言った。
 狛犬が、尻尾を振るのをやめた。ぴんと、尻尾をたてた。
 目を、光らせながら、頭領をみた。
 喉の奥で、くぐもった唸り声をあげた。
「なんじゃ、喧嘩を売っとるのか?」
 しゅーしゅー、という音がした。
 頭領は、口を動かしていない。
 だらりと垂らした両腕のたもとが、もぞもぞと動いた。
「や、やめてください!」
 声が降ってきた。大木の生茂る葉の上から。
 葉が、がさごそと揺れて、なにかが、祠の上に降り立った。
「傷に、響きます」
 狛犬が、くーんと、哀しそうな声を。
 そのしっぽはうなだれて。
「傷?……一体何のようなのじゃ、羽矢風の命」
「八霊殿、しばらく」
 お辞儀をする小さき人。それは、人の手の平に乗るぐらいの。
 顔をあげた。緑色の光を、まとっている。
 子どもの顔である。
 小さな枝を、刀の代わりのように腰に帯びていた。
「……」
「……おい」
「……わーん!」
「な、なんじゃあ!」
 頭領が叫んだ。
 小さき人が、目を潤ませながらぴょんと頭領に飛びついたのだ。
 頭領、飛びついた小さき人をつまみ上げた。
 なにかが、つーっと伸びた。
 鼻水。
 げっと、頭領嫌そうな声を。
 顔をくしゃくしゃにしながら、羽矢風の命がいった。
「お、お助け下され! お願いです!」
「ふむ」
 白い顎髭を撫であげる。
 それから、小さき人を祠の上に戻した。
「お助け……ヒクっ!……ヒク」
「これでは、話をするのは難しそうじゃのう……おぬしら」
 くーんと、台座を降りて小さき人に鼻をよせる狛犬達に頭領が話しかけた。
 狛犬が、目を合わせた。
 それから、青い布のほうが大木の裏に回る。
 赤い布のほうが、とんとんと小さき人を優しく叩きながら、ついて行けと頭領に顎で。
 頭領、一瞬むっとしたが、すぐに平静を装う。
 そして、大木の裏に続いた。
「ここ、なのだ」
 大木の幹が、えぐられていた。
 大きく、えぐられていた。
 そこから樹液が零れ、かなぶん達が集まっている。
 狛犬が、しっしとそれを追い払う。
 ぶーんという羽音をたて、散っていく虫達。
「まだ、新しいな」
 頭領、傷を触る。
「昨日の夜、つけられたのだ」
「ほお」
「な、治りますか!」
 頭領が振り向く。
 狛犬の頭に乗った小さき人が。
 相変わらずべそをかいていた。
「ま、これぐらいなら治るわな」
「ぜひ! ぜひぜひぜひに!」
 大粒の涙を溢れさせながら小さき人が言う。
 狛犬二頭も、はっはと石の舌をだし、ふるふると石の尻尾を。
「よしよし、わかったわかった」
 頭領、その傷に手のひらを当てる。
 それから、小さく口を動かす。ふっと、息を吹いた。 
 すると、手を当てた部分が、光った。
 小さき人の光も、強くなった。
 頭領の手の光は一瞬、小さき人の光は強いままで。
「すんだで、あろうよ」
 頭領、手をどける。 
 傷が、なくなっていた。
 見事に塞がっていた。
 樹液が、残っている。それが、そこに確かに傷があったのだと教えてくれる。
「やった、やったよ!」
「さすがですぞ八霊殿!」
「いや、見直しましたぞ!」
「……で、この傷はどうしたのじゃ?」
 頭領が、聞いた。
「その……」
 羽矢風の命が言い淀む。
「どうしたのじゃ?」
 もう一度、語気を強めて尋ねた。
「昨日の夜、怪しいものがここに現れたのです」
「怪しい奴?」
「はい」
「はい」
「黒いものでした。夜の闇に勝るほどの。それが、私にいきなり近づいてきて」
「お主らは、どうしておったのだ?」
 頭領が、狛犬に聞いた。
「俺は……」
「私たちは、そのものの邪気をあてられて動けなくて」
「役にたたん番犬共じゃ」
 あきれたように言う。狛犬が、その石の躯をぎゅっと縮こませた。
「この仔達のことを悪く言わないで!」
「それで?」
「黒いものはゆっくり近づいてきて、私の身体を」
 小さき人が、身体を震わせた。そのときの恐怖を、思い出しているのだろう。
 狛犬も、震えていた。
「そうか。それで傷を……大変じゃったのう……」
「はい、今も怖くて怖くて」
「それは、一体なんじゃったのじゃろうな? わざわざご神木を傷つけるとは」
「わかりません。全くわかりません。でも、目的は……」
「目的?」
「私を食べにきたんだと思います」
「食べに?」
「うまいって言ってましたから」
「ご神木をねえ……妖が口にしたら、腹を壊すだけでは済まぬものぞ? それを……」
「でも……そう言ってました」
「よく、わからぬの」
「はい」
「それは、どこに行った? わかるか?」
 また、語気が強くなった。瞳が、細くなった。
 しゅーしゅーと、また音がした。
「い、いえ」
 頭領は、狛犬に目を向けた。
「俺は主の傷のことで」
「私も主の傷のことで」
「そうか……気をつけるよう、言わなければならんな」
 頭領が、歩き始めた。
「お帰りに?」
「うむ、用事はすんだしの」
「本当に、ありがとうございました!」
「よいよ……まて」
 頭領が、立ち止まった。
「はい?」
「わしは、ただ働きか?」
「それは……」
「いくら近所だからといってそれはおかしいの。一応ぬしは神なんじゃし、なにかよこせ」
「……」
「虫でもなんでも、かまわんよ。礼が、欲しいの」
「じゃあ……」
 羽矢風の命が、狛犬を下りた。
 祠の中に入り、ぱたんと扉を閉める。
 また、出てきた。両手に、何かを抱えていた。
「これを、彩花さまに」
「なるほど、腕輪か」
 木の枝で作られた、腕輪。
「腕輪? 首飾りですが?」
 頭領、まじまじと『首飾り』をみる。
「いやー、やっぱり腕輪じゃよ」
「小さすぎましたか……」
 がっくしと肩を落とす小さき人。
 頭領は、慰めるように言った。
「なに、これなら彩花も喜ぶじゃろうよ。では、これを礼としてもらっていこうぞ」
「八霊様、ありがとうございました!」
「御礼、申し上げる」
「御礼、申し上げますわ」
「うむ。さて……」
 頭領、空を見た。
「雨が降る前に……ちっ……遅う、なりすぎたか」
 頭領、すごすごと木の下に。
 狛犬の視線が痛かった。