小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

雪の戦人

 虎は子供の時から戦が好きだった。
 元服前の子供達を集めて戦の真似事をしては、姉によく叱られていた。
 父に疎まれ蔑まれ、身を隠すように城下の寺に入れられても、戦ごっこはやめなかった。身体を動かすことも好きで、仏門修行より武術修行に精を出した。
 よく様子を見にきた姉は、虎の怪我を見つけると、一つ一つ根ほり葉ほり穏やかに問うてきた。
 最初は強気に弁解してみるのだが、その内申し訳ない気持ちでいっぱいになって、本当のことを話してしまう。すると姉は、言葉を荒げて叱るのではなく、諭すようにこんこんと言い聞かせた。
 神妙に頷く虎は、次の日にはころりと忘れ、また姉に問われる日々を送った。
 長兄も、姉ほどではないが顔を出し、虎の傷を見てはまたかと顔を綻ばせた。病弱だった長兄は、虎の戦ごっこも武術の鍛錬も止めようとはしなかった。よく兄姉は方針の違いでぶつかっていた。
 姉は、おしとやかにと言った。
 長兄は、健やかであれと言った。
 虎は、強くなりたかった。
 時々寺を抜け出して、父に会いに行った。直接相見えることはない。軍の先頭に立つ父を見るだけだ。それで良かった。戦場から帰ってきた父は、軍神のようだった。憧れた。父が好きだった。嫌われても好きだった。
 父が死んだとき、天地がひっくり返ったのかと思った。
 病没だった。戦場での死ではなかった。
 葬儀に出ることを、もっともらしい理由で許されなかった。
 どう取り繕われても、嘘だとわかった。
 そこまで嫌われていたのかと虎は愕然とした。
 さめざめと涙を流していると、姉が抱き締めてくれた。涙は止まらなかった。思いが届かなかったと悔やみ続けた。
 一晩泣き明かした虎は、一晩背中を優しく撫で続けた姉の腕の中で涙を拭い、髪を伸ばそうと決めた。 せめてもの父に対する供養の気持ちだった。
 父が、虎の髪を、珍しい――そう言ったと、伝え聞いたことがあった。
 唯一の褒め言葉だと虎は信じていた。
 本当は、銀色の髪を父は嫌っていた。
 長尾の家督は長兄である晴景が継いだ。長兄は優しかった。父と違い戦を好まず、対話を優先させた。
 だが、越後は荒れた。混乱の中、二人の兄が死んだ。越後はまだ、武力を必要としていたのだ。
 虎が元服の齢を迎えたのは、そんな時だった。
 すぐに晴景に兵を求め、駄目だと言われた。何故だと問うた。武術の腕は並の兵士よりある。軍学には自信がある。馬術で敵う者はいないと密かに自負していた。
「……お前は、女ではないか」
 晴景の咳が、二人きりの部屋に響いた。
 美麗な顔を青ざめさせた虎は、ふらふらと姉である綾を尋ねた。
 虎の話を聞いた綾は、
「馬鹿なことを」
 そう、言った。
「ぼ、僕だって戦に出られる!」
「馬鹿も休み休み言いなさい! 兄上を困らせることはおやめなさい!」
「どうしてですか、姉上! 僕は、この日のために!」
「虎、私の可愛い妹、どうか、危ないことはやめておくれ。兄様達のようにはならないでおくれ」
 二人の兄の無惨な骸に取り縋って泣いていた姉を思い出した。虎にはあまり感慨がなかった。兄妹といっても、顔を合わすことすらほとんどなかったのだ。
「僕は、姉上と長兄のお役に立ちたいのです。駄目なのですか? 僕では、駄目なのですか?」
 姉は、違う。
 長兄も、違う。
 この二人は、本当の姉妹で、兄妹で、父母のような存在だった。
「……ええ」
 姉が、膝の裏につくほど伸びた銀髪を、手で梳いた。
 虎の銀髪は、一つくくりにして頭の後ろに流しても、まだ、腰ほどまであった。
「虎に戦はふさわしくありません……綺麗な髪。雪のようだわ。虎、虎は、十分に美しいもの。もっと自分を大事にしなさい」
 虎は、懐から守り刀を抜いた。綾は怯まなかった。何をするのと穏やかに尋ねた。肝の据わった姉だった。
「こんなもの、いらない」
 銀髪を切り落とすと、姉が初めて怯んだ。
「僕は、戦に出る」
 戦場に立った。晴景から兵は供されなかった。自分で集めた。
 三百人。子供の時、戦の真似事を一緒にした連中が主だった。
 敵は、六百人。叛乱を起こした豪族である。長兄は侮られていた。叛乱を起こしても、兵を向けない、こちらの要求を呑む、そう思われているのだ。
「僕は……これが、初陣だ。と言っても、僕に何度か負けた顔がいくらでもいるようだが」
 笑い声。武具の音、旗指物が流れる。
 白馬。
 白刃。
 銀色の髪。
「一緒に戦ってくれて、ありがとう……これはね、僕の酔狂なんだ。誰のためでもない、僕のためだ。僕のための戦だ」
 笑い声が消える。
 静まりかえった越後の雪原。
「僕のために戦って、僕のために死んでくれ」
 そう、僕は、戦のために戦をするんだ。
 そう、僕達は、戦のために戦をするんだ。
 そのために、僕は生きてきたんだ、生きているんだ。
 なんと言われようと、僕は戦場に立ったのだ。
 もう、止められない。
 もう、止まらない。
「この白銀の世界を、紅蓮の戦で塗り替えよう。天上から舞い降りる白雪が、隠しても隠しても隠しても隠しきれない、煌びやかな戦をするんだよ」
 征こう。
 仁も、
 義も、
 礼も、
 智も、
 信も、
 全部全部踏みつぶし、ただただ戦をすればいい。
「……それが、僕の全てだよ」
 ――さぁ、宴を始めよう。



「虎、こ、これは」
「首です。僕が獲りました。いりませんか?」
 紅い鬼だった。紅い小さな鬼が、首を持って、晴景の前に立っていた。
「こ、この者共は」
 三つの首を、虎は放り投げた。
「謀叛を起こしました。だから、首を刎ねました」
「お前は私の政を壊すつもりか! 父上が生きていた頃とは時代が違う! 戦ではな、対話で物事を進めるべきなのだ!」
「どうぞ」
 虎は、小さく顎を引いた。秀麗な鬼は、最初から嗤っていた。そのことに、晴景は初めて気がついた。
「兄上はそうすればいい。僕は、僕のしたいようにしますから」
「と、虎……」
「そうだ、兄上。虎は、死にました。死んだんですよ。兄上の知っている虎は。ここにいるのは、影です。虎の影です。そう、景虎がいい。僕は景虎だ。いい響きでしょう、兄上。僕が望んでも、父上に与えられなかった景の字だ」
「虎! お前、その姿は!」
「姉上、優しい姉上。これが僕の生き方ですよ。父上に嫌われた僕の生き方だ」
 父上は、毀れているから嫌ったのか。
 父上に、嫌われたために毀れたのか。
 どちらでもいい。
 戦に憑いた武神の姫は、次の宴、それだけを、心の底から求めていた。